149 空気読めない人もいるよね?
上条は自身の行動を深く後悔していた。
自分の知る世界が全てでは無いという事を……
この世界には触れてはいけないものが存在するのだという事を……
タラりと自身の背に、一筋の冷たい汗が流れていくのを感じていた。
じわりじわりと感じる、禍々しいほどのケントからのプレッシャー。
それは現実には物理攻撃力は皆無である。
しかし、上条にはそう感じられなかった。
鋭い剣で全身を滅多刺しにされたかのように感じていた。
「ちくしょう……なんだってんだ。こいつは化け物かよ。」
上条がぼそりと漏らした言葉が、上条たちの今の状況のすべてを物語っていた。
この空間を支配したのは紛れもなく探索者としては格下のケントだった。
「何者なんだ……。」
「俺か?それともラーのことか?」
ケントの白けた視線が上条に突き刺さる。
上条の構えた大剣は小刻みに震えていた。
今の上条の心情を表したかのように。
「すまないね。うちの上条が失礼をしてしまったようだ。」
剣崎は上条の武器を抑えながら、前に進み出た。
それと同時に、上条を自分の後ろへと下げさせた。
剣崎の行動に上条が抗議をしようとしたが、それはなされなかった。
剣崎もまた小刻みに震えていたからである。
上条の態度を謝罪しつつも警戒を切らせない剣崎。
その目には畏怖が色濃く映っていた。
「失礼ついでに俺の前から即刻消えてくれるか?不快でしかない。」
ケントはすでに感情を隠す気はなかった。
濃密な殺気がケントを包み込んでいた。
そこからあふれ出す殺気はこの空間の気温を数度引き下げているようでもあった。
『主よ、何をいきり立っておるのだ?気にするだけ無駄であろうに。粗奴らは粗奴らの世界しか知らなんだから仕方がなかろうて。』
『ケントさん落ち着きましょう?ってラーさん全く気にしてませんね。』
通路の奥から周辺警戒を終えたタクマと多田野が合流した。
多田野の指摘通り、ラーは我関せずとクッキーをぱくついていた。
その姿は先程までと打って変わって人形になっており、普通の少年と変わらない姿をしていた。
ただし、街中をぶらつくような軽装ではあるが。
『主~、何をそんなに怒ってるのぉ~?』
なんとも気の抜けたような声でラーがケントへと声をかける。
ラー自身自分が魔物扱いされていることについて大して気にかけている様子はなかった。
「ラーを侮辱したからね。さすがに看過できなかった。」
『ふぅ~ん。でもさ、僕は魔物で間違いないからねぇ~。それに、彼らは何も知らないんでしょ?だったら怒るだけ無駄じゃない?そんな事より主~、クッキー無くなった……。』
中身が無くなった袋をもの悲し気に見つめるラー。
逆さにしてぱさぱさと袋を振る様子は何とも言えず、空気が弛緩していく。
『ぷふっ!!くくくくくっ!!はぁ~~~っッはッは!!あぁ~笑った笑った……主よ。ラーは興味が無い様だが?』
あまりの出来事に笑いをこらえられなくなったタクマは、盛大に噴き出してしまった。
笑いに笑い、今にも腹が攀じきれそうになりながら、涙目でケントを諫めるタクマ。
しかし、その姿はいまだ笑いが込み上げてきていて説得力が皆無であった。
『それにケントさん。こんなのに時間をかけるだけ無駄ですからね?早くしないと間に合わなくなったら大変です。』
多田野もタクマに便乗し、このやり取りの落としどころを模索していた。
正直多田野もタクマも全く持って興味を持てずにいた。
二人で6人を相手取ったとしても負ける気がしていなかったからである。
その空気を察したのか、剣崎もそれに乗ることにした。
上条もまた解放されるなら致し方ないと考えていた。
ここに空気の読めないアホがいる事を忘れて……
「中村剣斗!!あなたは何者なんですの?!なぜ今まで力を隠していたのですか!?その力があるなら私たちだってこんな目に合わなかったはずです!!なのに……なぜ今頃になって現れるんですの!?」
