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第27話「お前と会えて、良かったよ」-2

2,「違うの。嬉しいのよ」


 ジジがランタンを掲げ、荷馬車の荷をもう一度確かめていた。

「多分、これで全部ね。薪コンロは、そっちにあるんでしょう?」

「多少火力は落ちると思うが。昼に試したが、使うのに問題なかった」

「今日休みだし、ウチを貸し切っても良かったんだけど」

「人数が多いんだ。百人以上いる。酒保の他の店も開けるようだが、ウチだけが私の奢りだから、長蛇の列になるだろうな」

「蜜蜂亭、特別出店ってわけね。ああ、マスター、準備はいい?」

 ジジに声を掛けられ、ロズモンドが頷いた。

 クリスマスより一足早く、霹靂団の傍で酒保をやっている者たちに、宴を開いてやることになった。団員ではないが、霹靂団の普段の暮らしに娯楽と気晴らし、それに洗濯といった雑事を主とした、生活を支えてくれている面々である。彼らには折りを見て、個人的に礼をしたいと常々、アナスタシアは考えていた。酒保のまとめ役のデジレという女と話をし、平日アナスタシアが働いている蜜蜂亭のものを提供できないかという話になった。

 酒保で働く面々の何人かは蜜蜂亭に来たことがあるが、団員でない者たちが市壁の門を潜るのには足一本税、つまり一人当たり銀貨二枚の通行税が課される。可能なら、酒保の周りだけで生活を完結させる者も少なくないのだ。

「すみません、見習いの私が、ロズモンド殿を雇う形になってしまい」

「いや、たまには人に雇われるのも、悪くない」

 言って、ロズモンドは珍しく、含みのない笑い方をした。

 アナスタシアは御者台に座り、馬車を進めた。マロン川の波止場沿いにある蜜蜂亭と、同じく川沿いにある酒保は、実のところ真っすぐな道一本で繋がっている。番兵に軽く手を挙げて門を開いてもらい、アナスタシアはそのまま酒保まで馬を走らせた。日は、もうすっかり落ちている。

 酒保の近くでは、既に多くの女たちが、あるいは松明を掲げてアナスタシアたちの到着を待っていた。空き地の方では、大きな火が焚かれている。その中から一人、五十代半ばと年嵩の女が、娼婦たちをかき分けて前へ出た。酒保のまとめ役、デジレである。

「ああ、えらい荷物だね。荷下ろし、手伝おうか」

「何人か、頼む。壊れやすいものもあるから、気をつけてくれ。指示はこちらの、ロズモンド殿に従ってほしい。ロズモンド殿、こちらが顔役の、デジレです」

 ロズモンドが頷くと、デジレが闊達な笑みを添えて言った。

「今晩はありがとうよ、ロズモンドの旦那。ここいらのモンは、町の味付けに飢えていてね、共にクリスマスを祝ってくれること、重ねて礼を言う」

「ああ、今日は腕を振るわせてもらう」

 言って、ロズモンドは荷車の裏へと回った。

「どこか、不機嫌そうだね。やっぱり娼婦や洗濯女たちに料理を振る舞うってのは、気が進まなかったのかねえ」

「いや、客相手にもいらっしゃいませの一言も言わない、無愛想な御方なんだ。むしろここへ来ることを、楽しみにしているようでもあった」

「そうかい。ならいいんだけど。ほらお前たち、蜜蜂亭のお二人の、手伝いをしてやんな」

 デジレが言うと、訓練された兵のように、男女が散らばった。ジジはというと既に、顔を知っている何人かと、笑顔で言葉を交わしていた。名前こそ忘れることもあるものの、一度来た客の顔は決して忘れない、ジジならではの立ち回りである。

 アナスタシアも荷物を持ち、貸してもらった屋台へ向かった。薪コンロに火を入れ、手洗い用の桶を準備する。水は北の泉の澄んだものを、あらかじめ大樽にいくつも用意してもらっていた。

「アナスタシア姉ちゃん、今日はここでお料理するの?」

 娼婦の子供、おそらく父の名を知らないであろう一人が、物珍しそうにこちらに寄ってくる。

「ああ、今日は食べ放題だ。ちょっと早い、クリスマスだからな。鶏を、たくさん仕入れてある」

「ピーナッツもあるの? 蜂蜜味の。あれ食べたい」

「たくさんあるぞ。私が作った。あるだけ、食べていい」

 肉の下ごしらえは、既に蜜蜂亭で済ませていた。後は火を通していくだけだ。

 ロズモンドが、薪コンロの火加減を見ている。慣れたものでなくとも、ロズモンドなら上手く使いこなすだろう。衣のついた鶏肉を何枚か、油をたっぷり張った鍋に入れていく。

 美味そうな匂いにつられて、人が集まって来た。娼婦、洗濯女、酒保で働く男たち。霹靂団の兵舎には最近遊戯室も作り、外ではスポーツに励む者も出てきた。だが兵舎と調練場の往復では、どこか煮詰まってくる。町に出る者もいるが、給金は生活を保障している分最低限で、毎晩繰り出せる余裕はない。

 そういう時、兵の多くはこの酒保へと足を運ぶ。娼婦たちもいるが、彼女たちも常に春を売っているわけではなく、時にここの屋台で購買部にない物を売り、酒を出したりもしている。たまに大道芸人も来るが、そもそも楽器や歌の上手い者たちもいた。

