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森の魔女とダメ姉騎士

作者: タタクラリ

「いいか、アンジェ。”お前は魔女の敵だ”」


 後ろに手を組んだ偉そうな女の魔導師のその言葉を、私は耳にタコができるほど聞いてきた。

 今日も、国民から集めた魔女の情報を報告せよ、と命じられ、「情報は得られなかった」と返した結果、聞き飽きたこいつの言葉をまた聞くハメになった。

 近隣の魔女は王国最強の竜騎士団が狩り尽くしたはずだから、そう簡単に情報なんぞ入ってこないが、それでもこの女魔導師は同じ言葉を繰り返す。


「役立たずめ。いつになったら団長に魔女の居場所を報告出来るんだ? 騎士よりもニワトリの糞を掃除するか、ニワトリの餌になる方が人生を有意義に活用できるぞ」


「お前が魔女なんじゃないのか」なんてことを言えばなぶり殺しにされそうだから、我慢して口を紡ぐ。

 王国では近年、魔女狩りが盛んになっていて、国は国民に「魔女は悪だ」と流布し、情報を集めている。王国騎士団の一人である私は、国民から情報を収集する役目を担っていた。


「お前は明日休みだったな。だが、休みとはいえ市井の魔女の話には耳を傾けておけ。わかったら、団長にお前の情けない仕事を報告しにいくんだ」

「……承知しました」



  *



 久方ぶりの休日は、実に三ヶ月の連勤を乗り越えた先にあった。

 クソッタレ騎士団め。いつか痛い目を見せてやる。

 だが、ここにいる間はそんなことも忘れられる。


「やっぱり好きだな、この森は」


 私は王都の程近くにある深い森へやってきた。休みの日は、必ずここへ足を運ぶ。

 頬を撫でる優しい風に、木々の間からこぼれ落ちる光、静かに流れる小川のせせらぎ、鳥たちの鳴き声。喧騒から離れ、心を落ち着かせるのには最適な場所だ。王都はニワトリの鳴き声ばかりでやかましくて仕方がないのだ。


 そんな森の中にポツンと、大木を利用した小屋が建っている。

 大木の枝に、木陰に紛れた一匹の黒猫を見つけた。彼女がいるということは、飼い主も在宅だろう。


「にゃー」


 退屈そうにしていた黒猫は私の姿を認めると、高い声で鳴いた。まるで玄関のベルのようだが、あながち間違ってもいない。あの鳴き声が、私の来訪を彼女の飼い主に伝えてくれるのである。


「あっ! お姉ちゃん! おかえりなさい!」

「ただいま、ビューラ」


 妹のビューラは私を快く迎え入れてくれる。十五歳だったか。私と十も歳が離れているが、毎回のようにクソッタレ騎士団で作った心身の傷を抱えて訪れる私を、なんの文句も言わずに慕ってくれているできた妹だ。

