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第27話「お前と会えて、良かったよ」-1

挿絵(By みてみん)


1,「ガキだろうと何だろうと、人生はいつでも本番真っ最中ですから」


 首邑レヌブラントからバイキング島までは、目と鼻の先と言っていい。

 天気が良い時にはレヌブラントの波止場から北の海の果てにうっすらと、島影が浮かび上がることもあるのだ。

 が、島に着いてから湾内の波止場までは、レヌブラントを出てからここまで掛かった時間よりも、多くを費やすことになる。三日月型の湾内、西から入り島の中央にある東の港までは、ヨルムンの顎と呼ばれる浅瀬と岩礁の多い海の道である。実際に、ここを行き交う船は、神話の大蛇に飲み込まれるようなものだ。所々頭の先を覗かせる岩を目印に、水先案内人の小舟が、アドリアンの船を導いていく。

 ここに来るのは久し振りだが、かつてはよく訪れていた島である。バイキング島はその名の通りバイキングの末裔たちの根城であり、この湾以外は大型戦の出入りが難しい、不落の要塞であった。今でも島民に使われているバイキング船は、島のあちこちにある隠し入り江から、出入りできると聞いている。

「既にアングルランド側は入港済みとのこと。先程、水先案内人から聞きました、宰相」

「宰相か。一瞬、誰のことかと思ったよ」

 部下の報告に、アドリアンは口髭を引っ張りながら溜息をついた。そう、レヌブランで長らく空位だった新宰相に選ばれたのは、あろうことか自分だった。アングルランドの属国であった時代、レヌブランは政治の主導権をかの国に譲り渡していたのだ。

 アドリアンの家督、ルテル伯は長くレヌブラン領主に剣を捧げて来た。が、今やレヌブラン王となったバルタザールとは、昔から意見の衝突が多かったと思う。政治信条が異なるといった、複雑な話ではない。主戦派か穏健派かといった、単純だが、ゆえに決定的な溝が、自分とあの男の間には横たわっていた。

 レヌブランの有力諸侯の一人として当然、かの地がアッシェンの一部であった頃から、バルタザールが独立した王国を目指していることは知っていた。かつても、そして今回にしても、それを諌めた諸侯の内に、アドリアンも入っている。独立、すなわちアッシェン、アングルランド共に敵に回す格好になるかもしれない。長くレヌブランが両国の百年戦争の最前線であったことからもわかるように、この新王国は両国に挟まれた位置にある。

 まずどちらかと水面下で同盟の交渉を進めてからが最低条件という考えは伝えていたが、結局バルタザールは、教皇庁の承認だけで、レヌブランを独立した王国にせしめてしまった。

 すぐにアヴァランを落とし、アッシェンとの同盟に漕ぎ着けられたのは、ほとんど僥倖に近いとアドリアンは考えている。あの”弾丸斬りの”ジルが総督府からこちらに移籍するという、それこそ誰にも予測できなかった行動に出てくれたがゆえの、想定外が重なった幸運である。リチャード王の娘でありながら、ジルは父と上手く行っていないという話は聞いていたが、まさかバルタザールの懐刀として収まるとは、誰に予見できただろうか。レヌブランの人間であるアドリアンが驚いているのだ。他国にとっては青天の霹靂に他なるまい。

 ただその意味では、レヌブランという新しい王国には、良い風が吹いていると言えた。船乗りの迷信にすら同調しないアドリアンでも、それは肌で感じている。もっともジルの行動が誰にとっても予想外だとしても、彼女自身はバルタザールと行動を共にすると、胸の内で決めていたのかもしれない。あるいは新王の行動に打たれ、その場で留まることを決意したのか。事情を知らない者からしたら偶然に偶然が重なったように見えても、本人からしたら必然の積み重ねに過ぎないことは、ままある。

 ジルの話は置くとしても、バルタザールがそうできると踏んだ瞬間、行動に移すことも、本当は理解出来ていた。まだ四十代半ばのアドリアンと違い、バルタザールは既に六十近い。若い頃の猛将ぶりは目に焼き付いているものの、戦場に立てるのは五年、後方指揮に移っても十年が限界だろう。

 昨晩、ここに向かう前にバルタザールと謁見し、宰相の任を賜った。まだこの男は戦場に、それも最前線に立てる、アドリアンはそう思った。が、それも元が大陸五強に数えられても不思議ではない、傑出した武人だったからだ。さすがに、当代の大陸五強と渡り合って無事でいられるとは思えないが、バルタザールより強い者など、それこそジルを含めて、レヌブラン内ではまだ片手で数えられる程しかいないと思われる。最前線で戦っても、バルタザールの首を落とせる者は、そうもいまい。だがそれでも、全盛期に比べて明らかな老いは感じた。

