気持ちがかみ合わない
雨が止んだので庭の畑の様子を見に行くことにした。
土砂降りだったから、畑が水没してやしないか心配だったが、薬草を植えているところは事前に屋根をかけていたので畝がくずれることなく無事だった。
栽培している野菜のいくつかが雨で倒れてしまっていたが、水はけがよい土地のおかげでそれほど被害はなさそうだ。
トマトの支柱が曲がったところを直し、雨で崩れてしまった畑の畝を直す。
さきほどまで自棄を起こして畑も仕事もどうでもいいなどと思ってしまった自分を反省しつつ、黙々と作業を続けた。冷静になって考えれば、貴重な食糧である畑はどうでもいいわけがない。最悪、町の仕事を失っても、畑があれば何とか食いつないでいけるのだから、これだけは死守しなくてはいけない。
畝を直すついでに、生長してだんだん込み合ってきた人参を小さいものからいくつか間引いて整えた。
そういえば昼ご飯を食べていないなと気づいたアメリアは、この間引いた人参を食べてしまうことにした。井戸水で泥を落としてから、そのまままるかじりすると、まだ小さな人参は柔らかくて食べやすい。
ほうれん草も生えてきたところから生育の良いものを残して、間引いた分を井戸水で洗いそのままモシャモシャと食べる。
そのまま間引いた分を全部食べきってしまうと、かなりお腹がいっぱいで少々きつい。
畑の整備が終わった頃、出かけていた魔物たちが帰って来た。
外にいるアメリアを見つけ、声をかけてくる。
「あ、アメリア起きたの。お昼まだでしょ? 何か食べやすいもの作るわね」
なにやら買い物をしてきたらしいピクシーは、紙袋を抱えながら綺麗な顔でアメリアに微笑みかける。
いなかったのは町へ買い物にでかけていたかららしい。
ピクシーもそうだが、魔物たちは時々町へ買い物に行っているようで、家の冷暗所に知らない食材などが勝手に増えている。
(働いてないのに、お金とかどうしているんだろう……)
不思議に思ったので、一度それについて訊ねてみたことがあるのだが、『むしろ一文無しだと思ってたの? ひどいわあ』と嘆かれたので、それ以上訊けなかった。
お昼は何がいいかしら~とご機嫌で話すピクシーの言葉を遮って、アメリアはお腹がいっぱいであることを伝えた。
「ううん、さっき畑で野菜食べて満腹なんで、私は要らないや」
アメリアの言葉を聞いてピクシーの眉間に深いしわが刻まれる。
「はあ? 畑で? まさかそのまま洗っただけの野菜をまるかじりしたんじゃないでしょうね」
「そうだけど……」
ピクシーの額にぴきりと青筋が浮かぶ。
あ、怒らせた、と分かったが、なにがダメなのか分からず、アメリアは首をかしげるしかない。そんな仕草もピクシーの怒りに火をつけたようだった。
「あのねえ! いつも言っているけど、食事ってのはお腹が膨れればいいってもんじゃないの! 野菜だけ齧って終わりなんてダメに決まってるでしょ! 栄養が偏るでしょ! なんでアメリアはいっつもそうなの! ちゃんとバランスの整った食事をしてって言ってるでしょ!」
栄養というならばとれたて野菜なのだから栄養満点だと思うのだが、ピクシー的にはダメらしい。
タンパク質が脂質がミネラルがと、よく分からない説教が続いているのだが、アメリアは『魔物のくせに人間の栄養学に詳しすぎじゃない?』などと余計なことを考えていたのであんまり頭に入ってこなかった。
とりあえず、野菜を齧っただけではダメだということだけは分かった。
(そういや牧草を食べる牛も、ミネラルが足りないから岩塩を舐めるとか本に書いてあったな……)
何かの書物で読んだ豆知識を思い出したので、調薬用の岩塩を手に取ったところ、アメリアの意図を察知したピクシーがそれを手刀で素早く叩き落とした。
「今、岩塩舐めときゃいいでしょって思ったでしょ!? 馬鹿なの!? それで足りない栄養もばっちりとか思うわけないでしょー! アメリアはただでさえ痩せて不健康なんだから、ちゃんとした食事を摂らなきゃいけないのよ? 今のままじゃ病気になりそうだから、心配しているのよ」
「…………すみません……?」
「なんで疑問形なのよ」
なんでか分からないが、どうやら心配されているらしいと分かり、一応謝ってみたが、なぜピクシーが自分の健康を心配するのか分からない。
血のつながった家族だってアメリアの健康なんて気にかけていなかった。
チューベローズの人間は、健康であることよりも、たとえ早死にしても魔女として才能を発揮し名を立てることのほうが重要であるとの考えだったから、ピクシーの説教がアメリアにはピンとこない。
(無能が何も成さずに長生きしても意味ないって言われてたのになぁ)
自分の説教が全く響いていないのを感じ取ったピクシーは、諦めたようにため息をついて、優しい声で諭し始めた。
「あのね……私があなたの健康を心配したらおかしい? 命の恩人に健康で幸せでいて欲しいと思うのは、人として当然の感情じゃない?」
至極真っ当な正論で諭されてアメリアはぐうの音も出ない。すごく人間味あふれる温かい言葉に一瞬じーんと胸が熱くなるが、そこでハタと気付いた。
