表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

第5話:檻の中の序列

ソラについていった。


あの夜から、何日か経っていた。ソラは時々どこかに消えて、また戻ってきた。僕は段ボールの近くで待っていた。他に行く場所もなかった。


「ついてこい」


ある朝、ソラがそう言った。


「どこに」


「お前、一人じゃ生きていけないだろ」


優しい言葉じゃなかった。でも、事実だった。


僕は何も言えなかった。


「俺が話をつけてやる」


ソラは歩き出した。僕はその後を追った。


---


路地を何本も曲がった。知らない匂いが増えていく。猫の匂い。何匹もの、知らない猫の匂い。


毛が逆立った。体が強張った。


ソラが振り返った。


「怖いか」


「……少し」


「まあ、そうだろうな」


それだけ言って、ソラはまた歩き出した。


やがて、広い空き地に出た。廃材が積まれていて、あちこちに猫がいた。五匹、六匹。もっといるかもしれない。


みんながこちらを見た。


僕は足が止まりそうになった。でも、ソラが前にいる。ソラについていけば、大丈夫だと思った。


空き地の奥に、一匹の大きな猫がいた。


傷だらけだった。耳が欠けていて、顔に古い傷跡があった。目つきが鋭くて、僕を見た瞬間、体が縮んだ。


「ソラ、そいつは誰だ」


低い声だった。唸るような声。


「拾った」


ソラは淡々と言った。


「使えると思う」


使える。


その言葉が、少しだけ引っかかった。でも、考える余裕はなかった。


ボス猫が僕に近づいてきた。匂いを嗅がれた。値踏みするように、ぐるりと周りを歩かれた。


「……ひょろいな」


鼻で笑われた。


「まあいい。最下層からだ」


それが、僕の居場所になった。


---


野良猫の社会には、序列があった。


強い者が先に食べる。弱い者は残り物。逆らえば、制裁される。


僕は最下層だった。


餌を食べられるのは、全員が食べ終わった後。残っていればの話だ。残っていないことも多かった。


それでも、居場所があった。


一人じゃなかった。


夜、みんなが眠った後、ソラがそっと近づいてきた。


口に何かをくわえていた。小さな肉片。


「食え」


僕の前に落とした。


「……いいの?」


「いいから食え。お前、痩せすぎだ」


僕は食べた。久しぶりに、まともな餌だった。


「なんで、僕なんかに」


食べ終わって、聞いた。


ソラは答えなかった。しばらく黙って、それから言った。


「……さあな。お前を見てたら、昔の自分を思い出すだけだ」


昔の自分。


ソラにも、何かがあったんだ。


僕みたいに、捨てられたのかもしれない。僕みたいに、裏切られたのかもしれない。


聞きたかった。でも、聞かなかった。


聞いてほしくないことが、自分にもあるから。


二匹で並んで座った。空を見上げた。月が出ていた。


「ソラって名前、空から取ったの」


「……さあな」


ソラは答えなかった。


でも、少しだけ、表情が緩んだ気がした。


---


何日かが過ぎた。


ある日、縄張りに見知らぬ猫が迷い込んできた。


子猫だった。


生まれて間もない。痩せていて、汚れていて、震えていた。


僕は、息を呑んだ。


あれは、僕だ。


段ボールの中で震えていた頃の僕だ。路地裏で兄弟と再会した時の僕だ。捨てられて、独りで、どこにも行けなかった僕だ。


子猫は空き地の隅で、小さな餌を見つけたらしい。必死にそれを食べようとしていた。


「おい」


ボス猫の声がした。


僕を呼んでいた。


「お前、あいつの餌取ってこい」


心臓が跳ねた。


「取れたら、お前の序列上げてやる」


周りの猫たちが、僕を見ていた。試すような目。値踏みするような目。


ソラも見ていた。


何も言わなかった。ただ、見ていた。


僕は子猫を見た。


震えている。怯えている。餌を抱え込むようにして、周りを警戒している。


あの目を、僕は知っている。


兄弟を置いていった時の、僕の目。段ボールに捨てられた時の、僕の目。置いていかれる側の目。奪われる側の目。


「僕には関係ない」


心の中で言った。


「僕だって生きなきゃいけない」


言い聞かせた。


「僕だって、ずっと奪われてきた」


自分を捨てた人間。僕を選ばなかった人間。ゲームの方が大事だった子供。


「奪われる側から、奪う側に行くだけだ」


それの何が悪い。


僕は歩き出した。


子猫が僕に気づいた。目が合った。怯えた目。逃げようとして、でも餌を離したくなくて、動けないでいる。


僕は手を伸ばした。


子猫が小さく鳴いた。


「にゃあ」と。


僕は動けなくなった。


一瞬だけ。


すがるような声だった。助けを求めるような声だった。誰かに聞いてほしいという、必死な声だった。


僕もあんなふうに鳴いた。連れて帰って、と。僕を置いていかないで、と。


でも、届かなかった。


僕の足は、止まらなかった。


餌を奪った。子猫の前から、かっさらった。


子猫は何もできなかった。ただ、僕を見ていた。


---


餌を持って帰った。ボス猫の前に差し出した。


「やるじゃねえか」


ボス猫が笑った。


「明日から、一つ上だ」


周りの猫たちが、少しだけ僕を見る目を変えた。認められた。序列が上がった。


ソラが近づいてきた。


何か言われると思った。責められると思った。お前、何やってんだ、と。あの子猫が可哀想だと思わなかったのか、と。


ソラは言った。


「……お前は、生き延びた」


それだけだった。


表情は読めなかった。責めているようにも、褒めているようにも見えなかった。


ただ、事実を言っただけのように聞こえた。


---


夜、眠れなかった。


目を閉じると、子猫の顔が浮かんだ。震える体が浮かんだ。あの鳴き声が、頭の中で響いた。


「にゃあ」


すがるような声。


助けを求めていた声。


僕は、それを無視した。


僕は……何をしたんだ。


僕は、あいつらと同じになったのか。


僕を捨てた人間。ゲームの方が大事だった子供。僕を選ばなかった母親。


僕を置いていった兄弟。いや、僕が置いていった兄弟。


餌を奪われた僕。餌を奪った僕。


どこに違いがある。


何が違う。


目を開けた。


空を見上げた。星が見えた。冷たい星だった。


ソラは少し離れたところで眠っていた。


「お前は、生き延びた」


その言葉が、頭の中で繰り返された。


ソラも、同じことをしてきたのだろうか。


生き延びるために、誰かから奪ってきたのだろうか。


聞けなかった。


聞いたら、何かが壊れる気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