未だに夢に見る
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――――これは夢だ。
屋敷にいた頃の夢だ。現実じゃない。
幼い頃の自分が小さな背中を丸めながら机に向かっている姿を見ながら、これは夢だと自分に言い聞かせる。
俯瞰して見ているから、これは昔のことを夢に見ているのだと分かるけれど、それでも喉が苦しくなるようなあの頃の辛さを思い出す。
『ではアメリア。この薬液に呪文をかけてみて……赤に変化したら完成です』
「……あ、あの……赤くならないです……ピンクにしか……」
『はあ? 簡単な魔法薬ですよ? こんなものも作れないのですか? 嘘でしょう? あなた本当にメディオラ様の血を引いているんですか? 見習い魔女よりも劣るなんて信じられないわ。あの方の血縁なのに恥ずかしくないの?』
「す、すみません。頑張ってはいるんですが……」
『言い訳をすれば何か解決するんですか?頑張ったと言いますが、本当に頑張っていたら普通はこれくらいできるようになるんですよ。できていないことが努力していない証拠です。恥を知りなさい』
「すみませんすみませんもっと頑張りますごめんなさい」
『そうですよ。あなたが未だになんの能力も発現していないのは、努力が足りないからですよ。あのメディオラ様の子なんですから無能なわけがありません。できるはずなのですから、今日はその魔法薬が作れるようになるまで食事も睡眠も許しませんよ。追い込まれればきっとできるようになるはず』
「……はい。もっと頑張ります」
「すみません……すみません……がんばりましゅ……もっと……」
「アメリアー!起きてー!朝ごはんできたよー!」
どっすん! とお腹の上に何かが飛び乗ってきて、アメリアは『げふっ!』と叫んで悶絶した。驚きと痛みで一気に目が覚めたが、腹の上の人物は悪びれる様子もなくニコニコと笑って寝起きの彼女を眺めている。
「ケット・シー……重いし……」
無邪気な顔をした少年姿のケット・シーに怒る気にもなれず、アメリアは弱々しく返事をした。
昔の記憶という名の悪夢を見てしまったせいでものすごく寝覚めが悪い。誰かと会話をする気にもなれないが、この魔物はそんなことお構いなしで無理やり起こそうとしてくる。
ケット・シーは猫の時と同じく、ゴロゴロと喉を鳴らしながらアメリアに頬ずりをしてくる。
少年のふくっとした頬は猫とは違う気持ちよさがあって、しばらくされるまままになっていた。
悪夢を見ていたせいか、寝ていたのに体中がガチガチに緊張していて背中がギシギシして非常に気分が悪い。
(なんで忘れたい過去を夢でみなくちゃいけないのか……あの魔法薬の先生、鞭で叩くから本当に怖かったんだよなあ)
「もぉ~アメリアったら積極的だなあ。そんなに僕のほっぺが好きなの~?」
ハッと気が付くとアメリアは自分がケット・シーのほっぺをむちむちと弄んでいた。
「あああごめん……つい無意識で……」
「全然いいよぉ~。ていうかね、触り心地のいいものは心が癒されるんだって! だから遠慮なく揉んでいいよぉ」
「ほえ……」
そう言われると確かに悪夢のせいでささくれていた気持ちが落ち着いたような気がする。じゃあこれから手触りのよいなにかを常に持ち歩こうかとぼんやり考えていると、ケット・シーの瞳がきゅっと細くなり、
「今日は雨になるから畑の水はまかなくていいよぉ」
と天気を予知してくれた。
ケット・シーは未来を予言するという伝承もあるが、こうして色々な豆知識や、今日の天気などを教えてくれる。
「わかった。ありがとう……」
「えへへーどういたしまして。どう? 僕役に立つでしょ。えらい? すごい? 僕がいてよかったでしょー。ねえ他の奴より僕が一番役に立ってるでしょ? 僕にはずっといてほしいよね? ね? ねーってばアメリア」
ケット・シーの予報は確かに便利だが、いかんせん一つの予知でその十倍くらいは褒めて感謝しないといけないのが正直しんどい。
「おいコラこの猫野郎! アメリア起こすのにどんだけかかってんだよ! 朝飯が冷めちゃうだろうが!」
バンっと乱暴にドアを開けてエプロン姿のサラマンダーが飛び込んできた。そしてケット・シーを右手に、アメリアを左腕に抱えてダイニングへ強制連行した。
ダイニングテーブルにはすでにピクシーとヘルハウンドが席に着いていて、ピクシーは特に『遅いわよ』と不満顔でケット・シーのおでこをペシッと叩いた。
朝食は色とりどりのフルーツとカッテージチーズ、そして蜂蜜がたっぷりかけられた分厚いパンケーキが二枚どーん!とお皿に乗っていた。
ちなみにアメリアは、甘いものが苦手である。
居候が住み着く前は、大量に作った塩粥を毎日ちびちび食べていた。
朝ごはん担当のサラマンダーに『朝ごはん何がいい?』と訊かれ、塩粥と答えたが、出てきたのは砂糖をたっぷりまぶしたドーナツだった。なんでだ。
見ただけで胸やけしそうなパンケーキを前に、アメリアは文句も言わずもそもそと食べ始めた。
出された食事に文句を述べるのは恥ずかしいことだと言われ続けてきたのだから、食べたいものが出てこないのが当然だと思っていた。
実家にいた頃のアメリアの食事は、『これを食べると頭がよくなる』とか『身体能力向上する』などの目的ありきのメニューばかりで、食事も修行の一環だったので、はっきり言ってまずかった。
(苦くてえぐくて異様にすっぱいスープが毎日出ていたなあ……)
一度、こっそり残そうとしたのを見つかった時、好き嫌いをしているから才能が開花しないんだと言われ、次の日からスープがもっと酷い味になったので、それからは何を出されても黙って食べるようにしていた。
「ねえアメリアおいしい? 蜂蜜も果物も僕がとってきたんだよぉ」
「オイシイ。アリガトウ」
機械的にお礼を返すと、ケット・シーは嬉しそうに耳をパタパタしていた。甘いものは苦手だとはとても言えない。
分厚いパンケーキをなんとか胃に詰め込んで、食後の紅茶を飲んでいると、こちらの様子をじっと観察しているケット・シーと目が合った。
「アメリア、なんか今日顔色悪いね」
「あー……ちょっと、夢見が悪くて」
昔の夢を見てしまったせいで、寝たはずなのに全然疲れが取れていないどころか頭も背中も痛くて、朝から気分は最悪だった。
「あら? 本当だわ、具合悪そうね。気付かなくってごめんなさい。今日は寝てなさいよ。どうせ雨なんだし」
ケット・シーが予知したとおり、今日は雨になるから畑に水やりもしなくてよい。急ぎの仕事もないからしばらく寝てなさいと言われ、甘ったるい朝食で気分が悪くなっていたのもあり、アメリアは言われたとおり食後はまたベッドに戻った。
少し横になるだけと思っていたのに、気が付けばぐっすり寝てしまっていた。
薄いブランケットをかけただけで寝入ってしまったから、肌寒さを感じて身震いと共に目を覚ました。
ぼんやりする頭を起こして、窓の外に目を遣ると、すでに外は雨が止んで、雲の隙間から日差しが窓から差し込んでいた。
太陽の位置からして、昼過ぎくらいに見える。
うっかり昼寝しすぎてしまったと思い、だるい体を引きずるようにベッドから降りて部屋から出ると、リビングにはサラマンダーの姿しかなく、ほかの魔物は出かけているようだった。
ちなみにサラマンダーもソファでぐうぐう寝こけている。




