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第15話「私の首は、そんなに軽くないだろう?」-3

3,「俺も変わるさ。ただ、いつでも取り戻せる」


 人とは成長するものだ、とロサリオンは思った。

 ロンディウムの、大通りからひとつ路地に入った酒場、目の前に座っているのはアングルランド宰相、ライナスである。

 初めて会った時、この男は三十歳くらいだったか。現王リチャードが冒険王子の名で知られていた頃、その従者をしていたライナスと出会っている。寡黙で落ち着いた、それでいてどこか青臭い部分を持った青年も、今は五十を前にして、まさに円熟期を迎えている。肉体的には老いに抗っているだろうが、人としては確実に成長を続けていた。

 人間はわずかな時間のわずかな経験で多くを学ぶものだと、あらためて思う。

 二人だけで話す時間は、この男がジネットを見舞ってくれた間、何度かあった。しかしこうして向かい合って一つの卓に座り、本当の意味でこの男と対峙するのは、今晩が初めてといっていいだろう。ロサリオンは妻の介護に必死であり、ライナスと向き合う余裕はなかったのだ。

 吹き抜けのある、大きな酒場。舞台では楽隊が会話の邪魔にならない程度の、それでいて耳を傾ければその陽気な旋律に浸れるくらいの、ちょうどいい塩梅で音を奏でていた。客席同士に余裕があり、他の客の会話は意識しない限り、ロサリオンのエルフの耳にも障ることもない。

「やっと、まとまった時間を取れました。にしてもこのような夜分になってしまい、申し訳ない」

 ライナスが詫びているのは、先日のことか。ロサリオンがロンディウムに着いて十日もせず、この男は会いにきた。今頃は敗戦の軍を率いている頃か、などと思っていた時にである。一刻も早く、というのは彼なりの礼の尽くし方であったのだろう。が、宰相としても先のパリシ包囲戦の大将としても、敗戦処理と今後の対策に追われているライナスが、自分を出迎える為だけにロンディウムに飛んできたのは驚いた。

 歓迎の昼食に招かれた後、一、二時間執務室に籠っただけで列車に飛び乗った彼を見て、この男の誘いに乗ったのは正解だったと実感したのだった。一時も現場から離れられないはずなのに、強引に時間を作って、自分に会いにきた。思えば、ロサリオンに力を貸して欲しいと何度か訪ねてきた頃も、こうして自分に会い、そしてジネットを見舞っていったのだと思うと、胸が震える。時間などまったくないはずなのに、はるばる鉄道の駅もない自分の村まで、馬を飛ばしていたのだ。そのくせ、ロサリオンの家にいる時は、たまたま近くまで来たので寄ってみた、といったような、実にゆったりとした様子を見せていたのだ。

「随分とお待たせしています。この街で、不自由なことはありませんか」

「大きな街はどこも、エルフを受け入れてくれます。大抵は、人間にとっての異種族のコミュニティがありますからね。異種族も異邦人も、同じようなものなのでしょう。ただこの街は、様々な面で興味深いと、あらためて思いましたよ。数年前、まだジネットが元気な頃にも訪れましたが、その時と比べても、様変わりしている。いきなり進化を始めた、といった感じです」

「ロサリオン殿はその長命で、それこそ百年単位でこの街を見てこられた」

「初めて訪れたのは六百年程前ですが、以来最近になるまで、建物の数が外に向けて増えていくくらいで、目立った変化はなかった。ライナス殿が宰相になられてからなのでしょうね、それもここ数年は特に、一気にゴルゴナのような蒸気の街へと走り始めた」

 この酒場も、蒸気機関を題材とした飾りつけや、それに準じた技術者のような格好をした客が目立つ。アングルスチームと呼ばれる、この街独自のファッションだった。給仕の娘も頭飾りにヘッドドレスやスカーフではなく、ゴーグルを乗せていたりする。

「そうしよう、と思っていたわけではないのですがね。ただ、産業を育てる。それに邁進していたら、いつの間にかゴルゴナのような景観になりつつあります。もっとも、中央から離れる程に、昔の街並は増えていきますよ」

「それにしても、勢いがある。これまで様々な人間、領主、国と契約してきましたが、こういった勢いのある国と共に戦うのは、初めてかもしれません」

「ロサリオン殿はどちらかというと、弱い側に力を貸すことが多かったと聞きます。強い国では燃えるものを提供できるか、いささか心配になってきました」

「この戦、どこまで見ておられます? アッシェンに、勝った後は」

「できれば、行けるところまで」

「それなら、世界に挑戦している。かつて世界帝国と呼ばれた強大な国々も、始めはどれもパンゲアの小国だった。そこに挑むというのなら、充分燃えるものはありますよ」

 ライナスが笑う。この男は実に、気持ちのよい笑い方をするようになった。若い時は、いくらか屈折していたはずだが。野望の地平が、この男を大きくしたのか。

 給仕の娘が、追加の注文を取りにくる。それに対する接し方の良さは、昔と変わらない。強国の頂点になってもライナスの本質的な部分は、失われていないようだった。

 媚びず、驕らず、そして気遣いができるにも関わらず、いつも何かに挑んでいる男。

「青流団も、その先遣隊が明日にもロンディウムに到着予定です」

「もう、私がいた頃の団員も、数えるばかりです。受け入れてもらえるか、少し心配もしているんですよ」

「ロサリオン殿こそが真の主と、ゲクラン殿との再契約もせずに、ここまでやってくるのです。皆、ロサリオン殿を再び団長と仰げることを、楽しみにしています」

「だといいのですが。しばらくは郊外で兵の全体の動きを見たいのですが、その後の駐屯地は?」

「しばらくは、ここに。北の叛乱の出方が、もうひとつ読めません。王都に青流団ありと知れれば、それだけで北への牽制、ないしは北からの奇襲の抑止になります」

「叛乱の女王ブーディカは、ロンディウムを火の海にすると広言しているようですしね。それと南の戦線でひとつ、大敗を喫したと噂で聞きました。実は、てっきりそちらに配属されるかと」

「南に関しては、今は戦線を下げてでも、粘ってくれさえすればいいと思っています。その為に、現地の将軍に元帥の地位を与えました。いちいちこちらの伺いを立てずとも、現場で判断、決済ができる形に。それにもしアッシェンが押し続けるにしても、制圧しなくてはならない城郭は多い。もうひとつ、ふたつと負けるにせよ、どこかで睨み合いの形になるでしょう」

「なるほど。では北への方針が決まって後の、我々の任地は?」

「二剣の地に。アッシェンそのものにまだ反攻の気運はありませんが、ゲクラン殿は明らかに西進の構えを見せています。いくつかの城郭が落とされた後、アッシェン本国との連携が可能となれば・・・」