 扉が閉まる直前に、表にいた黒猫も小屋に入ってきた。魔女狩りの影響で王都では見なくなってしまった、今となっては珍しい毛並みの猫だ。

 猫は椅子に腰掛けた私の膝の上に乗ってきて、断りもなく丸まった。その代わりに、尻尾以外ならいくら撫でても許してくれる。


「可愛いなぁ。ちょうだい、この子」

「ダメ。いくらお姉ちゃんのお願いでも」

「ケチ」

「……っ。ほ、ほんとにダメなんだから」


 王都にある宿舎に猫がいれば日々のストレスが大分薄れると思ったが、妹が許してくれない。

 まあ、この黒猫の秘密を知っていれば、人目に晒すことが叶わないなど想像に難くないだろう。


「……お姉ちゃん、おいで」


 ビューラはソファに深く座り、自らの太ももを叩きながら私を誘った。

 疲れ切った私は、その誘惑に抗えない。

 ソファに横になり、頭をビューラの柔らかい太ももに乗せる。いわゆる、膝枕だ。


「やっぱりいいもんだねぇ、これ」

「お姉ちゃん。辛いことがあったら、いつでもここに来ていいからね?」

「……うん。ありがとう、ビューラ」


 心が安らぐ。逃げ場というのは、実に心地よいものだ。現実から逃れられる所に、自分を全肯定してくれる可愛い妹が付いてくるなんて、私は果報者だ。


「に……にゃー」


 黒猫が控えめに鳴いた──と思ったが、声のした場所が違った。黒猫は私の膝から定位置のキャットタワーの頂上に飛び移っていたが、猫の声は私の頭の直上からした。


「今の、ビューラ?」

「…………」


 ボンッ、と音がしそうなほど、ビューラの顔がいきなり真っ赤になった。


「お、お姉ちゃん、猫好きでしょ!? だから私が……猫に……その……」


 黒猫は呆れた様子で欠伸をした。

 ビューラは私の頭を優しく撫でながら、片方の手で猫の手を作り、もう一度可愛らしく、にゃん、と鳴いてみせた。耳や首まで紅潮している。


「~~っ、やっぱり忘れて……!」

「ちょっと無理かなぁ」

「無理じゃない! もう! ”お姉ちゃんも猫になって!”」


 道連れとはこのことだ。


「にゃーん、にゃおーん」

「ふへへ、お姉ちゃん可愛い……」


 恥ずかしすぎる……!

 ビューラはよく私に猫とか可愛い動物のモノマネを要求するが、私はどうもそれを断れないのだ。

 黒猫は若干引いていた。



  *



 この間は充実した休暇を送れた。

 私の宿舎にビューラが移り住んでくれれば毎日のストレスのほとんどが霧散することだろう。だが、ビューラにも事情がある。

 ビューラは魔女だ。魔女狩りの対象である正真正銘の魔女。小屋のある森に特別な魔法をかけて身を守っているのが現状なので、あの森から連れ出すことはできないのだ。


「アンジェ、魔女に関する情報は得られたか?」

「いえ、何も。日々、自らの力不足を実感するばかりです」


 またあの女魔導師だ。

 女魔導師と魔女の違いについて、特に区別はない。こいつが有力貴族の子女でなければ、魔女の烙印を押されて竜騎士団に連行されてもおかしくはないのだ。


「ふん、考えてきたような言い振りだな、アンジェ。いいか、”お前は魔女の敵なんだ”」


 まただ。──お前は魔女の敵──、こいつと会う度に聞かされる。そもそも、「魔女は敵なんだ」じゃだめなのか?

 言い返すのは得策ではないと分かってはいるが、聞くたびに積もり積もった疑問をどこかで発散したかった。


「はっ。魔女は私の敵であり、王国民全ての仇敵でございます。しかし私だけが魔女の敵なのではありません」

「……余計な口を聞くな、アンジェ。とっとと団長室に行って、情報はありませんけど給料はください~、って懇願するんだな」

「…………承知、しました」



 キレそう……! ふざけやがってあの魔導師!

 無駄飯喰らいはあいつも同じだろう。普段から騎士団に仕事を押し付けるばかりじゃないか。どうしてあれが竜騎士団の専属魔導師なんだ。

 団長室へ向かう途中、その竜騎士団の訓練所を横切る。出陣の際にしか見ないあの竜たちはどこにもいない。相変わらず、「コケコッコー!」とニワトリがうるさいだけだ。

 竜がいない合同訓練では私たちの部隊に赤ちゃん扱いされていたというのに、よくここまででかい顔ができるものだ。


「団長殿、報告にあがりました」

「アンジェか。入りなさい」


 クソッタレ騎士団の団長室では、クソッタレな団長が呑気にタバコを吹かしていた。

 騎士団長でありながら竜騎士でもある彼の部屋には、大きな鞍や槍がおいてある。


「お前と話している時間はない。魔女の情報をさっさと話せ」

「はっ。魔女は王都近郊の森の中に居を構え、黒猫と共に暮らしております」


 ──ん? 私は何を言って……?


