第17話:美咲の変化
また数日が過ぎた。
僕は公園のベンチの近くで待っていた。
美咲が来るのを。
「待ってた?」
声がして、顔を上げた。
美咲が立っていた。今日は少し早い。
「いつもより早く来ちゃった」
美咲は笑った。
前より——自然な笑顔だった。
ベンチに並んで座る。
美咲は今日、スマートフォンを取り出さなかった。
「今日はね、ちょっといいことがあったの」
声のトーンが違う。
少し明るい。少し軽い。
何か——違う。
前より、軽い気がする。
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美咲は空を見上げながら話し始めた。
「今日、会社で後輩に『助かりました』って言われたの」
僕は耳を傾けた。
「大したことじゃないんだけどね。資料の作り方を教えただけ」
美咲は少し照れたように笑った。
「でも、なんか——嬉しかった」
尻尾が小さく揺れた。
嬉しい。美咲が嬉しそうで、僕も嬉しい。
「いつもなら、『これくらい当たり前』って思ってたと思う」
美咲は自分の手を見つめていた。
「当たり前のことをしただけ。感謝されるようなことじゃないって」
「でも今日は、素直に嬉しかった」
美咲は不思議そうな顔をしていた。
自分でも、この変化がわからないみたいだった。
「なんでだろうね」
沈黙。
「……ニャンタルに話聴いてもらったからかな」
僕を見て、少し笑った。
「変な猫に話してるだけなのにね。なんか、楽になった」
変わってきてる——のかな。
でも、まだわからない。
浮かれちゃいけない。まだ途中だ。
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美咲は空を見上げた。
夕焼けが広がり始めていた。
「私、ずっと結果ばっかり見てた」
声が静かになった。
「結果が出ないと、意味がないって思ってた」
僕は黙って聴いていた。
「テストの点数。仕事の評価。誰かに認めてもらえるかどうか」
「全部、結果で測ってた」
長い沈黙。
美咲は続けた。
「でも、後輩に『助かりました』って言われた時——」
言葉を探している。
「結果とか関係なく、嬉しかったんだよね」
「点数がついたわけじゃない。評価されたわけでもない」
「ただ、誰かの役に立てた。それだけで、嬉しかった」
美咲の目に、光が戻っていた。
前に会った時の、乾いた目じゃない。
「私、ずっと——」
声が震えた。
「誰かに認めてほしかったんだと思う」
涙が浮かんだ。
「結果を出せば認めてもらえると思ってた。頑張れば、頑張れば——」
涙がこぼれた。
でも、前とは違う泣き方だった。
前は声を殺して泣いていた。肩を震わせて、堪えていたものが溢れるように。
今は違う。
静かに涙が流れている。顔を覆わない。空を見上げたまま、涙を流している。
表情は——穏やかだった。苦しみの涙じゃない。
「でも、本当は——」
美咲は目を閉じた。
「『そのままでいい』って、言ってほしかったんだ」
その言葉が、胸に響いた。
「結果を出さなくても。頑張れなくても。そのままの私でいいって」
「誰かに——言ってほしかった」
美咲は目を開けた。涙で濡れた目で、僕を見た。
僕は——言葉を探した。
押し付けたくない。でも、伝えたい。
美咲が自分で辿り着いた。だから、僕は確認するだけでいい。
「美咲さんは、美咲さんのままでいいにゃ」
声が震えた。でも、言葉は出た。
「頑張ってる美咲さんも、頑張れない美咲さんも、同じ美咲さんにゃ」
美咲は僕を見つめていた。
涙が頬を伝っていた。
今度は——届いた気がした。
「……ありがとう」
小さな声だった。
でも、本当の声だった。
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美咲は泣き止んで、顔を拭いた。
「ごめんね、また泣いちゃった」
笑っていた。目が笑っていた。
「変な猫。でも、本当にありがとう」
美咲は立ち上がった。
スカートの埃を払う。いつもの仕草。でも、動きが軽い。
「私、もう少し頑張れる気がする」
振り返って、僕を見た。
「無理しない頑張り方で」
そう言って、歩き出した。
「またね、ニャンタル」
手を振って、去っていく。
背中が軽い。本当に軽い。
僕は見送った。
美咲の姿が見えなくなるまで。
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一人になった。
夕焼けが、夜に変わり始めていた。
届いた——のかな。
わからない。でも、美咲さんは笑ってた。
目が笑ってた。
母猫の言葉を思い出す。
「お前は優しい子だね」
美咲さんが欲しかった言葉——「そのままでいい」。
僕がもらった言葉——「優しい子だね」。
同じだ。
母さんは僕に、「そのままでいい」と言ってくれていたんだ。
優しいお前で、いいんだよって。
あれが——僕にとっての、その言葉だったのかもしれない。
「母さん」
声に出した。
「僕、誰かに届けられたかな」
「母さんがくれた言葉を、誰かに届けられたかな」
返事はない。
でも、胸が温かかった。
答えはまだわからない。
でも、一つだけわかったことがある。
話を聴くことは——自分を知ることでもあるんだにゃ。
美咲さんの話を聴いて、僕は自分を知った。
母さんの言葉の意味を、やっと理解した。
夜空に、星が見え始めていた。
僕はベンチから降りて、歩き出した。