「レヌブラン辺りが、標的になりそうですね」

 ライナスが、力強く頷く。

「名将相手におこがましいことは百も承知で尚、やはり先を読まれていることは心強い」

「レヌブランがアッシェンに復帰すれば、相当に苦しくなる。いや、なるほど。ライナス殿が青流団、あまつさえ私を求めた理由が、わかるような気がします」

 パリシ攻防、南の戦線と、アングルランドは対アッシェンで二つの大敗を喫したとはいえ、世間の見方的にもまだまだ、アングルランドは優勢である。両敗戦とも、単にとどめを刺し損ねたというに過ぎない。が、その優位は意外ともろい土台に立っているのかもしれなかった。北の叛乱にハイランド公、東は西進を目論むゲクラン、そして南に颯爽と帰還したリッシュモンと、三方向に敵を見据えざるをえないこの状況は、そもそも危機なのだ。

 もっともライナスが宰相就任時には、北は叛乱の気配、南は膠着という状況で、パリシ包囲に対アッシェンの活路を見出したのも頷ける。南を最低限の援助で押しつつ、同時にパリシを包囲した手腕こそ、本当は評価されるべきだろう。パリシを奪取できれば、確実にアッシェンは瓦解し、そこでこの百年続く戦は終わっていたはずなのだ。消耗戦を続ける南の戦線はひょっとすると、どこかで捨てたいとすら思っているのかもしれない。ただ強引にそれをやれば、南で土地を得た諸侯は黙っていない。ノースランドのみならず、帰還した諸侯に背中を刺される事態にも陥りかねない。

 前任者までの無策がない、まっさらな状態で国を任されていれば、ライナスは十年とかからず対アッシェンに勝利していたはずだ。おそらくライナスは歴代屈指の宰相であろうが、惜しむらくは、時を得ていない。

「最終的に、南は捨てますか」

「まだあれはあれで、アッシェンの勢力を二分させる効果は持っています。リッシュモン殿が南に行ってくれたのは大きい。ゲクラン殿と合力されるようなことがあれば、東からの脅威は過去最大のものとなります。さすがにそうなれば諸侯を説得し、南は捨てざるをえなかったかと」

「今はリッシュモンを釘付けに、時間を稼いでくれればいいと」

「あのまま勝つに越したことはなかったのですが、パリシ攻囲に失敗した瞬間、ゲクラン殿は南に行くと覚悟していました。そこで、南は保たないかと。しかしそこへ、思わぬリッシュモン殿の帰還です。それを機に、ゲクラン殿は以前からの悲願を優先させることにした」

「リッシュモン殿も、ゲクラン殿に引けを取らない名将だと窺いますが」

「将としてみれば、リッシュモン殿の方が何をやってくるかわからない分、怖いくらいです。が、いかんせん五千という寡兵です。ゲクラン殿がその幕僚も連れて何万という大軍を引き連れてくるのとは、規模が違います。最小の出費で南を維持、あるいは押し返そうというのは、アッシェン宰相府の案かもしれません。アッシェンの光とまで言われるポンパドゥール宰相とゲクラン殿は、相性が悪いのです。そして宮廷での力は宰相の方が、元帥であるゲクラン殿よりも強い。アッシェンという国としてやりたいのなら自分は口を出さないと、ゲクラン殿は西進へ方向転換されたのかもしれませんね」

「過ぎたことの仮定に意味はないかもしれませんが、あえてお聞きしたい。もしゲクラン殿が南に向かっていたら」

「私自ら、南部戦線を率いるつもりでした。もっとも、パリシ攻囲に失敗した私です。大きな顔をして総大将というわけにもいかず、北の叛乱に対峙しているエドナ元帥と共に、南へ向かったでしょうな。ゲクラン殿とその幕僚の首という見返りがあるのなら、南の戦線の存在はまだ活きました」

「その場合、青流団が北に?」

「仰る通りです。パリシ攻囲の後がどうなるにせよもう一枚、それも強力な手札がこの国には必要でした」

 どう戦局が変わるにせよ、青流団は必要だったというわけだ。ゲクランと彼らが契約期間中でもそこまでを考えていたのなら、数年前から時間を作ってロサリオンの元に訪れていたという慧眼と、中々首を縦に振らない自分に対する根気強さは、驚嘆に値する。

 それだけ必要とされていたのだと、あらためて思う。契約にあまり私情は持ち込みたくないが、あらためてロサリオンは、ライナスという男が好きになった。アングルランドの趨勢自体にはさほど興味はないが、この男が生きている間くらい、その野望を支えてやろうとも思う。

 古い友。かつてライナスはロサリオンをそう呼んだ。ロサリオンの感覚にとっては新たな友だが、友には違いない。

 その後は自然と、戦とは関係ない話を酒の肴にした。歳を取ったな、と思わされる部分も多かったが、かつてはなかった口髭の、似合う男になっていた。

 翌朝、城にあてがわれていた居室から出たロサリオンは、港へ向かった。朝一番の船に、青流団の先遣隊が乗船している予定だったからだ。

 出航前の船をかき分けるようにして、その船は入港してきた。舳先に立って水先案内人の小舟を見つめている老ドワーフ。ロサリオンが手を振ると、あちらも気づいたようだ。

 下船したベルドロウと、しっかりと手を握り合う。

「お前とは、いつ以来かな。実はそんなに久しぶりでもないよな」

「私個人としては、二年振りですか。戦のない合間を縫って、お二人に会いに。まだ、奥方もご健勝で。あらためて、ジネット殿のご冥福をお祈り申し上げます。いずれ、墓を参りに行けましたらと」

「知った仲だ。きっと、妻も喜ぶ」

「そして団長を青流団として再びお迎えするのは、六十年ぶりか、あるいは七十年か・・・」

「私たちとしても、決して短い時間ではなかったか。具足姿のお前は、実に久方ぶりだ。私が団長として復帰することに、異論ない兵と見て良いのかな」

「もちろん。団長、復帰を本当に、心待ちにしておりました」

 ベルドロウの目には、わずかに光るものがある。ああ、本当に長い間、待たせてしまったのだな。

「少し、老いたか」

「なんの。団長こそ、そのような柔らかい物腰は、らしくないような気がしますぞ。私、などという余所行きの言葉遣いは、我々には不要です」

「ん? そうか」

 ジネットとの時間は、短いようで長かった。過ごした時間は、それまでの七百年よりも濃密だったような気がする。今のロサリオンが余所行きの自分を演じている自覚はないが、影響は少なからず受けていたということかもしれない。

