飛んできたのは魔物でした
それは数多の油断が招いた結果であろう。
大型の魔物を飼った直後で気が緩んでいた。
言い訳にすらならないそんなことを頭の片隅で思うくらいにはすべての出来事がゆっくりに感じた。手にしていた麻袋の束を反射的に投げつけてはみたものの、それが何の役にも立たないことはわかっている。一瞬だけその足を止めたに過ぎない。
魔物に対抗できるのは神代の武器だけで、ニオゥはそれを持っていない。それは目の前に横たわる純然たる世の理。
横から突如として現れたそれをニオゥは知っていた。父親に何度となく言い聞かされていた。
石猫の中でも希少種である宝石猫、その敵となりえるのは隷属や飼い殺しといった同じ猫人だけではい。最も石猫が恐れる魔物。
流れるような瞬きの間にニオゥははっきりとそれを見た。
ギョロギョロと得物を探し血走った紅い瞳は間違いなくニオゥを、正確にはその額にあるクロスバンドに向けられていた。
「イシクマ。」
熊と称されてはいるがその体と四肢は細く突き出した鼻先たぬきやキツネのそれに近く、鉱石を好んで食す魔物。主な主食は宝石トカゲであるが、それよりも小さく襲いやすい石猫は格好の獲物である。いったいどれほどの者がその歯牙にかかったのか。
家の周囲は【イシクマ】の嫌がる植物を植えて対策をしていたし、普段の採取では最も気配に気を付けていた相手である。
狩りの後で気が緩んだのか、それとも人数がたくさんいるから気配でそれが寄ってこないと過信していたのか。何が悪かったんだろう……。
「ニオゥ!!」
その叫びはだれのものだっか。
呼ばれた自身の名に意識をこちらに引き戻しニオゥは頭を両手で覆いしゃがみこんだ。
次に来るであろう衝撃と痛みを予想してぐっと奥歯をかみしめるが耳が拾ったのはぐしゃりと何かかひしゃげる音とバキボキと木がなぎ倒される音。
一瞬の出来事に何が起きたかもわからず、頭を上げれば先ほどまでいた【イシクマ】の姿はなく、視界に入る者たちの視線を追って反対を向く。
「え?」
一直線になぎ倒された木々の根元、地面に伏すのは先ほどの【イシクマ】だろう。その傍らには小さな影。とどめを刺すかのように引き上げられた足が容赦なくその顔面と思われる場所を踏み抜き何かが砕ける鈍い音だけが静寂の中を支配した。
背後からでもわかるその強者の気配にだれもが息をのむ中、ニオゥはその姿によく似た人を知っていた。
「父さま……。」
小さく吐き出された言葉は誰に拾われることなく風の中に消えた。
あれはいつだったろうか、それとも幻だったろうか。いつも温厚で子煩悩の父親が一度だけ背中で見せたその怒気にひどく驚き焦ったことがある。
石猫特有の小型でふくよかなフォルム。王都でもめったにお目にかかれない種族独特の頭に巻かれた長い布を肩まで垂らし、長衣と細身のズボンを纏うその背中は父親とよく似ている。
振り下ろした足を上げプラプラとさせると、くるりとこちらを見た。気がした。
木陰になってその人の表情はわからなかったがじっとこちらを見たことはわかった。
「驚いた。襲われているのが石猫だとはわかったが、尊きメスであったとは。」
こちらに向かってゆったりと歩を進めつつ頭に向かった手がするすると布を外していく。
小型種でつるりとした短毛は黄緑色。一瞬見開かれた橄欖色の瞳が瞬くと優しく細められた。
「ペリドット。」
「いかにも。此方は宝石猫はペリドットのフォルスと申す。そなたが無事でよかった。」
しゃがんだままのニオゥの頭にふわりと掛けられた老竹色の布がくるりとニオゥを包むとそっと手を差し出された。
普段のニオゥなら叩き落さないまでも、初対面の雄の手など取ったりしない。やんわりとだが確実にその手をよけて自力で立ち上がっていただろう。
それなのに普段はうるさいくらい働く警戒心がここ至って鳴りを潜めて全く役に立ちそうもない。
窮屈な布の中から解き放たれ日向に現れたことで額の真ん中にあるペリドットの原石がキラキラと輝いている。
目の前に差し出されたそれにそっと自身の手を重ねると、少し硬めの肉球がきゅっと握り返されて、手とは違うどこかまでわしづかみにされたような錯覚さえ覚えた。
力強く引かれた手に促されるまま立ち上がり、ニオゥはぺこりと頭を下げた。
「えっと、石猫のニオゥです。」
相手が正式な名乗りを上げたのだ。無視するのは当然失礼だ。だからと知って初対面に自分の素性を打ち明けるわけにいかず、無礼を承知でただ石猫とだけ称した。
「そうか。」
丸みを帯びた頬に笑窪がさして小さく頷いた彼が無礼に対し、何とも思っていないことにニオゥはほっと胸をなでおろす。
はて。なぜ自分は胸をなでおろしているのだろうか。
自身を包む長い布に幼いころを踏襲する。
「とうさま、とうさま。」
「なんだい僕の可愛いニオゥ。」
「とうさまはどうしてすぐニオゥにあたまのぬのをまきつけるの?」
