1.わんぱく令嬢ってなんなのよ
幼い頃、私は「わんぱく令嬢」と呼ばれていたらしい。
らしい、というのは自分ではあまり覚えていないからだ。いや、覚えているけれど認めたくない、というのが正しいかもしれない。
だいたい女の子に「わんぱく」はないだろう。せめて「おてんば」にしておけというものだ。
リオニア・キルシュバウム。それが私の名前。キルシュバウム男爵家の長女として生まれた私は、それはもう元気いっぱいだったと聞く。
「リオニア様は本当に……」と乳母がよく溜息交じりにこぼしていた。
木登りは朝飯前。お気に入りのドレスで泥遊びに興じ、家庭教師の鬘をひっぺがして逃げ回り、父の書斎で墨壺をひっくり返して大騒ぎ。
行動や発言が貴族令嬢の範疇にない。
両親や使用人たちは私の奇行に頭を抱え、社交界デビューが近づくにつれてその憂鬱は深まっていった。
そして、案の定。
初めてのデビュタントボールで、私は盛大にやらかしたみたいだ。
「ごきげんよう、キルシュバウム男爵令嬢。あなたのお噂はかねがね」
ねっとりとした視線で私を上から下まで品定めする、ぽっちゃりしたどこぞの貴族子息。
「噂? どんな?」
「ふふふ、ご令嬢はたいそう活発でいらっしゃるとか」
「うげ。会ったこともない人にまで知られてるのか」
まあここまでは良かった。
「またお父様に怒られそうだから今日は大人しくしとくか……」
壁の花にでもなってやるかとその場を辞そうとした私だったが、相手は尚も話しかけてくる。
「まあまあ、どうです? 私と一曲」
「いやー無理です。踊りなんてできませんもん」
「大丈夫、私が教えて差し上げますから」
「無理ですって。興味もないし」
散々断っているのに、相手はしつこく食い下がってくる。
それどころか、しつこく私の肩に手を回そうとしてきた。
「まあまあ、そう固くならずに」
だから私は、思わずその手をはたき落として言ってしまった。
「触るな子豚。息がニンニク臭いのよ」
……シーン。
音楽が止まったかと思った。
子息は顔を真っ赤にして固まり、周囲の令嬢たちは扇で口元を隠してクスクス笑っている。
父は青ざめ、母は倒れた。
それが私の社交界デビュー。伝説の始まり。
もちろん悪い意味で。
それからというもの、私の発言は数々の波紋を呼んだ。
「そのドレス、まるで魚みたいですね」
「奥様の宝石は、本物ですか? まるで作り物みたい」
「お化粧が濃すぎて、落としたら誰だかわからなくなっちゃいますよ」
「あなたって本当に正直な方なのね!」
そう言って頬を引き攣らせる伯爵夫人に、私は満面の笑みで答えた。
「ええ! よく言われます!」
両親は泣いた。
「リオニア……! 頼むから、頼むから黙っていてくれ!」
「どうしてお父様? 私は思ったことを口にしただけなのに」
「それが悪いと言っているんだ!」
父の悲痛な叫びに、私はようやく気付いた。
どうやら、この社交界という場所は思ったことを口にしてはいけないらしい。
なんて面倒な世界だろう。
私は深く深く溜息をついた。
それから私は、社交界での失敗を重ね、学習した。
とにかく黙ってニコニコしてりゃいいんでしょ? と。
鏡の前で、完璧な淑女の笑みを練習した。口角の上げ方、目元の緩め方、扇で口元を隠すタイミング。
本心を隠し、外面を取り繕う術。
それは私にとって、一番得意な悪戯に似ていたかもしれない。
そういうわけで私は完璧な仮面を習得した。
その結果数年後、どうなったか。
「あのキルシュバウム男爵令嬢も落ち着いたものだな」
「ええ、いつも静かに微笑んでいらして」
「ただ……少し、退屈というか、何を考えていらっしゃるのか」
知ったことか。
あんたらが望んだ淑女になってやったんだ。文句があるならコソコソしてないで直接言ってこいっての。
