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第21話「この戦の勝利こそが、北の動乱の狼煙となろう」-4

4,「怪物だ。怪物であり過ぎる」


 砦に、替え馬が用意してあったらしい。

 東西の砦から再び姿を現した騎馬隊は、もう一度こちらの軍に向けて、猛烈な速度で迫っていた。

 城からは、投石機による散発的な攻撃が、兵を次第に浮き足立たせていた。飛んで来るのは人の頭ほどの石で、当たる可能性は低い。それでも宙高く打ち出されたそれがまともに当たれば、人馬ともに無事ではすまない。城外で陣を組んだ部隊は、的としては大きい。なので敵の投擲が多少不正確でも、どこかしらには当たるのだった。一発ごとに部隊の誰かが戦闘不能になるか、運が悪ければ、死ぬ。踏みとどまって隊列を組んでいる兵たちが落ち着いていられないのも、仕方のないことであった。

 後方に控えているエドナだが、本隊の東西に、南北に走る長い溝を掘らせている最中だった。そこに、虎の子の長銃隊を配置するつもりである。が、今回の敵の突撃には役に立ちそうもない。敵はもう、見える所まで近づいてきているのだ。

 ウォーレスの鬼神のごとき強さは弾丸すら避けてしまうのではないかと思ってしまうが、彼がいくら桁外れの強さを誇っていても、その兵まではそうともいかない。ともかく今は、ウォーレスの兵を少しでも減らしていくことだった。

 歩兵の多くは、南門への攻城に当たらせている。ウォーレス、セイディの操る騎馬隊相手では、ほとんど無力に近い。特に、徴用兵だ。正規軍だけの部隊を組織し、対ウォーレスの専門部隊でも編成するか。ともあれ歩兵の半数以上を攻城に当たらせているのは、その潰走が味方を巻き込む危険があるからだ。こんな消極的な理由で部隊を展開させることになるとは、いくらウォーレス相手でも、想定外であった。

 まだ浅い銃兵用の溝を飛び越え、エドナは麾下五百騎で先行した。今回は攻城前の野戦を予想し、通常の攻城戦ではそうそう編成しない、騎馬二万を用意した。自らの用心深さを内心笑っていたエドナだったが、想定とはまた違う形で、これだけの騎兵が必要となった。ウォーレス相手ではどれだけ用心しても、杞憂に終わることはないと、あらためて痛感する。

 もっとも、他の兵のような恐怖は、エドナにはあまりない。武人として向こうが一枚上だとしても、エドナがやるべきことは変わらないし、それがわかっていれば、自然と覚悟は備わる。まだエドナの気持ちが波立つ程に、決定的な場面に出くわしているわけでもない。

 半数の一万騎が背後に集結する前に、エドナは麾下の五百騎だけでウォーレスの進路に立った。号令一下、突撃を開始する。

 英雄の表情が確認できる前に、疾駆する馬上で、エドナは弓を構えた。五矢、同時に放てるエドナ独自の技である。向かってくる風。頬に受ける。無心で、矢を放った。

 中心にいたウォーレスを除き、四人を同時に馬上から消した。

 ウォーレス。互いの速度を考えれば、ほとんど目の前にいるといってもいい。再び、五本の矢。ウォーレスだけに、斉射を集中させた。

 戟の一振りで、ウォーレスは三本の矢を払いのけた。二本が命中したが、具足の肩甲で跳ね返されている。致命的な矢だけを払い、後は具足の強度に任せた格好だ。互いが近づく速度、そしてほとんど視認できないほどのエドナの矢の速度を全て足せば、矢の速さは銃弾に近いものと思われた。これで、半ば確信する。ウォーレスは、銃弾でも倒せないのではないか。

 そうと知れたところで、まだエドナの気は澄んでいた。集中しているのだろう。なにか時間の流れを、ひどくゆっくりしたものに感じるのだ。まだ、一矢放てる。そんなことを、冷静に判断できていた。

 かつての大陸五強”掌砲”セシリアは、弾丸を避けられたという話だ。だがそれは射線と銃口から弾丸が発射される機を正確に予想したもので、”弾丸そのもの”を避けていたわけではないと聞く。セシリアの仲間の吸血鬼テレーゼは、そのまさに超人的な動体視力で、弾丸そのものを避けたとも聞いた。

 ウォーレスは人の域にあってなお、それを成し遂げられはしないか。怪物であることは、初めて本気の矢を彼に放ったことで、確信した。そのウォーレスは今度こそ、目の前にいる。

 五矢ではない、渾身の一矢。馳せ違い様に、ウォーレスの胸を狙って放った。一瞬、目の前を稲妻が走る。放ったエドナ自身ですら見えていなかったが、高い金属音は、おそらく矢が弾かれたことを意味するのだろう。

 エドナはそのまま馬の背に仰向けになり、続けざまに矢を放った。全て、駆け去るウォーレスの背後に向けてである。何度か檄が振り回され、叩き折られた矢が宙を舞う。小さくなっていくウォーレスの姿は、一度もこちらを振り返らなかった。

 身を起こしたエドナは、今度こそ笑った。怪物だ。怪物であり過ぎる。あれを戦場で仕留められる者など、この世には存在しない。

 エドナの五百騎と、ウォーレスの千騎。今の激突でも互いにほとんど犠牲を出していないようだが、わずかな陣形の乱れから、寡兵ながらもこちらの方がわずかに優勢だったことがわかる。ウォーレスという突き抜けた存在はさておき、兵の練度ではこちらが勝っている。エドナ麾下の五百騎はそれこそ、ウォーレス自身に鍛えてもらった精鋭なのだ。

 溝を飛び越え、あるいは迂回した後続の一万騎も、ウォーレスに突撃の構えを取った。一部隊にまとまらず、各部隊の判断で間断ない攻撃を加えるよう、事前に指示してある。ウォーレスの戟の届く範囲に立ってしまった者は運がなかったと思ってもらうしかないが、そこの犠牲には目をつぶって、まずはあの騎馬隊の数を減らすことだった。ウォーレスの首が獲れるかは、その先の話でいい。

 やはり、ウォーレスが率いているのは彼が自領から引き連れてきた、麾下の兵ではないらしい。懸け合いで、すぐにそうとわかった。大半は、セイディの方へ回している。本陣の西からの攻撃はラッセルに任せたが、あちらは苦戦を強いられていることだろう。

 もっとも弟とて、先程ウォーレスの一撃を受けて、なお生き残った者である。父リチャードのトロール並の再生能力こそないが、多少の傷では死なない程の、並外れた頑健さがある。劣勢でいい。局地的な負けでもいい。何とか残った部隊を瓦解させず、城攻めの歩兵の背後を取られなければ、充分戦果である。兵力差は大きい。小回りがきく分、散々引き回されるだろうが、こちらを壊滅させるだけの兵力はない。