 艦橋を出て、冷たい海風に当たる。少し、船酔いがきつくなってきた。乗船の機会が多いアドリアンだが、最初の三日くらいは、今でも船酔いに苦しむ。

 大きく息をついて、周囲を見渡す。武装したカラック船が二隻、水先案内人の先導もなく、こちらとすれ違う形で湾を出るところだった。国籍を示す旗もなく、バイキング島の船と見て間違いない。開拓地のどこかの海賊の船団に合流するつもりなのか、あるいは頃合を見て雇われた国の旗を掲げるのかは、わからない。いずれにせよここの船乗りたちは、この自然の罠が張り巡らされた海の道を、知悉している。

 バイキング島の諸侯はゴルゴナと同様、中立の勢力である。そして二剣の地の諸侯と違い、どの勢力にも積極的に力を貸す。バイキング島の総意としてそれがなされるのではなく、傭兵団のように、合意に至った船団や船長を、個別に雇うことができるのだ。

 アドリアンがこの島にやってきた第一の目的は、レヌブラン宰相としてアングルランドとの通商条約に臨む為である。レヌブランが浸食し、アングルランドもカレーという最大の港を占領した今、二剣の地が真の中立とは言えなくなり、交渉の場としてこのバイキング島が選ばれたというわけだ。

 そして、ここに来た第二の理由として、レヌブランの海軍を率いることができる、優れた提督の獲得があった。実のところ以前から知己の船長がおり、その者を通じてレヌブラントに出仕する以前、宰相就任を内々に申し付けられてからすぐに、交渉を始めていた。前金も、既に送ってある。

 通商条約で一国の代表を務めることよりも、実はこの第二の任についてこそが、アドリアンを悩ませていた。これには、多分に個人的な事情が含まれる。あれこれ悩んでも仕方ないが、これがアドリアンの性分だとも言えた。が、この歳になると、後は現場で臨機応変に対応した方が良い結果を生む、という経験則も身についている。無論、事前の準備を充分に済ませてからの話であり、この点で、第二の目的はことここに至っても、アドリアンを懊悩させていた。

「御息女との再会が楽しみであられますか、宰相」

 アドリアンの葛藤を見透かしたわけではあるまい、しかし別の部下が、実に屈託なくアドリアンに訊いてきた。この男はあまり船に乗った経験はないそうだが、船酔いはしないらしく、港を出てからもずっと血色のいい顔をしていた。

「いつも、会いたい気持ちと後ろめたさに、揺れている。嵐の中の小舟さ。転覆しないのが、不思議なくらいだよ。一国の宰相が、不甲斐なくも見えるだろうが」

「宰相は、柔軟な御方と聞き及んでおります。私などは上司から肩の力を抜けと言われることが、習い性になっております」

「今は、逆だな。そしてお前は、真面目なのだろう。そういう者が、組織を支える。私のようにいい加減な人間などは、どうして今頃中央に召し出されたのか、想像もつかないな。バルタザール陛下からは、煙たがられていると思っていたのだ」

「陛下は、昔から宰相のことを高く評価されておりました。自分に諌言できる、数少ない一人だと」

「お前は、陛下のお傍にいることが多いのだったな。あの御仁の仰られることは、あまり額面通りに受け取らない方がいい。良くも悪くも、裏のある御方だ。今回私を宰相などに就けたのも、苦言を呈し続けた、私への意趣返しかもしれないのだ。大体、戦を避けるべしと進言し続けた私を、戦乱の渦中に飛び込ませたのだぞ。実際、底意地の悪い御方なのだ」

 文官の男は苦笑しながら、髪を撫で付けて帽子を被り直した。

「陛下が、何故宰相をお気に召していたのか、わかったような気がします」

「ほほう。私にはまったく見当もつかないのだが」

「私を含めた多くの者は、陛下を仰ぎ見過ぎて、おいそれと意見を述べることすら叶いません。遠慮しているわけでも萎縮しているわけでもなく、陛下に全幅の信頼を寄せてしまうのです。なので不敬ながら陛下に至らない点があったとしても、それに気がつかないと思われます。しかし先日ヴィクトール様が宮廷に加わり、ゲオルク様、そしてジル様と対等な議論をされているのを見て、私は自分の至らなさに気が付きました。陛下は時に、御自らに意見を具申し、時に導く者が必要なのだと。私は陛下を万能と崇め、陛下が意見を求めている時も、その意に添うようなことしか口にできませんでした。そしてアドリアン宰相ならきっと、陛下の真のお力になれると、そう思った次第です」

「なるほど。確かに陛下とは臣従の立場を除けば、どこか兄弟分のような気もしていたしな。主としながらも、ただ仰ぎ見るような態度は取ってこなかったかもしれない。主従もまた契約の一つであり、私が臣従の義務を果たす以上、陛下も庇護の義務を果たすべしと考えていたのでな。あえてここでは、陛下ではなくバルタザール殿としたい。かの御仁とは、兄弟分ということで言えば、質の悪い兄と、出来の悪い弟分とも思っていた」

