三五話 心の傷
俺はロザリアさんの容態の確認も兼ねてシャーネのいる部屋の前に来ていた。
「ゼオンだ。中にいるか?」
扉を叩いた。
返事は帰ってこなかったが、足音が近づいてくる音は聞こえる。
扉が開いた。
視線を下げるとシャーネが開けたことはすぐに分かった。
そして、シャーネはおそらくまだ痣が残っている俺の体を確認するように頭を動かした。
「痣だらけ。どうしたの?」
「侵入者が現れてな。これが結構強くて、ここまでやられた」
人間との殴り合いでここまで負傷するとは思ってもいなかった。
回復魔法を使って治してはいるが、まだまだ完治まではほど遠い。
「入って」
シャーネに連れられて部屋に入った。
そこには寝ているロザリアさんと隣に修道服を着た俺と同い年ぐらいのおっとりした雰囲気の女が座っていた。
女は俺に気付くと立ち上がって一礼してきた。
「はじめまして。私は聖女補佐のミミリィと申します」
「俺はゼオンだ。ロザリアさんの容態はどんな感じだ?」
優しい声をした女性だった。
聖女は教会が認めている最高峰の回復魔法を使える女性を指している。
今、聖女は一人しかいない。国の重要な役職に就いていることは知っているが、本当にこの宮殿にいるんだな。
「この方の容態は聖女様の治療により安定しました。あと数年は命の危険はないと思います」
「良かった。これで焦ってダンジョンに行く必要はなくなったな」
「うん。今日は中止?」
ロザリアさんの容態が安定していれば、死の危険を避けながらダンジョンに潜っても大丈夫だ。
「ああ、俺もこんなんだし。シャーネも昨日の疲れも完全には取り切れてはないだろ」
「分かった」
体が痛むし、今日は傷を治すのに専念するか。
といっても数時間はかかるかもしれないが、それまでは痛みに耐えなければいけないな。
「あっ。良ければ、手当をしましょうか? 一応回復魔法を使えます」
「じゃあ、頼む」
俺の回復魔法は独学で、他の人が使っている回復魔法を何となくで真似してみただけのものだ。
回復魔法はそもそも教会の専売みたいなもので、パーティーでは回復魔法を使う人間を聖職者と言ったりする。
レヴィとか規格外の天才なら、教会で修行をしなくとも回復魔法を使えるようになるかもしれないが、魔法の真似が得意な俺でも回復魔法の習得には時間が掛かった。
だが、それでも他人に使うことは出来ない制約付きだ。他人に回復魔法を施すのはどれだけの技術が必要なのか想像がつかない。
「傷の程度を確認したいので、服を脱いで貰ってもいいですか」
「分かった」
服を脱いで上半身を見せた。
あまり見たくはなかったが、肌の色が変色している。
ダメージで言えば、ハーモット達にやられた時よりは少ない。
だが、あの時は怒りに満ちていたからそこまで痛みはなかった。
今回の痛みは怒りを向ける相手もいないし、前よりも強い気がする。
「回復魔法を使いましたか?」
「ああ。自分にだけは使えるからな」
「なるほど、ちなみにどなたから教わりましたか?」
「師はいない。真似してみたらできた」
俺には特定の師はいない。技術は見て盗んでいる。
「そうですか。なら、言っておきますが回復魔法を過信してはいけません」
何かを警告しているんだろうが、俺にはよく分からなかった。
ミミリィは俺の胸の中心に触れた。
するとまるで浄化でもされているかの様に触れた部分から痣が消えて行った。
「この様に回復魔法は外傷は治せますが、心までは治せません」
確か、嫉妬の悪魔もそんなことを言っていた。
精神的なことは根性で片づけられると思っていたが、そうではないことは昨日の戦闘で嫌というほど思い知った。
「心の傷は環境と時間でしか治せません。あなたの傷は深刻です。常人でも三か月は必要な傷です」
「そんなに必要なのか!?」
精神なんて見えないものの回復に三か月もかかるなんて思いもしなかった。