 一万の騎馬。エドナは細かい指示と各将校の判断を織り交ぜつつ、最小限の動きでウォーレスの包囲を図った。千騎でこちらの包囲網から逃れ続けるウォーレスの部隊は、いずれ脚を使い切る。消耗戦に持ち込めば、こちらにも勝機はあった。十倍の兵で敵を追いつめることに、後ろめたさはない。本来兵の犠牲は最小限に抑えたいエドナだったが、今は違った。当代最高の武人を討ち取るのに、兵の損耗など気にしていられなかった。

 騎兵のほどんどは、諸侯の子弟か、騎士、家士たちである。ノースランド人を蔑み、嘲笑う者。今、ノースランド人を殺せる絶好の機を与えてやっているのだ。口先だけでないというのなら、喜んでウォーレスの前に立ちはだかるだろう。

 ウォーレスとまともにぶつかった部隊から三つ、ほとんど同時に、馬体ごと両断された肉の塊が、宙を舞った。



 さすがはエドナだと、ウォーレスはあらためて思わざるを得なかった。

 エドナ自身がこちらに向かってきた時は好機と思ったが、やはり簡単に首を獲れる相手ではない。一瞬でも明らかに間隙となる状況を作らない限り、アングルランド軍元帥の首級を得られそうもない。近かろうが遠かろうが、エドナは常に、ウォーレスの戟の届かない範囲にいた。そしてあの、必殺の矢が飛んでくる。

 気のせいか、あるいは初めて殺し合う駆け合いをしているからか、今日のエドナには以前には感じられなかった、嫌らしさがある。ほとんど、犠牲を気にする素振りも見せないのだ。これは、練度の低いノースランド騎兵を率いているウォーレスにとっては、少し堪える。預かったノースランド兵は、できれば最小限の損耗に留めたい。そう思っていることを見透かされてか、やや無謀とも取れる敵の突撃はしかし、ウォーレスに傷一つ付けなくとも、その兵を確実に削り始めていた。

 先頭で駆け、敵兵を吹き飛ばしながら、ウォーレスは活路を探った。こうして最前線で戦っているが、一応ノースランド軍の総大将である。直接、首を狙ってくる者も少なくない。味方を庇って戦うにも、限界があった。

 敵本陣は、丘の立ち並ぶ山間の一つから、わずかに突き出た形で構えられている。こうしてウォーレスが駆け回っている間も、あの場では工兵が必死に、攻城兵器を組み立てていることだろう。既に破城鎚が南門に張り付いているが、あれ以上の攻撃は阻止したい。陣の手前でも、工兵が塹壕を掘っているのが見えた。エドナが今回どれだけの銃兵を連れてきているのかわからない以上、本陣に東西から近づくのは、多少の工夫が必要となるだろう。敵を潰走させて盾にするのが一番だが、エドナの指揮は巧みで、先程からいくつかの小部隊を崩しているが、そちらに向けて逃走するような部隊はない。

 丘は膝丈程に突き出た岩が多い悪路で、この練度の騎馬隊が一息に駆け上るには不安がある。必要があれば、セイディがあの場所から逆落としをかけられるだろう。セイディの部隊には、ウォーレスの麾下を多く編成している。ウォーレスが今率いている部隊なら、丘は大きく迂回して南から本陣を狙ってもいいが、待ち構えている部隊があった場合、こちらの脚が残っていなければ、格好の餌食となる。それ以前に、東の砦に撤退する以外で、エドナが自分をたやすく逃がすとは思えない。

 まだ北西の砦に温存しているラクランの騎馬隊を、どこで使うかが思案のしどころだった。戦が長引いて良いのなら単にその機ができそうな時に指示を出せばいいが、ウォーレスが狙っているのは、速戦である。できれば一両日中には、総攻撃で敵を撃破したい。ゆえに、使いどころが難しい。ラクランを出す時は、戦を一気に決める時である。

 とにかく早めに決着を着け、ノースランドの同盟者が、最初の一手を打つ布石としたい。距離的に彼らが直接ノースランドに援軍を派遣してくれるかは微妙だが、あの場所にアングルランドに敵対する勢力が立ち上がれば、間違いなくあちらに多くの兵を分散させざるをえない。今後はノースランドも、ここまでの兵力差で戦わなくて済むはずだ。実際かの同盟者はアングルランドにとって、ノースランド以上の脅威となるだろう。

 今後も、アングルランド相手の戦は続く。最後の一戦がノースランドの実質的な独立となるだろうし、そしておそらくその戦が、最も厳しいものになる。そして今のこの一戦は、振り返っておそらく二番目に苦しいものとなるだろう。五倍の兵力差の相手にただ勝つのではなく、極力速戦、それも圧勝という形を作らなければならないのなら、尚更だ。

 ハイランド城の兵。そしてティア自身に危険が及ぶことになるかもしれないが、ウォーレスは一旦、敵の攻城兵器の破壊は諦めた。城壁に取り付く敵の秩序の破壊に、まずは注力する。

 それにしても、エドナが敷くウォーレスに対しての包囲網は、執拗である。対峙する部隊の向こうに、もう一部隊配置することを徹底していた。それも、わずかにずらした形で、仮にウォーレスたちが目の前の敵を潰走させても、突破先で側面を衝かれることになる。この一週間の特訓で騎兵はなんとかウォーレスの指揮についてこれるようになっているが、兵自体の強さが伸びたわけではない。気心の知れた麾下数十騎は手元に残してあるが、それはほとんど隊形の維持に費やしている。側面を衝かれ、一時的にも乱戦となれば、大きな犠牲が予想される。ウォーレスも鍛えたアングルランドの騎兵は、生半可な相手ではなかった。

 戦場の指揮に迷うことはほとんどなかったが、珍しいその一戦が、今のこの場であった。エドナの戦巧者振りが、咄嗟の判断をさらに難しくする。特に今回は兵の犠牲を厭わない采配で、確実にウォーレスを追いつめつつある。

 エドナは公正で理想を求める指揮官でありながら、いざという時にそれに拘泥しない、柔軟さがある。アングルランド軍の頂点、軍人の全てを束ねるに、やはりふさわしい度量だった。戦の有り様ばかり考えていたウォーレスとは、器が違う。ウォーレスにとって最上の上官であり、その最強の矛となることに、何の疑問も抱かせなかった将。ティアの決死の訴えがなかったら、ウォーレスは今もアングルランド最高の軍人と呼ばれることに大した疑問も抱かず、ただ目の前の敵を倒していただけだろう。今は斬り飛ばした敵兵の後ろに、その堂々とした姿が見える。赤い髪が風で広がり、その姿はいつも以上に大きく見えた。