 次々と下船し、整列していく兵の一人に、ロサリオンは声を掛けた。

「そこのお前。それはもう一本あるか?」

 直立した兵が、紙巻き煙草を一本取り出す。それをくわえ、マッチを擦る。

 煙が肺を満たす感覚は、思った以上に懐かしく、同時に何かを思い出せそうでもあった。

「俺も、変わるさ。ただ、いつでも取り戻せる」

「ああ、その目です。団長、あらためておかえりなさいませ」

 紫煙を吐き出し、ロサリオンはそれが消えていく空を見つめた。千切れかけた綿のような雲が、ゆっくりと風に乗って流れている。

 古い友たちの為に、また剣を振るうか。

 ロサリオンはただ、それだけを思った。



 松葉杖をついてこちらにやってくる姿を見て、すぐにわかった。

 ノルマランの新城代、パスカルの娘ドニーズとは、彼女で間違いないだろう。城の執務室に訪いを入れようとするとちょうど、回廊の奥からその娘はやってくるところだった。

 聞いていた通り、左脚が不自由なようだった。が、他の傷は癒えているのか、障碍を抱えた人間とは思えないくらいに軽快かつ力強く、ドニーズは松葉杖を扱っている。

「アナスタシアね。私はドニーズ。よろしくね」

 茶色い髪を後ろに束ね、青い瞳はくりくりと大きく、いかにも利発そうな娘である。簡素な挨拶からも、人柄は窺えた。

「アナスタシアです。こちらは副官のアニータ」

「あ、アニータです。霹靂団で副官をやらせてもらってます。よろしくお願いします」

「まあ、どうせ硬い話するんだし、ノリだけは明るくしよ。あ、入って入って。資料は事前にあっちに報告が来てたものと、あとここの記録も昨晩ざっと目を通しておいたから」

 脚が不自由だからとアナスタシアが扉を開けようとしたのだが、この娘にはあまりそういった気遣いは不用らしい。自分でさっさと扉を開けると、すたすたと執務室の大机の前に立った。前の城代が整頓好きだったので、大机や他の机、椅子に書類が山積みになっているのは新鮮ですらある。

「兵舎の方は先日まで予定より早く完成する予定だったみたいだけど、ここの所の雨で漆喰が塗れなくて、ちょっと遅れてるみたいね」

「あまり早く仕上がっても、大工たちに日給が出ませんからね。結果として予定通りかなと思っていたところでの雨です。ただ、内装で先に手を着けられるところはやってくれてるみたいです。雨で休みでは日給は出ないので、外で働く者たちはやきもきしてるみたいですが」

「予定になかったことで、親方たちもちょっと混乱してるみたいね。現場監督の補佐が出来る人間が必要みたいだし、それはこっちで手配しておくよ。それより下働きに日給ってよりも、建物一軒につきの契約にしとけば良かったかも。これは父さんが決めたことだけど、そうすればちゃっちゃと仕上げてくれたかもしれないね」

 ドニーズの、城代としての能力は高そうだ。貴族は金銭感覚がずれている者も少なくないが、この娘は商家の者のように給金に関して知悉している。外見も性格も父のパスカルにまるで似ていないが、これは優れた為政者であるパスカルの血なのかもしれない。あるいは、環境か。

「上水道に関しては、傭兵と周りで働く者たちの人数が二千を超えたら、使用制限をかけるかもしれない。そうならないよう、こっちでもなんとかしてみるつもりだけど。下水道に関しては、規模が小さ過ぎるように思えるけど?」

「厠は外に設置し、糞尿は、溜めたものを熟れさせて、肥料として周辺の村に引き取ってもらうつもりです。そのままですぐに使える、良質な肥料は作れるはずです。その辺りのやり方は、私に経験があります。なので、厨房や浴場、その他いくつかの施設でしか、下水道は使いませんので」

「なるほど。さすがに千単位で人が増えると、マロン川が汚れるんじゃないかって心配してた。後で現地で詳しく聞かせて。ここにある進捗については大体把握できたけど、他に何か要望はある? 都度よりも先に聞いておけば、準備はできるから」

「雑務を行う者は、傭兵の選抜試験を行った際に、落ちた者でやりくりしようと思っています。合否は基本的に体力的なもので決めようと思っているので、ある程度歳のいってる者などが、ここに入ると思います。古兵などは、簡単な読み書きができたり、帳簿をつけたりすることができる者がいたりします。それ以外にも、適材適所でなんとかするつもりです。ただ、医者に関してはそこから出すというわけにもいかないので、専門の者が何名かいれば良いなと思っています。直近ではこの町の医者たちに頼ることになりますが、兵が増えれば、町の医療に影響は出てしまうと思うので」

「専門って、具体的には?」

「何でもこなす医者がほとんどですが、外科、内科はもちろん、性病や心の病を癒す術を扱う者がいればと。薬師も、何人か。パリシには、そういった専門分野を持つ医師がいます」

「なるほど、うーん・・・」

 顎を掻きながら、ドニーズは天井を見つめた。やり取りに逡巡がないので即断即決の為政者だと思っていたが、ここまでは資料を読んで想定してあった問答なのだろう。だが今の様子を見ると、新しい局面に対しては意外と熟考する人間なのかもしれない。

「ここと、父さんの領地ではすぐに募集の告知を出せると思う。パリシには、一応掛け合ってみるけど・・・」

「パリシやイル・ダッシェン地方の傭兵募集の際には、宰相府の許可は得られました。アンリ王とポンパドゥール殿とは知己なので、手紙ひとつですぐに許可が下りました。私自らやってもいいですし、ドニーズ殿がやられるのなら、私の名前を使えば多少のツテにはなるかもしれません」

「ああ、そうだったね。じゃあそっちの方も時間食わずにできそう」

「医師は家業が基本ですが、大きな街では組合もあり、職人でいうところの遍歴職人のように修行で各地を回っている者もいると聞きます。そういった者たちに告知が届けば、あるいは」

「医者はそれでいこう。で、医者とその周り、何人くらいの規模を考えてる?」

「医師だけで、五、六人。その助手や徒弟、看護専門の者を含めると、二十人くらいは必要かと」

「んー・・・」

 首を何度も捻り、ドニーズは考え込む。アニータは手持ち無沙汰なのか、机の上の書類をめくったりしていた。

「じゃ、霹靂団に付属する形で、一つ医者の組合を作っちゃおうか。兵舎の横に、医療棟も建てちゃって。怪我人と病人分ける必要あるだろうし、兵舎の中だけだと手狭だよね」

「さらに手続きと予算の増大を強いることになりそうですが、大丈夫ですか」

 兵舎建設に関しては、好意もあるかもしれないが、それ以上にここに腰を据えて欲しいというゲクランの要望もあり、そのゲクランとパスカルの資金で行われている。ゲクランに発行予定の株式とはまた別の資金だ。

「ああ、ノルマランにしてみれば、城外とはいえ一気に人口が倍増するようなものだから、そうね、いわば大量の入植者を迎えるのに、きちんとした施設は必要ってわけ。これに関しては金をかけてでもやるって、父さんも言ってたし」

