第25話:クライアント④——翔太
由美さんとの再会から、数日が経っていた。
夜の公園を歩いていた。街灯がぽつぽつと道を照らしている。人の姿はほとんどない。
ベンチが見えた。
一人の男性が座っていた。
若い。20代前半くらい。顔を覆って、泣いている。
近づいた。
男性が顔を上げた。目が合った。
見えている。この人にも、僕が見えている。
「……猫?」
目が赤かった。涙の跡が頬に残っていた。
僕はベンチに飛び乗った。男性の隣に座った。
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しばらく、二人で黙っていた。
男性は涙を拭いていた。でも、また溢れてくる。止まらないみたいだった。
「なあ、猫」
男性が言った。声が掠れていた。
「聞いてくれるか。誰にも言えなくてさ」
僕は黙って、耳を傾けた。
「俺、親友を裏切ったんだ」
声が震えていた。
「職場で、親友がミスをした。俺と一緒にやってた仕事で」
男性は顔を伏せた。
「上司に『誰がやった』って詰められて」
声が詰まった。
「俺は——親友を指差した」
心臓が跳ねた。
「『こいつです』って」
——こいつです。
世界が止まった。
ソラの声が蘇った。あの夜。ボス猫の前で。僕を指差したソラ。
「——こいつです」
同じ言葉。同じ構造。完全に同じ。
「自分が怒られるのが怖かった」
男性は続けた。
「親友は、何も言わなかった。ただ、俺を見てた」
声が震えた。
「あの目が、忘れられない」
ソラの目が浮かんだ。あの夜、目を逸らしたソラ。でも——その前に、一瞬だけ僕を見た。あの目。
「俺、最低だ」
男性は泣いていた。
「親友はその後、会社を辞めた。連絡しても、返事がない」
「当たり前だ。俺なんか——」
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聴いていた。
聴いていたけど、頭の中は嵐だった。
ソラの顔。「こいつです」と指差す指。あの目。
憎い。まだ、憎い。
でも——目の前で、この男性が泣いている。
後悔している。壊れかけている。
ソラも——こうだったのか?
あの時、ソラも——怖かったのか?後悔しているのか?
わからない。
でも、目の前で男性が泣いている。これは、ソラじゃない。この人だ。
逃げることもできる。由美さんの時みたいに、冷たい言葉を吐いて逃げることも。
でも——逃げたくない。
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「あなたの、名前を聞いてもいいかにゃ」
声が震えた。でも、言葉を紡いだ。
男性が顔を上げた。
「……翔太」
「翔太さん」
深呼吸した。
「僕も——同じことをされたことがあるにゃ」
翔太が僕を見た。
「信じてた相手に、裏切られたにゃ」
ソラの顔が浮かぶ。でも、今は——言葉にできる。
「自分を守るために、僕を差し出されたにゃ」
「ずっと——許せなかったにゃ」
翔太の目が揺れた。
「……猫も?」
「でも——」
言葉が詰まった。でも、続けた。
「僕も、同じことをしたことがあるにゃ」
翔太が息を呑んだ。
「生き延びるために、弱い者から奪ったにゃ」
あの子猫の顔が浮かんだ。震えていた子猫。「にゃあ」と鳴いた子猫。僕が奪った子猫。
「だから——少しだけ、わかるにゃ」
「追い詰められた時、どうなるか」
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翔太は泣き続けていた。
しばらく、二人で黙っていた。
やがて、翔太が口を開いた。
「俺、どうすればいい」
声が掠れていた。
「わからないにゃ」
そう答えた。
「僕も、まだ答えは見つかってないにゃ」
「でも——」
翔太が顔を上げた。
「逃げないで、向き合おうとしてる翔太さんは——」
「少なくとも、あの時の翔太さんとは違うにゃ」
翔太は顔を覆った。声を殺して泣いた。
「俺……謝りたい……あいつに……」
「謝れるといいにゃ」
「許してもらえなくても、謝れるといいにゃ」
翔太は泣き続けた。僕は隣にいた。
逃げずに、そこにいた。
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しばらくして、翔太は泣き止んだ。
「……ありがとう」
掠れた声で言った。
「話、聞いてくれて」
「……うん」
翔太は立ち上がった。
「また、ここに来ていいか」
「……もちろんだにゃ」
翔太は歩いていった。振り返らなかった。でも、来た時より——少しだけ、背中が軽そうだった。
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一人になった。
ベンチに座ったまま、空を見上げた。
ソラの顔が浮かんでいる。
でも——さっきまでとは、少し違う。
翔太は怖かった。自分が怒られるのが怖くて、親友を指差した。
ソラも——怖かったのかもしれない。
自分がボス猫に睨まれるのが怖くて、僕を指差した。
許せない。まだ、許せない。
でも——「怖かったのかもしれない」と、思えるようになった。
僕も同じだ。
追い詰められた時、僕は子猫から奪った。生き延びるために、弱い者を犠牲にした。
ソラを責める資格なんてない。
それは前から知っていた。でも——今日、翔太に言葉にして伝えて、やっと——自分の中に落ちた気がする。
許すことと、理解することは違う。
ソラを許せなくても、ソラにも何かがあったのかもしれないと思うことはできる。
それは許しじゃない。ただ——見ること。
ミーヤが言っていたことが、少しだけわかった気がした。
立ち上がった。
夜の公園を歩き出した。
答えはまだ出ていない。ソラを許せるかどうかも、わからない。
でも——逃げなかった。
今日は、逃げなかった。