「すまないね、私たちなんかの為に」

「らしくない言い方だな、デジレ。お前たちにはいつも陰ながら、助けられている」

「助けられているのは、こっちの方だよ。兵たちは皆、行儀がいい。あんたの指導が行き届いてるんだって、よくわかる」

「傭兵だ。調練時以外は、兵にあれこれ言うことはしてないよ。ただ、自分より弱い者は守れ。そのことだけは、何度か伝えてある。なので娼婦や洗濯女に手を上げるような者は、少ないと思う」

「そういういざこざがあったのは、最初の一ヶ月くらいだね。女と見れば、男というだけで意張り散らす。そんなクズは、元々ここには少なかったように思う」

「私という女の団長の旗の下に、集まった者たちだからな。女の下で戦えないとい者は、そもそも少なかったのかもしれない。内心そう思っている者がいても、周りの振る舞いを見れば、自然と合わせていくものだろう」

 アナスタシアが皿や食器を並べていると、ジジが飲み物の用意をしていた。付け合わせの酢漬け、油漬けの野菜も、すぐに出せるよう準備されていた。

 広場を囲む他の屋台も、何軒かは営業している。長椅子に座り、こちらを眺めているのは施療院のカルラとイーヴだった。手が空いた隙に、そちらに顔を出す。

「大分、出来上がっているな。カルラたちは、よくここに来ているのか」

「イーヴが、結構酒飲みでねえ、たまに付き合わされる。私は、一人ではあまり飲まないな。こういう場でも、軽いのを一、二杯さ。いいものを見つけた時だけ、しこたま飲む。旅暮らしで、出来た習慣だとも思うね」

「お酒強い人は、却って飲まないんですかねえ」

 カルラは少し頬に赤味が差している程度だが、イーヴの方は酔いつぶれる寸前に見える。いつもの柔和なものとは違う、ある意味娘らしい笑顔でこちらを見上げていた。

「蜜蜂亭の看板商品の一つ、蜂蜜酒を用意してあるんだ。今晩は酒保の者たち以外は金を取るつもりだが、一杯くらいだったら私が驕ってやる。お湯割がいい。温まるぞ」

「ここの連中に行き渡った後に、一杯もらうよ。イーヴが、それまで起きてられればいいんだけどねえ」

 広場の中央には、さすがに樅の木とはいかないが、人の背丈程のクリスマスツリーが飾ってあった。その横を抜け、アナスタシアは蜜蜂亭の出店に戻る。もう、肉は配られているようだ。チキンを乗せた皿を持った少女が一人、目を輝かせて長椅子の一つに座った。すぐにかぶりつき、たまらない笑みを浮かべる。

 ロズモンドが次々と肉を焼いていき、ジジが素早く付け合わせとパンを盛りつける。二人と違い、アナスタシアはまだ夕食を済ませていない。湯気の上がる肉は、思わず涎が出てしまいそうに、美味そうだ。

 ジジの手が忙しくなる前に、アナスタシアも飲み物の樽の前に陣取った。ビールか蜂蜜酒、客の要望に沿って注いでいく。子供には水かレモネードを出すのだが、実を言うとこの自家製レモネードには、鶏肉と同じくらいの原価がかかった。レモンはこの時期でもラテン諸国で収穫できるのだが、パリシからここまでの運搬費が、かなりかかったのだ。

 何人かが楽器を取り出し、焚き火の前で踊る女たちも現れた。楽士を雇ったわけではないが、本職の者たちも耳聡く、ここでの宴を聞きつけてきたのだろう。

「ああ、美味い。こんなに美味い鶏肉を腹に入れたのは、いつ以来かねえ」

 デジレが、アナスタシアの横に立って言った。瞳の光が、見つめる炎で揺れている。

「クリスマスプレゼントには、なったかな。当日じゃなくて、申し訳なく思うが」

「充分以上だ。酒保の誰もが、笑顔になってる。ここをまとめる身としちゃあ、これ以上のモンはないよ」

 言って、デジレは本当に嬉しそうに笑った。

「最近は、あまりここに立ち寄る機会もなかった。足りていないものは、あるか?」

「ないと言えば嘘になるが、あんたらは最高の商売相手だ。最近の中で一番助かったのは、医者にかかれるようになったことだね。娼婦たちが安心して仕事をできるようになった。過酷な仕事に変わりないがね、身体を壊した時に面倒を見てくれる、それもちゃんとした治療と薬まで出してくれる存在は、本当にありがたい。こういう場所に来る流しの医者は、大抵ヤブでね。が、あの二人は最高の医者だ」

「カルラとイーヴは、仕事でもよくここに来るのか」

「イーヴは頻繁に、カルラは週に一度くらいだが、どちらも呼べばすぐに来てくれる。あんたが命じたわけじゃないんだろう?」

「酒保の者たちも、団員と同じように扱ってくれとは伝えた。ただ団員じゃないので、何でも無料というわけじゃないのが、いささか心苦しいが」

「町の医者を呼ぶより、ずっと安い。ほとんど薬代しか取ってないんじゃないかね。何より二人とも、私らに親身だ。これが不思議なもんで、医者が呼べると知っただけで、持ち直した娘たちもいた」