「いやいや、あなたピクシーだし。魔物だし。人じゃないし」
「やあねえ、それって魔物に対する偏見よ? 差別は良くないわアメリア」
「ええ~……差別? え? ご、ごめんなさい」
叱られてなんとなく謝ってしまうと、にっこり笑ったピクシーがそのまま流れるようにアメリアを誘導し食卓に座らせる。
「分かってくれればいいのよ。じゃあ食事は軽いものにしましょうか。今日はアメリアのために買い物に行って、美味しいものをたくさん買ってきたから、楽しみにしていてね♡」
「あ、はい……あ、ありがとう」
いそいそとピンクのエプロンをつけて台所へ向かうピクシーに、ついでに気になったことを訊ねてみる。
「ねえ、ピクシーって何でアタシって言うの?」
見た目が女性っぽいので、以前性別があるのか訊ねた時は『男』だと言っていたが、喋り方も女性らしい物言いをするので、どうしてだろうとずっと疑問に思っていた。
アメリアの問いかけに彼はくるっと振り返って、ちょっと拗ねたような顔で答えた。
「あなたが女の子だから、優しい喋り方を心掛けたつもりだったのよ」
変かしら? と不安げに問い返され、そんな顔をされると思っていなかったアメリアは、慌ててブンブンと首を振る。
「ピクシーは人に化けて暮らしたことないから、実はあんまり人間のこと知らないんだよねー」
ケット・シーが横から口を挟んできたので、余計なことを言うなとピクシーに耳を引っ張られていた。どうやらもの知らずであることを、ピクシーは恥じているらしい。
その様子が妙に人間臭い感じがしてちょっと意外だった。
(魔物も、知らない事とか、恥ずかしがったりするんだ)
ヒトとは違う仕組みで生きている魔物なのだから、何を考えているのか分からなくて怖いと思っていたから、この反応にはちょっと親近感を覚えた。
喋り方は別に変じゃないと言いたかったが、もたもたしているうちにピクシーは台所へ行ってしまった。
気遣ってしてくれていたことに気付かずに、揶揄うみたいになってしまったことを申し訳なく思ったが、謝るのも変な気がして結局アメリアは口を噤んだ。
軽いものを、とピクシーが宣言したとおり、アメリアに出された食事はチーズのリゾットだけだった。
熱々のリゾットをふーふーしながら口に運ぶ。味は正直よく分からないが、量が少ないのは有難い。一皿食べれば終わりだと思っていると、食卓を見た他の魔物たちがぶーぶーと文句を言い始めた。
「えー! メシこれだけかよ! 買ってきた肉はどーしたよ?」
「丸鶏のロースト作るっていったじゃあん。こんな汁だけじゃ足りないよぉ~」
サラマンダーとケット・シーが盛大に不満を述べ、ピクシーに頭をぶん殴られていた。
「アメリアが今日は食欲無いっていうんだから肉はまた今度よ。文句言わず食べなさい」
そう言われると二人はしぶしぶスプーンを手に取り、ピクシーの席に着いた時点で一緒に食べ始めた。
なぜかこの魔物たちは『食事はみんな揃って食べる』という謎ルールをまもっていて、アメリアもそれを強制されている。
(ていうか、君ら魔物なのに、なんで普通にご飯食べてるの……)
魔物の特性をまとめた事典も昔全部読んだが、実際に彼らの生活を目の当たりにすると、あんなものはただ噂話をまとめただけのものだったのだと実感する。
酒やハーブは魔を祓うとも書いてあったが、目の前の魔物たちは鶏肉のハーブ焼きはむしろ大好物だし、ワインに至っては浴びるように飲んでいる。
「アメリア、そろそろ薬屋に納める商品できたの?」
「きょ、今日これから頑張ります……」
薬屋に納品する約束の日が近いことをしっかりと覚えていたピクシーが、作業部屋のほうを見ながらアメリアにするどく指摘する。すると、横から聞いていたサラマンダーが話に加わってきた。
「おっ? 町に行くのか? じゃあ今回は俺が一緒にいってやんよ」
「いや……ほかに寄りたいところもあるので……」
町へ納品に行くとき、ここ最近は誰かしら絶対一緒についてくるようになった。一人で大丈夫だといつも言っているのだが、遠慮しないでいいと返され結局押し切られている。
今回も一応断りの言葉を言ったのだが、完全に聞き流されたようで、サラマンダーは勝手に出発時間を決めている。
(私のことなのに、勝手に決められている……)
多分、彼らは彼らなりにアメリアを気遣ってくれているのだろう。
食事だってさっきのように、食欲がないと言った自分に合わせてくれたのだろうし、それは有難いと思っている。
だが、何度言ってもコーヒーは飲ませてくれないし、甘いものは得意じゃないと言っても強制的に食べさせてくるし、なにより基本的に魔物たちはアメリアの言うことを聞いてくれない。
自分の家なのに、アメリアのほうが魔物の家に紛れ込んでしまった邪魔者みたいな気持ち?気分?にさせられる。
恩返しに来た、と魔物たちは口を揃えて言う。
けれど、彼らと過ごす時間が増えるほど、何とも言えない居心地の悪さは増していくばかりだった。
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