「そうですか。ノルマランの景気に貢献できればと思います。あらためて、お世話になります」

「いやいや、人が増えれば回るお金の規模が増えるからね。税収だって、勝手に増える。新たな住人が稼げる傭兵団だとしたら、先攻投資はしとかなくちゃだからね」

 言って、ドニーズは片目を閉じてみせる。話の分かる新城代で助かるが、そもそも彼女はその為にここに赴任したのだとも言える。

「アニータちゃん? 副官殿はさっきから黙ってるけど、なんかある? 気兼ねしないでよ」

「あ、いや、私は団長についてきて、今日のところはドニーズさんとの顔合わせが主な目的で。でもドニーズさん、お父さんに似てませんねえ」

「あはは。母さんに似たんだよ。父さんの企み顔に似なくて良かったなって」

「企み顔! あんな感じの食えない人が来るものだって、すっかり思い込んでました」

 ドニーズは誰とでも距離を縮められる素質を持っているようだが、アニータにもまた、人の懐に飛び込める独特の間合いがあった。この二人ならアナスタシア抜きでも話は進められるだろうと、その点に関しては安心する。

「そういえばドニーズ殿は、父上に志願してここに来られたとか」

 アナスタシアが訊くと、ドニーズは少しばつの悪そうな顔をした。

「うん。他にも城代になりたい騎士とかいたと思うんだけどねえ。だから私も駄目で元々で頼んだんだけど、あっさり良いって。間近での父さんの補佐も悪くなかったんだけど、脚をやっちゃってから、やっぱり鬱屈としちゃってたんだよね。だからなんかこう、新しいことがやりたくてさ。なのでアナスタシア、あなたと何か作れれば、それが叶うような気がしたんだよ。ま、アッシェン救国の英雄がどれほどのものか、軍にいた者としては、一度見てみたかったってのはあるんだけどさ」

「実物は、こんなものです。ともあれ、これからは頻繁に顔を合わせることになりそうです」

「だね。楽しみだよ」

 屈託なく、ドニーズは白い歯を見せる。

「今後何か緊急の案件があったら、いつでも私を訪ねてきてね。さっきの医者の話とかさ、慣習や判例にないことあると、役所通すと時間かかっちゃうし」

「んん、役所の方はいいんですか? すっ飛ばしちゃって」

 訊いたのは、アニータである。

「城代、城主代理って、一応ここの行政官のトップなんだよ? 城でふんぞり返ってるのが仕事じゃない。役所の方で大事な案件とか、規則に照らし合わすのが難しいものの決済とか、全部城代がやってんの」

「へええ。そういうお仕事なんですねえ。じゃあドニーズさんに相談すれば、何でもオッケーなんです?」

「ああ、日常業務もそれなりにあるから、大事な話だけにしてくれると助かるんだけど。でもこっちからもちょくちょくそっちに足を運ぶ予定だから、その時に聞いてもいいかな。週に一度は顔出すよ」

「あ、結構多忙なんですねえ」

「それなりにね。もっとも行政の仕事はもう慣れてるから、ここの仕事の感じが掴めたら、それなりに時間は取れると思う。アナスタシアの蜜蜂亭にも行くからね」

「一給仕として、お待ちしております」

「うわあ団長、私にはあまり来るなって言ってたじゃないですか」

「そうだっけ? 私も仕事に慣れてきたから、もういいぞ。ハニーローストピーナッツも作らせてもらってる。お前も食いに来い」

「ああん、そういうことは早く言って下さいよう!」

「ふふ、二人って、何だか姉妹みたいだね」

「こいつはどうも、姉に恨みを持つ、特殊な性癖があるようですが」

「え、何それ? アニータちゃんって、すごく変わってるの?」

「ち、違いますよ! もう! 余計なことばかり言ってぇ!」

 顔を真っ赤にして、それも文字通りの地団駄を踏むアニータを見て、ドニーズは笑いをこらえている。

「二人って・・・ぷっ・・・くくくく! おぉっとぉ!?」

 吹き出したドニーズが、松葉杖の均衡を崩し、あやうく転倒しそうになる。それはパスカルがたまに、吹き出しては落馬しそうになる様子を思い起こさせた。

「あーっ!」

 アニータが、大声を出す。

「団長、これって」

「私も多分、同じことを思ったぞ」

「え、何、何?」

「ドニーズさん、やっぱりお父さんにそっくりですねえ!」

「ど、どういうこと?」

 弾けるように笑うアニータを見て、ドニーズは困惑の眼差しをこちらに向けた。

「まあ、これからも上手くやれそうってことです」

 アナスタシアが肩をすくめてみせると、新城代はなんとも言えない顔でアニータを見つめた。



 忍びか。

 気配を見せたということは、気づいてほしいということなのだろう。忍びは殺気とは違う、何か独特の気を放ってくる。

 ウォーレスは、方々に篝火の焚かれた野営地を見回した。目につくのは就寝前の自軍の兵士ばかりだが、柵の向こう、大木の下に一人、何者かが佇んでいるようだった。星空と大地の境界線をひとつ、黒い影が乱している。

 忍びは大抵変装を得意とする。変身と言っていよい水準のそれをやるキャシーは極端な例だが、彼女ほどでないにせよ、一目では初見と思い込んでしまう者は多い。だが、それは見たことのない女だと、すぐにわかった。

 黒い外套の下の肌は病的なまでに青白く、ぎょろりとこちらを見つめる大きな、それでいて瞳の小さな目は、まるで別の生き物のようでもある。

「うぅ、あぅ、は、初めましでぇ、ウォーレス様ぁ」

 女が言う。すぐ傍が野営地の端であるが、会話は聞こえない絶妙の距離である。

「初めて会う者だな。名は」

「ビスキュイと申しますぅ。あ、あの、すみまぜん、”囀る者”ではないのですぅ」

 随分と濁った喋り方をする。そして囀る者ではないとすると、ウォーレスが会う意味も、その前に姿を現す意味もわからない。

「誰に仕えている」

「ある御方を通じて、今はティア様に。ハイランド公、女王ブーディカ様でございますぅ」

「ほほう。暗殺ではなくわざわざ顔を見せたということは、内密に話をしたいということかな」

「はいぃ。話が早くて助かりますぅ。でも、そ、そのお話の前に、ウォーレス様には、お詫び申し上げなくてはなりまぜん。ウォーレス様の部隊と他の部隊との仲違いは、私の勝手でやったことでございますぅ」

「なるほど。やはり敵の調略であったということか」

 元々火種はあったが、それを煽っている者がいる。そのことは、先日キャシーに聞いた通りである。

「俺に話したことの真意は」

「その、ティア様のご命令ではありません。そうと知れれば、主に汚名を着せることになってしまいまず。謝罪申し上げ、私を殴るなり鞭打つなり、なんなりと・・・」

「罰しろと? いや、それはお前の主の為すことだろう。俺からお前を責めるいわれはない。調略をなして、敵を貶める。それがお前の仕事なのだろう。ならば、お前はやるべきことをやった」