 エドナはウォーレスを命の恩人と呼び、師とも仰いだ。ウォーレスがその役割を演じられたのは彼女が若く、軍人に成り立ての頃だけだ。当時からウォーレスは彼女に、総司令の資質を見出していた。それも歴代で最も優れた、アングルランド軍総大将。その予想は今ここで、現実となっている。

「一度、砦に戻る。このままでは、馬が保たない」

 既に三百近くは討ち取り、こちらの犠牲は最初の馳せ違いでエドナに射倒された四名を含めても、おそらく三十人に満たない。だが一度足止めを食らっただけでも、この千騎は一気に瓦解する怖れがある。この短時間で驚く程の激戦と、消耗を強いられていた。つい先程馬を替えてきたばかりなのに、どの馬も脚を使い切る寸前である。

 遥か遠く、西側に目をやる。敵兵の戦列が厚くほとんど様子はわからない。が、芝が多く大地も湿っているこの戦場にも関わらず、野火の様に土煙が立ち上っていた。セイディも、相当な激戦を強いられていることがわかる。セイディの身を案じたが、よほどの敗走を強いられない限り、娘が傷つくことはないと思い直した。剣の腕だけで言えば、この戦場でウォーレスの次に強いのは、セイディである。

 敵部隊をかわしざま、部隊を一つにまとめ、先頭で敵の包囲の一番薄いと思われるところを突っ切った。そう思わせるエドナの罠であることを承知でウォーレスは馬を止め、側面を衝こうとする部隊の前に立ちはだかった。とにかく、向かってくる敵兵を突き飛ばし、馬体ごと押し返す。ここまで血の雨を降らせればまず間違いなく敵は尻込みするものだが、今向かってきている部隊は、目に尋常でない光を宿し、ひたすらにウォーレスの首を狙っていた。仕方なく、そして容赦なく、槍ごと敵の首を刎ね、あるいは両断する。

 自部隊が駆け抜けるのを待ち、ウォーレスも最後尾に合流した。殺気。感じた時には、戟を振っていた。五本の矢は一瞬でも感じ取るのが遅かったら、いずれもウォーレスの急所を射抜いていたことだろう。

 振り返るともう、エドナが既に次の矢をつがえていた。



 ひしゃげた兜を脇に抱え、ラッセルがこちらに馬を寄せてきた。

「斬られずに、済んだようだな。セイディの部隊は、どうだった」

「やはりあちらに、本来のウォーレス軍が集中しているようです。姉上こそウォーレス殿相手に、よくぞご無事で」

「まともに打ち合おうとは、思わないさ。調練でも、五合以上打ち合えたことがないのだ。実戦では、三合と保つまい」

 おそらくこのアングルランド軍七万で、最も強い武人は、エドナ自身だろう。そのエドナですら一合目を全力で受け止めても、二合目で剣なり槍なりをへし折られ、三合目で首を飛ばされる。最もウォーレスと調練を重ね、彼本人に鍛えられてきたラッセルですら、一合で馬上から払い落とされたのだ。彼の持つ業物の大剣を叩き割り、そのまま薙ぎ倒された。ここにいるどんな腕自慢の将兵でも、ウォーレス相手では一撃で殺される。運のいい者だったら、腕の一本や二本で済むといったところか。

 ウォーレス軍の猛攻により、陣もかなり乱された。攻城に向かっていた部隊も消耗が激しく、一度下げさせる。いや、今日はここまでかと、エドナは思った。日の短い季節ではあるが、もう夕の帳が戦場に落ちかけている。

「少し、軍全体の動きが鈍いな」

 ほとんど独り言だったが、副官の一人が応える。

「ウォーレス殿の強さに、やはり衝撃を受けているようです」

「そうか。確かに、ウォーレス殿の強さを身に沁みて知っているのは、ここの大半というわけではないのだな」

 今思えば、ウォーレスが他部隊と実戦形式の演習を行う際、相手になっていたのは大抵、エドナかラッセルの部隊だった。南の戦線では多くの者が手合わせただろうが、この軍に南を経験している将兵は多くない。ウォーレス相手に、あるいは指揮下で調練を重ねたような猛者は、今も南の戦線を主戦場としている。

 歴戦のキザイアやその副官だったソーニャ、あるいはセブランとまでは言わない。戦前予期した通り、この軍にはエドナやラッセルの他にも、核となる指揮官が必要だった。

 先日マイラと話した”爆弾娘”アンジェリアなら、素質だけなら問題ない。実戦勘を、どれだけ取り戻せるか次第だった。

 いずれこの軍と合流したら、毎日でも調練をつけてやるつもりだった。アンジェリアも、それを望むだろう。矮躯で童顔だったが信じられないほど負けん気が強く、食事を共にすることが多い仲であったにもかかわらず、エドナにいつも敵愾心を燃やしていた。思い返すとエドナの軍歴において、ウォーレスやライナスのように背中を追いかける存在か、面倒を見なくてはならない部下が、人間関係のほとんどだったように感じる。軍に入った頃には、アンジェリアが唯一の、同じ目線の好敵手だったといっていい。競い合っていた士官候補生時代はつまり、エドナの短い青春だった気がする。

「ウォーレス殿の気に当てられて、浮き足立っているのだな。もっと、どっしりと腰の据わった戦がしたかったのだが・・・」

 一応、緒戦とはいえここまでは、エドナの想定に近い展開にはなっている。ただ最初の一手は、ウォーレスに不意を衝かれた。あの時の勇姿が兵の目に焼き付いているとなると、そういったごく小さな綻びが、やがては拭いがたい恐怖感に繋がってしまうかもしれない。城門からウォーレス本人が出てきたところまでは、ほとんど影響はなかった。実際、目撃できていない兵が大半だったろう。が、ラッセルが倒され、その重騎兵隊がほとんどウォーレス単騎に蹴散らされたのは、まずかった。この頃には多くの兵がウォーレスの暴れ回る様子を見ていただろうし、その噂は尾ひれを付けて目視できなかった兵たちの間を駆け回っていることだろう。

 騎兵は貴族の子弟が、つまりノースランド人に憎しみを持つ者が多く、皮肉にもそれが士気に繋がっている。が、徴用兵や、逆に都会育ちが多い正規軍の兵はさほどノースランド人に対するおかしな感情がない分、恐怖や、逆に憧れといった、気持ちの揺さぶりがあったということだ。

 華々しい戦果を上げるのが騎兵でも、やはり歩兵なくして、戦は成り立たない。その軍の多くを占める歩兵におかしな影響があるとすれば、今後の攻城戦を戦う上で、思わぬ誤算が生じても不思議ではない。