「──そうか、ようやくか。よろしい、あの女の魔導師に言ってから、今日は宿舎に戻れ。役立たずの女魔導師にな」

「は……はっ」


 私今、ビューラの小屋のことを話したのか……? そんなはずがない。私がビューラを裏切るなんてこと……。


「よう、アンジェ。団長の渋い顔を拝んできたか? ”お前は団長に何も報告できなかった能無し”だからな。団長の機嫌を損ねるのはもうよしてくれないか」

「……チッ。好き勝手言いやがって。無駄飯喰らいが」

「ふん。お前に何を言われようと、心には響かない。私は団長直々に、竜騎士団の専属魔導師に選ばれたエリートだからな」


 ──私がビューラのことを騎士団に話すはずがないだろう。いくら無能と罵られようと、妹の安全だけは守り通してやる。



  *



「ビューラ~~……」

「お姉ちゃん、お疲れだね……」


 今度の休日は常識的な二十連勤のあとにやってきた。竜騎士団の連中に蔑まれながらも、市街で起こった立て籠り事件を解決してやった。その割には、褒賞がほとんど出なかったわけだが。


「騎士団辞める……辞めるぅ!」

「はいはい。今日は騎士じゃなくてもいいからね、お姉ちゃん」

「うん……いっぱい飲む……」


 王国騎士団は表向きには禁酒が命じられている。だが、上官どもは当たり前のように昼間から呑んだくれているし、都市の見回りを任されている騎士が居酒屋で飲んでいる騎士を咎めることもない。

 真面目が損する法令なのだ。

 私だって魔女の存在を隠している騎士だ。はなっから私は真面目なんかじゃなかったのだ。


「ぶどう酒があるよ。ちょっと待っててね」

「うん……ぐす、ありがと……」


 ビューラは私の好物を、いつも小屋に用意してくれている。


「はい、おつまみは今から作るね」

「ありがとう……大好き、ビューラ……」

「ふえっ!」


 頼む前からおつまみを用意してくれるなんて、どれだけ気の利く妹なんだ。今度、王都からチョコレートを土産に持ってきてやろう。

 まあ、それはともかくだ。


「あ、あの、私も、大好き──」


 ぐび、ぐび、ぐび、


「プハァ~~!! あぁ~お酒好きぃ♡」

「………………お姉ちゃん」

「んぇ?」


 ビューラが低い声で私を呼んだ。こういう声もいいなぁ、なんて考えていると、ビューラは私の両方を掴み、おでこ同士が当たるくらいの距離まで詰め寄ってきた。


「“お姉ちゃんはお酒よりも私の方が好き”」

「ぇ、え?」


 目、綺麗……。ビューラ、こんなに可愛いかったっけ。いや、もともと可愛いのは知ってたけど、こんなに、目が離せなくなるほど?

 顔、熱くなってきた。鼓動が激しい。


「お姉ちゃん、私とお酒、どっちが好き?」

「もちろん、ビューラだよ」

「えへへ、やった……そう言ってくれるのを待ってたんだよ」


 当たり前のことを言っただけで、ビューラはとことん喜んでくれた。ずっと昔からそうだ。ビューラがそこにいれば、酒や他の事なんかに目もくれないで、ずっとビューラに構っていたい。

 だが、そうも言っていられないのだ。王国に身柄を狙われて続けているビューラが見つかるのは、時間の問題だった。


「はぁ、ずっとこんな生活だったらな……──っ!」

「お姉ちゃん? ──わっ!?」


 外に人間の気配……!


「この森にこんな小屋あったか? 変な魔法がかけられてたとかか」

「アンジェが見つけたらしいですよ。さすが、我らが女傑」


 よりにもよって騎士団員か。ビューラを隠さないと。


「ビューラ、危険な目には遭わせないから」


 私は飲みかけの酒とビューラと一緒に、玄関からは見えないキッチンの陰に隠れた。

 だが、私がここを訪れた跡全ては隠せない。居留守は現実的じゃないだろう。


「マレ! お客さんにお帰りいただいて!」

「にゃー」


 マレは黒猫の名だ。いや、正確には黒猫を指すものではないが。

 黒猫はキャットタワーから翻りながら飛び、床に着地した。人間の姿に変身して。

 彼女がマレ。羽根付き帽を被った狩人を模した女性の姿をしている。


「失礼します。誠に勝手ながら、騎士団長の命で貴殿を王都に連行することとなりました」

「という事で……」


 ドッ! バキッ!