 前屈みで下からウォーレスを見上げるその姿は、一言で言えば卑屈である。にもかかわらず、この娘の目にはどこか凛とした輝きもあった。なにか、今まで会ってきた忍びとはまた違った哲学を持っているのかもしれない。測りがたいものを持っていることは、今までのやり取りでもわかる。

「う、恨みはないと?」

「恨む筋合いがそもそもないということだ。戦場で敵に斬られて、怒り、悲しみ、恐怖することがあっても、敵を恨んでしまう者は、どこか歪んでいる」

「ああ、ああうぅ・・・」

 ビスキュイは両の膝をつき、手をもみしだいた。肩から垂れ下がった銀髪が、月の光を照り返す。

「な、なんと寛大な御方なのでしょう。どうしても、ティア様に会って頂きとうございますぅ」

「ハイランド公は、近くまで来ているのか」

「はいぃ・・・城外の、とある酒場にいらっしゃいます。お会いになって頂けないでしょうがぁ」

 ウォーレスは、しばし黙考した。御忍びで、こんな近くまでやってきているのか。ティアとは会うべきではないしその理由もないが、今もなお、ハイランド公でもあった。伯といってもあまり貴族としての力が強いわけではないウォーレスからしたら、謁見を乞う側でもある。

 敵、とあくまで考えれば会う必要はない。が、仮に降伏や講和を持ちかける場合、誰かが仲介に入ることもまた、自然なことでもある。むしろ半分ノースランドの血が入っているウォーレスこそ、その役目にふさわしいのかもしれなかった。

 逡巡する。戦場で用兵に迷うことはなかったが、こうした政治的な駆け引きは今も門外漢でもある。そのことが、ウォーレスを軍人としては成功させても、一貴族としては二流に留まらせている原因でもある。エドナ元帥に報告してしまえば、この話は破談であろう。エドナと交渉したいのであれば、そもそもそうしているはずだ。

 軍人と、貴族であることを分けて考えるのは、難しい。どちらにしても自分であると考えてしまい、割り切ることはできなかった。

 いずれにせよ、ハイランド公は自分を必要としている。目撃されればまたいらぬ憶測を立てるだろうが、元からあった火種でもある。ここは、ハイランド公の意気に応えるべきかもしれなかった。

「護衛は。そちらと同人数だけ、こちらも連れて行く」

「お、おりません。私一人の案内で、ここまでやって来られました」

「大した度胸だ。やはり、応えねばならないようだな。そこは、お前たちの息のかかった店か」

「い、いえ、ただ、個室のある店を探すのに苦労しました」

「ふむ、城外でそれがあるのは、”銀の羊”亭だな」

「よくおわかりでぇ」

 戦とは関係のない、むしろ犯罪を企むような者たちが、集まる店であると認識している。ある意味、中立の場とも言えた。ハイランド公という身分を明かせないのなら、あんな店に娘一人では、さぞかし心細い思いをしているだろう。

 いつ抜いたのかわからないが、両膝をついたままのビスキュイは、鞘に入ったままの短刀を差し出した。

「ぜひ、これを。毒のある刃で、私の護身用です。何か不審なものを感じたら、これで私めを斬って下さいぃ」

 平伏したまま、忍びは自らの武器を差し出した。それを受け取る。

「不用だが、お前の誠意の証として、これは預かっておく」

「あ、ありがとうございますぅ。ティア様の他には私一人。ウォーレス様も、護衛の者を数人・・・」

「いらぬ。もしハイランド公一人なら、俺も礼は尽くしたい。公と俺では、釣り合わぬ。ただ、一人の娘が俺に会いに来たと考えれば、お前一人の存在でも、彼女の支えとなろう」

 何かに打たれたように、ビスキュイはしばらくの間、じっとウォーレスを見つめた。

「す、すみません。では、ご案内致しまずぅ」

 忍びの後を付いて、城外の、掘建て小屋の多い路地に入っていく。遠くに物乞いや娼婦の姿が見えるが、そうした者たちが集まるような道は慎重に避けているようだった。

 密会とはいえ、ウォーレスに後ろめたいものはない。ただ、姿を見られればそれだけつまらない噂は増える。なるべくこの姿をさらさないにこしたことはなかった。

 裏から回り込むようにして、銀の羊亭に入った。かつて一度だけ、視察を兼ねて将校たちと飲みに来たことがあるが、卓同士の交流はなく、また干渉しないのがこの店の暗黙の了解でもあると感じた。

 暗い店に入ると、何人かがこちらを振り返った。ウォーレスの姿は、やはり目立つのだろう。が、すぐに客たちは自分の卓の会話に戻った。なるほど、この雰囲気であれば、ビスキュイがここを選んだのも頷ける。むしろここでは、それぞれが会ったということすら、秘密にしておくものなのだろう。やさぐれた雰囲気の給仕の娘も、カウンターから動く気配がない。

 店の奥には、厚い垂れ布のかかった個室が三つあった。その一つの足元から、弱々しい明かりが漏れている。

「ティア様、お連れしましたぁ」

「おお、本当に来てくれたか」

 幕を上げると、中にいた娘がこちらを見てはにかんだ。

「ああ、ウォーレス殿か。戦場で見た通りの、凛々しい御姿だ」

 あらためて、これが、女王ブーディカか。束の間、ウォーレスは言葉を失った。戦場で何度も見かけている、黄味がかった赤髪の、矮躯の女王。まさに本人であることには間違いないが、冠も装飾品も着けず、巡礼者のような粗末な格好をしているハイランド公は、十六歳という若年よりも、さらに幼く、儚気に見えた。

「ありがたい、ウォーレス殿。ティアだ」

 差し出された手を握る。小さく、可憐な手。それでいて剣や弓の修練でできたであろう、掌の硬さもある。弱々しさと力強さの、相反するものを持つ娘であることは、手を握るだけでわかった。

「ロウブリッジ伯、ウォーレスです。ハイランド公には、ご機嫌麗しゅう・・・」

「いやいや、ウォーレス殿とは、一人の人間として会いに来た。対等の関係で接してくれればいい」

「しかし」

「敵中にあって、娘一人。私は、貴公の手中にあるといってもいい」

 尚のこと礼を尽くすべきかと思ったが、この場合の礼とはつまり、ティアの望む関係性に腰を据えるということだろう。

「わかった。ではティア殿の望む通りに」

「あ、私は、外に控えておりますので。注文も、適当に取っておきまずね。ウォーレス様は、ビールでよろしいですかぁ」

 忍びが垂れ幕の外に出る。あの濁った声で、給仕を呼んでいるのが聞こえる。青白い足首は、そこを動かないようだった。

「あんな目をしたビスキュイは、久々に見た。私も、こうして貴公と会って、同じ想いだと思う。だから当初考えていた、回りくどい話はやめようと決めた」

「先に聞かせてほしい。回りくどい話とは」

「貴公の軍は、半分がノースランドの血、あるいは出身の者も多くいると聞く」

「ロウブリッジは、そういう土地だ。知っての通り、俺にも半分その血は入っている」

 訪いを入れたビスキュイが、給仕娘から手渡された酒と料理を運んでくる。忍びが出るまで、二人とも口を聞かなかったが、腹が減っていたのか、ティアの目は心なしか輝いていた。手を伸ばして、少しはにかむ。それは少女そのままの笑みだった。

