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「さいくろぷす」を胸に抱き

作者: XI

*****


 一つしか目を持たない少女、「一つ目の少女」をぼくは夜になるたび、胸に抱いていた。一つ目の少女。文字どおり、目が一つしかない。フツウのニンゲンでいうところの眉間――そこにたった一つ、大きな目がある感じだ。単にそれだけのことなのに、彼女はヒトとして認定されず、ただ気持ちの悪いものとしてしか認められなかった。そのへんを哀れに思ってぼくは彼女を自らのもとへと迎え入れた――わけではない。彼女の思考に触れ、彼女の人格と接し、ぼくは彼女の思念が、美しいと感じさせられたんだ。


「小十郎さま、あなたは私を醜いとお思いです。そうに違いありません」


 彼女――一つしか目がない(めぐみ)という十五の少女はそうのたまうのだけれど、馬鹿な、なんてことを言うんだ、親に「恵」という美しい名を与えられた女子(おなご)になんの罪があるというのか。


 そう思うからこそ、ぼくはいつも、夕方、仕事から帰ってくるたびに、恵のことを抱き締める。


 恵は、やはり泣く。

 まだ少女にしかすぎない女子が、やはり泣く。


「申し訳ございません、申し訳ございません。小十郎さまはいついかなるときでも私など捨て置き、栄転をされるに違いありませんのに」


 そんなことを言われるたび、ぼくは笑う。


「ぼくの才能なんて大したものじゃあない。ぼくはね、恵、きみと一緒の時間さえ得ることができれば、それでいいんだ。ああ、ほんとうに、きみはぼくの心を殺してしまうほどに愛らしいんだ」