「安心する、それだけで治る病もあるよな。不安で居続けることがそもそも、心身を蝕む」

 洗濯女と思しき中年女たちが、アナスタシアに礼を言いに来た。

「受け取っておくが、礼はロズモンド殿とジジにも頼む。二人とも店が休みなのに、これだけの料理を振る舞ってくれてるんだ」

 言うと、女たちは屋台の裏で鍋と格闘しているロズモンドの元へ殺到した。礼は後でいい、と言うべきだったか。ロズモンドは軽く応答しながらも、明らかに居心地が悪そうである。

「アナスタシア、あんたも。夕飯まだなんでしょ?」

 ジジが差し出した料理の皿を受け取り、ビールは自分で注いだ。

「食べたら、すぐに戻ってくる」

「あんたも、ゆっくりしなさいな。今日は私たちの、雇い主なんだしさ」

 軽く木のジョッキを掲げ、アナスタシアはその言葉に甘えることにした。空いた席を探していると、若い娼婦の一人が場所を譲ってくれた。

「団長、本当にありがとう。どうお返ししたらいいか、わからないくらいよ」

「アナスタシアでいい。団員じゃないんだから、対等に扱ってくれて構わない。にしても自分で供しておきながら、これは美味いな」

 夢中になって肉にかぶりついていたので、先程の娼婦が目の前で泣いているのに気がつかなかった。

「調子が悪いのか。すまない、やはりこの席はお前が座ってくれ」

 目を擦り、鼻を啜りながら、娼婦は答えた。

「違うの。嬉しいのよ。ここにいる人間以外が、私たちを気遣ってくれることが」

「気遣いなど、大袈裟だな。困っている人間に手を差し伸べるのと同じくらい、人が困らないようにするのも私の務めだ。その意味で、私はここの人間に充分目を配れていないと思ってる」

 娼婦は首を振り、そのまま駆けていった。

 それを見ていたらしいデジレに向かって肩をすくめると、彼女は蜂蜜酒のカップを傾けてから言った。

「あの子は、感じやすい。傷つきやすいが、喜びも人一倍感じるんだ。優しい子だよ。こんな所で、身体を売るような娘じゃない。食うに困ってるところを引き取ったが、娼婦は若い頃の私の様に、この身体で稼いでやるっていう、ギラついた奴の方がいいんだ」

「優しい人間ほど、損をする。全て戦のせいにはできないが、戦がそれに拍車をかけていることは事実だ。そんな世が、早く終わってくれればいいよな」

「戦が終わったら、あんたらの食い扶持もなくなるんじゃないのかい?」

「希望する者には、読み書きも教えている。仕方なく傭兵になった者も、少なくないんだ。身一つで食ってかざるをえないという点では、娼婦と似ているよ。ただこの百年戦争が終わるまで生き延びたら、兵には次の人生を歩んでほしいと思っている。私が酒場で働いているのも、次を考えてのことさ。それを兵たちに見せている。まあ、その後も戦いたい奴は、辺境伯領でもグランツでも、パンゲアを見渡せば、戦いの舞台には事欠かないさ。人間同士がこうまで長く一つの戦を続けているのは、ここだけだがな。死ぬなら、戦場で散りたいと考えている者もいて、そいつらには少しでも望む場所で散られるよう、同じように調練をつけてやるだけさ」

「そういうもんなのかね」

「人それぞれだが、大半は食う為に、傭兵になっている。生き延びる為に最も死に近い場所に身を置かざるを得ないのだとしたら、やはり間違っているのはこんな世の中の方だろう。おっと、こんな話を繰り返すのは、聖夜にそぐわないよな。興醒めしたら、すまなかった」

「いや、あんたとこうして言葉を交わす、それだけで励まされる人間も、ここには多いんだ。たまには、一杯やりに来てくれよ」

「そうするよ。私が来たら萎縮する人間もいるかもしれないと、遠慮している部分もあった。そうだ、女を相手にする男娼に伝手はないか? 男が女を買うんだ、逆があってもいいだろう?」

 言うと、デジレは大口を開けて笑った。

「善処するよ。質のいいのは、数が少ないと思うが、あんたら相手じゃ中途半端な奴は出せないな。ちなみに、あんたの好みはどんな感じだい?」

「精力が強ければ、見た目も年齢も問わないよ。巧い男なら、なおさらいい。パリシやゴルゴナに行く時には、たまに男を買ってるんだ」

「へえ。そりゃいい話を聞いた。あんたはこういうことに興味なさそうに見えていたが」

「性欲は、強い方だと思う。しばらくここに留まっているからな、自慰にも飽きてきたところだ」

 二人の会話を聞いていた他の娼婦たちが、どこか嫌らしい笑みを浮かべた。

「猥談は、またの機会にしよう。今晩は好きなだけ食い、飲んでくれ。荷車一杯に食材を運んできたんだぞ。残すと、全て豚の餌になる」

「ほら、まだ腹一杯食ってない連中もいるだろう。今晩は、アナスタシアの奢りなんだ。飲んで食らって、大騒ぎしようじゃないか」

 デジレが手を叩くと、酒保の者たちがまた屋台に並び始める。楽士たちも一層陽気に、楽器を鳴らし始めた。

 パイプを口に咥え、アナスタシアはそれをしばらく眺めていた。



 さすがに頭領の一人であると、マグゼは感じていた。

 人混みをすり抜け、その小さな丸っこい人影は、マグゼたちのいる旅籠へ向かっていた。その矮躯も、人間の大人たちの視線から逃れるのに一役買っている。こうして、たとえば今のマグゼのように高い場所から見下ろすと外套を羽織ってなお特徴的な輪郭ではあるのだが、太った子供か、背の高いドワーフに見えなくもない。町に溶け込む技量は、かなりのものである。