「お邪魔しまぁす!」

「おい、扉を……。もしここが魔女の家じゃなかったら……」


 扉を乱暴に蹴破って入ってきた騎士共に、マレが対応する。


「王国騎士団の方ですか? ここは私の狩猟小屋なのですが、魔女とは一体?」


 うまくやってくれよ、マレ。


「魔法を使い、世の在り方を変えてしまう恐ろしい女です。都では、魔女と思しき人物を裁判にかけ、危険を早期に排除しているのですが、こういった人の目が届かない場所は進展が遅れており……」

「魔女は黒猫を飼ってるって聞いた。狩人さん、心当たりはあるか?」

「いえ、猫はここにいません」


 黒猫はマレに変身してるから痕跡は……キャットタワーがっ!


「おやぁ? 猫ちゃんの好きそうな遊具がありますね? あれで猫を飼ってないとは言うまい?」


 まずい嘘がバレた。ビューラといちゃついてないで、ちゃんとこういった時の対処を話し合っておくべきだった……!


「それは……よくここに遊びに来る、野良猫のために作ったものです」

「野良猫ですか? 生態調査では、この森に野良猫なんて……」


 たしかに、森に野良猫がいるなんて聞いたことがない。でも最近、たしか王都では野良猫が増えているはず。


「近頃、猫が都からよく逃げ出して来るのです。何をしているのかは知りませんが、まさか猫に危害を加えているようなことを?」


 騎士共がうろたえた。

 民間における魔女のイメージを損ねるため、黒猫やカラスやネズミを魔女の使い魔として王都から追い払う運動が行われている。魔女に抗する民間人の結束力を高めるための運動だが、その影響で他の毛並みの猫にまで危害が及んでいるのだ。

 マレ、いいところを突いたな。


「……なるほど、確かに野良猫が餌を求めて森に来ることもありましょう。それをあなたが保護しているのであれば、反故にすることはできませんな」

「チッ、黒猫を飼ってるって情報じゃなんにもわかんねぇよ。アンジェの報告は魔女の飼い猫だけか?」

「ええ。それだけです。せめてこの森の捜索を担当しているアンジェがいれば……」

「あいつ、今日は休みだろ? チッ、せめて宿舎で待機してろよな」

「いやしかし、二十連勤ですよ、彼女。我らが女傑に、それ以上何を求めるというのです」


 あの騎士共、私が騎士団の上役についたら、それぞれ待遇を考えてやらなければ。


「ともかく、ここはハズレだったということです」

「俺は怪しいと思うんだけどなぁ。団長にどう報告すんだよ、クソ」

「嫌なことは酒場で忘れましょう」


 騎士共は魔女を諦め、蹴破った扉を放置し、小屋を去っていった。覚えてろよ、あいつら。


「ビューラ様、アンジェ、お客さまにお帰りいただきました」

「ありがとう、マレ」

「マレすごい! 私、もう捕まっちゃうかと思ったよ……」

「恐縮です」


 マレは照れ臭そうに、被っていた羽根つき帽をとった。その中には、黒い猫耳が隠されていた。

 マレの頭上で、猫耳がぴこぴこと動いている。足に巻き付き巧妙に隠された尻尾も、動かしたくてたまらないだろう。

 一見、クールに任務を終えたように振る舞っているが、その実、目一杯に褒めて欲しがっているのだ。


「マレ、お疲れ。よくビューラを守ってくれたね」


 私は手をマレの頭付近に伸ばした。すると、マレの耳がぺたりと倒れ、撫でやすい頭になった。

 わしゃわしゃと頭を撫でてやる。すると、今度はマレが頭を私の手に擦り付けてきた。……今すぐマレを王都の宿舎に連れ出したいが、そのためにはいくつの罪を重ねる必要があるだろうか。


「ビューラ様は、撫でてくれないのですか?」

「いくらでも撫でてあげるよ。おいで」


 マレは猫の姿に戻ると、ビューラの胸に飛びついた。


「にゃー」


 聖女のような笑顔で、ビューラはマレを撫でたくっている。市井の言う魔女とはかけ離れた姿だ。

 この平穏を、私は必ず守り通さなければならない。



  *



「騎士が失敗した。アンジェ、お前の報告は糞にも及ばなかったということだ」


 クソッタレ女魔導師。私の報告とはなんなんだ。団長に対して一度も口を割ったことなんてないはずだが、それでも騎士はビューラの小屋を見つけ出した。

 何が起こっているんだ。


「そこでなんだが、団長がお前にチャンスをくれるそうだ。お前が私を魔女の小屋に連れて行くんだ」

「理解できません。私は魔女の居所どころか、尻尾すら未だ見つけ出せていません」

「いいや、出来る。なぜなら、“お前は魔女の敵”だからだ」


 また。私は魔女の敵。……魔女の、敵。

 ……何を今更。昔から私は魔女の敵じゃなかったか?

