湖上千花 2
星恩寺家の葬式は少し変わっている。
まず、普通の葬式のようにお坊さんや牧師、司祭などは呼ばない。もちろん、お経も聖歌も歌わない。ただ故人を参列者全員で囲んで食事をとるだけである。一般的な葬式のイメージでいうと通夜振る舞いだけを行うというのが分かりやすいだろうか。
食事を終えたら、その日は解散である。
翌日、火葬を終えたら、故人から見て3等親までの親族だけで、本家の裏にある山に故人を埋めに行く。星恩寺家の者は亡くなると、この山に還っていくのだと考えている。
この山を聖山と言うのだが、聖山に入ることが出来るのは、星恩寺の血を持つ者だけで、一般の人はもちろん、僕たち分家さえも入ることは許されていなかった。
「ほぼ絶縁状態だった子達からしたら、戸惑うだろうね。大丈夫かな。」
そう言ったのは、僕と一緒に設営をする従兄弟の志名さんだ。
「志名さんもいきなり、父方の従兄弟ができて戸惑っているんじゃないですか?」
志名さんの母親は僕の母と姉妹の関係だ。志名さんとは同い年ということもあって、仲は良好である。
「まぁね。けど父いわく、僕たち兄弟は上の子の梨怜さんとは絶縁前は良く遊んでたらしいよ。あまり覚えてないけどね。」
「絶縁前というと、10年前までということですか?」
「いや、僕が5つの時だからもっと前だね。」
静馬さんは2度結婚している。1度目は会長の娘である絵茉さんとで、かなり祝福されながら結婚式を本家であげている。その絵茉さんとの間に出来た子が今年で16歳になる梨怜さんだ。
当主様の子供(当時はまだ志名さんの祖父が当主様だった)と会長の子供の孫という事で、梨怜さんが産まれた時はお祭り騒ぎだったらしい。しかし、梨怜さんが4歳のときに絵茉さんは事故で亡くなってしまった。それでも周囲は静馬さんに好意的で色々と面倒を見てくれていたそうだが、事態が一変したのは今から10年前。
静馬さんが突然、駆け出しのモデルである朝子さんと再婚すると言い出した。しかも朝子さんのお腹にはすでに子供がいるとのことだ。朝子さんは、モデル業の傍ら風俗でも働いていて、本家の人からの批判はひどかった。本家の人たちは何としても梨怜さんだけは星恩寺家で引き取ろうとしたが、静馬さんの頑なな反抗により叶わず。静馬さんは星恩寺家と揉めるに揉めて絶縁されてしまった。
そんなことを考えながら、僕は志名さんに話しかけた。
「梨怜さんには会ったのですか?」
「うん、弟の夕馬くんも。あんなことがあったのに、梨怜さんはとても落ち着いていた。それに…。」
「それに?」
「いいや、何でもない。当分は本家に居るみたいだから、少しでも不便がないようにするよ。心の傷が癒されてくれたらいいなとも思うしね。」
志名は何だか嬉しそうにしていた。
珍しい。
そう思ったが、あまり深くは聞かなかった。
何故、志名が嬉しそうにしていたのか、その理由は翌日の式で分かった。
「本日はお忙しい中、父のためにご足労いただきありがとうございます。」
当主様と志名さんに支えられながらそう挨拶をした梨怜さんに僕は息を飲んだ。いや、僕だけではない。誰もが息を飲んだ。
彼女は今まで見てきた何よりも美しかった。
長いまつげに縁取られた、黒目がちの大きな目に、すーっと伸びた鼻筋に形の良い発色の良い赤い唇。絵画から飛び出してきたかのように整った顔立ちは非の打ち所がない。少し丸みを帯びたおでこにさえ美を感じる。陶器のように白くきめ細かい肌に触れてみたいが恐れ多くて触れてはならない気もした。光を吸収して輝いているかのようにくっきりと天使の輪を浮かばせている絹のような髪の毛1本1本にも非の打ち所がない。
そして極めつけが、彼女が纏う雰囲気だ。繊細で儚げで神々しくて、少しでも目を離したら彼女は消えてしまうのではないかと錯覚するほどだ。
失礼だと思いつつも、彼女から視線をはずすことができない。もう二度と彼女を拝むことが出来なくなる気がした。
彼女のガラス玉のような目がはっきりと僕をとらえた瞬間、何とも言えない高揚感が沸き起こった。
「千花、後が詰まるからそろそろ。」
志名さんの声で我に帰った。軽い挨拶をして、僕はそそくさと用意された席に座った。席についてから志名さんを見ると、彼は熱烈な視線で梨怜さんを見ている。心配や気遣いだけのものではない。あの視線は色恋のものだ。さりげなく梨怜さんの肩に置かれた手はまるで恋人のように優しく、自分のものだと主張している。だが、当の梨怜さんは心ここにあらずといった様子で参列者たちに機械人形のように挨拶をしていた。
当主様の影に隠れている少年も梨怜さんに倣ってペコリと頭を下げて挨拶をしている。どうやらあの少年が故人の息子、夕馬さんのようだ。
姉とは対照的に影が薄い。まぁ、それは梨怜さんが異様なだけかもしれないが。
顔立ちは整っている方だが、特別目を引くようなものはない。どことなく、当主様に似ている気がする。まぁ、叔父と甥の関係だからだろう。
特にこの星恩寺家は、美形の家系と言われるほど見目麗しい人が多い。そのせいもあって夕馬さんは平凡に見えてしまうのだ。
「半分しか血が繋がっていないなら、似てなくて当然か。」
僕はビクッとして後を見た。
「香夜さん!」
僕は咎めるように相手の名を呼ぶ。まだ、中学生に上がったばかりの本家の子供だ。
女の子と見違えるほどの中性的な顔立ちで、男の子にしては少し長い髪がさらさらと揺れる。
香夜さんはふーっとため息をつく。心底残念そうに。
「梨怜さんって、らるちゃんみたいじゃん。分かるでしょ?らるちゃん。」
分からない。俺は返事をしなかった。香夜さんはこんなきれいな見た目をしているが、美少女アニメのガチオタクだ。そのらるちゃんというのも恐らくはそういった類いのキャラだろう。
「相変わらず、気持ち悪いわ。香夜は。」
ぼそりと香夜さんの隣に座っている咲穂さんが呟く。
「僕の趣味をどうこう言われる筋合いはないね。咲穂姉さん。」
香夜さんは苦い顔で言う。
そんな香夜さんにも臆せず、咲穂さんはしれっとした顔で事実でしょ。と言い返す。
「咲穂姉さんもいい年してツインテールとか痛いんだけど。」
「私は似合ってるから構わないでしょ。それにまだ17歳だから。女子高校生よ?何したって許されるの。」
また始まった。2人が言い争い始めたので僕はそっと前を向いた。するとちょうどアナウンスが流れた。
「大変長らくお待たせいたしました。これより故星恩寺静馬さんのお別れ会を開式いたします。」
周囲がしーんとした。