第7話「驚愕、喋る豚」
元来召喚魔法とは先にも述べた通り、どちらかと云えば転移魔法に属する。
本来は別世界に住まう精霊、或いは召喚獣と呼ばれる動物に近い存在を現世に呼び出し使役する。
現世には居ない強力な生物をこの世界に召喚する事によって、通常魔法を遥かに越える魔力を得る事が出来る。
その威力の反面、通常魔法に比べれば圧倒的に召喚魔法は使用難度が圧倒的に高い事が唯一のネックではあった。
詠唱のみで即発動する魔法に対し、召喚魔法は精霊との意思の疎通が絶対条件だ。
一動作目召喚獣への命令。
二動作目召喚獣が魔法を発動待機。
そして三動作目で漸く発動。
銃に例えるならシングルアクションとダブルアクション程の絶対的な動作へのタイムラグが発生してしまう訳だが。
そのラグを差し引いても現代においては召喚魔法の方が重宝されていた。
召喚者の熟練度によって初動の遅れを補って余りある召喚獣の圧倒的な魔力。
高位の種族ならば並の魔術師程度の魔法など掻き消す事も出来るのだ。
通常魔法よりも召喚魔法が重宝されて当然と言えた。
さて、ここまでこの世界での召喚魔法の優位性を書いてきた訳だが。
それは勿論、召喚した精霊の能力あっての物であった。
もしも召喚した召喚獣が何の役にも立たないポンコツだったら?
もしも召喚した召喚士が無能なポンコツだったら?
その答えを見て貰おう。
「豚……、心の底から待ち望んだ私だけの精霊が黒い豚……」
卵から出てきた人生初の自分だけの召喚獣の姿を見たミューズは、その余りにも情けなく間の抜けた姿に絶望した。
ドラゴンや幻獣を思い浮かべていたのだ。それが出てきたのは黒い豚……。
理想と現実の落差に落胆する事しか出来なかった。
「お姉ちゃん違うよ、あの子ただの豚じゃない良く見て!」
そんな現実の厳しさに打ちのめされた姉とは違い、ワイズだけは召喚された豚の違和感に気付きそう叫んだ。
ただの豚じゃない……?
一瞬ワイズの言葉で光明が差したような気がした。
ただの豚だと決めつけていた。だが、ただの豚では無いと最愛の弟が告げている。
ミューズはワイズの言葉に促されるまま召喚された豚に慌てて視線を向けた。
すると、それと同時にワイズが続けてこう言い放った。
「あの子の背中! コウモリみたいな翼が生えてるよ!」
何とビックリ、黒い体に生えた黒い翼の為目立たなかったが。
確かに黒豚の背には翼が生えているではないか。
その事実に、ただ絶望に打ちのめされていたミューズは驚愕の表情を……。
「だから何だってのよ! 豚の背中に翼が生えてるからって何なの! 豚は豚でしょ! 私の初めての精霊が豚何てあんまりよぉ!」
浮かべる事は無く、所詮豚の背に翼が生えてるだけの事。
何の意味もある訳も無く、そう絶叫するとその場に崩れ落ちてしまった。
言われてみればそうか……、特に驚く事でも無かったな……。
ミューズの絶叫に思わず納得してしまうワイズ。
絶望に打ちひしがれる姉を励まそうと思って告げた言葉だったが、彼女の言葉通り豚と云う事実を払拭出来る程の話では無く。
寧ろ、彼女の失意を逆撫でしてしまったと浅はかな自分の言葉を恥じた。
「プギュプギュ」
そんな二人のやり取りを理解しているのかいないのか、件の黒豚はと云えば愛らしい鳴き声を上げながら。一心に自身の主となるミューズを見上げている。
その鳴き声に気付き、ワイズが豚に視線を移すと。豚は真ん丸とした大きなつぶらな瞳でミューズを見つめていた。
その姿だけを見れば何と愛くるしい豚なのだろう……。
見た目だけなら愛玩用のペットと見まごう程可愛らしく、攻撃目的で使役される召喚獣とは思えない姿をしている。
「ねぇねぇお姉ちゃん、この子すっごく可愛いよ。見てるだけで癒されるよ」
ミューズがその姿を見て失望した反面、ワイズの言葉通りその姿を見ると心が洗われたように癒された。
見た目だけなら確かに強力無比なドラゴンには劣る。
しかし、そんな武骨な姿をしているドラゴンには無い癒し効果がその豚にはあった。
それがせめてもの救いだと言わんばかりにワイズは頬を弛ませ、精霊の愛くるしさにだらしない笑みを浮かべながら姉に告げた。