疑わしいことだが、聖女補佐という地位の人間が言うことなのだから正しいのだろうとは思うが。
「後は環境次第です。安心できる状況であるほど心の傷は早く治ります」
「なるほどな。まあ、完治しなくても動きに支障はないから多少の回復でいいか」
肉体的なダメージは少量でも戦闘に影響してくるが、精神的なダメージは深刻な量がなければ戦闘に支障が起きることはない。
「それはそうですね。しかし、積み重なった心の痛みに後悔をしないようにして下さい」
「回復ありがとな。助かった。いくら払えばいい?」
「お金は結構です」
俺の回復魔法の比じゃない。なかなか治らなかった全身の痣を一瞬で治してくれた。
一人で治そうとしていたら傷の完治に数時間は確実にかかっていた。
普通なら、かなりのお金を請求されても可笑しくないような治療だったが無償でやってくれた。
この恩は忘れないようにしよう。
「私は一度戻ります。宮殿の教会部屋にいますので、ご用の際は来てください」
ミミリィが去っていった。
「ゼオン。寝て」
シャーネが開いているベットを指さした。
精神がダメージを受けていると聞いて俺を気遣ってくれているみたいだ。
別に今日はどこかに行くわけでもないし、ベットで横になった。
「端っこに来て」
「ああ。分かった」
何をしたいのかは分からなかったが、指示に従ってシャーネが触れたベットの端っこまで移動した。
立っているシャーネを近くで見上げた。
シャーネはゆっくりと俺の頭上に座った。
「ちょ。待て」
俺は急にされた行為に困惑した。
頭を太腿の上に乗せられた。
「寝て」
シャーネはそう言ったが、流石に罪悪感がすごい。
遥かに年下である未成年の相手にこんなことをされて、何も思わないはずがない。
だが、何か懐かしい感じがする。
どうしてだろうか。後ろめたい気持ちはあるはずなのに徐々に薄れていっている。
そればかりか、安心して眠たくなってきてすらいる。
こんな気持ちになったのは初めてじゃない気がする。
――――――
ゼオンがシャーネの膝元で眠った後、眠ったフリをしていたロザリアが起き上がった。
「その子は眠ったかい」
「うん。この状態なら余程の事をしない限りは起きない」
すぐに熟睡状態になったゼオンは二人が話し始めても反応を示さなかった。
「私にエリクサーを処方した子。目覚めた時にまさか、あんな大物がいるとは思わなかったよ」
「お姉さんが良くなってよかった」
「確かに私の病気はなくなったが、シャーネにとっては複雑な気持ちじゃないのかい」
シャーネは口を閉ざしていた。
「レヴィ・セリーンはこの世界で最強の魔法使いだ。彼女はおそらく孤独と向き合って来たんだろう。私は君の正体を勘繰るつもりはないし、例え世界を滅ぼす悪魔だったとしても、君の姉として君の味方になる覚悟はある」
「気になる?」
「ああ。勿論だとも。捨てられた赤子であった君を四苦八苦して育てて、そんな君にエリクサーを手に入れるという無理難題を吹っ掛けてしまった。この絆はお互いに深い楔を打ち付けたはずだよ。ある意味、思い人である君の秘密を知りたいという気持ちは強烈だとも」
シャーネは元気になって昔みたいに喋るようになったロザリアの姿に喜びはしていたが、それと同等に自分の置かれた状況を飲み込み切れていなかった。
「でも、私は君の嫌がる詮索はしない。冒険者としてそのぐらいの配慮は出来る。それに、きっとすべてが終わった時に教えてくれるだろうから」
ロザリアは再び横になった。
「私は病人であるフリをしないといけない。それが彼女との約束だ。きっと君たちの物語において私は脇役に過ぎないだろうね。だけども、その物語が終わったら私も君たちの仲間に混ぜてくれると嬉しいな」
悟ったようなことを言いながら目を瞑った。
なんでこんなことになったのか。シャーネは指が二本ない手でゼオンの頭を触りながら思い返した。