小型種の男は自分よりも小さな小さな体を布でぐるぐる巻きにしては膝の上に抱き上げた。
「僕の可愛いお姫様は隠してしまいたくなるほど可愛いからね。大切に包んでぎゅうってしたいんだよ。」
「え~ニオゥはうごきにくくてはしれないからやだぁ。」
「そうかそうか。ははは。」
あの時の父親はそれはそれは嬉しそうだった。嫌がる子供は本気で嫌がっているのではなく照れているというのもわかっていてその反応すらも可愛くて仕方がないといわんばかりだった。
あの時の布の意味は……。
「ニオゥ!!無事ね!?どこも痛くない!?」
「ニオゥごめん!私が護衛なのにちゃんとついてなかったから!」
バタバタと走ってきたダリヤとハクロが真っ青な顔でニオゥに駆け寄った。
包まれた布から脱出することもなく、ぐるぐる巻かれたままに二人に視線を合わせた。なぜか手は繋いだままだ。
「私は助けてもらったから大丈夫だよ。……あの、助けていただきありがとうございました。」
前半は駆け寄ってきた二人に、残りは助けてくれたフォルスに向けられた。
「へぇ~じゃぁ、お前さん夏領から旅してきたのか?」
【イシクマ】という思わぬハプニングとその片付けが加わり予定を遅らせてから出発した馬車の中、思わず増えた旅の仲間に質問を投げかけるのは年長のホンハクである。
質問してるというのにその手は一切のブレを感じさせることなく薬草の処置を行っている。
「ああ。幼馴染が自慢していた見合いが王都で行われるらしくて、観光がてら見てみたいと思ったのだが、途中で【イシクマ】に遭遇してね。わが一族は昔一人食われたことがあるから、【イシクマ】を見たら殲滅させるのが家訓なんだ。」
物騒な家訓があったもんだな。とニオゥは思ったが御者をしているツユシロとはそばで座っているハクロの一族の家訓は「美食のためならドラゴンをも殺す」だったな。と、思い返せばそんなにひどい家訓でもないのかもしれないと思いなおすことにした。
「それで追いかけていたら急に方向を変えてた先にニオゥたちがいた。」
「石猫を狙うはずの【イシクマ】が逃げ出すなんてよっぽどじゃな。」
「巣を全滅させたからな。あれが最後だった。」
穏やかな顔でなんと物騒なことをいう男だろうか。
「目の前の宝石猫から逃げ出して石猫のニオゥを狙ったってとこかしら。」
「まぁ、オスよりメスの方が狙いやすいでしょうけど。石猫よりペリドットの宝石猫の方がいいってわけじゃなないのね。ちなみにニオゥは何の石猫なの?」
石猫はとにかく数が少ない。
母が石猫性癖(デブ専)だったからニオゥの兄弟は石猫ばかりなのでその生態に詳しいが一般的にはそんなにお目にかからない一族のため、その生態をよく知る者は少ない。
だからこそダリヤはその質問を平然とと口にする。同族同士ならご法度行為だ。
「私はこれだよ。」
そう言って鞄から取り出したのはいくつかの丸い石が入った小瓶である。
「これは……。」
「玉砂利ね。」
「玉砂利じゃな。」
「玉砂利だな。」
「はい。玉砂利です。」
瓶に入ってるのはニオゥの体毛に似たグラデーションカラーの玉砂利である。
「ニオゥって玉砂利の石猫?」
「はい。ナチュラルマーブルライトっていう種類です。」
ちょっと珍しい色ではあるが。
「石猫の中では五指に入るほど数の多い種類じゃな。」
石猫自体そんなに出会わないが。
「ペリドットの宝石猫と比べれば珍しくもないですね。」
それはそうだろう。季節にまつわる誕生石を冠する宝石猫である。早々ほいほい出会えるはずない。猫人200年の寿命の中で何処かでみかけられたら行幸だろう。それに比べれば確かに玉砂利の石猫はコネがあれば出会える。
そんな超希少種よりも狙われた割には何とも言えない残念感が馬車を包んだ。
まぁ、それは嘘なのであるが。だから馬車の中がどんな空気になろうとある意味ニオゥは他人事のようで気にもならなかった。
それよりも……。
(近い、近い近い。気のせいじゃないよね……。フォルスさん距離近くない?)
多少困惑しつつも表に出ないニオゥである。
馬車のなかで作業するニオゥの隣、しかしけして密着ではない距離感をキープしながらもそれを感じさせないフォルスの絶妙さにニオゥはどうしていいかわからない。
それが不快ならはっきり断り距離も取るというものだが、これが困ったことに初対面のオスなのに嫌だと感じない初めての感覚に驚愕する。
(これが遺伝!?今まで兄弟たちになんとも思わなかったからわからなかっただけでやっぱり私は母さまの血が濃いの!?まさかデブ専の遺伝子が働いていると!?)
斜め上の心配をするニオゥであった。
お越しいただきありがとうございます。
コロナかかってる間にストック出し終わっちゃった(あらおやまぁ)なので更新頻度下がります(まだ本調子じゃなくて)
10話完結を目指したいんだけどどうなることやら……。
☆ブクマいただけると励みになります。よろしくお願いしますm(_ _)m




