それはある種の自己防衛
彼らがアメリアのためを思ってしてくれたことで、それを受け入れて今まで暮らしていたのに今更文句を言うなんて最低だと自分でも分かっていたが、でも吐いた言葉はもう取り消せない。
キョドキョドと目線を彷徨わせていると、その様子を見ていたピクシーが口を開いた。
「確かにアタシたちが勝手にやっていたことだから、それを感謝しろっていうのは違うわよね。それはごめんなさい」
「でも、アメリア一人だったらもう死んでたんじゃないかってのは、本当だよ。魔物の僕から見ても、不健康すぎて怖くなるレベルだったもん」
」
「け、健康……? 私が不健康ってこと?」
意味が分からず問い返すが、他の魔物たちは揃ってうんうんと頷いている。
「アタシが来る前、自分がどんなもの食べていたか覚えている? 海よりしょっぱい塩粥と、洗った生野菜だけよ? しかも畑に野菜がない時は粥しか食べないっていうめちゃくちゃな生活してたのよ。栄養も食事量も足りてないから、ガリガリだったじゃない」
「言いたかないけど、俺と初めて会った時も、病人より不健康な見た目してたぞ。寝落ちかと思ったら低血糖で意識失くしてたこととか、自分で気付いてないだろ」
「えっ……?」
ピクシーとサラマンダーに、当時アメリアがどれだけ不健康だったかを語られ、もうアメリアは涙目になっている。
「それにアメリアって真冬でも床に座り込んで氷みたいに冷えても気付かないじゃん。堅い床にずっと直座りでアザができても気にしないしさ。だから床にラグを敷いてソファも置いたんでしょ。おかしいのは味覚だけじゃなくて、痛覚とかも鈍いんだよ」
「アメリアさんに健康になってもらいたいから、家も快適に住みやすく、食が進むよう皆色々工夫したんですよ。ほっとくと死んじゃうんじゃないかって皆心配しているんだと思いますよ……」
ひどいことを言ってしまったことを責められるかと思ったら予想外の話になってきて、アメリアは目を白黒させる。
「待って待って。味覚がちょっと鈍いかもってのは自分でも理解したけど、ちゃんと食べてたしそんな死にかけるほどじゃなかったと思うんだけど……それに寒い時はちゃんと上着を着ていたし……多分……」
魔物たちからものすごく可哀そうなものを見るような目で見られて、あれ? これ本当に私がおかしいの? という気になってきた。
「で、でも! 私の味覚がおかしいとか言う前に、皆の味付けだってちょっとおかしいと思うの! だって飲み物もめっちゃくちゃ甘くするし、パンケーキには馬鹿みたいに蜂蜜かけるし! 魔物基準で考えるから、私が色々おかしく見えるだけだよ!」
かろうじて反論してみせたが、それも呆れ顔のピクシーに一蹴される。
「アメリアの味覚で唯一まともに機能しているのが甘味だけなのよ。あとは塩味も辛味も苦味もほとんど感じてないから、甘さだけをすごく感じるんだと思うわ」
「身体的に問題があるわけじゃなさそうだけど、普通の人間よりだいぶいろんな感覚が鈍いよね。なんか理由があるんだろうけど」
味覚がおかしくなったのはいつ? と問われアメリアは額に手を当て過去を思い返す。
「屋敷にいた頃……頭の良くなる食材とか全部ぶち込まれた激マズスープとかを毎日食べていたんだよね……最初死にそうになりながら無理やり流し込んでたけど、気付いたらあんまり味を感じなくなっていた気がする……」
言われて思い返してみれば、自分の味覚がおかしくなった原因に心当たりがある。
屋敷にいた当時、出される食事に文句を言える立場になかったため、どんなに不味いものだとしても完食しないわけにいかなかった。
毒が入っているわけではなく、むしろ体に良いものばかりを使って作られた食事なのだから味に文句を言うほうが間違っていると言われ、無理やり胃に詰め込んでいた。
そんなことを続けていくうちに、マズさが気にならなくなっていった。味に慣れたのかと当時は思っていたが、味を感じなくなっていたのかとようやく思い至る。
「実家にいた頃の食事が酷すぎて……我慢して食べていたせいかも……?」
頭が良くなるとか体にいいとかいう食材を、全部ぶち込んだため味はひどいものだったというエピソードを語ると、魔物たちが全員顔をしかめながら納得した。
「味覚がおかしくなるほどマズイものを食べさせられ続けてきたの? 可哀想に」
「魔女ってのは頭おかしいのか? なんでわざわざマズイ食事を作るんだよ」
「甘味だけまともってことは、甘いお菓子とかは食べさせてもらえなかったのかな? なんにせよ、ひどいね」
「体に良い食材とやらで死にそうになるとか酷い話です」
痛みに鈍いのも、家庭教師から物差しで叩かれた時、あなたのためにしているのだから痛そうな顔をするのは失礼だと言われていたせいで、叩かれても痛いと思わないようにする癖がついていた。
