第8話:目覚め
光の中にいた。
温かい光。どこまでも続く、淡い金色の光。
痛みがない。
体が軽い。
寒くない。
傷も、空腹も、凍えるような冷たさも——何もない。
自分の体じゃないみたいだった。あんなに重かった体が、今は羽根みたいに軽い。
僕は——死んだのか。
わからない。実感がない。
光が少しずつ薄れていく。
視界が開けていく。
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草原だった。
見渡す限りの、緑の草原。風が草を揺らしている。温かい風だ。
空を見上げる。
青と金色が混ざっている。見たことのない色だった。夕焼けでも朝焼けでもない。ただ、美しい。
遠くに森が見える。その向こうに湖。さらに奥には山。
風が吹く。
草の匂いがする。土の匂いがする。
——似ている。
母さんの匂いに、少しだけ。
土と、草と。でも、あの甘い匂いがない。母さんの匂いじゃない。似ているけど、違う。
「ここは……どこだ」
声が出た。自分の声が、遠くに聞こえる。
美しい場所だった。温かくて、穏やかで、どこまでも続いている。
でも、信じられなかった。
こんな場所があるはずがない。
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後ろから、声がした。
「ようこそ、猫の国へ」
振り返る。
一匹の老猫がいた。
柔らかい灰色の毛並み。穏やかな目。首には、緑色の石のペンダントが揺れている。
——母さんに、似ている。
目の優しさが。声の柔らかさが。
でも、違う。母さんじゃない。
「お前は死んだ。そして、ここに来た」
静かな声だった。低くて、柔らかい声。
「死んだ……」
言葉として、理解はできた。
でも、実感がない。死ぬってこういうことなのか。痛みもなく、寒さもなく、ただ別の場所にいる。
「この国は、傷ついた魂が辿り着く場所だ」
老猫は続けた。
「お前の体は人間界で終わった。でも、魂は残った」
「魂……」
僕はまだ、ここにいる。体は死んだのに。
「私は聴き耳のミーヤ。この国で、お前の案内をする」
ミーヤ。この猫の名前。
僕は聞いた。聞かずにはいられなかった。
「……母さんは、ここにいるのか」
ミーヤは、首を振った。
「すべての魂がここに来るわけではない」
「じゃあ——」
「お前の母がどこにいるか、私にはわからない」
何かが、萎んだ。
会いたかった。
「僕、頑張ったよ」って、言いたかった。
——何を頑張ったんだ。
傷ついて、傷つけて、憎んで、死んだだけだ。あの子猫から餌を奪って、ソラを信じて裏切られて、人間を憎んで、最後は一人で凍えて死んだ。
それのどこが「頑張った」だ。
こんな僕を、見せられない。
会えなくて、よかったのかもしれない。
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「まずは休め」
ミーヤが言った。
「ここでは誰もお前を傷つけない」
僕は草原に横たわった。
草が柔らかい。風が温かい。安全だ。
——本当に?
心の奥で、冷たいものが残っている。
「……本当に、誰も?」
声に出ていた。
ミーヤは答えなかった。ただ、静かにそこにいた。
信じられない。
安全な場所なんて、今まで一度もなかったから。
母さんの匂いは消えた。人間は僕を捨てた。ソラは僕を売った。
「誰も傷つけない」——そんな言葉、何度聞いた。何度裏切られた。
でも、体は疲れていた。魂も、疲れていた。
目を閉じる。
眠りに落ちる直前、母さんの匂いを探した。
土と、草と、少しだけ甘い匂い。
ない。
ここには、ない。




