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第6話 小さな兆候

「ギルド創設メンバーにならないか?」

 ゴウからの誘いに、俺は結局「少し考えさせてくれ」としか答えられなかった。

 強くなるためには仲間が必要だ。頭では分かっている。だが、心のどこかで他人と深く関わることを躊躇している自分もいた。このゲームの秘密を抱えているという、負い目のようなものが、俺と他人の間に壁を作っていた。


 翌日からの数日間、俺は日常とゲームを行き来しながら、その問いを胸の奥で反芻し続けていた。


「如月くん、ここの部分、すごく分かりやすいね。さすが!」

「いや、このグラフは水瀬さんのアイデアだろう」

「ううん、それを形にできるのが、如月くんのすごいところだよ」


 怜奈とのプロジェクトは、順調に進んでいた。二人きりでの残業も増え、他愛ない会話を交わす時間は、今の俺にとって安らぎのひとときだった。

 その日も、終電間際のオフィスで二人、最後の追い込みをかけていた。

 ふと、怜奈がキーボードを打つ手を止め、窓の外の夜景を見ながら呟いた。


「最近、変なニュースが多いよね。原因不明の発光現象とか、局地的な突風とか……。なんだか、ちょっと怖いな」


 彼女の言葉に、俺の心臓がどきりと跳ねる。

 それは、俺が世界の異変として認識している、まさにそのものだったからだ。


「……そうだな。なんだろうな、異常気象か何かかな」

 平静を装って相槌を打つのが精一杯だった。怜奈の横顔に浮かぶ純粋な不安が、俺の罪悪感を刺激する。

 お前がその原因の一端なんだぞ、と誰かが囁く気がした。


 オフィスからの帰り道、俺はスマートフォンで改めて「原因不明の現象」について検索した。

 大手メディアが報じているのは、横浜や渋谷で起きた数件の事例だけだ。

 だが、SNSの世界では、もっと多くの「小さな異変」が囁かれていた。

『昨日の夜中、近所の公園で一瞬だけすごい光を見たんだけど、誰か他に見た人いない? #〇〇市』

『誰もいない路地から、鎧がぶつかるみたいな金属音が聞こえたんだけど、絶対空耳じゃないんだよなぁ…』

『うちの猫が、何もない空間に向かってずっと威嚇してる…』

 無数の投稿。その全てに共通しているのは、それらが『Aetherize Online』のサービスエリア内で起こっているという事実だった。


 俺は言いようのない不安に駆られ、その夜も『AO』にログインした。

 ギルドへの返事を保留したまま、一人で素材集め系のクエストをこなす。だが、一度パーティーでの狩りの効率の良さを知ってしまった後では、単調なソロプレイがひどく退屈に感じられた。

 心はどこか上の空。SNSで見た投稿が、頭から離れない。


(ゲームが、現実に影響を及ぼしている……)


 分かっていたことだ。俺自身が、その最大の証拠なのだから。

 だが、それはあくまでプレイヤーという「個人」に対する変化だと思っていた。

 世界そのものが、変質している?

 そんな馬鹿なことがあるはずない。きっと、プレイヤーたちが現実でスキルを使った際のエフェクトが、何らかのバグでカメラや他の人間に認識されてしまっているだけだ。

 そう自分に言い聞かせ、俺は数時間でゲームを切り上げた。


 深夜1時過ぎ。小腹が空いた俺は、近所のコンビニへ向かうことにした。

 アパートを出て、夜の冷たい空気を吸い込む。昼間の喧騒が嘘のような静けさだ。

 角を曲がり、コンビニの明かりが見えてきた、その時だった。

 ふと、視界の端、アパートのゴミ捨て場が置かれた路地裏の暗闇で、何かが淡く光ったのに気づいた。

 気のせいか?

 いや、確かに光った。青白い、幽霊のような光。

 俺は、ゴクリと喉を鳴らし、吸い寄せられるようにその路地裏へと足を踏み入れた。


 そこには、一匹の野良猫がいた。茶トラの、どこにでもいる猫だ。

 だが、その猫の周りに――いる。

 陽炎のように揺らめく、半透明のゼリー状の塊。

 ゲーム内で俺が最初に倒した、最弱のモンスター。


【グリッチスライム】


 信じられない光景だった。

 俺は今、エーテルグラスを装着していない。これは、紛れもない俺の「裸眼」が見ている、現実の光景だ。

 スライムは、全部で三体。ゆらゆらと揺れながら、野良猫の周りを浮遊している。猫の方も、特に警戒する様子はない。まるで、そこに何もないかのように、毛づくろいを続けている。

 スライムは猫に危害を加えることなく、ただそこに存在していた。やがて、その輪郭が徐々に薄れていき、すーっと夜の闇に溶けるように消えてしまった。


 俺はその場に立ち尽くしていた。

 手足の感覚がない。心臓が、耳元で鳴り響いている。

 幻覚じゃない。見間違いなんかじゃない。

 今、俺は確かに、現実世界に実体化したモンスターを見たんだ。


 これまでは、自分自身の変化だけだった。

 それは、まだ「ゲームの恩恵」と呼べたかもしれない。

 だが、これは違う。

 世界そのものが、変質を始めている。

 ゲームのシステムが、現実を侵食し、世界のルールそのものを静かに、だが確実に書き換え始めている。


 俺が手に入れたこの力は、一体何なんだ?

 この『Aetherize Online』というゲームの本当の目的は?

 俺は、とんでもないものに足を踏み入れてしまったのではないか。


 コンビニの煌々とした明かりが、やけに遠く感じられた。

 世界の亀裂を覗いてしまった俺は、もう、ただのプレイヤーではいられない。

 その事実だけが、冷たい絶望となって、俺の心に深く突き刺さっていた。


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