 犠牲の報告を上げさせた後、軍議用の幕舎に、主立った指揮官をすぐに集合させた。風が強く、天幕を揺らす音が間断なく耳を打つ。

「夜襲への警戒は、問題ないだろうな」

「そこは、遺漏なく」

 言った指揮官は、先日の軍議で威勢の良いことを言っていた諸侯の一人だが、今はあの頃に満ちていた、覇気がない。

「どうした、元気がないな。お前は、本隊の西側で戦っていたはずだが。セイディに、気圧されたか」

 西側はこちらの騎馬隊をかいくぐったセイディが、本隊に何度か突撃をかけたと聞いている。が、被害は大したことなく、ウォーレスに匹敵するあの将を食い止めただけで、充分戦捷と言えると、エドナは捉えていた。

「その・・・強い、ですね。彼らは。恥ずかしながら私は、”鉄面”セイディに手も足も出ませんでした。その気になれば私の首を獲れたのだろうと、今にして思います」

 西側でどんな戦いがあったのかまではまだ報告が上がっていないが、ウォーレスとはまた違った、セイディの戦い振りがあったのだろう。騎兵はウォーレス軍に対して却って士気を上げたというのはエドナが率いていた騎馬隊だけで、半数は歩兵と同じように、何か心を折られるような戦をされたのかもしれない。セイディはもちろん、あちらはウォーレス軍の麾下が過半数を占めるとしたら、そもそも兵の質自体がこちらとは全く違っていたのだろう。アングルランドの騎馬隊も大陸屈指のものだろうが、元はその中核を成していたウォーレスの騎馬隊とは、やはり格が違うということか。

 エドナは再び、集まった諸侯に目をやった。

「今晩から早速、連日の夜襲があろう」

「まだ、初日です。敵も、思わぬ疲労があるのでは」

「こちらの兵に、幾らかの恐怖心が植え付けられたと私は考える。それはウォーレス殿にも伝わっているだろう。だとすればそれを心の奥底まで植え付け、拭いがたいものにする。私だったら少なくとも、今晩だけは夜襲を掛けるな。それとこれは絶対ではないが、ウォーレス殿は速戦を望んでいるようにも感じた」

「野戦を継続するには、彼岸の兵力差があり過ぎます。それどころか実質外に出て戦っているのは、ウォーレスとセイディが率いる、計四千の騎馬のみです。七万のこちらとは、勝負にすらならない」

「なっていたではないか。お前たちは、何に恐怖している。いや、これは意地の悪い言い方だったな。少なくとも私は、怖いと感じたよ。ウォーレス殿をよく知っているだけに、余計に怖い」

 諸侯の顔をあらためて見渡したが、同意するようにこちらを見つめ返す者、俯いて唇を噛み締める者。ノースランド人を侮蔑していた者たちですら、強がって見せこそすれ、意気軒昂というわけにもいかない。恐怖を意地で跳ね返した者たちの多くが、ウォーレスに斬られて命を散らした。その者たちの差別感情すら利用しようと思っていたエドナだったが、生き残った者たちは何か悪い夢から覚めたような、居心地の悪そうな様子を見せている。

 エドナはしばし目を閉じ、決断した。

「敵の夜襲の有る無しに関わらず、こちらからも夜襲を掛けようと思う。東、ウォーレス殿がいる砦を、攻撃する」

「しかし、あのウォーレス殿相手に裏を掻こうというのは、危険ではありませんか」

 自軍の総司令に対して、敵の指揮官の戦略が上回っているとも取れる、礼を失した発言だが、こうした意見をこそエドナは部下たちに求めていた。見所のある者もいたのだと、先程まで同じ顔に見えていた諸侯たちを、エドナはもう一度見渡した。

「貴公の言う通りだ。裏を取ろうとすれば、必ず返り討ちになる。が、これは読み合いではない。先程言った通り、敵の動きに関係なく、夜襲をかける。ウォーレス殿の裏はかけなくとも、その先を行くことはできる。勝つには、戦略の深度で凌駕するしかない」

 長く元帥であったエドナと、南で何度か総大将を務めたとはいえ、基本的に一部将であったウォーレス。上回る部分があるとすれば、戦略眼という一点だけだった。

「初めは、徐々に絞め上げていく戦で勝てると踏んでいた。が、時間はむしろ、敵の味方だな。兵の間に、ウォーレス殿を恐れる空気が蔓延し、ウォーレス殿が自ら率いていた練度の低い騎馬隊は、実戦で急速にその練度を上げていく。季節ひとつと、悠長なことは言っていられなくなった。そのような中、ウォーレス殿があえて速戦を狙っているというのなら、我らはその先を行こう。彼が思うよりも、さらに早い決着で」

 小姓が、ランタンに火を入れていく。既に、日は落ち始めていた。

「各隊、小休止を済ませたら、すぐに部隊を出せるようにしておいてくれ。小さな砦ひとつとはいえ、破城鎚や梯子のような、最低限の攻城兵器は必要だろう。詳しい編成は三十分以内に通達する」

 エドナが散会を命じると、各将は思わぬ機敏さでそれに応じた。



 夜陰に乗じかつ伝令に混じって、セイディが直接こちらの砦にやってきた。

「敵も、夜襲の気配です。いかがいたしますか」

 まさかセイディが、負けてもいない戦で傷を負うことはないと武将としてのウォーレスにはわかっていても、実際に娘の無事な姿を見ると、父としては胸を撫で下ろしたい気持ちになる。

「ここからは、そうと見えなかった。表立ってやっていないとすると、両砦の、どちらかが標的か」

「後方、騎馬が多数用意されていました。昼同様の規模で、夜襲に対するものにしては、大掛かりかと。馬防柵の設置も甘く、敵の騎馬隊が抜けられるだけの道はありそうです」

「斥候は、あまり出さないでおこう。小賢しいが、こちらが気づいていない振りをすることで、逆にエドナには気づいていると思わせたい」

「駆け引きに迷うでしょうね、エドナ様は。蹴散らしますか、守りに徹しますか、あるいは逆手に取りますか」

「可能なら、逆手に取ろう。状況次第では、蹴散らす。この砦に関しては、半ば捨てたと思っていい」

 セイディはウォーレスの考えを正確に読み取り、戦略目標を理解した上で、現在可能な戦術を提示してくる。長い軍歴で多くの副官を登用してきたがやはり、セイディ以上の副官はいなかった。

