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ごめんなさい。私、正直者なんです!  作者: 秋月アムリ


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3/11

3.私たち、ここで働きます!

 王都を出発した馬車は、それはもう酷い乗り心地だった。

 石畳の道が終われば、馬車はやがて土埃の舞う街道へと入っていった。


 デコボコの街道をガタンゴトン。内臓が揺さぶられる振動が延々と続く。

 ゴトゴト、ガタガタ。

 粗末な馬車の揺れは、王都で乗っていたキルシュバウム家の紋章入りの馬車とは比べ物にならないほどひどい。

 貴族令嬢が乗ることなど一切想定していない硬い機構。

 私は、狭い車内でどうにか安定する体勢を探しながら、向かいに座るアマンダさんを見た。

 彼女は公爵令嬢だ。こんな揺れ、経験したこともないだろうに。


「……っ、お尻が四つに割れそう……大丈夫? 酔ったりしてない?」


 私が尋ねると、アマンダさんは、窓の外を流れる景色から私に視線を戻し、小さく微笑んだ。


「ええ、平気ですわ。……それより、リオニア様。わたくし、馬車がこんなに跳ねるものだとは知りませんでした」

「普通は跳ねないのよ。ちゃんとした貴族用の馬車は、もっと衝撃を和らげる仕組みになってるから」

「まあ、そうなのですか」


 彼女は、本当に物珍しそうに、ガタン!と大きく揺れるたびに、楽しそうに目を瞬かせている。

 ……この人、思ったよりずっとタフかもしれない。

 私は、てっきり彼女が「こんなはずでは……」と泣き出すか、後悔し始めるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしていた。

 だが、私の心配は杞憂に終わったらしい。

 アマンダさんは、王都を離れるにつれて、むしろその表情が明るくなっていくように見えた。


「なんだか、冒険みたいですわね」

「冒険、ねえ……」


 私は苦笑いするしかなかった。

 こっちは罪人として辺境に送られる身だ。冒険なんて生易しいものじゃない。


「でも、アマンダさんは本当に良かったの? 公爵様たち、心配してるんじゃ……」

「お父様もお母様も、最後は笑って送り出してくださいましたわ。『リオニア様によろしく伝えてくれ』と」

「ええっ!? 私に!?」

「ええ。『娘の目を覚まさせてくれた、稀代の悪女殿にな』って」

「……それ、褒めてるの?」

「ふふ、もちろん、最大級の賛辞ですわ」


 アマンダさんはクスクスと笑う。

 その笑顔は、仮面を被っていた頃の私なんかより、ずっと自然で、魅力的だった。


(稀代の悪女、か。さしずめ悪役令嬢ってか?)


 悪くない響きだ。

 バカ王子に「政治的な繋がりのためだけの女」なんて言われるより、よっぽどいい。

 私たちは、そんな風に他愛のない話をしながら、長い長い旅を続けた。


 旅は、想像以上に過酷だった。

 護衛という名の監視役の騎士たちは、私たちに必要最低限の世話しかしない。

 食事は、硬いパンと干し肉、それに水だけ。

 宿も、街道沿いの安宿ばかり。しかも、罪人である私と、それに同行するアマンダさんは、人目を避けるように裏手の粗末な部屋に通された。

 騎士たちは「アマンダ公爵令嬢に、このような扱いを……!」と歯噛みしていたけれど、アマンダさん本人が「結構ですわ。リオニア様と同じで構いません」ときっぱり言い切ったので、彼らもそれ以上は何も言えなかった。


 夜は冷え込んだ。

 王都にいた頃に使っていた、羽毛のように軽い上等なブランケットはない。

 ゴワゴワした、埃っぽい毛布に二人でくるまって、寒さをしのいだ。


「……寒い」

「ええ、冷えますわね」

「ごめんね、アマンダさん。私に付き合わせちゃって」


 毛布の中で呟くと、アマンダさんは、暗闇の中で私の手を探し当て、ぎゅっと握ってくれた。


「謝らないでくださいまし。わたくしが望んだことです。……それに、こうして誰かと手を繋いで眠るなんて、子供の頃以来ですわ」


 彼女の声は、少しだけ震えていた。寒さだけじゃなく、きっと不安もあるのだろう。

 けれど、それ以上に嬉しそうだった。

 私も、その温かい手を握り返した。


(ああ、そうか)


