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第23話:帰還

光の門を見つけた。


街外れの、誰も来ない場所。薄い光が揺らめいている。猫の国への入り口。


しばらく、その前に立っていた。


くぐれば、帰れる。猫の国に。穏やかな場所に。


でも——これは逃げることだ。


わかっていた。わかっていて、くぐった。


光が体を包んだ。一瞬、何も見えなくなった。


次に目を開けた時、猫の国の空気が体を満たしていた。


---


懐かしい匂いがした。


土と草と、少し甘い匂い。人間界にはない、穏やかな空気。


体が軽くなった。猫の国の空気は、いつもそうだ。


でも——心は重いままだった。


「僕は、逃げた」


声に出した。誰もいない場所で。


人間界から逃げた。あの女性から逃げた。傷つけて、逃げた。


ミーヤに会いに行こう。話を聴いてほしい。


歩き出した。


---


ミーヤの家に向かう途中、トムに会った。


「お、ニャンタル。戻ってきたのか」


トムはいつもと同じ、軽い調子だった。


「……うん」


僕の声は、重かった。


トムは僕を見た。少し黙って、それから言った。


「なんかあったな」


「……うん」


「そうか」


トムは隣に座った。何も聞かなかった。


しばらく、二匹で黙っていた。


「俺もあったよ」


トムが言った。


「逃げ帰ってきたこと」


僕はトムを見た。


「人間界で、どうしようもなくなって。逃げるように帰ってきた」


トムは空を見ていた。


「でも、また行った。逃げたまま終わるのは、嫌だったから」


僕は黙っていた。


「ミーヤのとこ、行くんだろ」


「……うん」


「行ってこい。あいつ、いいこと言うから」


トムは立ち上がった。


「俺は先に帰るわ。またな」


そう言って、歩いていった。


---


ミーヤの家に着いた。


「入れ」


声がした。ミーヤはいつも、僕が来るとわかっている。


中に入った。ミーヤは本を読んでいた。穏やかな目で、僕を見た。


「戻ってきたのか」


驚いていなかった。ただ、見ていた。


「……うん」


「座れ」


僕はミーヤの前に座った。


話し始めた。


人間界でのこと。美咲さんのこと。健一さんのこと。聴けた人たち。寄り添えた人たち。


そして——あの女性のこと。


「自分を守るために誰かを差し出した」——その言葉を聞いた時、ソラの顔が重なった。頭が真っ白になった。何も見えなくなった。


「知らない」と言った。逃げた。傷つけて、逃げた。


ミーヤは黙って聴いていた。


話し終わった時、僕の声は震えていた。


「僕は——まだソラを赦せていない」


そう言った。


「赦せないまま、誰かの話を聴こうとしていた。それが——間違いだったのかもしれない」


---


ミーヤは少し黙っていた。


やがて、口を開いた。


「赦せないから、聴けない——そう思うか」


僕は頷いた。


ミーヤは首を振った。


「私は、違うと思う」


僕はミーヤを見た。


「お前は赦せないから聴けなかったんじゃない」


ミーヤの目は、穏やかだった。でも、言葉は鋭かった。


「その女性の苦しみを、見ようとしなかっただけだ」


胸を刺されたような気がした。


「ソラの顔が重なった。それはわかる」


ミーヤは続けた。


「でも、その女性はソラじゃない。ソラと同じことをした。でも、同じ人じゃない」


わかっている。わかっていた。


「その違いを見ようとしなかった。お前は——逃げたんだ」


痛かった。でも、本当のことだった。


「僕は——逃げた」


声が震えた。


「その女性を見ないで、ソラだけを見て、逃げた」


---


ミーヤは少し黙った。それから、言った。


「ソラを赦す必要はない。今は」


僕は顔を上げた。


「憎んでいい。怒っていい。赦せないなら、赦さなくていい」


ミーヤの声は穏やかだった。


「でも——赦すことと、向き合うことは違う」


「向き合うこと……」


「ソラを赦さなくても、その女性と向き合うことはできる。ソラとその女性を区別することはできる」


ミーヤは僕を見た。


「それは赦しとは違う。ただ——目の前にいる相手を、見ることだ」


目の前にいる相手を、見る。


あの時、僕はそれができなかった。あの女性の顔を見ていたのに、ソラしか見えなかった。


「お前は、何をしたい」


ミーヤが聞いた。


答えを与えない。いつものミーヤだ。


僕は考えた。


あの女性の顔が浮かんだ。傷ついた顔。涙で濡れた顔。僕が傷つけた顔。


「……謝りたい」


声に出した。


「ちゃんと向き合いたい。今度こそ」


「あの女性を——ソラじゃなくて、あの女性として、向き合いたい」


ミーヤは頷いた。


「なら、行け」


立ち上がった。


「逃げたなら、戻ればいい」


ミーヤは本を開いた。もう、僕を見ていなかった。


「ミーヤ、ありがとう」


「礼はいらない。行きなさい」


僕は家を出た。


---


光の門の前に立った。


「逃げたなら、戻ればいい」


ミーヤの言葉が響いていた。


「赦すことと、向き合うことは違う」


ソラを赦せなくていい。でも、あの女性と向き合うことはできる。


深呼吸した。


光の門をくぐった。


人間界へ、戻る。

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