ヴィヴィアンは事情を知った
善は急げとばかりに早足で進むスカーレットを、ヴィヴィアンは小走りで追う。
「ねえ、いきなり会いに行って、大丈夫なの?」
「大丈夫。呪いは全部返したし、呪具も破壊したから、もう何かを吸い取られる心配はないわ。それに連中も、私たちに来てもらわないと、ものすごく困るはずだから」
余裕たっぷりなスカーレットの返事を聞いても、ヴィヴィアンの不安は消えない。
「どうして病院にいるって分かるの」
「他人の魔力だの生命力だのを吸い取りたい人間は、どんな状態だと思う?」
「怪しい趣味とか、特殊な性癖とか?」
答えながら、ヴィヴィアンは病院の地下で、悍ましい行為に耽る異常人格者を想像して、震え上がった。
「そういう変態じゃなくて、もっと普通に考えてみて」
「普通……生命力が足りない……病気で死にそうとか?」
「そういうこと。それにちょっと心当たりもあったの。一週間前の闇の日に、カフェテラスで私とお茶したの、覚えてる?」
「一週間前? スカーレットと? 会ってないよね。あそこでは私、ずっと一人だったし」
「あのね、私とはあそこで月に一回は必ず会ってるの。私だけじゃなくて、他の人たちとも。カフェテラスみたいな所で、あんたが一人っきりで居るなんてこと、滅多にないのよ」
そんな危ないことを誰がさせるもんですかと、スカーレットは口に出さずに心で思う。
「でも、覚えてない…」
「呪いで記憶が操作されてたのよ。一週間前に、あんたとお茶してた私に、いきなり話しかけてきた男がいたのよ。ユアン・グリッドっていうんだけど、聞き覚えない?」
「全くない」
「でも顔は知ってるはずよ。そいつがあんたの婚約者なんだから」
「え、そうなの?」
「ついでに言うと、学院のときの同級生でもあったわね」
「学院…」
ヴィヴィアンにとって、学院での数年間の記憶は、真っ黒に塗りつぶして捨て去りたいものでしかなく、実際にかなりの部分を消去済みだった。ユアン・グリッドなる人物の存在も、抹消対象だったのだろう。
「学院の知り合いが、私なんかと婚約したがるはずがない…」
地を這うような声でヴィヴィアンが言うと、スカーレットは立ち止まって、両手でヴィヴィアンの肩をガシッとつかんだ。
「ああもう、余計なこと考えないの! いい? あいつの目的は婚約でも結婚でもない、あんたの乗っ取りだったのよ。一週間前にカフェテラスで会った時、あいつ、いきなり私に違法な治療を依頼してきたのよ」
「違法って?」
「余命の入れ替えよ」
「それって禁術だよね。一体誰と?」
「あいつ自身と、あいつの妻のメアリー・グリッド。そこの病院で死にかけてるんですって」
「え、私、既婚者と婚約してたの…」
ヴィヴィアンは、知らないうちに自分がとてつもなく異常な立場に置かれていたことに、愕然とした。
「そこも一応ツッコミどころではあるけど、いまはどうでもいいわね。ユアン・グリッドは、私が禁術をキッパリ断ったあと、その場にいたあんたを利用することにしたんだと思う」
「婚約じゃなくて、利用。私は利用されてた……素材みたいな感じで」
「そう。もしかすると私への依頼はカモフラージュで、最初っからあんたが本命だったのかもね。とにかく行くわよ」
まだ衝撃のなかにいるヴィヴィアンの腕を引いて、スカーレットはさっさと歩きだした。
もたつきながらも足を運んでいるうちに、ヴィヴィアンは、少しずつ一週間前のカフェテラスでの記憶を取り戻しはじめた。
あの日、スカーレットと別れて帰宅してから、読みかけの本を開いたら、見覚えのない手紙が挟まっていた。
『あなたの人生を、僕にください』
という言葉は、その手紙に書かれていたものだったのに、なぜか婚約者に直接言われたと思い込んでいた。
その後、呪いを付与した手紙を何通も受け取って読むうちに、何ヶ月も前に婚約したという偽の記憶が植え付けられていったのだろう。
ヴィヴィアンは、スカーレットに聞こえないようにつぶやいた。
「私の人生なんて乗っ取ったって、ひどいことになるに決まってるのに」