 細かいことを、セイディと詰めていく。あらゆることを想定し、張れる罠は張っておくことにした。戦とは生き物で、大まかな方針があれば後は臨機応変と考えるウォーレスに対し、セイディはかなり細かい所まで想定し、策を練る。副官は、自分と同じ類の将であることは、望ましくない。時にこちらの意見に反対し、その上を行く案を提示してこそ、傍に置いている意味もある。今はウォーレスがエドナの動きを読み、セイディが仕掛けを考えている。こうした役割分担が自然にできてこそ、部隊はひとつにまとまるのだ。

 砦の中庭では、兵たちが忙しなく動き回っている。今晩の夜襲は、昼の時点で兵たちには知らせてある。なので身体が冷えきらないよう、帰還した兵たちも砦を歩き回ったり、軽く剣を振ったりしていた。元々、士気は極めて高い。負傷者以外の全ての兵が、この後の出番に備えていた。

「ビスキュイ、いるか」

 厩の陰から、異形の忍びが姿を現す。先程部下を率い、この砦にやってきた。

「はいぃ、こごにぃ」

「砦にひとつ、仕掛けを作っておきたい。部下は、何人連れてきている」

「十人でずぅ」

「二十人、負傷兵の中から使ってくれ。五十人程が診療所として使っている一室にいるが、半数は軽傷で、軽作業なら手伝える。それと重症の兵は、先にハイランド城へ運んでくれるか」

 ウォーレスの指示を聞いていたセイディが、砦の門の方を見ながら言った。

「エドナ様の首と、敵軍の潰走。後者が優先でよろしいでしょうか」

「先を見れば、その首級も欲しくはなる。流れの中で獲れればいいが、あくまで敵軍の撤退を目指そう」

 今回ウォーレスは、ノースランド軍の総大将として、戦略的な動きが求められている。勝てるかどうかは、考えなかった。いかにして勝つか、それだけを考えればいい。兵力の多寡は勝利の難易度を大きく上げてしまっているが、不可能という話ではない。単に、それが難しいというだけだ。

「なるべく、犠牲を少なく、勝ちたいものです」

「どうした、あらたまって」

 それは、常に二人の間にある、戦の基本だった。

「いえ、私たちを信じて、集まり、あるいはついてきた者たちです。今回ばかりは、いつも以上に少なく、そう思ってしまいます」

 娘の肩に手を置くと、癖の強い髪が、ウォーレスの指をくすぐる。セイディはその手の上に自らの手を重ね、しばし兵たちの様子を眺めていた。

「では父さん、どうかご無事で」

 兵が連れてきた馬にひらりと跨がり、娘は伝令と共に砦を出ていった。

 練兵場を兼ねた広い中庭に、全ての兵が集結している。職人や小姓たちが、砦にある大切な道具や財貨を運び出しているのが見えた。指示に忙しくウォーレスは兵糧を取り損ねていたが、水袋をぐいと傾け、馬上についた。篝火に照らされた兵の顔にはまだ、疲労よりも闘志の色が勝っている。今ここでの踏ん張りが、ノースランド独立への、本当の第一歩となることを理解しているのだ。加えて、全ての兵がウォーレスを信頼していた。兵から立ちのぼる気は、ほとんど視認できる程だ。

「ビスキュイ、仕掛けを頼む。出るぞ」

 開け放たれたままの門から、ウォーレスたちは出撃する。月の弱い夜だった。

 遠方に見える敵の篝火から、本陣とその周囲に配された部隊の、おおよその位置を把握する。篝は、わずかに明滅している。風はほとんどなく、手前を騎馬隊が移動しているのだろう。セイディの言う通り、エドナはこちらに夜襲を掛けるか、返り討ちにしたい腹づもりのようだ。

 ウォーレスは、左手の森に目をやった。敵本陣まで続く柵の様に、それは西に向かって真っすぐ伸びている。

「伝令。ハイランド城へ指示を頼む」

 既に、ウォーレスり頭の中には、新たな作戦が組み上がっていた。



 月が雲に隠れがちなのは、どちらに優位に働くか。

 前方、わずかな騎影が見え、部隊に緊張が走る。自身もそうだったので、エドナは苦笑した。あれは、敵の伝令である。五騎程がこちらに気づき、足を止めかける。 

 が、伝令はそのままハイランド城の堀沿いに、こちらに向かってきた。といってもエドナたちは右手の木立沿い、敵は左手沿いで、すれ違うに充分すぎる距離はある。一瞬、止めるか射落とすかを考えたが、一万騎の大所帯の秩序を乱すほどのことでもないと、素通りさせることにした。数十騎の小部隊で追わせてもいいが、そもそも伝令は早馬であり、振り切られるのが落ちだろう。

 それよりも迂闊に攻撃を仕掛けて、引き返されるのもまずい。こちらはほぼ組み上がった攻城兵器を輜重で運んでおり、これを見られたくはない。ここは互いに干渉しないのが、吉といったところか。砦に引き返す斥候だったら、多少無理をしてでもエドナの弓で射倒していたかもしれない。

 駆け抜けていく五騎を横目に、エドナは進軍を続けた。何かしら、ハイランド城にも動きがあるのだろう。定期連絡の伝令だったかもしれないが、ウォーレス相手には何事も楽観的に考えることはできない。ただ本陣には、充分な防御を敷いてはある。

 後方、その本陣の方で、早くも争闘の気配がある。今の伝令はまだ城に着いていないはずなので、おそらくセイディの部隊が本隊に夜襲をかけてきたのだろう。だとすると、まだ遭遇していないウォーレスの部隊に、夜襲をする予定はないのか。あるなら東西同時に奇襲をかけるのが効果的だと思うのだが。

 前方、今度ははっきりとした、部隊の気配がある。次の瞬間にはウォーレスその人の姿が、低い丘の稜線、淡い月の光に浮かび上がった。

 反射的に弓に手を伸ばしたエドナだが、騎影を見て愕然とした。単騎である。

 猛烈に、罠の気配を感じた。が、ウォーレスを討つまたとない機会である。矢をつがえたエドナを誘うように、ウォーレスは右手の森へと姿を消した。

 一度、進軍を止める。うなじの辺りの毛が、ちりちりと逆立っていく感覚。昼には木立と認識していた右手のそれを、今は森と認識していたことも、エドナの心をざわつかせる。昼は貧弱な木立と感じていたが、夜の闇がそれを充分に森と言える存在にしていた。

 単騎で森に入ったウォーレスを追うのは、困難である。それより最初に感じた、部隊の気配はなんだったのか。

 北側に馬蹄の響きを感じ、今度こそエドナは笑った。千騎程の部隊が、エドナたちと入れ違いに西の方へ駆けて行った。ウォーレスが、単騎で囮となった形である。単騎で、囮足りうるだけの存在なのだということを、あらためて思い知らされる。