私は社交界の隅で、今日も完璧な笑顔を貼り付けて立っている。
それが私の日常。
退屈で、息が詰まる、完璧な日常。
*
その日も、私は王城の華やかなパーティーに参加していた。
煌びやかなシャンデリア。流れるような美しい音楽。色とりどりのドレスを纏った令嬢たちと、高価な軍服や正装に身を包んだ殿方たち。
誰もが笑顔で、誰もが仮面を被っている。
私もその一人だ。
「ごきげんよう、リオニア様」
「ええごきげんよう」
当たり障りのない挨拶。中身のない会話。
グラスを片手に、壁の花と化しているのが一番楽だ。
私はぼんやりと、ホールの中心で優雅に踊る人々を眺めていた。
(あーあ、退屈)
早く終わらないだろうか。家に帰って、泥だらけになるまで馬を駆けさせたい。
そんなことを考えていた、その時だった。
甲高い声が、音楽を突き破って響き渡った。
「待ってくれ、アマンダ! 僕の話を聞いてくれ!」
騒ぎの中心にいたのは、第三王子のレグルス殿下。
金色の髪を振り乱し、必死の形相で一人の令嬢の腕を掴んでいる。
そして、その腕を振り払おうとしているのが、殿下の婚約者である公爵令嬢、アマンダさん。
「お離しください、殿下! このような場所でなんのお話ですか……!」
アマンダさんの顔は青ざめている。
ホールは静まり返り、誰もがこの王族の痴話喧嘩 (?)に注目していた。
(うわあ、始まったよ)
レグルス殿下は、王族の中でも特に「おつむが残念」で有名だ。
整った顔立ちとは裏腹に、中身は空っぽ。感情の起伏が激しく、自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起す。
まさに「わんぱく」がそのまま大人になったような男。
……昔の私を見ているようで、ちょっとイラっとする。
「いやだ! 離さない! アマンダ、君に分かってもらわなくては!」
レグルス殿下は、なおもアマンダさんの腕を掴んで離さない。
そして、次の瞬間、とんでもない爆弾を投下した。
「君との婚約は破棄させてもらう!」
……は?
会場が、今度こそ本当に凍り付いた。
私も、貼り付けた笑顔がピシリと音を立てて固まるのを感じた。
「……殿下、今、なんと?」
アマンダさんの声が震えている。
「聞こえなかったのかい? 婚約破棄だ! 僕は……僕は、真実の愛を見つけたんだ!」
高らかに宣言する王子。
その視線の先には、唖然とするご令嬢たちの影に隠れるようにして震えている、小柄な令嬢がいた。
確か……どこかの伯爵家の、地味な令嬢だったはずだ。
王子は掴んでいたアマンダさんの手を乱暴に振り払い、その令嬢の手を取った。
「このリリアこそが、僕の運命の人だ! アマンダ、君のような政治的な繋がりのためだけの女とは違う!」
ひどい。
あまりにもひどい物言いだ。
アマンダさんは、公爵令嬢としてのプライドと教育のすべてをかけて、この残念な王子の婚約者を務めてきた。
それを「政治的な繋がりのためだけの女」と。
アマンダさんは、真っ白な顔で、わなわなと震えている。
言葉が出ないのだろう。
絶望と、屈辱。
その大きな瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。
その瞬間。
私の頭の中で、何かがプツンと切れた。
ああ、もうダメだ。
我慢の限界。
今まで必死に被ってきた淑女の仮面が、音を立てて崩れていく。
私は、自分でも何を考えていたのか分からない。
ただ、足が勝手に動いていた。
コツ、コツ、とヒールの音を響かせ、私は騒動の中心へと歩み出た。
誰もが私を訝しげに見ている。
(リオニア・キルシュバウム? 何をするつもりだ?)