 文官が、大きく口を開けて笑った。役人ではあるが、レヌブランの男たちはどこか、闊達である。この素朴とも言える部下や民を束ねつつ、しかし油断ならないアングルランドの役人、忍びたち相手に独立の意志を隠し仰せたバルタザールの統率力には、あらためて舌を巻く。先程口にしたことは本音だが、同時にアドリアンは、バルタザールは一国の王に相応しい傑物であることを、充分に理解していた。

 それにしても、船酔いがひどい。今からでも酔い止めを飲もうかと逡巡している内に、波止場が見えてきた。船の数は多く、かつどれもが歴戦の風格を漂わせている。出航前だろう、いくつか上げられた帆にはそれぞれ、威嚇するような図案や、おどろおどろしい文様が描かれていた。

 波止場に降り立ち、何度か深呼吸をする。文官を主とした部下たちには先に、アングルランドとの会談が行われる、迎賓館へ向かうよう指示した。昼食後には、交渉が始まる。しかしアドリアンには、まだこの港でやるべき仕事が待っていた。

 港町を行き来するのは屈強な、そして物騒な気配を漂わせている海賊たちばかりだが、アドリアンに余計なちょっかいを出してくる者はいなかった。いかにも貴族然とした男が、供も連れず一人で港を歩いている。それすなわちどこかの船団の関係者か、客人ということである。手を出せば、マフィアの抗争にも匹敵する厄介事に発展することは、この島では常識になっていた。

 帆を下ろしていたので探すのに時間を食ったが、アドリアンは何人かの通行人に教えてもらいながら、なんとか目当ての船を見つけることができた。

「よう、アドリアン、あんたは変わらねえな。二年振りか」

 船首近くから顔を出した老船長が、落雷のような、大きなだみ声で言った。

「お互い、若くないんだ。二年くらいで、変わりはしないさ」

 荷の積み降ろしの喧騒に負けないよう、アドリアンも大きな声で返した。

「ハッハッハ、それもそうだ。待ってろ、今そっちに向かう」

 アドリアンも舷梯の傍まで行って待っていると、しばらくして老船長は波止場に降りてきた。片足が、義足である。それを感じさせない身軽さは、とうの昔に潮風に流されてしまっていた。

「船団と、お前さんとこの提督を任せられる船長、共に用意してある」

「その中に、娘は入っているか」

 努めて平静に話そうとしたが、語尾が震えてしまった。それをごまかす為に口髭を撫で付けていると、老船長は黄ばんだ歯をむき出しにして笑った。

「おうともよ。嫌な顔をするもんじゃない。あいつはお前のことを、どんな海賊の秘宝よりも、大切に想ってるんだぜ」

「嫌なことなど、あるものか。ただ、後ろめたさはある。わかるだろう?」

「わかるもんか。娘は、娘だろう。嫡子だ庶子だってのは、大陸の貴族どもの、下らん線引きさ。俺には五人の息子がいるが、母親は全員違う。正妻の子に至っちゃ俺の子種ですらないが、こいつが俺の船団の跡継ぎになるだろうよ。子は、子さ」

「羨ましい人生観だ。私も、見習いたいと思うよ」

 この老船長の船団に、アドリアン唯一の庶子、パールがいた。清廉潔白な人生を目指してきたわけではないが、世継ぎのことで後々揉めないよう、妻以外の女とは、避妊対策がしっかりしている高級娼婦としか寝てこなかった。唯一の例外がパールの母親で、若い時にこの島に訪れた際、今も胸を締め付けられるような熱情に衝き動かされ、床を共にした。妻を失ったばかりの頃で、心に空隙が生じていたことは、間違いない。

 貴族の結婚らしく妻に恋愛感情を抱くことはなかったが、人の好い女で、友情に強い結びつきは、強く感じていた。彼女を失った時、どんな友を失った時よりも、アドリアンは落ち込んだ。

 そこへ、おそらく子供の時以来の、恋を抱く女と出会ってしまった。島を出るまでの一週間は、罪の意識を感じながらもしかし、振り返るだに眩しい、あるいは初めての、遅れて来た青春だったと言える。

 子が出来ていたと知ったのは、娘が生まれて一年も経った頃だった。死の間際、手紙がアドリアンの元へ届けられたのだ。急いでバイキング島に駆けつけたが、彼女は息を引き取った後だった。生まれた娘パールを引き取ろうと思ったが、お家騒動になると家臣たちに止められ、パールの世話をしていた女たちからも、彼女はこの島の人間だと言われた。

 以来、書簡と数年置きにこの島へ訪れることで、アドリアンは父親としての義務を果たそうと思ってきた。せめてあの時、この子を頼むという一言でも残してくれれば、アドリアンはどんな制止の声にも耳を傾けず、パールを引き取っていただろう。どうしていいか逡巡し、かつ周りの意見に流されたことが、許せない。忸怩たる思いはしかし、自分への罰なのかとも思う。