 いや、間違いない。私は魔女の敵だった。


「いくぞ、魔女を捕らえに」

「はい、承知しました」

「やっと効いたのか、全く……」

「……?」



 私は女魔導師を連れ、雨の降る森を進み、ビューラの小屋を訪れた。

 私は魔女の敵だから、騎士団にビューラの居場所を教えて当然なのだ。


「あっ、お姉ちゃん、おかえりなさい。二日も連続で来てくれるなんて嬉しいな。ん、その人は?」

「騎士団の魔導師だよ、ビューラ。今日はビューラを捕まえにきたんだ」

「な、何言ってるの、お姉ちゃん。騎士団? どうして、騎士団を連れてくるの」


 変なことを聞く妹だ。私は魔女の敵なんだから、小屋の位置を知っていれば騎士団を連れてくるのは当たり前だ。

 女魔導師が魔法の弾を上空に放った。これが竜騎士団への合図となり、急行した竜騎士によって魔女狩りがつつがなく始まるはずだ。


「アンジェ! どういうことですか! これは!」

「マレ」


 可愛い黒猫耳をつけた少女。魔女の飼い猫。──敵。ビューラの前に立ち塞がるなら、こいつも敵。


「お逃げください、ビューラ様! もはや私たちの知るアンジェではありません!」

「待って、マレ。これ……『魔女の秘術』の……」


 魔女の秘術といったか、おぞましい。騎士団上層部の秘匿情報だが、酔っ払った騎士団の上役から聞いた話によると、なんでもかんでも自らの思い通りにしてしまう魔法らしい。


「くくく、アンジェ。“お前は、お前に楯突く者全ての敵だ”」

「はい」


 剣を抜く。ビューラは生捕にしないといけないようだが、それ以外の敵は──


「お姉ちゃん!!」

「アンジェ、考え直してください! 君はビューラ様の姉じゃないのですか!?」


 私は、姉……。その通り、私はビューラの姉。ビューラのことが酒よりも好き。ビューラの、敵。それで……猫?

 猫ってなんだ。

『お姉ちゃんも猫になって!』──そうだ思い出した、あの時の。

 あ、あれ? なにかおかしいな。私は人間で、猫じゃない。

 それに、ビューラは魔女で私は敵なのに、なんで好きなんだろう。

 そもそも、私は『酒場の女傑』なんて呼ばれるくらい酒が好きで……。

 ──私に、妹なんていなかった……?