 彼女も、公爵令嬢という仮面の下で、ずっと一人だったのかもしれない。

 私と同じように。

 私たちは、お互いの手の温もりだけを頼りに、長い夜を過ごした。



 *



 そうして何日、馬車に揺られただろう。

 王都近郊の豊かな緑は次第に姿を消し、景色は荒涼としたものになっていった。

 空は低く、風は冷たさを増していく。

 これが、北の辺境。

 そして、ようやくその日、私たちは目的地であるグライフェン辺境伯領の居城に到着した。


「……でっかーい」


 思わず声が漏れた。

 辺境伯の居城は、王城のような華やかさや、公爵家の屋敷のような優雅さとは無縁だった。

 巨大な灰色の石を積み上げた、まさに要塞。

 飾り気は一切ないけれど、長年の風雪と、もしかしたら戦の痕跡に耐えてきた、圧倒的な存在感がそこにはあった。


 城壁の上には、厳しい顔つきの兵士たちが行き来しているのが見える。

 ここが、王国の北の守り。最前線。

 私とアマンダさんは、馬車を降り、その威圧的な城門をくぐった。


 通されたのは、謁見の間、と呼ぶには少し質素な、しかし、広いホールだった。

 床も壁も磨き上げられた石でできていて、中央には大きな暖炉が燃えている。

 私たちはそこで、この城の主を待っていた。


 やがて、重い扉が開き、一人の男性が入ってきた。

 年の頃は四十代だろうか。

 背が高く、肩幅が広い。軍服のような服をびしっと着こなしている。

 短く刈り込まれた髪には白いものが混じり始めているが、その目は、まるで鷹のように鋭い。


 この人が、グライフェン辺境伯様。

 私は、咄嗟に淑女のお辞儀をしようとした。

 だが、辺境伯様は、それを手で制した。


「……君が、リオニア嬢か」


 低く、よく通る声だった。


「はい」

「君が王都でしでかしたことは、報告書で読ませてもらった」


 彼は、手元の書類に目を落とす。


「王族への不敬、反逆罪。……正直、よく首が繋がって、この地への追放で済んだものだと感心している」

「私もそう思います」


 私の返事に、辺境伯様は眉をピクリとさせた。


「……君は、ここで無期限の謹慎を命じられている。我が領地から一歩も出ることは許されん。もちろん、王都との連絡も一切禁止だ」

「はい、承知しています」

「そして、こちらが……アマンダ公爵令嬢。……で、間違いないかな?」


 辺境伯様は、私とアマンダさんを交互に見た。

 その視線は、好奇でも侮蔑でもない。

 ただ、純粋に「理解できないもの」を見ている、そんな目だった。

 アマンダさんが、完璧な公爵令嬢のカーテシーを見せる。


「ごきげんよう、グライフェン辺境伯様。わたくしは、アマンダ・ヴァインベルクと申します」


 辺境伯様は、その完璧なお辞儀を受けても、表情一つ変えなかった。


「……報告は受けている」


 彼は、手に持っていた一通の手紙をひらひらさせた。


「国王陛下からの正式な通達だ。『罪人リオニア・キルシュバウムの身柄を、辺境伯の監視下に置く』……と」


 辺境伯様の視線が、私を射抜く。


「そして、もう一通。こちらはヴァインベルク公爵家からだ。『娘アマンダは、キルシュバウム令嬢に同行する。これは、ヴァインベルク家の総意である』……と」


 辺境伯様は、大きなため息をついた。


「……正直、困惑している。なんなんだこれは?」


 彼の隣に、そっと寄り添うように立っていた、穏やかそうな女性……おそらく辺境伯夫人が、心配そうに夫の顔を見上げている。


「あなた。この方たち、長旅でお疲れでしょうに……」

「いや、しかしだな、ソフィア。事態が事態だ」


 辺境伯様は、私たちに向き直った。