「で、何の後ろめたさがあるんだ?」

 パイプを取り出した老船長の声が鼓膜を叩き、アドリアンは現実に返った。

「私は、パールを引き取るべきだった」

「子は、勝手に育つもんさ。食い物と寝床さえありゃあな」

「逞しいな。世の子供たちじゃなく、あんたがさ」

「養育費ってのか? お前は、あいつが育つのに充分な金子を送り続けた。だからパールはとっくに、自分の足で歩き始めているぜ」

「なら、いいのだが」

「お前は、あいつを舐めている。かわいそうなことをした、なんて思いが、その鋭いはずの目を曇らせているんだろうよ。パールはちょっと、モノが違うぞ。あいつは、海に愛されている」

「それはあんたら船乗りの褒め言葉の中で、最高のものなんだろうな」

「そりゃな。成人祝いに、あいつが欲しがってた船をやった」

「わずか十五歳で、船長になったということか」

 なるほど、親はいなくとも子は育つということか。自領で、あるいはここに残されたパールの分までと、息子たちの教育には心血を注いできた身としては、重ねて忸怩たる思いである。兵を率い、戦場で格好がつく程度には育て上げたが、息子二人に軍人としての才能がないことは、早い段階からわかっていた。末っ子の娘は運動自体が嫌いで、とても戦場に立つことなど考えられない。レヌブランは結局のところ、尚武の土地柄である。アドリアンにしても若い頃は戦の最前線に立ってきたからこそ、今の安寧にも似た暮らしを許されてきた面がある。今の息子たちでは、いずれルテル伯の地位は、名ばかりのものに成り下がるかもしれない。それを回避する為にも、地元の商人と組んで商いに励んで来た。金は、多くの物事を解決する。

 末っ子よりさらに下の、庶子の娘にこそ軍人としての才能が花開いたというのなら、皮肉としか言いようがない。あるいは一時の過ちと考えていた、しかし最も愛した女が生んだ子供が、ルテル家待望の麒麟児だったことになる。

「パールは、お前らに倣って端的な表現をすりゃあ・・・まあ、天才だな。俺の娘だったらと、つくづく思わされる」

「天才? 今誰か、私のこと呼びました?」

 積み上げられた木箱の影から、船乗り、それも士官の格好をした娘が、ひょっこりと顔を出した。

「パールか。大きくなった」

「パパ、会いたかったよお!」

 娘が、胸に飛び込んできた。その勢いに、よろけそうになる。肉付きはよく、もう女の身体になっていた。二年前に会った時は、本当にまだ子供の身体をしていたのだ。

「パパ、見て。これが私の船!」

 勝ってもらった玩具を自慢するように、パールは目を輝かせた。老船長の船と波止場を挟んで停泊している、大型船を指差す。

「ガレアス船か。にしても、大きい。これの、船長になったのか」

「私好みに、随分作り替えたんだよ。船名は、アリューシャン・レディ。ずっと昔に、私と開拓地の西の果てまで航海した船だよ。その時はもう少し、疲れた感じの船だったんだけど」

 外装を塗り直し、装備も一新したのだろう。目の前にそびえ立つガレアス船は、次が処女航海と言われても頷けるような、美しい船だった。老船長が、再び口を開く。

「俺の船だったが、しばらく前からパールに任せていた。雇われ船長が船主になったってだけで、ずっと前から、こいつはパールの船みたいなもんだったな」

 しばし、アドリアンはその船に見惚れた。帆を上げた時の、優美な姿を想像する。

「私が、というよりレヌブランが雇う船団には、お前も加わると聞いた。まさか、とは思うが」

「うん、その船団の提督、私がやるから。パパ、世紀の天才少女、パールちゃんの指揮に期待して。私が、パパとその海を守るから」

 口振りから、既に実戦の経験も積んでいると踏んだ。この子には人を殺してほしくないという思いは、海賊の島に娘を置き去りにした父親としては、もはや完全な独善だろう。

 少し目を離さざるを得なかった間に、娘はとてつもなく大きな存在になっていた。歴戦の老船長が、太鼓判を押しているのである。思い返すと、この男が人を褒めるところは、ほとんど記憶にない。

「大丈夫なのかと今更訊くのは、野暮というものなのだろうな」

「野暮どころか、礼を失するな。まあ、受け取る金以上の働きはするだろうよ。このアリューシャン・レディを含めた、十隻。アングルランドの海軍も手強いが、三十隻までだったら、こいつの率いる十隻で充分相手できるだろう」

「私の娘であることは、あえて考えまい。しかし熟練こそ能力である船乗りの世界で、この若さは」

「才能の土台となるだけの、経験を積ませた。それを不足と感じることは、まずないだろうよ。おまけにこいつはこれからもそれを積んでいける。若さという煌めきが、時に経験という老獪な海蛇に絡めとられることは、よくある。が、パールは若くして経験豊かだ。お前がこいつを心配する要素は、何もない」

「私も船に乗って長いが、それらは商いの道具として扱ってきた。護衛艦を指揮することはあっても、海上で戦になったことはない。そんな私でも、レヌブランではそれなりの立場になりそうでね、かの国は貿易で栄えた面も少なくないのに、本格的な海戦をこなせる者がいないんだ」