「わ、私は……姉、じゃない。じゃあ、私はなに?」

「おい、アンジェ、何してる。お前は魔女の敵だろ、さっさとその猫人を──」


 なんなんだ、私は。強烈な違和感。昔のことが思い出せない。せめて、思い出せることは何かないか。

『役立たずめ。──騎士よりもニワトリの糞を掃除するか、ニワトリの餌になる方が人生を有意義に活用できるぞ』──女魔導師のセリフ。

 こいつは間違いなく『私に楯突く者』、ならば敵だ。


「アンジェ? なにしてる、おい!」


 剣を女魔導師の方へ向ける。怯えた顔だ。威勢よく啖呵を切っていたのが懐かしい。


「ふざけるな、やめろ! いやだ! 私は女魔導師だ、魔女じゃない! や、やめ──」


 『私に楯突く者』を剣で始末した。怯えた顔が苦痛に染まる。

 敵を始末しろと言ったのはこの女魔導師だ。なぜ、自分を始末しろ、だなんて命じたんだろう。


「どうして……私が、魔女、だ……と……」


 そう言って女魔導師は息を引きとった。結局、こいつは魔女だったらしい。


「お前は、魔女。私……は?」


 私は何者なんだ。記憶が混濁していて、もう何が真実かわからない。酒が好きな記憶とそうでもない記憶が同時に存在し、私がビューラの姉じゃない記憶まである。


「私は……私は、なんなんだ!」

「アンジェ、しっかりしてください!」

「マレ、助けてくれ。私は私なのか?」

「どういう質問ですか。ビューラ様、『魔女の秘術』とは一体なんなんですか!」


「…………気付いちゃったか。ごめんなさい、アンジェさん。あなたを、ずっと騙し続けてた」

「……は?」


 ビューラは『魔女の秘術』とやらについて語り出した。


「魔女はね、他の生き物を自分の思い通りにできるの。その秘術によって。例えば、”マレ、猫になって”」


 マレは人間の姿から猫の姿に変身した。


「マレは普通の人間だったの。この森で活動してた、普通の狩人。ある日、マレは怪我をしちゃって、その時、私の小屋を見つけた。私はその頃、黒猫が飼いたかったから、魔法で治療してあげる条件として、マレに猫になってもらったんだ」


 ビューラに、魔女に、そんな力が……。


「待ってください! 私がもともと、普通の人間だったって……」

「ごめん、混乱するよね。秘術を受けたマレはきっと、自分が初めから変身できる猫だった、って思ってるはず」

「は、はい」

「記憶が変わるのは、術を使う前後で状況が変わって混乱しないため。例えば……いきなり、いるはずのなかった十五歳の妹ができたりしたら、びっくりするでしょ?」


 ビューラはバツの悪そうに言った。私がビューラの姉ではなかった、と。

 その言葉がきっかけで、私の閉ざされていた記憶が戻ってきた。



 私はこの森で、魔女の捜索をしていたのだ。そして、ビューラと出会った。


『ねえ、私の家族、みんな竜の上の人に殺されちゃった。優しそうな騎士さん、私のお姉ちゃんになって?』


 竜の上の人というのが竜騎士のことだと気付いたとき、すぐに少女が魔女なのだと分かった。

 私はあろうことか、魔女を哀れに思った。

 そして魔女の心の底から溢れたような笑顔に心打たれ、この魔女を妹のように扱うことを了承した。


『よかった。よろしくね、“お姉ちゃん”』


 こうして、私に妹ができた。昔からずっと一緒だった(と思い込んでいた)妹が。

 ビューラに、他に家族はいなかった。魔女に近い血縁は竜騎士によって地の果てまで追い詰められ、徹底的に処理されるのだ。ビューラはその際、竜騎士から逃れてただひとり森に隠れたらしい。



「ごめんなさい、アンジェさん。私、あなたに秘術を使って、独りよがりの幸福に酔ってたの。秘術で私のことが大好きにさせた。あなたの大好きだったお酒よりも。無理やり記憶を捻じ曲げて、あなたを私に都合のいい存在に変えた。本当に、ごめんなさい……それに、マレさんも……」

「ビューラ……」


 伏目がちに謝罪を口にするビューラは、自分勝手で傲慢な魔女ではなく、家族を失った悲しみをなんとか埋め合わせようとする少女だった。


「全部、嘘だったの! 全部、私の都合のいい夢だった。もう、私の勝手な絵空事はおしまい。魔女なら、秘術の効果は消せるから……。だから、元の……生活に……」


 ビューラによると、私がビューラのことが大好きだって気持ちは紛い物らしい。自分は飲みもしない酒をいつも用意し、連絡もない急な来訪も快く受け入れ、仕事で沈んだ気分を安らげてくれる、そんな人を想う気持ちは全部魔法で生まれたものだという。


「……誰が都合がいいって? ビューラのほうがよっぽど、私にとって都合のいい存在だよ」

「そうです! ビューラ様は私に、素敵なものをくださったじゃないですか!」


 紛い物のはずがあるか。紛い物にしてはいけない。孤独な少女がくれた愛を無下にするほど、私は腐った人間じゃない。


「ビューラがいたから、私は騎士をやってられた。出会ってなかったら今頃、酒に溺れるか、どこか遠いところで死んでた。たしかにビューラは私を変えたよ。ビューラと出会う前の私を、出会った後の私に。秘術なんて関係ない、ビューラ自身が変えたの」