 軽く口を着けた後、ティアはまた女王の顔を取り戻した。

「初めは、そうした者たちを前線から下げてくれないか、あるいはこちらに帰郷したい者があれば引き取りたい、そんな小さな話から入るつもりだった。私としても、ノースランドの人間と争う気はないしな」

「気持ちはわかる。俺も、父祖がノースランド出身の者たちを前線に出さざるを得ない時は、いささか心苦しい。そしてそういう者たちに徴兵を免除してやれない自分を、貴族としては情けないとも思う」

「率直な御方だ。だからこそ私もそうありたい。ビスキュイが最初に進言してきたことは、現実味のない話だとも思った。しかし、私はここで貴公と本気で立ち合うつもりになった。ウォーレス殿、単刀直入に言う。我らに力を貸してくれ」

 ティアの、緑色の瞳。まっすぐで、それでいて助けを求めるような眼差し。手の印象といい、矛盾する何かが、この娘の中では一つになっている。それは人の上に立つ者の、資質かもしれなかった。

「こちらが考えていた、講和の話には聞こえないな。あるいはティア殿の、軍門に下れと?」

「形としては、そうなってしまうかもしれない。だが私は貴公を対等な者として受け入れたい。同盟でも、ノースランド内に新たな地歩を求めるのでも、どちらでも良い。ウォーレス殿が力を貸してくれるのなら、ハイランド公爵領の、半分を譲ってもよい」

 これは。ちょっと想像のできなかったことなので、しばしウォーレスは言葉を失った。叛乱の女王自ら、単身訪れたのである。簡単な講和の話ではないことは薄々気づいていたが、ことの大きさはウォーレスの想定を超えている。もっと、小賢しい手でウォーレスの心を揺さぶってくると、身構えてもいたのだ。

「条件としては、破格だ。俺に野心あれば、一も二もなく飲んでいた話だろう。が、俺がそういうものに執心してこなかったことは、ティア殿もご存知であろうが」

「無論。が、私には差し出せるものが、こんなものしかない。しかし貴公を欲しいと思った。そうあるべきだとも思った」

 不意に醸し出す、女王としての威厳。同時に救いの手を求める、少女としての顔。その隙間にちらつく、為政者としての理知。

「私はこれから、全力で貴公に挑む。話を少し遡ろう。そもそも何故、ウォーレス殿は我々の敵となっている」

「軍人は、言われたことを成すのみだ」

 当たり前のことだが、逆にそのことで、ティアに一本取られたという気がした。軍人であることに誇りを持っている。が、今の一言は、軍人という殻に逃げ込んでしまったようだった。

「まこと、ウォーレス殿は軍人だ。東洋には武士道というものがあるらしいが、よく知らぬのに、何かウォーレス殿にはぴったりだという気がする」

「俺は騎士だ。大抵の軍人は、一度はその道を通っている」

「騎士道というわけか。武士道とは、どう違うのだろう」

「武士道とは、一心に主に仕えるものと聞いている。騎士道とは弱い者の為、ひいては自領の民を守る為のものだ。結果、主君に仕え、ある者は逆らう。多くは王の庇護の元に封土の安全を求め、その下に忠誠を誓うが、騎士道に忠実であるがゆえに、主君に逆らう者もいるだろう。百年戦争の当時、リッチモンド伯は王を諌め、不興を買って封土を失い、その子孫は彷徨えるリッシュモン軍となった。グライー家は両国の和平の橋渡しとなることを考えアングルランドの令嬢と婚姻関係を結び、独断を責められる形で本領をアッシェン王に剥奪され、以後はアングルランド王に仕えることとなった。いずれも騎士道に準じた顛末であると、俺は考えている。一言で済ませるには、騎士道とは複雑に過ぎる」

「置かれた状況により、騎士道で為すべきことは異なるというわけか。そしてそれが、単純なものではないとわかった。ならばウォーレス殿の騎士道、この状況をなんと見る」

「大きな目で見れば、虐げられてきたノースランドの民につくことが騎士道としてふさわしいと言いたいのか。が、俺には俺の民がある。守るべき者たちが。俺の騎士道は、ティア殿が期待するほど大きなものでも、立派なものでもない。失望させたのなら申し訳ないが」

 騎士道と関係なく、武の道を邁進した。天稟に恵まれ、大陸五強の一人として数えられるようになった。ただ、望んでそうなったわけではない。いくらかでも野心があれば、自領の民にもう少し豊かな、あるいは難しい立場を与えずに済んだかもしれなかった。

「ウォーレス殿は、正直だと思う。ごまかすようなところが、どこにもない」

「ごまかすようなものは、何も手にして来なかったとも言える」

「ウォーレス殿の父上は、何故ノースランドから妻を娶ったのだろう。できれば、貴公の口から教えて欲しい」

 父は、良い軍人だった。実を言うと、それ以上はあまり知らない。ウォーレスが十歳の時に他界し、息子に多くを語らない男だった。

「父とは、その件について真意を問う前に別れた。子供の俺から見たら、厳しいが優しい、そんな印象しかない父だった。母が、父に対して不満を持っていたことを覚えている。こちらも、深い話をする前に世を去っていったが」

 二人と、もっと多くを語り合うべきだった。弟たち、妻。皆、ウォーレスが心通じ合う前に逝ってしまった。これまでの自分は、孤独だったのだろうか。それを苦にしなかったがゆえに、気づかなかったこともあったと思う。剣に、軍に打ち込むことが、ウォーレスの人生だった。

 今は娘が一人、しかしセイディはそれが病によるものか、幼い頃から一切表情を変えることができない娘だった。娘とは、心通わせたいと切に願う。

「思えば俺は、語り合うべき多くの人間と、言葉を交わしてこなかった気がする。そのせいで、今は一人娘の気持ちひとつもわからないのだとも思う。親として、それはきっと恥ずべきことだ」

「ウォーレス殿はきっと、その背中、佇まいで多くを語っている。私も、貴公から多くを学んでいる最中だ。まさに、今この時も」

 言うまでもなく、この娘も若くして大きなものを背負っている。それもウォーレスが計り知れないほどのものをだ。大したものだと、あらためてティアを見つめる。

「長く仕える家臣の話では、父はノースランドとの融和をはかって、母を迎え入れたと聞いている」

「そうであるらしいと、私も人づてに聞いた。ウォーレス殿の口から聞いて、やはりそうかとの思いが強い」

「母は、それに不満を抱いていたと思う。ノースランドでは、旧王家に近い血筋だったのだろう? アングルランド北部の田舎領主では、釣り合わないという思いもあったのだと感じる」