「そこはもう、私に任せて。レヌブランの船乗りたちも、ビシバシ鍛えちゃうから」

 その名のように目を一層輝かせ、パールは満面の笑みを浮かべる。たった、二年。この歳になるとつい先日のように感じるが、娘はこの二年だけでも、密な経験を積んできたのだろう。

「子供の成長は、本当に早いな」

 アドリアンの言葉に、老船長はパイプの煙を吐き出してから、鼻を鳴らした。

「血を分けた娘って意味で、パールを子供扱いするのは仕方ねえ。が、艦橋に入ったそいつは、お前の思うようなガキじゃないぞ。なあ、パール?」

「ですね。でもパパから子供扱いされるのは、全面的にオッケーです。パパは、パパですから」

「こいつはそれこそ正真正銘のガキだった頃から、俺に意見してきやがった。その言動に、この俺が助けられてきたと思ってる。ガキはガキなりに、よく考えてるってことも含めてな」

「ええ。ガキだろうと何だろうと、人生はいつでも本番真っ最中ですから」

「けっ、口が達者なところは、親父に似たか」

 言われたが、アドリアンは肩をすくめるしかない。

「パパ、帰りは私の船に乗ってって。約束だよ」

 娘に手を握られ、頷くしかなかった。この娘の望みは、可能な限り叶えてやりたい。血筋で、それを取り巻く環境に負けて、この娘を守れなかった。明るく振る舞っているが、重労働と重圧で心身共に壊れる者の多い海の生活で、つらいことの方が多かったことだろう。罪滅ぼしになるかどうかもわからないが、この娘の望みは、出来る限り叶えてやりたい。宰相となったことは、ルテル伯という立場よりも、ある意味自由かもしれない。仕事量は比較にならなくとも、行使できる力の範囲は、ずっと大きいのだ。そう考えると、宰相になったことも、悪いことではない気がしてくる。娘とその船団を雇うことは、国家規模の予算が動かせてこそである。

 老船長と別れ、パールと二人、港町の酒場で昼食を取った。この二年間の航海のことを、娘は料理を口に含みながらも喋り続けた。話を聞くだに、若年の二年間は、重たい。今も開拓地までの危険な航海を繰り返すパールの日々は、アドリアンのレヌブラン近海を行き来していた二十年ですら、比較にならないくらいの質の高い経験だった。

 酒場では時折、他の船の船長や、それに類する高位の船乗りたちが、パールに挨拶していた。余裕のある微笑と、軽く手を振って応える姿は、既に歴戦の提督のそれである。この娘を認めているのは、どうやらあの老船長だけではないらしい。

 名残惜しそうなパールと一旦別れ、迎賓館に向かう。約束の時間まで十分しかないが、資料については頭に叩き込んである。国の行く末を左右する重大な交渉ではあるが、後はなるようになるだろうと、アドリアンは考えていた。娘との関係性に悩むことに比べれば、損得勘定など些事に過ぎない。

 入室すると、交渉に臨む者たちの大半は、席に着いているようだった。長い卓を挟んで、両国代表が向かい合う。主な発言を行う者たちが前列、後列は書記と資料を司る者たちか。

「お待たせして、申し訳ない。ルテル伯、アドリアンです」

 宰相、と名乗るべきだったかもしれないが、慣れない呼称を言いそびれた。ただ些細な失策は、何食わぬ顔をして過ごすことで、大抵はなかったことになる。あるいは相手の心理を余計なことに振り向かせれば、撹乱にも繋がろう。少なくともアドリアンは、冒頭の失策など忘れることにした。

 先方の外務大臣、経済大臣と握手を交わす。中央に座っているのは、薄い金髪に、やけに冷たい目をした女だった。

「ライナス宰相の代理として出席させて頂きます。宰相付き秘書官、シーラ・クーパーと申します」

「あなたが。南の戦線で、活躍されたという」

「転属先のパリシ包囲では、敗れましたが。アドリアン様は、不思議な御方です。気取らず、物腰も柔らかいとの評判通りである一方、ここまで愛想笑いの一つもされていない」

「ハハ、そういうものは、どうも苦手でしてな」

「やっと、笑って下さった。なるほど、率直な御方なのですね」

「出世できなかったはずの、つまらない男です。自覚もあります。なので今回の沙汰には、ただただ戸惑うしかなく」

「一国の、宰相です。周囲の評価とご自身のそれに、乖離があるようですね。私は全く逆の意味で、そうでありました。軍に入った時から、自分はもっと評価されるべきだと」

「シーラ殿は今や、宰相の代理として一国の代表を務められるようになった。報われた、ということなのでしょうな」

「今は身の丈を超えているかもしれないと、恐懼する日々です」

 笑うと、シーラは最初の印象よりも、幼く見えた。二十代半ばだったか。心身共に充実し、かつこれから多くを学ぶ、人生の黄金期と言えるだろう。自らに期待し、その分絶望も味わう年頃である。アドリアンは、あまり自分の人生に期待を掛けてこなかった。ゆえに、絶望することもなかった気がする。凪の人生であり、それを望んできた。返す返すも、ここに来て宰相という地位につけられたことは、痛恨である。パールとの繋がりがなかったら、今からでも辞めたいくらいだ。