 ちょうど雲間から月が顔をのぞかせ、おおよその数を把握できたのは、不幸中の幸いか。千騎。つまり砦に残る兵も、千騎程。夜襲は間断なく仕掛けるのが常道なので、今頃次の部隊が砦を出ているか、出撃の準備を整えていることだろう。

 あの千騎がこちらに襲いかからなかったおかげで、一気に、砦奪取の確率は高まった。こちらは、砦を奪うのに充分な装備を、用意している。夜襲相手の迎撃と、先方は思ったということだろう。砦奪取の軍と気づいたら、先程西に向かった部隊の説明がつかない。上手くこちらを躱したつもりだろうが、エドナの考えは、その一歩先である。

 仮にウォーレスがこちらの狙いに気づき、先程の部隊と合流して引き返してきたとしても、その千騎は五千騎で止め、残りの五千で砦を落とす。他の将が聞いたら砦一つにあきれる程の周到さだろうが、ウォーレス相手ならどれだけ用心を重ねてもやり過ぎということはない。ウォーレスの夜襲が仮になく、二千全てで砦に籠っていたとしても、時を掛けずに一息で砦を落とせるだけの兵力を用意しているのだ。

 最悪、本陣は捨ててもいい。物資の大半は遥か後方の、もうひとつの陣に下げてある。むしろ敵の砦を一つ落とし、本陣代わりに使ってもいいのだ。その場合、攻囲はさらなる長期化が予想されるが、エドナが今こうして速戦を目指しているのも、ウォーレスの狙いがそうであると察したからである。その目論見を潰せれば、後は当初の戦略通り、時間を掛けてハイランド城を締め上げればいい。

 いきなり、ウォーレスの率いる二千と遭遇することも考えていたのだ。それもなく、すでに砦の淡い月に照らされた胸壁が、視認できる所まで来ている。

 砦の南門は、開いていた。ちょうど、騎馬の一部隊が出撃しようというところだ。十騎、二十騎と、こちらに気づかず次々と騎兵が外へと飛び出している。

 まだエドナの部隊を味方と勘違いしているのか、敵部隊はなおも矢継ぎ早に駆け出していった。こちらは、旗を下げている。部隊の全容が見えてくる頃には、敵も対処のしようがないだろう。

 おそらくは三百騎程が出たところで、敵もようやくこちらが、アングルランド軍だと気づいたらしい。残りが慌てて原野に逃げ出し、門扉がゆっくりと閉じられようとしているが、一手遅い。既に、騎馬隊の突撃範囲内である。

 エドナは、麾下を疾駆させた。この五百騎は、馬も含めて精鋭である。一度中に入ってしまえば、再び門扉を閉じさせまい。鉄格子が落ちて来ないのは、外に出た味方を案じてのことか。

 門が半ばまで閉じた所で、エドナは麾下と共に砦内部へ突入した。

 入ってすぐに、エドナは強烈な違和感を感じた。

 ここからわずかに見える北門の方に兵がいくらか集まっているようだったが、こちら側には全く、兵の姿が認められない。各所に盛大な篝火が燃やされているのに反して、周囲は無人である。自部隊の馬のいななきだけが、砦内に不気味に谺していた。

 方々に、秣の山。樽もあちこちに、それも不自然な位置に配されている。

 背後から、悲鳴が上がった。振り返ると同時に、落とし扉が落ちてきた。鉄格子越しに、煮えた油を浴びた兵たちの姿が見える。

「アングルランド七万の軍を率いるエドナ元帥にしてはぁ、夜陰に紛れてこんな小さな砦を落とそうなんでぇ、ちょっと、姑息じゃありませんがねぇ」

 城門楼の上。黒い頭巾を被った恐ろしく血色の悪い女が一人、こちらを見下ろしていた。

「何者か」

「忍びでございまずぅ。まさかこの手が本当に活きるとは思いまぜんでしたが、ウォーレス様は何重にも事態を想定されているんでずねぇ」

 エドナが弓を構えると、忍びは素早く物陰に隠れた。半分だけ覗かせた顔から、目をぎょろつかせている。

「おっとぉ、かの”黒帯矢”に狙われては、敵いませんよぉ。ご武運を、エドナ元帥。私は私で、あなたのことはぁ、買っていたんですよぉ」

 城門は、尚も閉じられつつある。その表面が、何かで濡れていた。妙に、弱い月の光を、それでも強く反射する。

 不意に、それは燃え上がった。方々の篝火が次々と倒され、秣が、地面が炎の舌で舐めとられていった。倒れた樽からは案の定、燃える油が次々と流れ出している。

 所々に見える、駆け抜ける影。忍びたちだろう。周囲の兵の同様と裏腹に、エドナは落ち着いて、いやあるいは諦念を持って、砦の中庭を眺めていた。

「北側に、火の手は上がっていません。この門は捨てて、あそこまで」

 広い中庭を挟んで見える、北門。一息で駆け抜けられる距離だが、そもそも何故あちら側が燃えていないかという話である。

「あそこが、死地だ。一人でも多く、生き残れよ」

 聞いた兵は当初エドナの言葉を解さなかった様子だが、騎馬を引き連れ、ゆっくりとこちらに向かってくる敵の指揮官を見て、悲鳴に近い声を上げた。

「ウォーレス」

 エドナが渾身の力で放った矢を、しかしウォーレスは虫を払うように弾き飛ばし、こちらに向かって突撃を開始していた。

 五本の矢をつがえ、少しでも周囲の兵を減らす。ウォーレス。エドナも剣に持ち替え、馳せ違う。

 両腕がもげるかという衝撃だけを感じ、エドナは落馬しかけたところを、かろうじて踏ん張った。駆け抜けたウォーレス自身に率いられた第一波は、そのまま背後の兵たちに襲いかかる。赤々と照らし出されたウォーレスの顔は悪鬼のごとく、繰り広げられる虐殺は、これから始まる地獄を充分に予見していた。

 第二波。エドナは周囲の兵を固め、敵の猛攻に耐えた。二人、三人と斬り倒していったが、ほとんど手の感覚がない。斬り結んでやはり、ノースランドの兵は大したことはないと思った。にも関わらず今のエドナには、これまでで最強の兵たちと渡り合っている心境だった。剣を放さずに持っているのが、やっとなのだ。

 ウォーレスが反転して、再びの突撃である。こちらも反転し、まともにぶつかり合った。兵の一人が身を挺してエドナを守り、その兵の両断された身体が、二人に激しい血の雨を降らせた。

 燃える南門が、再び開こうとしている。砦内の危機を察した外の兵たちが、梯子を架けてなんとか城門楼によじ上り、扉を開けようとしているのだろう。落とし格子も上げられつつあったが、城壁の上からこちらの兵と思われる具足姿が、不自然な格好で落ちていく。忍び相手か、あそこでも今、決死の戦いが繰り広げられている。

