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ごめんなさい。私、正直者なんです!  作者: 秋月アムリ


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9/11

9.移り変わる季節、そして

 あの嵐のような騒動が、嘘みたいに城は静かになった。

 いや静かになったというのは少し違う。

 水面下ではとんでもない大騒ぎが続いていた。


「目が……目がもう限界ですわ……」

「アマンダさん大丈夫? 少しは寝ないと倒れるわよ」

「いいえそうはいきません! あの悪党が開けた大穴ですもの。わたくしが全部塞いでみせます……!」


 私たちの部屋に戻るなりアマンダさんは再び帳簿の山に突撃した。

 ランフォルト子爵が捕まった。

 彼と癒着していた商人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げたらしい。

 領地の財務と交易は一時的にマヒ状態になった。


 アマンダさんはその立て直しに奔走していた。

 彼女は辺境伯様の執務室にほぼ泊まり込んでいる。

 財務をゼロから再構築する。

 とんでもない大事業を彼女が指揮していた。


 王都でただ微笑んでいただけの公爵令嬢。

 その彼女が今や辺境伯領の財政を背負っている。

 ……私の相棒は本当に最強だ。


「アマンダ先生! こちらの税率改定案です!」

「拝見しますわ! ……ダメ、これでは。短期的な税収しか見えません。辺境伯領の未来は十年先二十年先を見るべきです!」

「は、はい! すぐに!」


 補佐官たちはもう彼女を公爵令嬢とは呼ばない。

 誰もが畏敬の念を込めてアマンダ先生(・・)と呼んでいた。

 彼女は自分の才能で居場所を築き上げていた。


 さて一方の私。

 辺境の恩人なんて呼ばれ始めた私はどうしたか。

 もちろんいつも通りだ。


「ゲオルグ! 踏み込みが甘すぎ! それじゃただの虚仮威(こけおど)しよ!」

「は、はいっ! 先生!」

「フリードリヒ! 兄様の背後ががら空き。ちゃんと援護しなさい!」

「で、でも先生が強すぎて隙が……!」

「ヒルダ! 木の上は授業範囲外! さっさと降りてきなさい!」

「いやですわー! ここにいれば先生の魔の手も届きませぐぎゃっ!?」


 中庭は今日も騒がしい。

 私は子供たち相手に護身術という名のスパルタ教育を施していた。


 辺境伯様は私の教育方針に一切口出しをしなくなった。

 それどころかこの前は真顔で頭を下げられた。


「リオニア嬢、頼む。この子たちを君のように育ててくれ。本当に強くて賢い人間に」


 城の中での私たちへの視線も明らかに変わった。


「王都から来た罪人」「厄介者のご令嬢」そんな陰口はもう聞こえない。

 使用人たちは私たちに尊敬の眼差しを向けてくる。

 兵士たちはすれ違うたびに力強い敬礼をしてくれる。


「おうリオニア先生! 今日もビシバシやってるな!」

「先生のおかげで俺たちも食いっぱぐれずに済むぜ。ありがとよ!」


 食堂でスープをかき込んでいるとそんな声が飛んでくる。

 ……悪くない。


 王都で淑女の仮面を被っていた頃。

 誰からも退屈な人と遠巻きにされていた。

 あの頃よりよっぽど生きている実感がする。


 そしてあのネク……いや我らが騎士団長様、ジークハルト・ベルク。

 彼はランフォルト子爵捕縛の後処理で死ぬほど忙しかったらしい。

 子爵の残党狩り。

 王都商会への通達と賠償交渉。

 騎士団内部の引き締め。

 彼もまたしばらく執務室に詰めきりだったと聞いた。


 私と顔を合わせたのは騒動から数週間が過ぎた頃だ。

 私が中庭で子供たちとの授業を終えた。

 一人で木剣の素振りをしていると低い声がした。


「……まだそんなことをしているのか」


 背後からいきなりだった。

 こいつは本当に。


「うわっ!? び、びっくりした! なによ団長様! 脅かさないで!」

「脅かしてはいない。君の気配察知能力が足りないだけだ」


 ジークハルトは相変わらずの無表情で立っていた。

 腕を組み私から数歩離れている。


「なによ。見学?」

「……いや」


 彼は私から視線を外した。

 子供たちが泥だらけにして帰った中庭を見渡す。


「……あの子たちは強くなったな」

「え? あ、うん。まあね。素直だし吸収が早いから」


 珍しく彼がまともな感想を口にした。

 私は少し拍子抜けした。


「君の教え方は型破りだ。だが理に適っている。辺境で生き抜くにはあれくらい泥にまみれる覚悟がいる」

「……そりゃどうも」

「……だが」


 彼は再び私にその銀色の目を向けた。


「君自身の剣にはまだ迷いがある」

「……は?」

「あの時私と手合わせした時もそうだ。ランフォルトが短剣を抜いた時も。君は相手を倒すことじゃない。いなすことばかり考えていた」

「……」


 ドキリとした。

 見抜かれていた。


「護身術か。王都の令嬢が習うには十分すぎる技術だ。だがここは辺境だ。いなすだけでは守れないものもある」

「……」

「君はこの領地の恩人だ。その恩人が中途半端な剣で命を落とす。そんなことがあれば騎士団の名折れになる」


 彼はゆっくりと訓練用の木剣を手に取った。


「……え?」

「構えろ」

「は? いやなんでそうなるのよ!?」

「君の迷いを私が断ち切ってやる。……それとも怖いか?」


 その銀色の目が私を挑発するように射抜いた。


「……っ!」


 カチンと来た。

 この男は私が挑発に弱いと分かって言っている。


「上等じゃない! やってやろうじゃないの!」


 私は木剣を握り直し彼と向き合った。

 あの日中庭で初めて手合わせした時と同じ構図だ。


 でも空気がまったく違っていた。

 あの時はお互いに敵意と警戒心しかなかった。

 でも今は。


(……この人、本気で私を鍛えるつもりだ)