「まだ開始まで五分程ありますが、そろそろ始めますか。お互い、こういう話は早く済ませた方がいいでしょう」

 アドリアンが言うと、先方の面々も頷いた。形式張ったやり取りもなく、今後十年は両国の経済に大きな影響を与えるであろう、レヌブラン、アングルランドの通商条約の交渉が始まった。

 アングルランド側の担当官たちが、それぞれの品目、問題について、現状と希望を伝えてくる。アドリアンは目を閉じ、顎を掻きながら話を聞いた。全ての品目について記憶できるわけではないが、概ね、数字として二、三割はこちらに譲歩している形である。一部のものは五割に至るが、中央値は三割強と、アドリアンは捉えた。輸出入される品目と総量にはばらつきがあるので、いざ商いの始まった時の平均値では、三割弱かもしれない。ここまでの話、貿易は、黒字と赤字の分岐点近くを、行き来しそうだ。

 最大の焦点は、羊毛だろう。アングルランドがそれをレヌブランに輸出し、レヌブランが加工、アングルランドを含めた諸国に輸出している。そしてアングルランドは、その加工された羊毛を、諸国よりも安い値で逆輸入している。

 両国にとっての基幹産業であり、レヌブランを植民地としたアングルランドは、この十年だけでも相当の利を上げたはずだ。

 その、羊毛の話が回ってきた。二割程安い値を、アングルランドは提示してきた。そこで初めて、アドリアンは口を開いた。

「五割、でいかがでしょう」

「半額、ということになりますね。たやすく、承服しかねる数字ではありますが」

 先方の大臣が、幾らか怒気を含めて言う。

「長い目で見れば、両国にとって利のあることです」

「というと?」

 シーラが、身を乗り出してくる。

「この後、両国は開戦ということになるでしょう。こちらの羊毛加工に大きな利があれば、再びそちらが本邦を支配した時、莫大な富を得ることができます」

「こちらが勝つという、確かなものはありません。それにそちらが負けることすら、前提にしている。無論そのようなことにならないよう貴国が奮戦する中、こちらが勝つまでは損を出してまで、そちらの支援をしろと?」

 別の大臣が言う。シーラ以外は平時のことしか考えていない面々が多いように感じるが、戦に関した交渉ではない為、その布陣はある意味真っ当である。その意味で、戦を見越した判断のできる人間として、シーラが代表を務めているというわけだ。

「勝った方が、敗者の富を総取りできる。簡潔に言うと、そういうことですね。こちらが羊毛の値を渋っても、互いの得にならないと」

 シーラの瞳が、怪しく光る。乗ってくれたのか、その振りをしているのか。

「話が、早い。次に本邦が貴国に敗れた際、もう属国という中途半端な扱いにはならないでしょう。貴国は、本邦を併呑する。その際に、レヌブランの基幹産業が青息吐息では、占領地の立て直しも、容易ではありますまい。現状の羊毛仕入れ値は、本邦が貴国の植民地であればこそ、成り立つ値です」

「それにしても、一気に半額とは。貴国がアッシェンの一勢力に過ぎなかった時でも、そこまでの値ではなかったのでは?」

 経済大臣だったか、その男が不満を顔に出しながら訊いてきた。

「関税が、ありましたからな。それはアッシェン本国の管轄で、レヌブランとしては思う程の利は上がっていなかったのですよ。ですが今は、アッシェンという国を挟まず、互いが平らな所から値を交渉できる」

「それでは、話が逆だ。関税をかけないというのなら、もう少し値を上げて買い取って頂かないと」

「ですから、これは初めからこちらに利のある話なのです。そして長い目で見れば、アングルランドに莫大な富をもたらすかもしれない。儲けさせてくれ、いずれそちらのものになるのかもしれないのだから、が私の話の要約です」

「本気で言っているのですか。羊毛加工を、我が国で賄ってもいいのですぞ。そうなったら、困るでしょう。そしてそれだけの産業力が、我らがアングルランドにはある」

「蒸気の街、ロンディウムでそれをやられますか。今以上に紡績工場を建てることは、貴国には容易でしょう。が、その余力があるのなら、別の産業や軍備に力を入れるべきでは? アッシェンとの南の戦線は、いずれ間引くにせよ、その戦線一つ片付けるのにも、金子はいりましょう。そして引き上げてきた兵を食わせるのにも、金はかかる。貴国は、常備軍を抱えていますからな。食料生産を基調とした、内需の拡大。貴国が次に為すべきはそれと、私は愚考致しますが。最新技術への投資と、製造品の販路開拓。この状況で貴国がそれを為せるのなら、ええ、我々も新たな産業を模索するとしましょう。人手が、余りますからな」