「ノースランド諸侯の血など、数もそうだし、高が知れている。融和をはかりたいなら尚のこと、こちらからはそれなりの者が嫁がねばならない事情もあったはずだ。面識こそないが、私ともそう遠くない親戚なのだ」

 そう言って、ティアは残りの食べ物に口をつけた。何が入っているのかもわからない煮込みのシチューだが、そういったものでもはっとする程、上品に食べる。ウォーレスもパンを千切り、ぬるいビールを飲み干した。

「話は変わるが、ノースランドに勝ち目はあるのか。両軍ともが、苦戦している形になっているが」

 アングルランドも苦戦しているが、それはなかなか叛乱を鎮圧できないという意味で、まともに軍同士がぶつかったのなら、一撃の元に砕けると、ウォーレスは思っていた。

「ある。この戦は長くなるか短くなるか、その違いしかない」

「そうか。策があるのだな。詳しくは聞くまい。俺も、戦場で負ける気はどうしてもしないのだが」

「同盟者がいる。いずれ、その者が動く」

 なるほど。まったく、この女王には何度も驚かされる。

 しかし驚いたのはその同盟の存在だけではなく、それをティアが口に出したことである。それこそノースランドの、最高機密ではないのか。

「ウォーレス殿を信頼している、では少しずるい言い方かな。もし私と共に戦ってくれれば委細話しても良いが、今の立場でそれを明かしてしまえば、同盟者殿に迷惑がかかる。今は、ここまでにしてくれると助かる」

「そうか。しかし・・・」

 この女王が、自分を欲しているのはわかる。もしウォーレス単身でノースランドについても、練度の低い彼らを率いてなお、アングルランドに引けを取らない自信がウォーレスにはあった。もっとも勝ちきれるかどうかというといくらか怪しいが、講和の道くらいは開けるだろう。両者五分の状況が続けば、最終的にはそれしかない。アングルランドはそもそも、アッシェン相手に百年続く果てない戦の最中だ。ノースランドを手放してでもアッシェンに注力しなくてはならない戦況は、そう遠くない未来に訪れるだろう。

「ただ、同盟者殿は、すぐには動けぬ。こちらがひとつ、有利な状況を作らねば、動くに動けないのだ。今立ち上がっても、共倒れ、ないしはあちらが先に倒れることもありうる。だから私としても、すぐに動いてくれとはいえないのだ」

「ノースランドに一つでも大きな勝ちがつけば、その勢力も動くと」

「そういうことだな。その為に、ウォーレス殿に今日こうして接触することにした。しかし実際に会ってみると、ウォーレス殿さえいれば、同盟者殿の力を借りずとも勝ちきれるのではないかと言う気もしてきた。ゆえにこそ、私はどうしたらウォーレス殿を動かせるのか、そしてそれに報いるには何をすべきなのか、貴公の心を動かすようなものを持ち得ていないことに気がついた」

「大義や、俺の血筋を利用しないのか」

「それを利用できるかどうか、こうして言葉を交わしてわかったのだ。そもそも、気軽な誘いに応じるような人間だったら、我らも欲してはいない。ウォーレス殿がウォーレス殿だからこそ、我らに力を貸して欲しい。しかしまたそうであるがゆえに、そう説得するに足る何かを、我ら、ではないな。私が持ち合わせていない。ちっぽけな女王だと、今は笑っておくれ」

 言って、ティアは気まずそうに頬を撫でた。

「いや、正直、大義名分や情に訴えかけるような話は、たくさん用意してあったのだぞ」

 膨れ面を赤く染めるティアは、やはりそこらの娘と変わるところがない。よくその小さな身体で、とウォーレスはあらためて思う。自分の娘よりも若いティアという少女を、まぶしくも感じた。

「でも貴公と話して、全部吹き飛んだ。小手先のもっともらしい話で心揺さぶるのではなく、一人の人間として向き合い、対峙しなくてはならないと。いやまったく、恥ずかしい。周りにおだてられ、私は私を勘違いしていたようだ。あなたは、その身ならず全てが大きい。思い悩むその姿もまた、貴公の価値を少しも下げない。やはり、大陸五強というのは、英雄なんだな。それも、一人でその頂きに辿り着いた。こんな男をどうこうしようとしていた自分が、私はたまらなく恥ずかしい」

 さらに耳まで真っ赤にしながら、ティアは言った。

 ウォーレスはウォーレスで、実はティアにはずいぶんと、心を動かされていた。煩悶する心の内は、しかしこの女王には伝わっていないらしい。どんな時にでも泰然自若。かつてエドナ元帥にそう評されたことがある。実際は、戦のこと以外は多くに悩み、かつ決断したことを振り返ってしまう男でもあった。自分の中に弱さがあることを自覚しているからこそ、全てを振り払う為に武に邁進したといってもいい。

 結果、戦では負けることを考えなくてもよくなった。将軍だけでなく一人の武人としても、自分と互角にやりあえる者は、大陸に数える程しかいないだろう。悩み、悔やみ、しかし得たものは戦場での強さだけだったのかもしれない。そしていくらか、自分の強さを持て余しつつもある。

 そんなウォーレスを、ティアは大きいと言った。単に、こちらの心の機微に疎いということはないだろう。迷いを、口にもした。それに対して、ティアは充分理解したように思える。それでもなお、ウォーレスを英雄と見るのか。強いだけのつまらない男と、そうは思わなかったのか。

「ウォーレス殿、今日は私の負けだ。もっと大きな人間にならないと、とても貴公のような人間と轡を並べることはできない。が、私に時間がないのも事実だ。次に会う時があれば、私は決死の覚悟で貴公に、私が女王としてひた隠してきた思いも伝えねばと思う。いつになるかはわからない。しかし近い内にもう一度、私と会ってはくれぬか」

 互いが互いに、どこかで負けたと感じたのか。こんなやり取りを、ウォーレスは経験したことがなかった。しかし、悪い気はしない。

「過大評価だ。だがその思いは無下にもできない。一人の人間として対峙するつもりだというのなら、なおさらな。とはいえこのような会い方は、ティア殿にとって危険が過ぎる」

「戦場で、危険でなかったことなどない。私は、叛乱の女王ブーディカでもあるのだぞ」

 束の間、ティアは為政者たる覇気を放った。

「そうだったな。そもそも我らは、命のやり取りをしている間柄だった」

「同じ覚悟をせよなどと、虫のいいことは言えない。しかし次にこうして会う時には、心で立ち合う覚悟はしておく。下らない娘だと思ったら、いつ斬ってもらっても構わない。それに私の首は、そんなに軽くないだろう?」

 冗談とも本気ともつかない悪戯っぽい表情で、ティアは笑った。

 どちらともなく、席を立った。頭巾を目深に被ったティアの後を付いて、店を出る。二人とは最初の路地で別れたが、帰り際、ビスキュイは最初に出会った大木の傍で待っていてほしいと言ってきた。頷き、ウォーレスはその場所で、まだビスキュイから預かったままである短刀を見つめていた。

