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普通の定義

「もしかして、牧さんですか?」


声の方を見ると、そこにいたのは、想像していた「普通」を軽く超える人だった。彼女は、派手さはないが品のいいワンピースを着ていて、髪は綺麗にまとめられ、柔和な笑顔を向けていた。年齢は30代前半くらいだろうか。写真で見ていなかったため、少し驚いた。


「あっ、はい、牧です。ゆかりさんですね。初めまして」


「初めまして、中野ゆかりです。今日はありがとうございます。田中さんの話通り、真面目そうな方ですね」


彼女の言葉に、少し照れながら笑うしかなかった。

カフェに入り、向かい合って座ると、私は緊張で何を話していいかわからなくなっていた。


「緊張されていますか?」

とゆかりさんが優しく微笑み、コーヒーを一口飲んだ。


「はい、ちょっと。人見知りなもので」


「私も初対面は緊張しますよ。でも、せっかくの機会ですし、少しずつお話しできたら嬉しいです」


そこから、たわいもない話が始まった。仕事のこと、休日の過ごし方、好きな食べ物。彼女は聞き上手で、私が話すことにも興味を持って耳を傾けてくれた。


「牧さんは、普段お休みの日何をされているんですか?」


「えっと、最近はネットフリックス見たり、ゲームしたりすることが多いですね。あとは、スーパーの特売狙いで買い物に行ったりとか」


自分で話していて、何となく虚しくなった。こんな独身おじさんの寂しい休日の過ごし方なんて、聞いても面白くないだろう。


「そうなんですね。私も家でゆっくり過ごすのは好きですよ。最近何かハマっているドラマとかありますか?」


彼女は顔色一つ変えず、むしろ楽しそうに話を聞いてくれる。

その様子を見て、私はふと自分の決意を思い出した。


「実は、最近、今の生活を変えたいと思って。何か新しいことに挑戦しようと思っているんです」


「素敵ですね!例えば、どんなことに?」


「まだ具体的には決めていないんですが、体を動かしたり、何か勉強したりしたいなと思っています。ゆかりさんは、何か趣味とかありますか?」


「私はヨガを少しやっていますよ。あとは、たまに友達と旅行に行ったりします。牧さんが新しいことを始めるなら、もしよかったら一緒にできることを見つけてみませんか?」

その言葉に、胸がドキリと高鳴った。


「え、本当ですか?ぜひ!」


話しているうちに、緊張が少しずつほぐれていった。彼女は本当に良い人で、田中が言っていた「真面目」は、きっと悪い意味ではないのだろうと感じた。


「牧さんって、すごく話しやすいですね。今日の出会いに感謝です」

店を出て、駅まで歩きながらゆかりさんが言った。


「僕の方こそ、今日は楽しかったです。ゆかりさんは、すごく明るくて、話していて元気をもらえました」


「ありがとうございます。もしよかったら、また連絡してもいいですか?」


「もちろん!ぜひお願いします!」


別れた後、私は一人で駅のホームに立ち、今日一日のことを反芻した。ゆかりさんとの時間は、久しぶりに自分の人生に色が戻ってきたような感覚だった。

家に帰り、スーパーで買った値引きの惣菜を食べながら、私は再び考えていた。


「おれは普通になりたい」と。


今日のゆかりさんのような人が、きっと世間一般でいう「普通」なのだろう。仕事をして、趣味があって、友達と出かけたり、誰かと出会ったりする。

もし、ゆかりさんと付き合って、結婚して、家庭を持てたら。それは、私が目標とする「普通」の暮らしだろうか。

もちろん、そんなことはまだ気が早すぎる。でも、彼女と会うことで、私の心の中にあった「面倒臭い」「失敗が怖い」という幻影は、少しずつ薄れていっているように感じた。

明日から、本当に何かを変えてみよう。まずは体を動かすことから始めてみるか。ジョギングとか、一人で始められることなら、すぐできそうだ。

スマホを手に取り、週末の天気をチェックする。明日は晴れそうだ。

その時、スマホが光った。ゆかりさんからのLINEだった。

「今日はありがとうございました。すごく楽しかったです!もしよかったら、来週の土曜日にでも、もう一度お会いできませんか?」


私の心臓は、仕事終わりの金曜日の夜には感じたことのない高揚感を覚えていた。

「普通」の生活への第一歩が、思っていたよりも早く、そして素敵な形で訪れたのかもしれない。

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