 そもそもアングルランドは、急激な発展をし過ぎた。資本の移動はこちらの忍びを使っても外殻しかわからなかったようだが、相当な投資が、それも外部からあったはずである。国を股にかける大商人からの借金か、あるいは特定の資本家に対して借款が発行され、手広くかき集めたのかまではわからないが、そろそろ貸し手たちの資本の回収が始まっている頃合である。端的に言って、今のアングルランドは見た目の国力や軍事力に比して、手持ちの現金がない。慎重と推測される宰相ライナスの性格からいっても、ここでさらなる借金は避けているはずだ。

 突然の、二剣の地最大の港カレー占拠は、その意味で目くらましの意味も込められている。あれを見て、アングルランドに余力がないと見る者は少ないだろう。軍事的にもあそこに楔を打つことは理にかなっており、いよいよライナスの次の一手が始まったのだと、各勢力は戦々恐々としているに違いない。が、あれは余裕のなさと、アドリアンは見ていた。おそらく最後まで取って置きたかった手札の一枚を、この局面で切ってしまっている。諸国を牽制し、同時に資本家たちにアングルランドの財政は安泰だと錯覚させる。実に巧い手だと、アドリアンは思った。そして巧い手だからこそ、アドリアンはライナスの心理が読めた。

 もう少し、自分が早くレヌブランの宰相とは、属国だった当時の状況が許さなくとも、中央に近い位置にいればと、アドリアンは思う。無名団と呼ばれる忍びは、かなりの部分、アングルランドの経済状況の探りに振り向けていたことだろう。バルタザールは独立、その後の戦の想定に、力を割き過ぎた。もっとも彼の性格から当然の動きであり、本人が戦上手であることも、どこかで最後は戦が決めるという戦略を立ててしまうことに、拍車をかけていた。独立、そして最後はアングルランドとの決戦という部分に意識が向き過ぎており、そのことに自覚があるからこその、別の視点を持ったアドリアンの起用なのだろう。無論、ノースランドの叛乱を影で支援、かつ教皇庁との密約を取り付けるなど、バルタザールとその幕僚たちの仕事ぶりも、誰もその独立を予測できなかったという点で、高く評価できる。

 バルタザールがアドリアンを宰相にしたのは正しい判断であり、ゆえに舌打ちしたくもあった。独立をなそうがなすまいが、穏やかな老後を準備していたアドリアンにとっては、人生計画の破綻とも言えた。やはり、後はどれだけ早く宰相を引退できるかだ。

「こちらの内情を、宰相はよく把握しておられるようです」

 シーラが言い、アドリアンはまだ実質的な数字の裏打ちに乏しい、アングルランドの財政に関する予想が当たっていたことを確信した。負けず嫌いなのだろう。知られているなら無理に隠さず譲歩してやろうという賢しい姿勢が、ただの推論に、実体にしか映し出せない影法師を与えてしまっている。

 若いな、とアドリアンは思った。その若さを、眩しくも思う。

「すまん、一本くれるか」

 隣で紙巻き煙草を取り出した文官の一人からそれを受け取り、火を着けた。

「吸われるのですか。ああ、議題から逸れてしまって申し訳ありませんが」

「ごく、稀に。もらい煙草ばかりで、周囲からは煙たがられているかもしれませんな。煙草だけに」

 シーラが、冷たい仮面を脱ぎ捨てて大きく笑った。冗談が面白かったわけではもちろんなく、この男がこんな場面で、という意外性に、肩の力が抜けたのだろう。笑いとは概ね、緊張から弛緩への、意外性を隠し味とした流れの移行である。

「さすが、バルタザール王が居抜きで宮廷の中央に据えられた御方です。正直、手玉に取られていると感じました。当方も、ライナス宰相自ら、こちらに出張って頂く必要があったでしょう」

「なんの。ライナス殿なら、この辺りまで見越していると思いますよ。宰相としての、年季が違う。私こそ、手玉に取られていたでしょうね。このような国の行方を左右する場に出るのすら初めてで、こう見えて手の震えを抑えるのに必死なのです」

 アドリアン自身の話で落とし、シーラの意識を少しでもライナスから離す。シーラが自らとライナスを比較し、やはり力及ばずと思いを馳せた途端、先程こちらが仕掛けた陥穽に気づくかもしれない。この女の視線は、あくまでアドリアンに引きつけておくべきだった。シーラの方がわずかにアドリアンを上回っている、という印象は、この会談が終わるまで保っておきたい。いずれは、冷静になってやり取りを振り返り、その失策に気づく時もあるだろう。が、それは今ではない。