「罪人として送られてきた者と、その『同行者』として、自ら望んでこの地に来た公爵令嬢。……二人を、どう扱ったものか、私は決めかねている」


 それは、もっともな言い分だった。

 私を離れの部屋にでもぶち込み、アマンダさんを客室に案内する。それが普通の対応だろう。だが、いつまでも客人扱いするわけにもいくまい。

 アマンダさんが、一歩前に出た。


「辺境伯様。わたくしは、リオニア様の『同行者』として参りました。罪人ではありませんが、客人でもありません。どうか、リオニア様と同じ扱いを」

「……公爵令嬢に、罪人と同じ扱いを、と?」


 辺境伯様の声に、わずかな苛立ちが混じる。


「それはできん相談だ。ヴァインベルク公爵家に、どう申し開きをすればいい」

「しかしわたくしは、リオニア様と共に、ここで生きていくと決めました」


 アマンダさんの、迷いのない答え。

 辺境伯様は、深く息を吸い込むと、大きな手で自分の額を押さえた。


「……頭が痛い。ヴァインベルク公爵家のご令嬢を、罪人である彼女と同等に扱うわけにはいかん。かといって、客人として丁重にもてなし続けるわけにも……」


 そりゃそうだろう。

 辺境伯様からすれば、私たちは厄介者以外の何者でもない。

 特にアマンダさんは爆弾だ。万が一彼女の身に何かあれば、辺境伯様家と公爵家の関係にヒビが入りかねない。


(まずい。このままだと、アマンダさんたちが押し問答を続けるだけだ)


 私は、アマンダさんの前に割り込むようにして、口を開いた。


「辺境伯様」


 辺境伯様の視線が、私に戻ってくる。


「私はもちろん、アマンダさんも、ここに居候しに来たんじゃありません」


 私は、あのバカ王子を論破した時とは違う。

 もっと冷静に、もっと論理的に、言葉を選んだ。


 仮面を被っていた頃の、淑女の笑顔でもない。

 今の、正直な私の言葉で。


「私たちは、王都でご迷惑をおかけしました。……いいえ、私が、です。私は、王家の権威を地に落としました」

「……分かっているのなら、結構」

「ですが、私は後悔していません。……でも、反省はしています」

「ほう? 後悔と反省は違う、と?」


 辺境伯様は、少し興味深そうに眉を上げた。


「ええ。あの場で言ったことは間違っていなかったと思っています。……ですがそのせいで、両親や、キルシュバウム家、そして、辺境伯様のような方々にまで、ご面倒をおかけしている。そのことについては、深く反省しています」


 私は、深々と頭を下げた。


「だから、私たちはここで、無償で労働奉仕を申し出たいと思います」

「……労働奉仕?」

「はい。私たちは、王都の貴族令嬢として、ただ守られ、消費するだけの生活を送ってきました。ですが、もう、そんな生活に戻るつもりはありません。この地で、私たちにできることをさせていただきたいのです」

「わ、わたくしも!?」


 アマンダさんが素っ頓狂な声を上げるが、私は無視する。


「……働く、というのか? ここで? 君たちが?」


 よし、食いついた。

 内心で私は、待ってましたとばかりに弁舌を振るい始めた。


「私は、こう見えても男爵令嬢としての教育は一通り受けています。歴史、文学、政治学、それに、まあ、少々の護身術も。アマンダさんは、公爵令嬢としての教育はもちろん、王都の社交界の複雑な人間関係を把握し、管理する能力は、そのまま領地の管理にも活かせるはずです」


 辺境伯様は、いまのところ静かに目を閉じて聞いてくれている。


「……私たちは、ただ飯ぐらいになるつもりはありません。私たちに、この城で居場所をください。そうすれば、辺境伯様も『罪人を監視しつつ、公爵令嬢を保護している』という大義名分が立つのでは?」


 ど、どうだ!?