 その”無名団”三頭領の一人リュゼは、こちらを見上げて、目で頷いた。窓枠に腰掛けたままのマグゼも、あえて目線を逸らすことで応じる。中庭の扉を開けて旅籠の裏口へ入ったリュゼは、程なくマグゼたちのいる一室の扉を叩いた。

「すごいな、マグゼは。あれがそうだと思っても、真下に来るまで本当にマグゼかどうか、確信が持てなかった」

「大した変装はしてない。髪型をいじるだけでも、女は印象を変えられるんだぜ」

 三つ編みの先をいじりながら、マグゼは答えた。

「うわ、そこにいたのか、ゾエ」

「すみません。気配を消しているよう言われましたので」

 暖炉脇で彫像のように立っていたゾエが、大きな背を丸めてリュゼに頭を下げた。

「で、ここが先日聞いた、”囀る者”が狙ってるっていう、領主の町か」

「一応、囀る者の連中に誘いはつけてある。あたしがここにいることは、知らないはずだ。敵の忍びは確実にそうだと言い切れる者で、五人。おそらく十人から十五人は、この城下か、既に城に潜入していることだろう」

「それで、その狙われてる領主は?」

「城の自室に、籠ってる。今からゾエが、身辺警護に向かう」

 話している内にもゾエは、衛兵の格好に着替えていた。鏡台に座り、男に見えるよう、化粧を施していく。

「マイラや、それに準ずる使い手が来ることはまずないだろうが、念の為だ。まあマイラが釣れりゃあ、男爵の命は置いてでも、マイラを仕留めに行くがね」

「ゲクラン伯が西進を為す為には、二剣の地の諸侯の協力が必要、対するアングルランドはゲクラン伯に協力的な領主をあくまで中立に留まらせるか、最悪消すか、と。で、ここの男爵が消される筆頭ってことだな」

 今作戦の大枠について、リュゼはぽってりとした唇に指を当てながら、声に出して反芻した。

「アングルランドが爵位の高い奴を消せば、二剣の地が大騒ぎになる。場合によっちゃ、日和見を決め込んでる連中すらアッシェン側につきかねない。先日のカレーの件もあるしな。男爵くらいってのはそいつらを結束させず、かつ見せしめにも好都合な、アングルランドにとって消すだけの価値のある駒ってとこだな」

 マグゼが補足すると、リュゼは何度も頷いた。

 本来はマグゼとリュゼが姿をさらすことで、この暗殺計画を事前に頓挫させるつもりだった。囀る者にしても、敵の頭領と一番腕の立つ忍びが守りを固めたと知れば、無理をしてでも取りたい首ではない。ここを取らせないという姿勢一つで、あっさりあきらめられる首級でもあるのだ。

 が、先日のスピールとリュゼとの会談で、マグゼはここに一つ、罠を張ることにした。無名団は囀る者と表立って戦う姿勢を、既に見せている。そしてその無名団は、対囀る者との暗闘で、自分たちを利用していいと答えた。今後マグゼ率いる”鴉たち”と無名団が共闘関係を結べるかの試金石として、この地が舞台に選ばれたというわけだった。

 表向きは、マグゼとゾエが去って守りの薄くなったこの町に、無名団が突如来襲、囀る者を全滅させるという筋書きである。鴉たち主導の作戦であることだけが、伏せられていればいい。囀る者たちの逃げ道を完全に囲んだと確信できたら、マグゼたちも姿を現すつもりである。

「リュゼ、部下は何人連れてきた?」

「二十人。散らしてある。呼べば、五分以内に集結できると思う」

「上出来だ。通りを挟んで向かいの部屋の奴は、その一人か」

「そうだよ。マグゼは、本当に凄いなあ」

 この素直さは、正直やりづらい。

「ゾエが行ったら、一度全員集めてくれ。ゾエ、ちょっと化粧直す。まだ、女らしさが抜けてない」

 鼻の筋と顎を少し描き直し、マグゼはゾエを見送った。

「それじゃあ、リュゼ、総員集結だ。これから、具体的な作戦の指示を出す」

 頷いたリュゼは、窓の近くに立って短いポニーテールを結び直した。向かいの建物の男にも、それは見えていただろう。

 卓の上に地図を広げた後、暖炉に薪を足しながら、マグゼは無名団が集まるのを待った。およそ二十秒間隔で、二、三人組の男女が部屋に入ってくる。変装は職業を感じさせるものが中心で、ゆえに顔は素顔に近い。年齢が二十代半ばに偏り過ぎているのが気になったが、これがリュゼ直属の暗闘部隊なのだろう。この数の、まだ味方と定まっていない殺し屋たちに囲まれるのはいい気分じゃないが、情勢がマグゼを守ってくれている。殺すことはおろか、マグゼが臍を曲げただけでも、無名団が求める共闘関係は、ご破算となる。