 野営地は既に寝静まり、篝火の傍に歩哨が立つばかりである。

「す、すみません、お待たせしましだぁ」

「これを、返し損ねていた」

 ウォーレスが短刀を差し出すと、ビスキュイは恭しくそれを両の掌で受ける。

「今晩は、その、本当にありがとうございまじた。ティア様に代わり、御礼申し上げますぅ。あの、私からも、お伝えしたいことが」

「言ってくれ」

「先程ある御方を通じてと申し上げましたが、私の本当の主は、ティア様仰るところの、同盟者です」

「俺にとっては、どうでもいいことだ。敵であることには変わりないしな。それにお前の瞳には、初めから嘘がなかった。だから警戒もしなかった」

「うぅあぁ、それはそれで、忍び失格かもしれませんねぇ」

 肩を落とすビスキュイには、その異形に関わらず、なんとも言えない愛嬌があった。

「また、私どもとお会いして頂ければ」

「ほぼ単身で、ハイランド公ほどの者が、俺に会いにきた。それに対して、礼を尽くしただけだ」

 あの”陥陣覇王”アナスタシアも、アンリ王に直接口説かれたことで、青流団を率いることになった。彼らは、どんなやり取りをしたのだろう。

「しかし礼を尽くされたのは、あるいは俺だったのかもしれないな。俺の話に、ああいう形で耳を傾ける者など、これまでいなかったかもしれない。皆、大陸五強の英雄だということで、俺の本当の姿を知ろうともしなかった。ただ彼女は、俺を一人の人間として扱い、耳を傾け、さらにその俺を大きいと言った。俺自身が、その言葉に勇気づけられるような気がしたよ」

「い、いえぇ、あなたのような御方に、お仕えできる方々は、幸せだと思いますぅ」

「お前の真の主や、ティア殿は、そうではないのか」

「いえいえ、私の主は命の恩人で、そしてティア様は、命を賭して支えなくてはならない御方です。二人には、それぞれ私が忠誠を誓う、理由があります。私は私を、決して裏切れません。しかし、あなたは・・・」

 ビスキュイが、今にも泣き出しそうな顔で、それでもなんとか笑顔を作ろうとする。

「あなたは、仰ぎ見るべき御方だ。あなたのような御方と、もっと早く出会いたかったと思います。私はあなたにこそ、お仕えしたかった」

 素直な娘だ。二人を裏切らず、それでもなお、ウォーレスに仕えたかったと本音を洩らす。忍び一人がそう言ったところで何の意味もないことは彼女自身がわかっているだろう。にも関わらず、自分を守る嘘がつけない。異形の中身は、きっと純朴な娘なのだろう。

「もし俺がノースランドに行っていたら、そうなっていたかもしれないな」

「ああ、そうなったら、本当にそうだったら、どれだけ幸せなことかぁ・・・」

 目頭を押さえて、しばし忍びは嗚咽をこらえていた。

「俺がそちらに決してつかないとわかったら、その日にも俺を暗殺するか」

「な、なんて意地悪なことを仰るんでずかぁ。この話は、私がティア様とアナベル様に持ちかけたのです。二人には、あなたが必要です。私はあなたを初めて見た時から、この御方こそが、私たちに必要なのだと・・・」

「お前の描いた絵図だったか。ティア殿がそれに乗り、命を懸けて俺と会った。お前の期待と願望を、裏切らなかったのだな。それでいて、そのことをおくびにも出さなかった。あたかも、彼女自身の想いであるかのようにな。まったく、ハイランド公も大したものだ。俺が思っていたよりもずっと多くの想いを、彼女は背負っているらしい」

「そうなのですぅ。ティア様は、優し過ぎるのですぅ」

「仕える主を二人も抱え、それでもなお俺に仕えたいという、お前も大胆で欲深く、そして羨ましいとも思う。俺自身、本当にリチャード陛下に仕えることが最善なのかと、考えさせられたりもした。俺の騎士道の小ささを、彼女は嗤わなかった。それを利用もせず、俺を信じて語りかけてきた。正直に言うと俺は今、混乱している。ただ、俺は理屈で主を変えられる程、器用でもないのだ」

 それでいいと思ってきた。迷いもあるがなお、それでいいとも思っている。

「いつかまた、お前にも会いたいと思う。どちらが勝つにせよ、この戦に決着が着き、二人とも生き残ることがあれば、お前の話も聞いてみたいと思う」

「それ以前に、きっとお会いする機会はありまず。どうか、私たちをお救い下さいぃ」

 言い残して、ビスキュイは立ち去った。

 救う、か。どこか胸に刺さる言葉だった。俺は、何を救ってきたのか。

 野営地の柵の傍に、歩哨の他にもう一人、誰かが立っていた。近づくと、それがセイディだとわかった。父が何も言わずに出て行ったことを心配しているのか、あるいは副官として腹を立てているのか、その表情からは何もわからなかった。言動からも、娘からは何も読み取ることができない。

「お帰りなさい、父さん」

「用事があった」

「はい」

「少し、話すか。なに、大した話ではない」

「わかりました。うれしいです」

「何がだ?」

「父さんと、話せることが」

 何の感情も表に見せず、セイディが言う。この娘がティアやビスキュイのように表情豊かだったら、今どんな顔をしているのだろう。

 本人がどう思っているのかわからない以上、セイディを不憫と思うのは傲慢なのだろうか。守りたいもの。ただひとつそれを選べと言われれば、ウォーレスは迷いなくこの愛娘を選ぶ。

「最近また少し、強くなったと思います。父さんの時間のある時に、木剣で立ち合って頂けますか」

「ああ、いいぞ。明日にでもやってみるか」

 セイディにはウォーレスの武人としての血が色濃く流れており、そろそろ怪我をさせないように勝つのは難しくなっている。できれば手合わせなどしたくはなかったが、それが娘の願いというのなら、どんなことでもするつもりだった。あの二人と会って、その想いはますます強くなっている。ある意味達人の、独自の境地に達しつつあるセイディ相手に怪我をさせずに勝つには、そろそろウォーレスも本気を出さなくてはならないかもしれない。

「父さん」

 セイディが言う。

「私は、父さんがどこへ行っても、ずっと一緒にいます」

 まさか。しかしウォーレスは思い直した。娘が、先程のハイランド公との会談を、知っているはずがない。そもそも、ウォーレスが娘を置いてノースランドにつくということは、まずない。あるいはウォーレスの挙措から、何かを感じ取ったのかもしれない。本当は人の心の機微に敏感な、繊細な娘なのだ。

「そうだな。ずっと一緒だぞ」

 聞いて、セイディはわずかに目を細めた。

 笑ったのかもしれないと、ウォーレスは思った。



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