 感心したように小刻みに頷いているアマンダさんを横目に、辺境伯様を見る。


 彼は目を開くと、私の顔をじっと見つめてきた。

 その目は、さっきまでの厄介者を見る目から、やがて、面白いものを見る目に変わっていった。

 彼は、喉の奥で「ふっ」と笑うと、


「……なるほど。口が異常に達者、というのは、報告書通りか」

「お褒めにいただき、光栄ですわ」

「面白い。よかろう」


 辺境伯様は、ポン、と膝を打った。


「君たちの申し出、受け入れよう。ただし、仕事はこちらで決めさせてもらう」


 辺境伯様は、私に向き直った。


「キルシュバウム令嬢。……いや、リオニア嬢、と呼ばせてもらうぞ」

「はい、結構です」

「君には、王族を完膚なきまでに論破するほどの知識と教養がおありのようだ」

「いえ、そんな……ちっとばかし口が達者なだけですが」

「謙遜は結構」


 辺境伯様は、私の軽口をピシャリと遮った。


「君には私の子供たちの、家庭教師を務めてもらう」

「……家庭教師、ですか?」


 予想外の申し出だった。


「そうだ。私には、息子が二人、娘が一人いる。礼儀作法から、歴史、政治学まで、君の知るすべてを教えてやってもらいたい」

「……ですが、私は罪人ですよ? そんな者が、お子様たちの教師など……」

「だから、だ」


 辺境伯様は、鋭い視線で私を射抜いた。


「君のそのよく回る舌が、どれほどのものか、私の子供たちで試させてもらう。……ただし」


 彼の声が、一段と低くなる。


「もし、王家への不敬や、反逆を唆すようなことを教え込んだら……その時は、容赦なく、この城の地下牢に繋いでもらう。未来永劫、な」


 ぞくり、と背筋が寒くなった。

 この人は、本気だ。

 私は、ゴクリと唾を飲み込み、そして、あえてニヤリと笑ってみせた。


「ご心配なく、辺境伯様。私は正直なだけです。バカにバカだと言ってはいけない時も、場面も、知識としてはわかっています……それで、よろしいでしょう?」


 私の挑戦的な視線を受け止めて、辺境伯様は、今度こそはっきりと笑った。


「……よろしい。それでこそ、だ」


 彼は、次にアマンダさんに向き直った。


「さて……アマンダ公爵令嬢。君には、何をしてもらったものか」

「わたくしは……!」


 アマンダさんが、待ってましたとばかりに声を上げた。


「公爵家で、領地経営の補佐として、財務や数字の扱いを学んでまいりました。もし、お役に立てるのでしたら……!」


 その言葉に、今度は辺境伯様が、素直に驚いた顔をした。


「……財務? 公爵令嬢が、か?」

「はい。机上の学問ではありますが、帳簿の読み方、検算、財政の基礎は一通り」


 辺境伯様は、腕を組み、ううむ、と唸った。


「……それは、ちょうどよかった」


 彼は、何かを思い出したように、難しい顔になる。


「実は、領内の財務管理が、近頃どうも滞っていてな。原因がはっきりせんのだ。……私の補佐官の手伝いを、してもらえるか?」

「はい! 喜んで!」


 アマンダさんは、まるで舞踏会にでも誘われたかのように、顔を輝かせて答えた。

 こうして、私たちの辺境での仕事が決まった。



 私たち二人に与えられたのは、城の塔の一室だった。

 来客用の豪華な部屋ではなく、かといって使用人部屋でもない。


 かつては、騎士の詰め所か何かだったのかもしれない。

 石造りの壁がむき出しで、家具も、簡素なベッドが二つと、棚、小さな机、それに服を入れるための簡素な木の箱だけ。


 貴族令嬢が暮らす部屋としては、あまりにも質素だ。

 でも、清潔に掃除はされていて、窓も大きい。


「……なんか、修道院みたいね」


 私が感想を漏らすと、アマンダさんは、窓辺に駆け寄って、外の景色に目を輝かせていた。


「まあ、リオニア様! ご覧になって! すごいですわ!」


 窓からは、辺境伯様領の広大な景色が一望できた。

 どこまでも続く、厳しくも雄大な山々。その麓に広がる針葉樹の森。

 王都の、箱庭のように整えられた景色とは、何もかもが違っていた。


「本当に……来たのね、辺境に」

「ええ。来ましたわ!」


 アマンダさんは、私に向かって振り返り、満面の笑みを浮かべた。


「わくわくしますわね、リオニア様! 私たちの、新しい生活ですわ!」


 その笑顔につられて、私も、自然と笑みがこぼれた。


「そうね。……家庭教師と、財務補佐、ね」


 どちらも、王都にいたら絶対に縁のなかった仕事だ。


 家庭教師か……悪くない。

 アマンダさんが、帳簿整理。それも、なんだか想像すると面白い。


「さあ、まずは荷解きをしないと」

「そうですわね!」


 でも私たち二人の荷物は、どちらも小さな荷物袋一つだけ。

 荷解きなんて、あっという間に終わってしまう。


 王都から持ってきた、数枚の質素なドレスを木の箱にしまいながら、私は、この新しい生活に、不思議な高揚感を覚えていた。


 仮面を被って、息を殺して生きていた王都の日々。もう、あんな場所に戻る必要はない。

 ここでは、私はただのリオニアとして、アマンダさんはアマンダさんとして、生きていける。


「よし!」


 私は、パン、と手を叩いた。


「明日から、頑張りますか!」

「はい!」


 辺境の厳しい風が、窓をカタカタと鳴らしていた。

 でも、この石造りの部屋の中は、二人分の熱気で少しだけ暖かい気がした。

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