「五分以内に、集まったな。これが、この町の地図だ。下水道は多少正確じゃない部分があるだろうが、別紙のこれとなる」

 二十人が一度に見るには、卓は狭過ぎる。交互に地図を見た忍びたちはしかし、一度で図面を頭に叩き込んだようだった。筋は悪くない。

「最大十五人。なんとしても囀る者の連中を逃さないよう、努めてもらいたい。集団で追いつめた連中は、あたしとリュゼで片付けることにする。特にあたしと接触、ないしは姿を見た者は、確実に消す。お前ら同様、逃げ足の速さは半端じゃない。門、下水道はもちろん、市壁のこことここは、鉤縄を使えば近くの建物から飛び移れる。この辺りにも、蓋をしてもらいたいんだが。あと男爵を通じて、今晩の当直の兵には、あたしらが動くことは伝えられる予定だ。夜警と、市壁の見回りをしている兵には、姿を見られても問題ないし、忍びと名乗れば潜伏を手伝ってくれる。どうだ、これで大分楽になったろ?」

「マグゼ様の配下も、この町に潜んでおられるんですよね。どこに何人いるか、一部だけでも教えて頂けますか」

 リュゼの部下の、一人が問う。

「左の中指の第二関節を、右の人差し指の腹で触れてくれ。今回だけの合図となるが、それを見て左の耳の裏側を掻いてる奴がいたら、それがあたしの部下だ。十人、町中を巡回している。どこに誰がいるかまでは、あたしも把握していない。敵の忍びに絶対ばれない自信があるなら、ウチの連中と軽い打ち合わせをしてくれても構わない。接触があるかもとは、事前に伝えてある」

 その忍びが頷くと、リュゼが言葉を継いだ。

「わかった。こちらの配置は、どうするんだ?」

「リュゼ、お前に任せるよ」

「ん。地図に印つけていいか」

 マグゼが頷くと、リュゼは朱のインクで何カ所かにアルファベットを書き込んだ。

「A、三。B、四。C、二。D、三。E、二。F、一。残り五人は、動く時にあたしと行動を共にしてくれ。合流せずとも、周囲にはいる形で。今は、向かいの旅籠にいてくれればいい」

 次々と地図を覗き込んだ忍びたちは、時間差を作って部屋から出ていった。

「アルファベットの後ろの数字が人数として、編成はいつ決めたんだ?」

「いつも、強い奴から順番。Aが最重要地点と見たので、そこから順々に編成しただけだよ。序列は決まってる」

「なるほど。あたしが配置しても、似たようなもんだったろう。お前、見た目と違って、仕事速そうだな」

「見た目って、何だよ。仕事ができないように、見えるか?」

「まあ、そうかもな。お前単品の強さはすぐにわかったが、指揮官としてどこまでってのは、実地じゃないとわからないしな」

 厚い唇を尖らせ、頬を膨らませるリュゼは、全身をコンパスで描けるくらいに、丸い。筋肉太りの体型に女らしい脂肪が乗り、太くて短い眉に丸い目、丸顔と、その矮躯も手伝って身体を丸めれば、鞠のように跳ねて転がってしまいそうに見えた。

「下の酒場から、何か飯持って来てくれないか。あたしの分は、人間の十歳の子供一人と見積もってくれ。お前は、好きなもん頼んでいい。あたしの奢りだ」

 純度の高い、アッシェン大銀貨を一枚投げる。それを受け止め、リュゼは素直に階下へ向かった。

「さてと、どうなるかねえ」

 窓の近く、それでいて向かいの部屋から見えない位置に腰掛けながら、マグゼは葉巻を取り出した。



 司祭の説教を聞き終えると、少し遅い朝飯である。

 日曜の朝は、オッサとブリーザの住民は、この山の上の教会へと足を運ぶ。病やどうしても手の離せない仕事が入っていない限り、つまり大半の人間はミサの為にここへ集まることになる。

 にも関わらず、今日は人が少なかった。シャルルのオッサ村は今風邪が流行っており、欠席者が多い。加えて、ブリーザ村の参列者も少ないのだ。何の気なしに教会の外に出て、西側の山道が、麓までが深い雪に覆われていることに気がついた。ブリーザからのその道はオッサに比べてずっと短いのだが、斜面の急な所が多い。普段は足の悪い、あるいは年老いた村民はおぶったり駕篭に入れて運ぶのだが、なるほどこの積雪では、それを断念せざるを得なかったのだろう。

 煮込みの入った大鍋を、司祭とジャンヌが運んでいる。若い助祭とアネットが、卓と長椅子を運び出していた。

「そちらの雪は、まるで溶けなかったみたいですね、叔父上」

 前庭の隅にいた、ドナルドに声を掛ける。パイプを手にしているが、それを口にしていない時でも、白い息をもうもうと吐き出している。

「山道だけ、残ってしまってな。レザーニュからの道の整備の依頼もあり、こちらまで手が回らなかった。日曜までにはある程度溶けると踏んでいたが、見込み違いだったよ」

「まあこの寒さじゃ、村に残った方が正解だったかもしれない。身体の悪い者は、風邪を引く。ウチでも、大分やらかしてしまいました」

「そうらしいな。お大事にと伝えてくれ。クリスマスまでこんな調子だったら、司祭の方からこちらに来てくれるそうだ。私の村には、信心深い者も多い。今日にしても、ミサに来れなかったというだけで、不安に感じてしまう者もいる」