 さらなるウォーレスの猛攻をなんとか耐えしのぎ、エドナは部隊を再び南門へ下がらせた。

 煙に巻かれて、咳き込んでいる兵が多い。この圧迫感は何も、ウォーレスと対峙していることばかりではない。周囲の物が激しく燃え、空気が薄くなっているのだ。

 ウォーレスは火に包まれつつあるこちらを北門から見つめながら、さらなる突撃を自重していた。本能でそうとわかるのか、少しでも空気のある方へと乗り手を振り落としながら、馬が何頭かそちらへ駆けて行く。

 エドナたちが窒息するのが早いか、扉が開くのが早いか。その隙間から夜気をはらんだ新鮮な空気が入ってくるが、この集団を賄うには、まだあまりにも少ない。

 耐えきれず、何騎かが、両手を上げてウォーレスたちの方へ馬を進めた。暴れる馬を制御するだけで、精一杯の兵も多い。

「降伏したい者は、そうしてくれ。裏切りとは思わん。お前たちに、こんな死に方をしてほしくないのだ。ウォーレス殿は、捕虜を寛大に扱ってくれよう。戦況が落ち着き次第、身代金は用意する。そこのお前、もう限界だろう。行け」

 剣の平で馬の尻を叩くと、涙ながらに振り返る乗り手を無視して、その馬は前方へ駆けて行った。

 扉。開こうとしていた動きが止まっているのは、城門楼の中でその兵たちが討たれたからだろう。が、その隙間から、こちらに破城鎚がやってくるのが見える。落とし格子は、もう上げられている。生き残れるかどうか、もはやエドナは運命を兵たちに預ける以外に為しようがなかった。

 扉に、破城鎚が打ちつけられる音。エドナは、まっすぐにウォーレスを見つめた。あの単騎の動きに、惑わされた。森に入って逡巡せずにこの砦に戻っていなければ、北門まで回り込む時間はない。つまるところ最初から、あの男の手の平の上だったか。いやあるいは全てがその場での臨機応変な動きならむしろ、その軍略こそ神がかっている。

 だが、とエドナは思う。してやられたが、我慢比べは私の勝ちだ。扉はもう馬が通るに充分なほどに開かれており、ウォーレスはエドナを追ってここを通ることはできないだろう。髪についた火の粉を手で払い、エドナは砦の外へと飛び出した。

 一頭また一頭と、最後まで残った麾下の兵たちが、扉の隙間から這い出してくる。半分以上は、馬を失っていた。

 新鮮な空気を胸一杯に吸い込むと、頭がずきずきと痛んだ。下馬して、吐いている兵もいる。さらに開いた扉の向こうに、ウォーレスの姿は見えなかった。業火の陽炎で見失ったのか、実際に姿を消したかはわからない。

「輜重は捨てよ。全部隊、本陣を目指せ」

 かなりの麾下を失ったが、騎馬隊自体はまだ九割近く、手元に残っている。この後の勝負は何を試されるかわからないが、今はまだ潤沢に残った兵力で、凌いでいくしかない。

 馬が潰れない速度を維持しつつ、可能な限りの速度で本陣を目指す。エドナのものを含めて、麾下の馬はもう、保ちそうもなかった。何人かが替え馬を申し出、エドナはそれに従った。麾下も新しい馬に替える。徒歩となった彼らが、無事本陣へ帰還してくれることを切に願った。

 前方、先行していた部隊が、いきなり潰走した。待ち構えていた部隊に、まともに側面を衝かれたようだ。敵の指揮官は旋回し、そのままこちらに向かってくる。千騎程か。それよりこの千騎はどこの部隊か。砦に向かう途中にすれ違った部隊とは、また動きが違う。

 一度ぶつかり、エドナは部隊を反転させた。もう一度ぶつかる前にその指揮官を射落とすことができたかもしれないが、矢の残りは少ない。これは、追ってくるウォーレスの為に取っておきたかった。

 部隊をさらに旋回させ、車輪の様に相手にぶつかる。乱戦は避けたい。宵闇ゆえの同士討ちを避けたい意図もあるが、足止めを食らうと追ってくるウォーレスに追いつかれてしまう。こちらに気を取られている隙を衝かれれば、この兵力でも一瞬で瓦解しかねない。

 わずかだが、互いの先頭が併走する形を取った。そんな動きをこちらが意図してできるくらいだ。この部隊の将は、ウォーレスやセイディと比べるべくもない。が、いくら不意を衝いたとはいえ、先行した部隊を一撃で潰走させた将である。並の者ではないことは、確かだ。

「そこの将、名を聞こう」

 兜の代わりに鉢金を巻いた指揮官には、見覚えがある。この夜すら明るく感じさせる暗い眼差しで、男は笑った。

「ラクランという。エドナで間違いないな。その首、ここでもらう」

「お前が、そうか。選手として活躍するお前を、私は嫌いではなかったのだがな。ここで斬ってしまうことを、残念に思う」

 長剣と槍のぶつかる火花が、しばしラクランの顔を照らし出した。本当に、あの男である。さすがに、天稟はあった。槍の取り回しは素人に気が生えた程度だが、反応速度が尋常ではない。不利な態勢をどれだけ強いられても、何とかエドナの攻撃を凌いでいる。

 それにしても、このラクランまで出てきているということは、エドナが考えている以上に、戦局は広がりを見せているのかもしれない。

 もう少しこの男と遊んでやってもいいか、とエドナは思った。余裕でも驕りでもなく、この併走を続けながらの束の間の一騎打ちは同時に、エドナの本陣への、最速の帰還経路なのである。さらに、このラクランの部隊への衝突を避けるため、まだ周囲にいるかもしれない敵部隊は、エドナたちに手出しができない。

 お前に守ってもらいながら、このまま帰陣させてもらうぞ。内心呟き、ラクラン越しのハイランド城に目をやる。篝火の並ぶ胸壁に、兵が少ない。それが、何を意味しているのか。

「っと、俺の出番はここまでか。エドナ、付き合ってくれて礼を言う」

「何」

 前方、地を滑るような猛烈な勢いで、こちらに向かってくる部隊がある。はっきりと見える、ウォーレス軍の旗。彼自身はまだエドナの後方にいるであろうことを考えると、指揮しているのはセイディか。

 先頭、一人だけ兜を被らず、頭に仮面を模した飾り物を着けている者。顔まで確かめるまでもない。矢を、続けざまに放った。その全てを銀閃の軌跡で受け流しながら、セイディがすぐ近くまで迫っていた。鞍に下げた盾を、今頃取り出している。エドナの矢を剣だけで弾き返されただけでも屈辱だが、これでセイディの本気を引き出したということか。