そんな金切り声でまくし立ててきたのは梁井 明日香だった。
認めたくないという一心で……
自分の自尊心を守る為か、顔を真っ赤にしてその表情は鬼の形相であった。
「今頃も何も……。俺を追い出したのは他でもない〝難攻不落の城壁〟だ。文句を言われる筋合いはない。俺としては別にお前たちに助かってほしいとは思っていない。俺が助けたいのはカイリ達だけだからな。お前たちはついでのついでだ。わかったらさっさと帰れ。時間の無駄だ。」
親をも射殺さんばかりの明日香の視線を何ともないと軽くあしらうケントであった。
「まちなさ……ふぐっ!!」
くぐもった悲鳴と共にどさりと崩れ落ちる明日香。
その原因を作ったのは忍装束の佐助と呼ばれた男性だった。
明日香首筋に手刀を落としたのである。
「なかなか無茶するな。それで落ちるの漫画の世界だけだと思ってたよ。」
崩れ落ちた明日香を心配そうに見つめる遠藤 武志は今だ何が何だか訳が分からない様子だった。
自分たちが追い出したケントが、自分たちよりもより高い次元にいる事はなんとなく察することが出来た。
自分たちにとって雲の上の存在の〝氷炎の双牙〟の二人が震えているのだから。
「なんてことはないでござる……。気合!!」
そんな遠藤の事など気にする事もなく、何とも香ばしいポーズを決めながらスチャリと音がしそうなほど、見事に構えをして見せる佐助。
それを見たケントは既にやる気を失っていたのだった。
「すまないな。俺たちが責任をもって彼女も連れていく。助かった。」
そう言うと、剣崎はケントに向けて深々と頭を下げた。
恐らくいろいろと思うところは有るだろうが、今はここから脱出する方が優先だと判断したようだった。
「そうだ、これをやるよ。これがあれば脱出も楽だろ?」
そう言うとケントはインベントリから紙束を取り出すと、佐助に向けて投げつけた。
佐助も決めていたポージングからすかさず体勢を変えて綺麗にキャッチして見せる。
ターンを加えつつ……
「これは……。なんと!?ここまでの道のりでは無いか?!」
驚きのあまり語尾が普通に戻ってしまった佐助は、訝しんでいた剣崎にその紙束を渡した。
それを見た剣崎もまた、驚きを隠せない様子だった。
「これは……。ありがたい。これで脱出まで無駄に時間を費やす必要がなくなったって訳か。でもいいのかい?これがあれば一儲け出来るっていうのに。」
剣崎は受け取った地図を掲げ、若干の皮肉をケントへ投げかける。
ケントは何にも興味なさげな表情のままであった。
「あいにく金には困ってないからな。それに今回の救出で相当の報酬がもらえるからな。それじゃあ俺はこれで。気を付けて帰ってくれよ?あんたらが怪我したら俺の報酬が減ってしまう。あんたらの無事の帰還が絶対条件なんだからさ。」
最後まで悪態をついてその場を後にするケントに、剣崎は改めて頭を下げた。
上条はその横で不貞腐れていたが。
恐らく自尊心が傷つけられてしまったのであろうか。
その眼には闘志が漲っていたのだった。
『それにしても、今のは何だったのだ?強いとは思うが、あれが人類のトップクラスか?』
タクマはとても残念そうにそう話をしていた。
それを聞いた多田野は自分が知り得る情報をタクマに教えていた。
曰、彼らがトップランカーである事。
曰、タクマたちと人類の基本スペックが違い過ぎる事。
曰、ケントの〝召喚獣〟になった事の恩恵が大きすぎる事。
ああでもないこうでもないと、前方で話をしている2人を見つめていたケントは、本当に仲がいいなと感心していた。
その後ろをポヨリポヨリと付いてくラーに癒されながら、ケントは地味に焦りを募らせていた。
ここまでカイリ達の足取りが全くつかめていないからである。
やっとの事人を見つけるも、目当ての物でもなく、さらには情報すらない状況であったからだ。
「さらに先に進まないと……。カイリ……無事でいてくれ。」
ケントの呟くような願いはただただダンジョンに吸い込まれていったのだった。