 シャルル、ドナルド共に信心深い方だと思うが、戦時や他の用事で村を留守にすることが多い。毎週日曜は必ず決まった教会のミサに参加する、など不可能なことも多い。なのでミサに参加できないことで、心がざわつくようなことはないが、生まれ育った村と近隣の町しか知らない人間には、大きな問題なのだろう。

 ミサのある日の朝食は、教会の前庭で立食である。火災を防ぐ為に厨房で作られた鍋は一度外に出されるが、こんな日和では、皿を受け取ったらすぐに聖堂に戻ってしまう者も多かった。なので今日は外にいる人間はさらに少なかったが、普段は週に一度、ここに両村の者たちが一同に会し、様々な意見交換や、世間話をする。

 両村は仕事上の結びつきもあり、単に親交を深める穏やかな会話ばかりではない。特にドナルドのブリーザ村には現在専属の鍛冶職人がいない為、シャルルの村から貸し出す形になるのだが、その期間について、揉めることもあるのだ。というのもその職人はかつてはブリーザ村の職人の弟子であり、彼が死去した今、職人を戻してほしいという思いが、ブリーザの住人にはあるからだった。

 ただ激しい口論にでもならない限り、シャルルが村人たちの取り決めに口を出すことはない。

 焚き火の傍のそんな話し合いに参加する気にもなれず、シャルルは寒気に耐えつつ、前庭の端、誰も座っていない長椅子に腰掛けた。妻と娘のウジェニーは、聖堂の中にいるのだろう。

「火に当たらないのか? パンとシチュー、持って来てやろうか」

 配膳の手伝いをしていたアネットが、シャルルの様子が気になったのか、声を掛けてきた。

「すまん、頼む。それとお前と、二人きりで話したいことがある。手が空いたら、来てくれるか」

 従姉妹は軽く肩をすくめた後、わかったというように目を閉じた。色々聞かれなかったのは、やはりシャルルの雰囲気に何か感じ取ったからだろう。

 しばらくして、アネットが二人分の食事を乗せた盆を持って、こちらにやってきた。十字を切り、聖句を唱えてから、パンをかじる。隣りに座ったアネットは両手を組み合わせ、シャルルよりも長い祈りを捧げていた。目を開けたアネットは、もう少し詰めろと、尻でシャルルを押してくる。従姉妹だが、アネットとは共に両親を失った後にドナルドを親代わりとしてきた経緯もあり、歳の離れた兄妹のような関係である。

「あらたまって、なんだ。私と二人だけとは、叔父上にも相談できないことなんだな」

「ああ。前置きなしで始めるが、俺が死んだら、アネット、お前が俺の村を引き継ぐ形になると思うよな? 俺はその前提で、これまでやってきた」

「お前の方が、臆病だ。私より長生きすると思うぞ」

「歳は、俺の方が十二個上だ。病でも戦場でも、俺の方が早く死ぬという気がする。ただ、今は確率の話をしてるんじゃない。お前は、俺の村を継ぎたいか?」

 一族ゆずりのしっかりとした眉を上下させつつ、アネットはしばし考え込んだ。

「・・・希望というより、義務だと思っている。あえて確率の話に戻させてもらうと、叔父上の死後、私がブリーザを継ぐという形が、可能性としては高くないか?」

 ドナルドやシャルルの死が絡んでいるだけに、アネットの顔は神妙である。

「両村を、最終的にお前が継ぐ形になるはずだ。俺たち二人が死んだらな」

「何が言いたいんだ? 改まってこんな話をするんだ、理由があるのだろう?」

「ウジェニーが、村を継ぎたいと言い出した」

 シャルルの、一人娘である。

「つい先日まで、騎士になんてならないと言っていたんだが。どういう風の吹き回しなんだか、俺にもよくわからなくてな。気の迷いで、すぐにそんなものにはならないと、また言い出すのかもしれないが・・・」

「いや、ウジェニーは、頑固だ。一度言い出したら、聞かないんじゃないか」

「だよなあ。とりあえず、成人までは聞き流そうと思ってる。本当になりたいのなら、俺の従者になりたいとも言ってるはずだしな。それは、ないんだ。余所の騎士に修行に出してもいいが、チャンバラ遊びもしない子だ。一体、どんなつもりでいるんだか」

「父親のお前にも、心当たりはないんだな」

「なんとなくあるが、これは邪推になりそうだ。それに父親だからこそ、見せたくない何かもあるかもしれない。最近、ウジェニーと話したか?」

「挨拶程度だな。ここに来る時は、よくジャンヌと話しているようだし。避けられてる気はしないが、以前はよく懐いてくれたからな。単に頼れるお姉さん役が、私からジャンヌに代わったのだと思ってる」

「アネット、お前はなんというか、どこか考え方が男っぽいというか、昔からサバサバし過ぎてるんだよな。他人が自分をどう思うかに、あまり関心がないというか」

「別に、男らしいも女らしいも、ないだろう。が、最後の一言は外れていない気がする」

「いや、男っぽいとかは、俺の下らん偏見だった。淑女のお前から見て、この件をどう思う?」

「いちいち、言葉に棘があるな。まあいい、繊細な問題なので、お互い苛ついているのだろう。そうだな・・・」

 それ以上言葉を交わさず、二人は食事を終えた。アネットをその場に残し、シャルルは二人分の食器を片付けに行った。

 戻って来ても、アネットは手の上に顎を乗せながら、考え込んでいる様子だった。

「ちょっと、わからないな。ウジェニーがオッサを継ぎたいというのなら、私は身を引くよ。シャルル、もしお前が今晩にでも天に召されるようなことがあったら、成人までは叔父上か私が後見人になるが。ウジェニーは、ジャンヌの一つ下だったよな?」