 なんとか、真正面からやり合わないよう、部隊ごとかわす。振り返ると、避け損ねた騎馬隊の一部が、ごっそりと削られていた。反転したセイディが、猛追してくる。脚を、随分と残してあるようだ。覚悟を決め、エドナは剣を抜き放った。

「ラッセルでは相手にならなかったか、セイディ」

「斬りました。おそらく、生きているとは思いますが」

 相変わらず感情を感じさせない、それでいてよく通る声。併走するセイディと、一合、二合と打ち合う。

 エドナの厚身の長剣に対して、セイディのそれは刀身の薄い長剣だが、まるで身の丈程の大剣と打ち合っているかのような、重さがあった。先程のラクランも天稟こそ存分に感じたものの、やはり歴戦の”鉄面”は、格段にものが違う。軍人としては小柄な娘の身体に、ウォーレスと同じだけの膂力を秘めているかと錯覚する。いや、そう思わせるだけの、圧倒的な剣技か。

「やはりお強いです、元帥。出来れば生け捕りと思っていましたが、難しいと悟りました」

 もう、本陣は見えていた。あと少しで、逃げ切れる。

「ほほう、手を抜いていてくれたのか。私は本気だったがな。その驕りに、いつか足元をすくわれるぞ」

「全力でした。生け捕ることにという意味ですが」

「ほざくな、小娘」

 エドナの渾身の一撃を盾でいなし、セイディは脚を落とした。その意味を考える間もなく、どこからか大量の矢が飛んできた。

 馬が束の間、竿立ちになる。その首には矢が篦深く刺さっており、エドナは鞍から転げ落ちた。弓が、倒れた馬の下敷きになっている。左手の森。弓兵が森の縁に配されていた。暗さか、セイディに気を取られ過ぎたか、この距離までそれに気づかなかった。矢は文字通りの雨となって、エドナの騎馬隊に降り注ぐ。

 本陣に近いこの位置に潜ませるとは、思いもよらなかったというのもある。月明かりの弱い夜とはいえ、どうして本隊はこれを見逃したのか。つまりもうエドナの想定外の事態が、戦場全体を覆い尽くしている。矢継ぎ早にエドナに襲いかかる猛攻はやはり、その時々の判断で指示を出したものにしては、早すぎる。ウォーレスの想定していた夜襲はつまり、ノースランド軍全てを用いてのものだったのか。

 矢を躱し、あるいは弾き返す。弓兵の指揮官らしき娘は、すぐにわかった。他の者とは出立ちも、何より佇まいが違う。ひょろりとした長身の娘で、自身が弓の一部であるかのようなしなやかな、それでいて力強い一撃を、次々と放っていく。人も馬も、彼女の強弓に射抜かれると、まるで破城鎚で突かれたかのように、大きく吹き飛ぶ。

 その娘と、目が合った。薄い金色の瞳。ほとんど本能でエドナは剣を盾とし、その必殺の一撃を受け止めた。立て続けに起きる高い金属音と共に、三本の矢が、厚身の剣に突き刺さっていた。全て、エドナの正中線を狙った、正確無比の射撃である。これが、”神弓”グリアか。

 足元に突き刺してあった矢は、それで尽きたらしい。背後から新たな矢筒を取り出している隙を衝いて、エドナは乗り手を失っていた馬に飛び乗った。付いて来る兵は、半数に満たない。それでもまだ、全体で見れば充分な兵力差があるはずだ。そう言い聞かせながら本陣へ戻ったエドナは、さらなる戦慄を禁じ得なかった。

 本陣はものの見事に破壊されており、その手前の本隊は姿を消していた。本陣の奥、昼の一戦の負傷者が収容されている幕舎だけが、そこだけ別世界のように無傷である。

 本隊がいた場所には、動けない者、あるいは動かなくなった者たちが倒れていた。大地の爪痕のような轍は、おそらくハイランド公の戦車部隊によるものだろう。敵は、城を放棄する勢いで攻めたててきたようだ。兵たちの苦悶の声に混じって、むせ返りそうな血の匂いが漂っていた。

 本陣の破壊された柵の横、両膝をつき、惚けたように天を仰ぐ兵に、エドナは馬を寄せた。

「何が、あった」

 焦点が合うに連れてエドナの存在を認知し、兵は剣を杖代わりに立ち上がろうとした。

「いや、そのままでいい。膝の裏を斬られたか。ここで何があったのか、知りたい」

「あ、あの・・・ノースランドの奴らが、攻めて来て・・・」

 そんなことは、わかっている。しかしエドナはその若い兵が自分を取り戻すのを、辛抱強く待った。やがて、目に輝きが戻ってくる。

「夜襲には充分警戒していたのですが、西から騎馬が二部隊と、戦車部隊、すぐに城からも大量の兵が溢れ出してきて・・・」

 指揮官でないこの男に、それ以上詳しいことはわからないだろう。こちらには五万近い歩兵がいた。ハイランド城からは全軍が出たとしても、一万前後。それを大量の兵と錯覚したということはそれだけ敵の攻撃が苛烈だったことに加えて、その時には敵騎馬に側面を衝かれ、陣が崩壊しつつあったのだろう。混乱に加えて一度激しい乱戦となれば、あるいは同士討ちが発生したとも考えられる。無論多くの兵がそんな失策をするわけがないものの、数カ所、それぞれ十人規模でもそんなことが起きてしまえば、敵騎馬や戦車部隊が本隊の中を暴れ回るのは容易だっただろう。

 南から伝令が駆けてきて、本隊は丘の南の山間に、決死の防衛戦を敷いていると告げた。

「まだ動ける者は、南へ向かえ。動けぬ者は、降伏せよ。諸君らは必ず故郷に帰れるよう、私が責任を持って対処する。しばし、待っていてくれ。不甲斐ない戦をして、申し訳なかった」

 座り込み、あるいは倒れながらもエドナを見上げていた兵たちに、頭を下げる。

 そろそろ、ウォーレスがこちらに追いついてくるだろう。森からの矢の雨は、既に降り止んでいる。

 エドナは動ける者を引き連れ、南へ向かった。まだ戦えるだけの兵力はあるが、おそらく兵たちの士気は、底をついている。この心折れた軍では、翻弄され、犠牲を出し続けるのは明白だ。見ればハイランド城前の原野には、一万近くの兵が整列していた。もはやまともな隊列も組めないエドナの部隊を追いもせず、ただ静かにこちらの様子を見つめていた。

 エドナは一つ、溜息をついた。今頃になって煌々と光を放つ欠けた月を、苦々しく見上げる。

 負けたのだ。あらためて思う。

 まだ軍人として目指せる上があるのだと、そうも思った。



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