「いくわよ!」


 私は今度こそためらわない。

 彼に教わった通りだ。

 相手を倒すことだけを考えて最短距離で踏み込む。


「ほう……」


 だが次の瞬間、ガンッ!と鈍い音がした。

 私の木剣はいとも簡単に弾き返された。


「速いっ!」

「隙だらけだ」


 彼の木剣が私の喉元寸前でピタリと止まる。

 ……また負けた。


「……今の、見切ってた?」

「ああ」

「……悔しいけどどうやったの?」

「君が踏み込む一瞬前。肩がわずかに力んだ。それを見て動きを読んだだけだ」

「怖……」

「もう一度だ」

「……望むところよ!」


 その日から私とジークハルトの奇妙な訓練が日課になった。

 子供たちの授業が終わった後の中庭で。

 私たちは日が暮れるまで木剣を打ち合った。


 彼は一切の手加減をしなかった。

 私は何度も何度も泥だらけになって芝生に転がった。

 でも不思議と嫌じゃなかった。


「……立て。まだ終わっていない」

「くっそー! もう一回!」


 私は彼に勝つことだけを考えた。

 夢中になって剣を振った。


 そして気付いた。

 王都にいた頃、父に基礎を叩き込まれ、その後、我流で磨き上げた護身術。

 あれはあくまで、令嬢が危険から逃げるためのものだった。


 でも彼が教える剣は違う。

 辺境で大切なものを守るための、戦う剣だった。

 私はこの鋼のような男から学んでいる。

 守るだけじゃない強さを。




 そんな日々が続き、領地が落ち着きを取り戻し始めた。

 辺境に厳しい冬がやってきた。


 王都とは比べ物にならない。

 凍てつくような風と、すべてを白く塗りつぶす雪。

 城は分厚い石壁に守られていても底冷えがした。


「……さ、寒い……」

「リオニア様、こちらへ。暖炉のそばが一番ですわ」


 私とアマンダさんは与えられた部屋で毛布にくるまる。

 二人で燃え盛る暖炉の火にあたっていた。


 ランフォルト子爵が空にした食料庫。

 秋の収穫で、どうにか冬を越せるだけの備蓄を確保できていた。

 アマンダさんの不眠不休の努力のおかげだ。

 もし彼女の発見が数ヶ月遅れていたら。

 今頃この城は飢えと寒さで地獄になっていたはずだ。


「……ねえアマンダさん」

「はい?」

「改めて言うのもヘンかもしれないけど……私たち本当に来ちゃったわね。こんな地の果てみたいな場所に」

「ふふ、そうですわね。王都の舞踏会が、まるで遠い昔のことのようですわ」


 アマンダさんは穏やかな顔で暖炉の火を見つめている。

 彼女は辺境伯様から正式な役職を与えられた。

 財務顧問という役職だ。

 貴族令嬢としては異例の専門職。

 彼女はもう誰かの婚約者じゃない。

 アマンダ・ヴァインベルクという一人の人間として、確固たる地位を築いていた。


「……私たち、王都に帰れる日は来るのかしらね」


 私がぽつりと呟いた。

 アマンダさんは不思議そうに私を見た。


「……リオニア様は帰りたいのですか?」

「え? いや、そういうわけじゃ……」

「わたくしは帰りたくありませんわ」


 彼女はきっぱりと言った。


「ここにはわたくしを必要としてくれる人がいます。わたくしが命を懸けて守りたい。そう思える人々の暮らしがあります」

「……アマンダさん」

「レグルス殿下の隣で偽りの笑顔を貼り付けていた。あの頃のわたくしは、もうどこにもいませんわ」


 その笑顔は本当に美しかった。

 ……そうよね。私も同じだ。


(帰りたいか、なんて)