「私自身、が……?」

「そう。もうビューラがいない生活なんて考えられない。今更お別れなんて、絶対いやだ」

「────!!」


 ビューラは私の胸に飛び込んできて、いっぱい泣いた。「ごめんなさい」とか「ありがとう」とか、耳を澄ましていないと聞き取れない声だったけど、何度も私に伝えてくれた。


「ね、もう一度私を、ビューラのお姉ちゃんにしてくれない? 今度は、魔女の秘術なしで」

「私も! ビューラ様の黒猫でお願いします!」

「……うん、二人とも、本当にありが────」



「それは困るなぁ、魔女」


 高い上空から、竜の羽ばたく音とともに、しわがれた男の声がした。


「騎士団長……」

「さあ、魔女狩りの時間だ、諸君」


 竜に乗る団長の合図で、周りに竜騎士たちが集まってくる。王国最強の竜騎士団が、魔女狩りにやってきたのだ。


「アンジェ、お前のおかげで魔女の居場所がわかったのだ。お前も魔女狩りの功労者として竜騎士にしてやろう」

「…………」


 竜に包囲された。もはやどこにも逃げ場はない。

 団長がなにか提案してきたがそんなことはどうでもいい。

 どうする、少なくともビューラは守らないと。魔女狩りなんてさせるものか……!


「お姉ちゃん……!」

「絶対に守る。絶対に、三人で生き残る。また家族を失うようなこと、絶対にさせないから!」


 剣を構える。ビューラにはああ言ったが、とてもどうにかできるような状況には思えない。

 なんとか知恵を絞らないと……。


「早く、その魔女を竜騎士団に渡すのだ」

「お断りします」

「アンジェ、なにも私は魔女狩りの功績を独占しようとしているのではない。再度言う、魔女を渡せ」


 魔女狩りについて詳しくはないが、魔女はその場では殺さないことは知っている。この後裁判にかけられ、城の牢にぶち込まれるのだ。

 だが、その後は? 魔女が断頭台に首を差し出すところは見たことはない。国民に望まれながら公開処刑を避ける理由、それは魔女を生かしておくためにほかならないだろう。

 死にはしない、けれど、ビューラに辛い思いなんてさせたくない。


「お、お姉ちゃん、秘術でどうにか切り抜けられないかな?」

「考えてみる。マレは一応、狩りの道具を用意しておいて」


 魔女の秘術。魔女を生かす目的があるとすれば、この能力に決まってる。『他の生き物を自分の思い通りにできる』能力。マレのように、人を猫の姿にできるような代物だ。


「竜から逃れられると思うなよ、アンジェ。この最強の生物を駆る俺たちから!」


 竜……。あんな巨体、王都にいればすぐにわかるはずなのに、出陣の時以外では姿を現さない。食糧だって、多数の数の竜の腹を満たす家畜がどこにいるというのか。

 王都の家畜といえば、コケコケと耳をつんざくニワトリの鳴き声が印象的だ。あれは竜用の餌だったのか。

 だが、それでも竜が出陣の時だけ”都合の良く”現れることが説明できない。

 いや待て。これは、もしかしたら……!


「ビューラ、魔女の秘術は、どんな生物にでも変身させられるの?」

「う、うん。お姉ちゃんを竜にすることもできるけど、でもあんな数が相手じゃ……」

「いや、大丈夫。魔法で竜に変身させられることさえ分かれば」


 いける。竜騎士団め、竜の威を借りないとでかい顔ができないお前らも今日で終わりだ。


「……わかりました、団長。ですが、魔女狩りは私にお任せください! 私の剣で、魔女の首をはねてご覧に入れましょう!」

「馬鹿な! 総員、アンジェを止めろ、急げ!」


 ビューラに向かって剣を振り上げる私を目掛けて、竜騎士団が急降下を始めた。紛い物の竜どもの神秘が暴かれるとも知らずに。


「ビューラ、魔女なら秘術の効果を消せるんだよね。それ、あの竜に使って」

「竜に……? あっ、わかった!」

「まずい、魔女を先に殺せ! 早く!」


 クソッタレ竜騎士団。明日からお前たちは──


「“竜たちよ、元の姿にもどれ!”」

「や、やめろぉぉ!!」


 ──ニワトリ騎士団だ!


