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普通の人生

私は「普通の人間」だ。そしてこれからも、起伏のない平坦な日々を淡々と浪費していくのだと思っている。

小学校、中学校での成績は常に「中の上」。高校は申し訳程度の進学校に進んだが、そこでも定位置の「中の上」を維持し、地方の私立大学へ。卒業後は地元の地味な中小企業に潜り込み、一人暮らしに困らない程度の給料をもらい続けて、気づけば13年。35歳になっていた。

仕事終わりの金曜日。明かりのついていない冷え切った部屋に、スーパーで半額になった惣菜をぶら下げて帰る。ふとした瞬間に、虚無感が胸を突く。


「おれは今、何のために生きているんだろうか……」


恋人はいない。結婚の予定なんて、もっとない。夜な夜な飲み歩くような友人も、もういない。世間を見渡せば、同年代の多くは家族を持ち、誰かのために生きている。

私はといえば、自分が食べるため、ネットフリックスを眺めるため、あるいは新作ゲームを消化するためだけに、一日の大半を切り売りしてお金を稼いでいる。これが現実。これが私の人生だ。

本当に、これがやりたかったことなのか?

本音を言えば、新しい何かに挑戦してみたい。体を動かし、自分を磨き、街へ出て、誰かを愛したい。思いはある。心の奥底で、残り火のような熱がくすぶっている。

けれど、結局は「面倒臭い」が勝ってしまう。失敗が怖い。一人で動くのが寂しい。

今のこの空虚な生活が「普通」なのだろうか? そもそも「普通の暮らし」とは何だ。結婚し、子供を育て、家庭を築くことか? 彼女を作って週末を彩ることか?

だとしたら、おれは普通以下なのか。ただの、孤独な欠陥品なのか。

そんな袋小路の思考に囚われていた金曜日の夜、私は一つの決意を固めた。



「面倒臭い」も「失敗が怖い」も、所詮は自分が見せている幻覚に過ぎない。

正直なところ、今の私に失うものなんて何もない。ネットで揶揄される「無敵の人」に、私は限りなく近いのかもしれない。一応、社会的な居場所(仕事)があるだけマシだが。

だからといって、他人に迷惑をかけたいわけじゃない。ただ、自分のために何かを成し遂げたい。幸せになりたい。それが高望みなら、せめて「普通」になりたい。



決めた。まずは、人に恥じない「普通の生活」を取り戻すんだ。

しかし、立ち止まって考えると「普通」の定義がわからない。

学生時代の友人や会社の同僚たちは、皆それなりに楽しそうに家族と暮らしている。やはり家族を持つことが「普通」のパスポートなのだろうか。

とはいえ、私には肝心のパートナーがいない。恋愛経験は乏しく、最後につき合ったのは大学時代。10年以上、女性の手すら握っていない。


「とりあえず、動いてみるか」


どうせ持て余している時間だ。失うものもない。そう腹を括ると、何かが吹っ切れたような気がした。変化を拒んでいただけの臆病な心に、風が吹き込んだ。

手始めに、今流行りのマッチングアプリを登録してみることにした。

地方とはいえ、広島市の外れならそれなりに登録者はいるはずだ。


アプリを始めて一週間。

何かを始めるワクワク感は久しぶりだったが、現実は甘くなかった。

マッチング数はゼロ。

私の「普通」というスペックは、市場では埋もれてしまうらしい。

そんな折、久しぶりに学生時代の友人と飲みに行くことになった。唯一の独身仲間だと思っていた彼に、アプリでも勧めてみようか。


「久しぶり! 元気だったか?」


居酒屋の暖簾をくぐると、懐かしい顔が笑っていた。


「元気だよ。そっちは?」


「まあ、ぼちぼちかな。相変わらずの寂しい独身ライフだよ」


自虐を交えて返すと、彼は少し意外そうな顔をした。


「え、お前まだ独身なのか? おれは去年、結婚したよ!」


「えっ、マジか!? おめでとう! てか、結婚したなら教えてくれよ!」


「悪い悪い。コロナ禍だったし、身内だけで済ませたからさ」


彼は照れくさそうに笑った後、憐れむような視線を私に向けた。


「にしても、お前まだ一人かよ。彼女とかは?」


「独身で悪かったな。想像通り、いないよ」


「だろうな。お前、昔からモテなかったもんな(笑)」


「うるせーよ」


冗談を言い合える時間は楽しかったが、どこか取り残された感覚が強まった。しかし、彼はビールを飲み干すと、思いがけない提案をしてきた。


「悪い、今のナシ。……そういえば、おれの嫁さんの友達に、彼氏募集中の子がいるんだけど。紹介しようか?」


「え、本当か? ぜひ紹介してほしい!」


身を乗り出すようにして答えた。

(この決断が、私の人生を修復不可能なほど変えてしまうことになるとは、この時の私は知る由もなかった)


「おっけー。後でLINE送るわ」


帰宅すると、すぐに連絡先が送られてきた。

相手にも話は通っているようで、こちらから送ればいいらしい。

顔も性格もわからない。けれど、暗い部屋で一人、私はスマホを握りしめていた。


よし、勇気を出して送ってみよう。


「初めまして。田中から紹介してもらった牧といいます。よろしくお願いします」


画面を眺めていると、一分もしないうちに既読がついた。


「初めまして。中野ゆかりと言います。よろしくお願いします」

(返信、早いな……)


好感触に胸を撫で下ろしながら、私は言葉を継いだ。


「ゆかりさんですね。僕は商社で営業をしています。ゆかりさんは、どんなお仕事をされているんですか?」


「私は病院で看護師をしています。夜勤もあるので不規則な勤務ですが、慣れましたよ」

(看護師か。夜勤は大変そうだな。でも、人の命に関わる仕事をしているなんて、すごいな)


「そうなんですね。看護師さん、大変なお仕事ですよね。すごいなぁ」


「そんなことないですよ。牧さんは営業なんですね。毎日お忙しいですか?」


「いえ、最近は暇を持て余すことが多いですよ。なので、何か新しいことでも始めたいなと思って、紹介してもらったんです」


「そうだったんですね!もしよければ、今度一度お茶でもしませんか?田中さんの奥さんからも、牧さんはすごく真面目で良い人だって聞きましたよ」

(まじか。田中、気を利かせて言ってくれたのかな。真面目ってのは、裏を返せば面白みがないってことじゃないか?)


「え、本当ですか?ありがとうございます!ぜひ、お茶したいです」


一週間後、私はゆかりさんと駅前のカフェで会うことになった。

当日は、普段着に少しだけ気を使って、清潔感のある格好を意識した。待ち合わせの少し前に着き、店の前でソワソワしていると、一人の女性が近づいてきた。


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