 それにしても、とアドリアンは思う。このシーラというライナスの懐刀は、頭がいい。頭のいい人間ほど思考の罠に掛けやすいものだが、先方は先方で、それをこちらに仕掛けている可能性もある。アドリアンという人間を探りに来た分だけ、こちらの仕掛けが早かったということだ。アングルランドの財政状況はいかがですか、と最初に切り出して、大臣たちの反応からそれを推測しても良かったのだが、このシーラが中央に鎮座していた為、アドリアンも慎重に構えざるを得なかったというわけである。羊毛の値から切り込みを始め、搦め手でそこに至るしかなかった。

 ここでも、アドリアンが中央とあまり関わらなかったことが、活きている。属国時代に要注意人物と目を付けられていたら、ここで機先を制することはできなかっただろう。なぜ半ば隠居のこんな男が、とシーラがアドリアン自身の観察に注意を割いてくれたことが、何より大きい。とすると、あるいはバルタザールが、ここまで見越して自分を宰相にしたような気すら起きてくる。今もって、あの男は肚の底が読みづらい。

 そしてここまでアドリアンの手が上手く嵌ると、あるいはシーラがここに来た真の理由は、アドリアンをよく見ておけという、ライナスの指示なのかもしれないとも感じた。もしそうなら手札をさらした分、後々こちらが押し込まれるようなこともあるだろう。

 ただそれはあくまでアドリアンの手札であり、そして自分はそう長い間、宰相の地位に身を置こうとは考えていなかった。三、四年で、勤めは果たしたと言えるだろう。早く隠居したいというのもあるが、そもそも強い権力など、一人の家臣が長く持ち続けるものではないだろうとも考えていた。強過ぎる権力は、それ以上に強い志でも持たない限り、自分と周囲をいずれ腐らせる。アドリアンは、どんな力を得られようと、そうした人間になりたくはなかった。

 王だけは別だ。バルタザールは国の頂点であり、それに伴った責任を背負っている。叛旗を翻した独立である。アングルランドに敗れれば、命はない。

 その日の交渉は、概ねアドリアンの想定通りに終わった。あと数日、細かい部分を詰めていけばいい。道筋を今日中につけられたので、後は後進育成の為にも、アドリアンは余計な口を挟まないつもりでいた。この後多少押し込まれようと、レヌブランの未来を担う者たちへの、勉強代と思えばいい。

 議場を出て、文官たちと控え室へ向かっていると、その一人が顔の汗を拭いながら言った。

「宰相、よくあの場で涼しい顔をしていられましたね。私などは、圧倒される思いでした。特に、あのシーラとかいう代表は・・・」

「こちらを、値踏みしていたな。そういう役割で、ここに来ていたのだろう」

「宰相は、あの女の蛇のような目が、気になりませんでしたか」

「美人だな、と思っただけだ。そして寒村出身とは思えないくらいに肌が透き通っていて、あの経歴は本当かと目を疑ったくらいだ。化粧も熟れていたし、蝶よ花よと育てられた令嬢でも、あのような浮世離れした雰囲気は出せないだろうよ。貧しい漁村では、さぞかし浮いた存在だったろうな」

 そのまま迎賓館に用意された一室に泊まり、一夜を明かす。

 翌朝、アドリアンは再び、一人で港へと足を伸ばした。年末の港町はどこでも一層混み合っているものだが、バイキング島のそれも例外ではない。いかつい港湾労働者たちにぶつからないよう、前日の波止場を目指す。

 点検なのだろうか、風のないこともあってか、その船には一枚だけ、帆が張られていた。帆立貝の図案である。舷側にはアリューシャン・レディと銘打ってあり、船首像は見たことのない、ビーバーに似た動物が、腹の上に乗せた貝に石を振り下ろそうとしている、奇妙な形状だった。

「あの動物が、気になりますか?」

 どこからともなく、少女の声が聞こえる。山と積み上げられた木箱や樽の一つに、隠れているのだろう。

「初めて見る。アリューシャンは、あの広大な開拓地の、さらに西にある島々だったな。そこにいる、動物なのだろう」

「子供の時に見ました。ラッコっていうそうです。海に浮かんでお腹の上に乗せた貝を、石で叩き割って食べるんですよ。頭のいい動物ですね。それとラッコの使う石は適当に拾ったものではなく、気に入った石を、ずっと使い続けるんです。普段はお腹の横にあるポケットのような隙間に、その石を大切に隠し持っていて」

「ほほう。世界は、広いな。動物も怪物も、この世界にはどれだけ膨大な未知が潜んでいるのだろう」

「それより、どうしてここへ?」

「この船の船長をやっている、頭のいい少女と、朝食を共にできればと」

「へえ、どれくらい、頭がいいんです?」

「天才。一言で言えば、そういう娘だ」

「天才? それならきっと、私ですね。パパ」

 昨日と同じようにひょっこりと、パールが木箱の陰から顔を覗かせる。

「朝食は、いつもどこで取っている? おすすめがあれば、一緒に」

「もちろん! ついて来て下さい」

 肩に届くかという赤銅色の髪を踊らせて、パールは港町へと向かった。時折振り返り、こちらを手招きする。

 行き交う人々の波の中、その背中を見失うまいと、アドリアンは必死に後を追った。



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