「十歳だ。難しい年頃なのは、わかっているが」

「本当に難しいのは、もう少し後だ。ジャンヌがあまりに出来過ぎた子なんで、比べてそう見えるのだろう」

 ふと、以前にも思ったが、このアネットは、ジャンヌが叔父に恋していることに気づいているのか、知りたいと思った。が、それこそ聞くのは野暮である。アネットが気づいていないとすれば、この件について知っているのは、相談されたシャルルだけということになる。ただの片想いならよくある話だが、叔父とジャンヌには年齢差もあり、気軽に話題にしていいことではない。

 立場がまったく逆で、ドナルドがジャンヌに想いを寄せているのなら、話は簡単だった。年齢差を考えろ、せめてジャンヌが成人するまで待て、それまでおかしな真似はしないでくれと、諌めるだけでいい。が、事実はジャンヌがあの幼さで父親程の男に恋をし、ドナルドは彼女を子供としか見ていないことが、健全であるがゆえに問題を大きくしてしまっている。

 アネットもまだ子供の頃、まだ若いドナルドに惚れていた時期がある。今は、どうなのだろうか。そしてジャンヌの恋に、気づいてしまっているのだろうか。

 頭を振ってその考えは脇に置き、シャルルはあらためてアネットに向き直った。

「本当にオッサを継ぎたいのなら、まずは従者の修行を始めるのが筋だというのは、お前の言う通りだよな。父親がその手ほどきをするのが理想だが、何か思うところあるのなら、私が教えてやってもいい」

「またそういう話になった時は、頼む。知っての通り、口下手な子でな。どうも俺は、あの子のことが、特に最近はわからない。それにお前には、ウジェニーがジャンヌに懐いているように見えるのか」

 ウジェニーは今まさに、ジャンヌと焚き火に当たりながら、話をしていた。笑い声が聞こえてくるが、全てジャンヌのものである。

「どうもあの子は、ジャンヌに負けまいとしているように思える。実際、家ではジャンヌのことをあまり良く言わないんだ。悪口とまではいかないが、ジャンヌの話が出る度に、あの子はずるいだとか、特別扱いされてるとか、そんなことを口にする」

「ハハ、それは比べる相手が悪い。いずれは、大陸五強に数えられようかという、天稟の持ち主だぞ。私などすぐに、これは格が違い過ぎると痛感したよ」

「お前は、ある意味武を極めている。だからこそなのか、お前の性格もあってか、ジャンヌが自分より強いと、あっさり認められたんだよな」

「ジャンヌの強さが、わかる。それは私が必死に鍛錬してきた、成果でもあるしな」

「ウジェニーには、ジャンヌの強さがわからない。だからこそ、同年代の少女として張り合ってしまうのかもしれないな。実際あいつがジャンヌに勝っているのは、背の高さくらいだ。にしたって、ジャンヌが小さいだけで、あの子が特別大きいわけじゃない」

 並んで火に当たっている二人だが、知らない者が見たら、あまり似ていない姉妹、それもウジェニーを姉として見るだろう。

「ああ、今二人を眺めていて、ようやくお前の懸念が理解できてきた。ウジェニーは、本当にジャンヌと張り合おうとしているのかもな。それがシャルル、お前には心配でならない。ジャンヌがウジェニーに害なすことはないが、負けたと思う度に、傷つくのはウジェニーだろう。村を継ぐ、つまり騎士になりたいとは、その顕われの一つなのだろう。騎士という血筋は、ジャンヌにはないわけだしな」

「剣聖と元大陸五強の一人娘という方が、世間的には圧倒的に凄い血筋なんだがな、あいつにはどうも、ピンと来ないらしい。所詮は平民でしょって、どこぞの貴族の令嬢みたいにのたまいやがる」

「今は、見守るしかないんじゃないか。競り合う相手が悪過ぎるとしか見えないし、仮にウジェニーが悪い気を起こしてジャンヌと接しても、あの子なら軽く受け流すような気もするしな。友と思っているのなら、年相応に傷つくかもしれないが。本当はウジェニーも、ジャンヌがとてつもない存在と、気づいてるんじゃないか。鈍い子じゃない。遥か高みを競う相手と見定めることで、底上げされる自分はあるように思う。私も決して敵わないと知りつつも、ジャンヌと鍛錬することで、以前よりも格段に強くなった」

 シャルルが頷くと、アネットは話を続けた。

「私には、人の親がどういうものなのか、今ひとつわからない。両親は早く天に召されたし、私自身も人の親じゃない。だから父親としてのお前の苦悩がわかるはずもないが、見守って、行動を起こした時は、手助けしてやれ。そんなお前を、私も助けられたらと思う。村の後継については、私のことは気にするな。なるようになるし、ウジェニーが悲しまない結果を、その時に探してみるよ」