そんな視線が突き刺さる。
知ったことか。
私は、涙をこぼしたまま立ち尽くすアマンダさんの前に立つと、その細い手を優しく取った。
「アマンダさん」
彼女は驚いたように顔を上げた。
私は、彼女の耳元で囁くのではなく、あえてホール全体に響き渡るように、はっきりとした声で言った。
「あんなバカのことなんて、放っておきましょう」
シン、と静まり返ったホールに、私の声だけが響く。
レグルス王子が、信じられないという顔で私を指差した。
「なっ……! き、貴様、今、なんと言った!?」
私はゆっくりと王子に向き直る。
そして、この十数年で培った淑女の笑顔ではなく、幼い頃に得意としていた、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
「あら、聞こえませんでした? あんな『バカ』のことなんて、どうでもいいと申し上げたんですの」
「ばっ……!?」
「なーにが『真実の愛 (笑)』よ。頭に藁でもつまってるんじゃないの?」
私の言葉に、会場のあちこちで「ぷっ」と吹き出す音が漏れた。
まずい、と思ったのか、王子の取り巻きが慌てて割って入ろうとするが、私はそいつらを斜め下から睨みつけた。
「淑女のおしゃべりに、殿方が口を挟むものではありませんわ。それとも、あなたも頭に他のものがつまってらっしゃる?」
取り巻きは「ひっ」と短い悲鳴を上げて後ずさる。
「き、貴様……っ!」
レグルス王子は、顔をトマトのように真っ赤にして激怒している。
「お、王族である僕に向かって、バカとはなんだ、バカとは!」
「あら?」
私は心底不思議そうに首を傾げてみせた。
「敬意を込めて『バカ』って言ったんですよ? ……だめでした?」
「いいわけがないだろう!」
「まあ、大変。では、殿下にお似合いの敬称とは何でしょう? 『愚か者』? 『能無し』? それとも『世紀の大マヌケ』?」
「き、貴様あああああっ!」
王子が剣の柄に手をかけた。
おーっと、それはまずい。
私は一歩も引かずに、むしろ一歩前に出た。
「おやめなさいな、殿下。ここは王城。神聖なるパーティーの場ですよ。まさか、こんな場所で非武装の女相手に剣を抜くおつもりで? そんなことになれば、あなたの『真実の愛』のお相手も、さぞかし幻滅なさるでしょうねえ」
私はチラリと、王子の後ろで震えているリリアという令嬢を見た。
彼女は「そんな……」と青い顔をしている。
「それでも私の口を塞ぎたいと? 暴力で?」
私は畳み掛ける。
「公衆の面前で、長年の婚約者を一方的に、それも『政治的な繋がりのためだけの女』などと侮辱し、あまつさえ暴力に訴えようとなさる。それが王族のやることです? それがあなたの見つけた『真実の愛』の形なんですかぁ?」
「う……」
「アマンダさんは、これまでどれほど耐えてこられたことか。あなたの奇行、あなたの癇癪、あなたの……その、空っぽの頭に! それでも公爵令嬢としての務めを果たし、あなたを支えようと努力してきたのよ!」
「ぼ、僕は……!」
「あなたは、その誠意を踏みにじった。真実の愛? 笑わせないで。あなたはただ、自分の我儘を正当化してくれる、都合のいいお人形が欲しかっただけでしょう!」
私はリリアとかいう令嬢を指差す。
「彼女を盾にして、自分の責任から逃げているだけよ! この卑怯者!」
レグルス王子は、もはや反論の言葉も出てこないらしい。
口をパクパクさせ、真っ赤な顔で私を睨みつけている。
「やーい、バカ王子。言い返せないんでしょう?」
私は、子供の頃に得意だった「あっかんべー」こそしなかったが、気分はそれに近かった。
ホールは静寂に包まれている。
誰もが、この前代未聞の事態を固唾を飲んで見守っていた。
私はもう一度、アマンダさんに向き直った。
彼女は、涙も忘れたかのように、目を丸くして私と王子を交互に見ている。
私は、彼女の手をぎゅっと握りしめ、
「言ってやったわ」
そう言って、悪戯っぽくニヤリと笑いかけた。
アマンダさんの目が、驚きでさらに大きく見開かれる。
そして、その強張っていた頬が、ほんの少し、緩んだように見えた。
このところ復讐ものばかり書いてて心が荒んできたので、ヒロインが無茶苦茶するコメディを書きました! 完結まで書けてます!
個人的には今までで一番面白いお話が書けたと思ってます!(自らハードルを上げていくスタイル)