「コケーーーーっ!!」

「コッコ……コケェ!!」

「うおぉぉおあぁぁ!!」


 竜はみんな一様にニワトリへ姿を変えた。その背に乗っていた騎士たちは空中に放り出され、急降下の勢いそのままに地面に激突した。

 竜は魔女の秘術で姿を変えたニワトリだったのだ。

 魔女狩りは、竜騎士団を増強するためにしていた誘拐だった。


「やった、お姉ちゃん!!」

「ビューラ様、すごいです! あの竜騎士団が壊滅しました!」

「…………」

「お姉ちゃん?」


 ニワトリ騎士団の団長は、団長室にあった鞍や槍のそばで血みどろになっていた。その槍を地面に突き刺し、墓の代わりに立ててやる。決して世話にならなかったわけではない。

 団長は初めて竜を従えた時、子供のようにはしゃいでいた。あの竜は、さっき手をかけた女魔導師が変身させたものだったのだろう。それから団長は様子がおかしくなった。魔女狩りが始まったのだ。


「ビューラ、竜騎士団と一緒に、魔女狩りも終わる」

「じゃあ、一緒に住もうよ! 王都で、お姉ちゃんとマレと私で住もう!」

「いいですね! 魔女狩りがなくなれば、私も黒猫として過ごしやすくなります!」

「…………。ごめん、二人とも」

「えっ?」



  *



 城の牢。私がここに入ることになるとは。仕方ない、団長と幹部を殺したのだ。


「アンジェ、君にはここじゃなくて、ビューラ様のところが相応しいですよ。どうして、自ら牢に?」


 マレが黒猫の姿でするすると城の防備を通り抜け、私の牢を訪れてくれた。

 マレが教えてくれた情報によると、ビューラの活躍により世間では竜がニワトリだったと知れ渡っているらしい。城に囚われていた魔女たちのおかげで、魔女に対する誤解も解け始めている。

 だが、帰ってこない騎士団長らの説明は、私の罪を踏まえる必要があった。


「私は、騎士を殺しすぎたから。ビューラと一緒にはいられないよ」

「ビューラ様は、アンジェといたいと仰っています。それに、殺したのは──」

「私。ビューラは、私の指示を聞いただけ。仲間殺しの私と違って、敵を倒しただけ。そうでしょ?」


 私の罪は、許されるものではない。腐っても、竜騎士団は仲間だった。私は仲間を裏切ったのだ。

 ビューラに関しても、魔女狩りをする騎士団をその魔女本人が打ち破ったにすぎない。過剰な戦力をよこした彼らに対して過剰防衛というのもないだろう。


「ですが、牢に閉じこもってもらっても困ります。ですよね、ビューラ様」

「……っ!」


 ビューラが、牢の私の前に現れた。

 なにか、怒っているように見える。まあ、約束を破ったことになったのだから当然だろう。


「お姉ちゃん」

「ビューラ?」


 ビューラは牢の鍵を開けた。


「ど、どうして」

「一緒に住むって約束したでしょ、忘れたの? ほら、こっち来て!」


 私の手を引き、地下牢を抜けた。そこにいたのは、


「アンジェ殿、私たちを解放していただき、感謝しております」


竜騎士団に囚われていた魔女たちだった。ニワトリを竜にする仕事をさせられていた者たちだ。私が竜騎士たちを殺し、その結果解放されたのだ。


「お姉ちゃん、これ」


 ビューラは私に重そうな棒状のものを手渡してきた。

 それは、血のついた槍だった。見覚えがある。前団長のものだ。


「それがお姉ちゃんの罪だとしたら、目の前にいる魔女たちはお姉ちゃんが救った──」

「…………償い……」

「そうです、アンジェ。皮肉にもこの国には竜騎士が必要です。そして、ニワトリ騎士団と揶揄されながらも、それを率いる者も」

「それを、私が」


 償い。私に必要なのは、罪を背負い続けることではなく、犯した罪以上の働きをすることらしい。ビューラの力に頼りながらも前騎士団長を殺した者を牢に閉じ込めておくのはもったいないということだ。


 私は竜を駆り、空を舞った。ニワトリ騎士団だと揶揄され、味方殺しの烙印を背負いながら。

 騎士団員として、ストレスを溜める生活は続きそうだ。

 だが、家に帰れば、妹と黒猫が待ってくれている。


「にゃー」──玄関ベルの鳴き声。

「おかえり」──クタクタの私。

「ただいま、お姉ちゃん!」──私の大事な妹。

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