ワイズの言葉を聞くとミューズは三度促されるまま黒豚に視線を移した。
すると彼女の視線の先には項垂れた彼女をつぶらな瞳でジッと見つめる可愛い豚が居るでは無いか。
ワイズの言葉の通り、その大きくクリクリとした瞳で見つめられていると癒されるでは無いか。
その見た目からは到底強力な召喚獣とは思えなかったが。
その容姿から発せられる癒し効果を得られると思えば、この黒豚でも彼女の精霊は良いと思えるようになって来た……。
「って何が癒し効果よ! んなもん戦闘において何の役に立つって言うのよ! ふざけんじゃないわよ! 私が欲しいのは比類無き力を持った強い精霊なのよ! 癒し何かじゃあの薄情な親どもを見返せないじゃないの!」
筈も無く、心の底から理想と現実のギャップを叫び散らし床を何度も殴り付けた。
そのミューズの言葉を聞いたワイズは思った。
だよね……、可愛いだけじゃ何の意味も無いよね……。
自身が姉に告げた言葉が、彼女の置かれる現状を打破する事が出来ない事に気付き。又してもミューズの言葉にただただ納得する事しか出来なかった。
今は何を言っても逆効果にしかならない。
そう悟ったワイズは姉をフォローする事をやめ押し黙ってしまった。
それまで唯一率先して口を開いていたワイズが黙った事で必然的に室内には重苦しい沈黙が流れた。
何を言っても無駄。どうフォローしてもミューズの失意を和らげる事は出来ない……。
ブラコン&シスコンの二人であっても彼女の溝を埋める事は出来ず。
厳しい現実に打ちのめされた姉を救う事が出来ない弟は、言葉無く地面に這いつくばった姉を見つめる事しか出来なかった。
「ふむ……、先程から聞いている限り。君は強力な精霊が欲しかったようだね」
そんな沈黙のみが流れる室内に突然聞き覚えの無い声が響いた。
「そうよ! そう言ってるじゃないの、何度も言わせないでよ!」
初めミューズはその声の問い掛けに感情剥き出しで答えた訳だが。
直ぐに違和感に気付き我に返った。
今の声は誰のものなの……?
無論自分で無いのは当たり前として、ワイズの声でも無かった。
身長が低く、声変わりを迎えてもまだ幼さを残す男とは思えないワイズの声に多少は近かったが。
その声は更に甲高く、まるで少女のように柔らかな響きであり。
更に言うならワイズとは全く違う落ち着いた口調だった。
突然室内に響いた声に気付き、驚いたミューズは誰かが部屋に侵入したと思い込み慌てて周囲を見渡した。
しかし、室内には彼女とワイズ、そして黒豚しかいない。
何処かに潜んでいる……。
嫌その割に声は直ぐ間近で聞こえた気がした。
ならばさっきの声は一体誰のものなのか……。
そう考えながら、ミューズは四度黒豚に視線を向けると。
「それは申し訳無い事をしたね。私も好き好んでこんな姿をしている訳では無いけれど、君にこの容姿のせいで要らぬ失望を抱かせたなら謝罪するよ」
眼前の黒豚は器用に口をパクパクと動かしながら人語を解すと、その言葉通り深々と頭を下げて陳謝した。
あぁ、何ださっきの声はこの豚が喋っていた声だったのか……。
その様を見たミューズは一瞬そう納得しかけたが、直ぐ様それが有り得ない事だと驚愕した。
無論豚が喋った事に驚いたのはミューズだけでは無く、ワイズも彼女と同様に口をあんぐりと開けて驚愕した。
「ぶ、豚が喋った!」
そして、一間を置いた後。二人はそう声を揃えて叫んだ。
無理も無い、1000年は続くこの世界の召喚魔法の歴史の中で人語を理解し発する事が出来る精霊など一度も見た事も無ければ聞いた事すら無いのだから。
嫌……、厳密には一つ喋る精霊の話を聞いた事がある。
但しそれは召喚魔法の黎明期、それこそ1000年程昔の話であり。
今の世では伝説と呼ばれ、語り継がれているお伽噺の中の事だった。
召喚士の歴史の中で喋る事が出来る精霊はただ一つだけ。
唯一無二にして、絶対的な力を持ち。今や神話として語られる女神ミューズが使役した召喚獣。
歴代最強と呼ばれ、お伽噺の中でしかその存在を誰も見た事の無い。
伝説の召喚獣、精霊王だけなのだから……。