 帰る場所なんてもうあそこにはない。

 私の居場所は今ここにある。


 子供たちに生きる術を教えること。

 アマンダさんとこうして暖炉にあたること。

 そして……あのムカつく騎士団長と剣を交えること。

 それが私の今のすべてだ。



 *



 長い長い冬がようやく終わった。

 北の辺境にも遅い春が訪れようとしていた。


 雪解け水が川となって流れる。

 凍てついていた大地から緑が顔を出し始めた。

 そんなある日のことだった。


「リオニア・キルシュバウム嬢! アマンダ・ヴァインベルク公爵令嬢! 辺境伯様が至急、執務室にと!」


 兵士が慌てた様子で私たちを呼びに来た。

 私とアマンダさんは顔を見合わせる。


(……何かしら? また何か事件?)


 私たちが急いで謁見の間に向かった。

 そこには辺境伯様と、なぜかジークハルト団長までが勢揃いしていた。

 そしてその中央には見慣れない男がいた。


 王都の文官風の男が尊大な態度で立っている。

 その男が胸に抱えている箱。

 それを見て私は息を飲んだ。……王家の紋章だ。


「……遅いぞ二人とも」


 辺境伯様がいつもより硬い声で言った。

 王都から来た文官は私たちを値踏みするように見る。

 上から下までじろりと見た。


「……君がリオニア・キルシュバウムか。そしてそちらがアマンダ公爵令嬢。……ふむ。噂通りの辺境かぶれの有様ですな」


 その人を小馬鹿にした言い草。

 私の眉がピクリと動く。

 ジークハルトの纏う空気が一瞬で氷点下になった。


「……貴様」

「ジークハルト、抑えろ」


 辺境伯様がそれを手で制した。

 文官は私たちが何も言わないのをいいことに続ける。

 芝居がかった咳払いをして持っていた巻物を高らかに広げた。


「国王陛下からの勅令である! 頭を垂れよ!」


 ……なんだかムカつく。

 私とアマンダさんはしぶしぶ形だけの礼を取った。


「……キルシュバウム男爵令嬢リオニア! 並びにヴァインベルク公爵令嬢アマンダ!」

「……!」

「両名は北の辺境グライフェン辺境伯領において! 領地の転覆を狙った重大な反逆の芽を早期に発見! その危機を身を挺して未然に防いだ!」

「……」

「この功績は王国の守りを固め王家の安寧に寄与したものだ! 万人が認めるところである!」


 文官はそこで勿体ぶるように一度言葉を切った。


「よって! キルシュバウム男爵令嬢リオニアに課せられた! 一切の罪をここに赦免する!」

「……え?」

「両名に対し王都への即時の帰還を許可する!」


 ……は?

 赦免?

 王都への帰還?


 文官は勅令を読み終えると満足そうにそれを丸めた。

 私に向かって尊大な笑みを向ける。


「……ということだキルシュバウム嬢。良かったな。君の罪は許された。アマンダ公爵令嬢もご苦労だった。……さあ急ぎ旅の支度を。国王陛下が君たちの帰還を首を長くしてお待ちだ」


 彼は当然私たちが泣いて喜ぶとでも思ったのだろう。


 王都に帰れる! ありがたき幸せ! なんて言うとでも。

 私はアマンダさんと顔を見合わせた。


 それから辺境伯様とジークハルトを見た。

 辺境伯様はどこか寂しそうだ。それでいて誇らしそうな複雑な顔をしている。


 ジークハルトは。

 ……彼は相変わらずの無表情だった。


 ただその銀色の瞳が私から一瞬も目を逸らさない。

 じっと私だけを見つめていた。

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