「あ、愛らしい?」

「愛らしいよ」

「では、では、た、たとえば……」

「うん。たとえば?」

「は、はいっ、たとえば、私よりも先に小十郎さまが亡くなってしまったら、私にはどうしろと――」

「その答えについては、我慢して、待っていてごらん」

「そんな、一つ目にしかすぎない私がなにを期待しろと……っ」

「悪いようにはしないから」


 ぼくは今日も布団に入り、眠ろうとする。


「小十郎さま」

「うん?」

「恐れ多いことです。ほんとうに恐れ多いことでございます」

「言ってごらん?」

「今日も……今夜も、隣で、眠りについてもようございますか?」


 ぼくは笑った。


「なにを遠慮しているの。来なさい。ぼくはきみを拒んだりしない」


 恵はえぐえぐと泣きながら、布団に入ってきて、ぼくの背にはりついた。

 だからすぐに身を転じて胸に抱いてやる。

 キラキラと光を放つ黒髪は美しい。

 甘い匂いもまた得難いものだ。


「ほんとうに申し訳ありません、申し訳ありません」

「だから、なにが申し訳ないの?」

「ですから、それは――っ」

「ぼくがいるうちは、ぼくに甘えなさい。命令だよ」


 恵がしくしく泣くその振動が、胸から全身へと伝わってくる。


「大切なのは前向きさだよ」

「でも、私は――」

「きみを差別するような奴がいるなら、ぼくはそれを片っ端から遠ざける」

「そ、そんな、うれしい、うれしいですが、それは、小十郎さま――」

「どうあれ、そんな連中を、ぼくはゆるさない」


 ぼくは全身を脱力させ、恵の温かさと柔らかさを胸に感じながら、今夜もまた、眠りにつく。



*****


 難しいなぁ。


 ぼくが執務机を前にして首をかしげると、すぐにわかるくらい、恵は目を白黒させた。一つしかない瞳を白黒させた。


「ど、どうかなさいましたか、小十郎さま、い、いえ、ご主人様っ」

「きみは時折そんなふうに言うけれど、ぼくの呼び名なんてどうでもいいよ。ぼくの愛おしいヒトがそこにいる。これほどの喜びはないのだから」


 恵は目をぱちくりさせ、それからかあぁっと頬を桃色に染め。


「小十郎さまは意地悪ですっ」

「自覚しているよ」

「それで、難しい……とは?」

「戦況が良くない。ウチは戦争に強いことだけがウリだったんだけれど」

「であれば、誤報では?」

「そうだね。ぼくがいま読んでいた新聞だって、左翼的なメディアだ」

「でしたら――」


 次の瞬間、ぼくは――血を吐いた。


 恵が目を大きくしたことはもちろんわかった。


「小十郎さまっ!」

「大きな声を出さないでほしい。バレないようにしているんだから」

「で、でも――っ」

「癌と呼ばれる(やまい)らしい。これまでぼくの身体はよく踏ん張ってくれた」

「し、死んでしまわれるのですか?」

「どうにもそうらしいよ」

「そんな……」


 恵が口元を両手で覆う。

 嗚咽が漏れてしょうがないのか、咳込むようにして息を吐く。


「私は、私は、あなたが、小十郎さまがいらっしゃるからこそ、生きていて――」

「なんとかするよ。きみが不自由をしないように、ぼくはなんとかする」

「そんな、そんな……っ」

「まずは兄上と会わないとね。ずっと毛嫌いしてきたんだけど」


 むしろこちらを打算的に扱うようになったのは、兄のほうが先だ。

 ぼくが兄を嫌う理由は、そこにあった。



*****


 最近、父が亡くなった。なにせ国王だ。多くの国民に愛されていたというわけでもなかったけれど、まるっきりそうとも言えない人物だった。――否、違う。大きな国の王だから、それなりに慕う国民もいたというだけだ、人気があった王だとは思えない。むしろ――むしろ、そうだ。のちの王となった兄上のほうが立派だろう。


 ぼくが朝っぱらから王に謁見できたのは、そこに兄弟という関係があったからだ。それ以外の、それ以上の理由なんてない。


 ぼくは高い位置で玉座に座る兄の眼前で片膝をつき、頭を垂れた。


「おひさしゅうございます、兄上」

「俺は高い位置にいて、おまえは低い位置にいる。だからといって、勘違いするな。俺はおまえの兄だ。おまえは俺の弟だ。話くらいは聞く」

「ご相談したいことが――」

「わかっている。さいくろぷすの女のことだろう?」


 さいくろぷすの女。

 他人事のように言われてしまうと頭にきたけれど、そういう問題でもない。


「おまえはなにを望む、小十郎」

「恵にも似た、ある種の人外は、数多おります。彼らの、彼女らの権利を保障していただきたいのです」

「言おう。阿呆か、おまえは。人外を食わせるくらいなら、その税金、犬猫に食わせてやったほうが十二分に有効だ」

「ああ、やはり、兄上はそのようにお考えだったのですね」

「なにが言いたい?」


 訝しむように眉根を寄せた兄に対し、ぼくはにやりと笑みを返した。


「兄上、私のすぐそばには幾万の兵がいます」

「どういうことだ?」

「兄上が言う人外のすべてが、世界中にいるそのすべてが、私の配下にいるということです」


 兄は「まさか」と言って、鼻を鳴らすようにして笑った。


「仮に私が申し上げたことが嘘だとして、その場合、軽々だったと悔やむことになるでしょう。しかし、彼らと手を打つことができた場合、どちらにとっても悪い結果にはならないはずです」


 ぼくの咳は止まらなくなった。

 胸を押さえ、しかしおさまらず、幾度も幾度も吐血した。


「小十郎、おまえは……」

「兄上、お願いいたします。誰にも寛容である国をお作りくださいませ」


 私が血を吐くことすらつらくなり、前のめりに突っ伏した時、まったくどこで見ていたのか、恵が「わあああん」と泣きわめきながら駆け寄ってきた。



*****


 それから十年経っても、ぼくは生きている。


 誰とも婚約せず、だから結婚すらせず、さいくろぷすの恵はぼくのそばを離れないでいてくれている。ぼくの身体の調子がすぐれず、頭ばかりが痛くてどうしようもないときは、ずっとそばにいてくれて、ひたいのタオルを交換してくれる。好きな物書きを始めても、咳をし始めるとはんてんを羽織らせてくれたうえで、すぐさま脇に控えてくれる。申し訳ないとは思わない。ぼくと恵が望んだ結果だ。至極静かな人生。ぼくが理想としていたところでもある。


 恵も年をとった。それでもまだまだ乙女だ、全然若い。ぼくの目にはまだ幼かった頃の恵の姿がすぐにでも浮かぶ。きみは苦労をしてきた。なにせ目が一つしかないわけだ。一度外に出れば、ぼくには想像もつかないほどつらい目に遭ってきたはずだ。ぼくと出会えたことは、幸せだっただろうか? もしそうだと言ってくれるのなら、ぼくはその言葉を信じたい。一つ目。さいくろぷす。そもそも、目は二つないといけないって、誰が決めたんだ?


 ぼくは一つでもいいと思う。

 見つめ合うと、素敵な気持ちに陥ることは、できるのだから。


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― 新着の感想 ―
[一言] ラストの一節がとても素敵で、余韻にひたってしまいました。 目の数が幾つであろうと、見つめ合うことができるということ。それが主人公にとっては重要なんですね。 虐げられてきたが故に卑屈になってし…
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