ヴィヴィアンは反論した
カフェテラスから程近いところにある王都病院の前には、黒山の人だかりができていた。
病院に駆け込もうとする群衆の頭上には、黒い煙のようなものがまとわりついていて、文字通り黒山をなしている。
その周囲を、軽鎧を身につけた警察部隊が取り囲み、病院への乱入を防ごうとしている。
「ねえスカーレット、あの黒いのって、さっきの虫だよね」
「そうね。五倍返しくらいにしておいたつもりだったけど、想定してたより増えたみたい」
「呪った本人のところに返るんじゃなかったの?」
「返ってると思うわよ。あぶれた奴が外にいるんだと思う」
「あぶれた奴、多すぎない?」
「誤差の範囲内よ」
訳の分からない大量の黒虫にたかられた王都の住民たちは、魔導医師になんとかしてもらおうとして、病院に駆けつけたのだろう。
けれども数や勢いが暴徒じみてしまったせいで、王都の警察部隊が出動する事態になったようだった。
「おい、対呪兼用の殺虫剤はまだか!?」
「いま専門業者が支店の在庫を確認中ですが、農村地帯から運んでくるとなると、かなり時間がかかりそうです」
「隊長、消火栓から水引いてぶっかけてみては?」
「消防隊が許可しない。病人に水をかけるなどまかりならんそうだ」
「『叩いても死なない虫』にたかられてるだけでしょ。病人にみえないっすけどねえ」
「そうは思うが、こういう事例は魔導医師でないと判断がつかん……ん?」
隊長と呼ばれていた男は、スカーレットに目を止めると、慌てたように駆け寄ってきた。
「おお、ビンフィル医師! 来てくれたのか」
「あら、シャルマン隊長。ちょうどよかったわ。病院の中に用があるんだけど、入れてくれない?」
「もちろんだ。院内は魔導医師の不在と人手不足で、ひどいありさまらしい」
「当番医はどうしたのよ」
「隣町に往診に出たまま帰らんそうだ」
「なるほど。急いだほうがよさそうね」
「裏口を確保してあるから、そちらに案内する」
「よろしく。ほら、行くわよヴィヴィアン」
「ヴィヴィアン…だと?」
呆然と黒山の虫だかりを眺めていたヴィヴィアンは、スカーレットに呼ばれたことで我に返り、シャルマン隊長に顔を向けた。
「その顔は、ヴィヴィアン・ウィステリアか!?」
「はあ、そうですけど」
「惑乱の黒魔女が、なぜここにいる!? この訳の分からん騒ぎ、さては貴様が元凶か!?」
「ちょ、いきなり何よ、シャルマン!」
「わくらんの、くろまじょ?」
きょとんとした顔のヴィヴィアンを睨みつけたシャルマン隊長は、叩きつけるように言った。
「この十数年、貴様が起こした騒動が王都の安寧をどれだけ損なってきたか、知らんとは言わせんからな!」
唐突に怒りをぶつけられたヴィヴィアンは、数秒間考えたのちに反論を試みた。
「わくらんとか、意味わかりません。あと、なにも引き起こしません。私は、ごく普通の、目立たない一般庶民ですので」
さらにいきり立って何かを言おうとしたシャルマン隊長の脳天に、スカーレットが背後から電撃付きの強烈な手刀をかまして、黙らせた。
*対呪兼用の殺虫剤……農作物の病虫害に、魔導虫や、魔物による呪いが絡むことがあるため、それらに対応できる殺虫剤や農薬が開発されています。
*誤差の範囲内……スカーレットの魔術は強力であるため、想定外の結果になることが多いのですが、結果的に無害化できる場合は、すべて誤差の範囲内とみなすようです。