「わかった。すまないな、時間取らせて」

「シャルル、お前が死なないことが、全ての問題を解決する。ジャンヌもいつか、遠くへ羽ばたくだろう。だから本当に、死ぬなよ」

「ああ、しぶとく生き残ってやるさ。戦が近いんで、俺も神経質になってるのかな。アネット、あらためて礼を言う」

 笑って村人の方へ向かったアネットと入れ替わりに、そのウジェニーがこちらにやってきた。

「パパ、アネットと何の話してたの?」

「大人の話だ。それよりウジェニー、先日の件だが、俺の村を継ぐ気があるのなら、そろそろ従者の修行をしてみるか」

 娘はしばらくの間、手を後ろに組んで霜の降りた地面を見つめていた。

「まだ、いい。パパが死んじゃうのは、私がおばあさんになった頃でしょ?」

「ハハハ。それだとお前、その歳から従者の修行を始めるのは、キツいぞ」

 騎士として、レザーニュ伯から与えられた土地である。ウジェニーがオッサ村を継ぐには最低限、すぐに騎士となれる従者、ないしは家士の身分がなくてはならない。その意味で、シャルルが死んだ時には一族の家士であるアネットが適任というわけだ。ブリーザを治めている為あまりオッサに来れないドナルドと違い、身軽なアネットは、オッサの人間と叔父以上にいい関係を築いている。両村の橋渡し役にもなっているが、シャルルに何かあった時に、円滑にオッサを継ぐ下準備でもあり、村の人間もシャルルに何かあった時の後釜はアネットになるという、暗黙の了解はできていた。

「まあ、お前の好きに生きたらいい。その気になったら、いつでも言ってくれ。俺に教えられるのが気恥ずかしかったら、アネットか、叔父上の元で修行してもいい」

「私が騎士と結婚したら、オッサは私のものになる?」

「いや、その夫のものになるな。けど母さんのように、俺を尻に敷くくらいのことは、できると思う」

「そうかあ・・・従者のこと、考えとく」

「修行は、成人前後が一般的だ。まだ、四、五年の時間はある。ゆっくり考えてくれ」

 頷くウジェニーの姿を、もう一度見つめる。華奢で、さりとてジャンヌのように見た目に反した膂力があるわけではない。やや病弱で、日常生活には支障ないが、身体を動かすのは得意ではなかった。体型は妻に似ているが、癖のある黒髪と顔はシャルルに似てしまった。口角が下がっており、目つきもあまり良くない。細い顎とよく整った鼻梁だけが、妻に似てくれたか。

 その妻が人の輪から外れて、シャルルの肩に手を置いた。

「もうお開きみたいよ。今日は、体調が悪いの? いつも以上に、浮かない顔してる」

「いつも、それなりに浮かない顔をしてるってことだな。大丈夫だ。片付けを手伝ってくる」

 座っていた長椅子を持ち上げ、聖堂脇の倉庫へ運んでいく。ジャンヌが丸椅子をいくつか、両手に抱えているところとかち合った。

「おはようございます、シャルルさん。挨拶、まだでしたよね」

「そうだっけか。なら、おはよう」

「沈んでますねえ。相談に乗れることがあれば、いつでも。シャルルさん、私の相談に乗ってくれましたから、ちゃんと御恩はお返ししますよ」

「大人の、難しい話だ。お前を今更子供扱いしようとは思わないが、最低限家士になってからだな」

「ええー。知識としてなら、家士の仕事も理解してますよ。お二人を見ていて、騎士の仕事も」

「ま、いずれ話を聞いてもらうかもなあ。お前もほら、先日の王家の忍びとかいう二人の話によれば、俺たちよりずっと出世するだろうからな」

「あれは、話を聞いたってだけです。私、おじさんより上の地位になんて、つきたくないんで」

 周りに誰もいないことを確認し、シャルルはジャンヌの耳元で囁いた。

「それはお前、叔父上との恋が成就してからもか?」

「うえええぇっ! ちょ、いきなり、そんなこと言わないで下さいよぉ!」

 ジャンヌが抱えていた椅子を落とし、その音で遠くの何人かがこちらを振り返った。

「ひひひ。お前はやっぱり、わかりやすいよなあ」

「あわわ、い、意地悪ですねえ! そ、そういうことは、その時になってから考えるんです。私、まだ子供なんで」

 幼くたって、本気で恋はできる。かつて、はっとするような笑顔でそう告げた、あの日のジャンヌが懐かしい。あれから一年も経ってないのに、ジャンヌは心身共に成長している。

「お前には、時間がある。立派なレディに、成長してくれよ」

「な、何ですかそれ。もういいです。それ、貸して下さい」

 受け取った長椅子を片手で軽々と倉庫の奥へ押し込み、ジャンヌは手の平をはたいた。

「でも本当、困ったことあったら、言って下さいね。シャルルさんにも幸せになってほしいって気持ちは、私の本心ですので」

 ジャンヌが何かシャルルの力になりたいという言葉も、これが初めてではない。そして娘のことは、以前にも軽く相談している。あれがより重たくなっていることを、ジャンヌはひょっとしたら気づいているのかもしれない。先程も、ウジェニーと二人で話し込んでいたのだ。シャルルが助けを求めないので、ジャンヌとしてもどう動くべきか、逡巡しているとも考えられる。

「出来た子だな。気持ちだけは、受け取っておくよ」

 言うと、ジャンヌは困ったように眉を下げ、それでも笑顔を返してきた。



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