思い返してみれば、確かにあれほど痛かった物差しや鞭が、ある頃からあまり痛いと感じなくなっていた気がする。
我慢強くなったと努力が実ったようなつもりでいたが、あれは痛覚がおかしくなっていたのか。
問われるままに実家で過ごしてきた日々のことを魔物たちに語ると、彼らは一様に痛ましいものを見るような目をしながら聞いていた。
「長年虐げられた結果だから、いきなり治るものではなさそうね」
「でもさ、最初に会った時よりマシになってるから、ちゃんと治るって」
「まともな味付けの食事でだんだん味覚を矯正するのがいいと思うよ」
「きっと大丈夫ですよ! 良くなっていますから!」
アメリアが健康になれるようこれからも協力するからと皆から励まされ、ついにアメリアの涙腺が一気に崩壊した。
こんなにもアメリアのためを思ってくれていたのに、それに対し勝手にやっているとか酷い言葉をぶつけてしまった。
勝手なのは私のほうだと猛省して、床に頭をこすりつける勢いで謝罪する。
「ごめん! 皆の気持ちも考えないでひどいこと言っちゃった……」
人として間違っていましたと平謝りすると、魔物たちはイイヨイイヨとすぐに許してくれて、暴言を吐いたアメリアを責める様子は少しも無い。
「いいのよ。アタシたちも配慮が足りなかったわ。最初からアメリアに全部話せばよかった」
「マ、俺らが気を付けてやればいいからって、お前に黙って勝手に色々押し付けていた俺らも悪かったよ」
「別に感謝されたくてしてたわけじゃないから、謝らなくていいよ。ただ恩人のアメリアには健康でいてほしいなって思ってるんだ」
「にしても、アメリアさん自分のことに無頓着すぎません? 地獄で勉強した人間の死因のなかで、セルフネグレクトっていう緩やかな自殺があったんで、最初それかと疑っちゃいましたよ」
自殺レベルでやばいらしいが本当に自覚がない。生きることに前向きかと言われればそうでもないが、せっかく自由を手に入れた今、積極的に死にたいなどとは思っていない。むしろ制限され続けた分、好きなことをして暮らしたい。
そのためには、ある程度健康に気を付けて暮らさないとダメなのだと知った。とはいえ、まさか人ならざる者である魔物から健康について説かれるなんて、人としてダメな気がする。
「今までお礼も言わずにごめん。正直に告白すると、恩返しなんかいらないから一人静かに暮らしたいとか思ってた。今でもまあ……誰とも関わらず一人で暮らしたいって願望があるけど、自分ひとりじゃ健康的な生活を送るのは難しいんだって理解した。今更だけど……ありがとう」
ぺこりと頭を下げると、魔物たちは満足そうにうんうんと頷いている。
「アタシたちはアメリアに恩返しがしたくてここにいるんだから、もっと頼ってくれたほうが嬉しいわ」
「俺らの命を助けてくれたアメリアのためなら、なんでもするよ」
「そうそう、アメリアのためになるなら僕らも嬉しいし」
「一生あなたに尽くしても、返せないほどの恩があるんですから、お礼なんていいんです」
こんな聖人のようなことを魔物から言われることになるとは……とアメリアは感動を通り越して虚無に陥りかけていた。本当に魔物という存在を誤解していたと改めて猛省する。
魔女教育で習った魔物に関する教科書は間違いだったのだと彼らを見て実感する。
悪しきもの、心の無いもの、ヒトとは相いれないものだなんて全くの嘘ではないか。彼らは、アメリアが出会ってきた人々よりよっぽどまともで心優しい。
「ありがとう。これからは皆の言うことをちゃんと聞いて、自分でも健康に気を付けるようにするよ」
実質、アメリアが魔物たちとの生活を受け入れる言葉だった。
それまで、明らかな拒絶を感じつつも無視して住み着いていた魔物たちは、ようやく家に住み着くことを家主から認められたことに安堵し、顔をほころばせる。
その日の夜は、普段より豪華な食事が食卓に並んだ。
いつもなら食べたらすぐ席を離れてしまうアメリアも、今日はぎこちないながらも会話に応じて、一緒に食事を楽しんでいた。味付けのことを訊ねて、調味料がどれだけ入っているのかなどを教えてもらい、味の感じ方を皆で意見を出し合ったりして、いままでにないほど弾んだ会話をして時間を過ごした。
夕食後、湯を使ったアメリアはいつもより早い時間ではあったが眠気に抗えなくなり、早々に床についた。
縁を切られたはずの兄が訪ねてきて、精神的に疲れたのだろう。ベッドに入ったアメリアはあっという間に寝付いてしまい、夢も見ないほど深い眠りについた。
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