第10話 PKの影
水瀬怜奈の謎めいた態度は、俺の心に重くのしかかっていた。
彼女もプレイヤーであることは、ほぼ間違いない。だが、なぜそれを隠す? なぜ、あんなにも悲しい顔をするんだ?
答えの出ない問いを抱えながら、俺は現実から逃げるように、夜な夜な『AO』の世界に没頭した。ギルド『アイアンウォール』の活動は、今の俺にとって唯一の心の拠り所となっていた。
「よし、ギルドレベル、上がったぞ!」
ギルドホールで、ゴウが快哉を叫ぶ。俺とユキも、その声に顔を上げた。
「本当ですか! これで、新しいエリアに行けますね!」
「ああ。次は『古の森』か」
ギルドレベルも着実に上がり、俺たちは新たな狩場へと挑む資格を得た。
古の森。
そこは、希少な回復薬の材料となる【エルフの薬草】が手に入るが、強力なモンスターも出現する、俺たちの実力を試すのにうってつけの危険なエリアだった。
「準備はいいか、お前ら!」
「いつでもいけます!」
「応!」
ゴウの掛け声と共に、俺たちは転移ゲートをくぐる。
視界が光に包まれ、次に目を開けた時には、鬱蒼とした木々が天を覆う薄暗い森の中に立っていた。湿った土の匂いと、時折聞こえる獣の遠吠えが、この場所の危険度を物語っている。
俺は、【スチールファルシオン】の柄を強く握りしめた。
「よし、薬草を探しながら、モンスターを狩って進むぞ。警戒を怠るなよ」
ゴウを先頭に、俺たちは森の奥深くへと足を踏み入れた。
「あったぞ! エルフの薬草だ!」
森の奥深く、苔むした大樹の根元に淡く光る薬草を見つけ、ユキが歓声を上げる。ゴウと俺も駆け寄り、その希少なアイテムを前に喜びを分かち合った。
だが、その時だった。
「――よぉ、そいつは俺たちが見つけたんだ。悪いが、置いてってもらおうか」
背後から、ねっとりとした声が響く。
振り返ると、そこには不気味な髑髏のエンブレムを掲げた、3人組のプレイヤーが立っていた。全身を黒い装備で固め、その目は獲物を見定める肉食獣のようにギラついている。
何より、彼らの頭上に表示されたプレイヤーネームの色が、不吉な「赤色」に染まっていた。
PK――プレイヤーキラーだ。
「ふざけんじゃねえ! 俺たちが見つけたもんに決まってんだろ!」
ゴウがタワーシールドを構え、一歩前に出る。
すると、PKのリーダー格の男が、肩をすくめて嘲るように笑った。
「まあまあ、そうカッカすんなよ。話し合いで解決しようぜ。お前らが持ってるアイテム全部と、そこの薬草を置いていけば、命だけは見逃してやるって言ってんだ」
交渉の余地はない。連中の目的は、初めから略奪だ。
ゴウが「誰が渡すか!」と叫んだのを合図に、PKたちが一斉に襲いかかってきた。
戦闘は、熾烈を極めた。
相手は、明らかにPKを専門に行っている手練れだった。連携は完璧で、その動きには一切の無駄がない。
ゴウが前線で奮闘するが、相手のトリッキーな攻撃に翻弄され、徐々にHPを削られていく。ユキは後方から矢を放つが、巧みな位置取りで射線を切られ、有効なダメージを与えられない。
「ゲームなんだから、何したっていいだろ? 楽しんだもん勝ちなんだよ!」
リーダー格の男が、俺を嘲笑う。
その言葉に、俺は数週間前に河川敷で遭遇したチンピラたちの姿を重ねていた。ゲームの力を悪用する者たち。その歪んだ欲望が、俺たちの努力を踏みにじっていく。
「ゴウさん!」
ユキの悲鳴。見れば、ゴウが集中攻撃を受け、ついに膝をついていた。彼のHPゲージが、赤く点滅している。
その光景を見た瞬間、俺の中で何かがプツリと切れた。
怒り。
だが、それは以前のような感情的な爆発ではなかった。ひどく冷静で、氷のように冷たい怒りだった。
「……ふざけるな」
俺は低く呟くと、温存していたMPを一気に解放する。
「シュヴァさん!?」
「ユキはゴウさんの回復に専念しろ。こいつらは、俺がやる」
世界の異変を知り、仲間を得た。もう、守るべきものがある。
俺は冷静に戦況を分析し、相手の連携の、ほんの僅かな隙間を見抜いた。
リーダー格の男が、勝利を確信して大技を繰り出す、その一瞬。
「【グラビティフィールド】」
俺が覚えたばかりの中級魔法。指定範囲の重力を増加させ、敵の動きを鈍らせる。
動きが鈍ったPKたちに、俺は最大火力のスキルを叩き込んだ。
「【魔刃連斬】!」
剣に纏わせた魔力が、数条の光の刃となってPKたちを襲う。
致命的なダメージを受けたPKたちは、信じられないものを見るような目で俺を見ると、捨て台詞も吐かずに転移アイテムで逃げ去っていった。
静寂が戻った森の中で、俺たちは息を荒らげていた。
なんとか撃退はしたものの、ゴウは重傷を負い、ギルドは高価な回復アイテムを大量に消費する大きな損害を受けた。
俺は、自分の手のひらを見つめる。
この世界には、モンスターだけではなく、「悪意を持った人間」という明確な敵がいる。
そして、そいつらから仲間を守るためには、もっと圧倒的な力が必要だ。
俺の視線は、森のさらに奥深く、まだ見ぬ高レベルモンスターが待ち受けるであろう、暗い闇の先へと向けられていた。