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第13話「今日ここに、再び霹靂団の旗を掲げよう」-3

3,「私を、選んだじゃないか」


 こんな男が、というのが率直な感想である。

 エリザベスが見るに、現アングルランド海軍元帥タックスポート伯は、いかにも疲れた老人である。歳はまだ六十歳だったと思うが、七十、いや八十歳くらいの老齢としか思えない。杖をついているのは脚の古傷だろうが、それもまたこの男の老人然とした雰囲気を増幅させていた。顔の半分は、短く刈り込まれた白い髭に覆われている。目の光は、どこか弱々しい。

 近年のアングルランドがいかに海軍に力を入れてこなかったかが、この男を見ればわかる。開拓地で得た多くの植民地を失ってからというもの、この国は海に力を入れるのをやめてしまった。宰相がライナスに代わって大分改善されたようだが、今はこれまでのツケを払うのに精一杯といったところだろう。

 ただそれでも、百年戦争を経て、アッシェンからいくつもの軍港を奪ってきたのも事実であり、その多くは今でも維持されていた。ここグランヴィルもその一つで、かつてはアッシェン北岸の港のひとつだったが、港の人夫たちが話しているのはアングルランド語である。

 いや、よく聞くとそれは共通語かもしれない。この二つの言語には、あまり違いがなかった。大航海時代とも言われる時代に、アングルランドは世界の海を席巻した。共通語とはいわばゴルゴナ語であり、その時代に、永世中立都市にして世界経済の中心であるゴルゴナでよく話されている言語がつまり、共通語と呼ばれていた。そして、今の共通語はアングルランド語を元に話されているわけだが、アングルランドが大航海時代の主役から大きく後退した今も、アングルランド語が共通語の土台になっていた。かつて様々な言語がその時代の共通語として話されてきたわけだが、どういうわけか、アングルランド語は主役でいる期間が長い。もっとも共通語の響きはエリザベスの耳には野暮ったく、田舎者の言葉という感じがする。

 必要に応じて共通語も話すが、その旋律はエリザベスに暗い幼少期を思い出させた。

 エリザベスは、ブラックホープという、寂れた鉱山町の生まれである。そこの娼婦とかつての冒険王子リチャードとの間の子が、エリザベスだ。嫡子でない王族に身分の上下もないが、リチャードの子で最も卑しい生まれを持っているのが、自分だろう。

 ここグランヴィルにはタックスポート伯に代わって、海軍元帥になる為に来た。今は軍の階級を持たないただの王族だが、どの階級から始めても構わない。近い将来、アングルランド海軍を率いるのは、このエリザベスである。

 とにかく、ここは人が多い。汗臭い男どもに触れないように歩くには、前方に注意していなくてはならなかった。従者のパンジーにつけられた鎖に、わずかな抵抗を感じる。首輪から繋がるそれを、エリザベスは思い切り引っ張った。

「あうっ」

「ほら、よそ見しなさんな。あの杖をついた老人に、置いていかれますわよ」

 タックスポート伯の足は、見た目より速い。そこはやはり軍人だからなのか、あるいはエリザベスに対する微かな反抗心か。案内人なのにこちらの様子を気にも留めず、ずんずんと人並みをかき分けていく。

 身分を盾に軍の階級を得ようとする者を、アングルランドの軍人は気に入らないようである。ライナスが宰相となって軍改革を断行した結果、身分よりも能力や実績で階級を決める傾向が強まった。抜擢された者として、寒村出身のオーブリー・ダンブリッジや、最近ではパリシ攻防戦で南の戦線からライナスの副官となったシーラ・クーパーがいい例だろう。

 しかしその女、クーパーという姓を名乗っているのは、笑えた。桶屋ではないか。

 ただ軍の改革が進んだといっても、陸軍元帥は王の長子エドナであるし、レヌブラン総督は非嫡子とはいえ、同じく王の娘ジルである。それなら自分もそれなりの地位が与えられても良いはずだとライナスに掛け合うと、いずれはという形で海軍元帥を約束された。

 実は、すんなりと決まった話ではない。初めライナスは、エドナは軍人としての実績、ジルは冒険者として大陸五強に数えられる程の名声があると、こちらの要求をはねのけようとした。実績も名声もこれから作る、その機会を与えてくれと、しつこく懇願した。立場が人を作るということも、あるはずだと。

 ライナスにとって、エリザベスはやりにくい相手だろう。リチャードの子はエリザベスを除き、自ら地位を求める者がいない。これが皆野心溢れる者たちであったなら、こうも後継者に溢れる血脈である。今頃王子王女、それを擁立せんと画策する諸侯たちで、確実に内戦になっていたことだろう。それはそれで見てみたかった気もするが、エリザベスが成り上がるのに、国が乱れていては困る。スラヴァルの十皇帝時代よろしく王位を奪い合うような時代なら、エリザベスの後ろ立てになる諸侯が見つかったかどうかはわからない。今のアングルランドでいい。今なら苦労人の長子エドナか、話のわかるライナスか、エリザベスに関心のないリチャードについていれば、大体のことは上手く行く。

 タックスポート伯の案内を受けながら、軍船立ち並ぶ船着き場を見て回る。喧騒も気に障るが、磯の臭いは鼻についた。当たり前だった。これが海だと思えば、さすがのエリザベスも文句の言いようがない。

 事前に通告は出してあったので、港の傍の倉庫に、主だった将校たちが集められていた。エリザベスが空き箱で作られた急ごしらえの壇上に上がると、一応将校たちは雑談をやめたが、あまりこちらに関心を持っていないようでもあった。

「皆様、ごきげんよう。本日はお忙しい中お集まり頂き、誠にありがたく存じます。私、今は階級なき身ではありますが、本日付けでここに配属となり、やがては皆様の導き手として栄えあるアングルランド海軍の頂きに立たせてもらう所存です。私の名は、エリザベス・ブラックホープ・ランカシャー。以後、お見知りおきあそばせ」

 傍のパンジーが手を叩くと、おざなりでまばらな拍手が起きる。舌打ちを隠せたかどうか、微妙な音の密度だった。

「大将、横にいるそいつは、奴隷ですかい?」

 軍服の前をはだけさせた将校の口調に、揶揄するような響きがある。エリザベスは、パンジーの鎖を掴んで言った。

「奴隷だなんて、まあ。これはペットですのよ。ほら、パンジー、ご挨拶なさいな」

「パ、パンジーです。エリザベス様の従者を、あ、いえ、ペットを務めさせて頂いております。よろしくお願い致します」

「オウムよりかは、いくらか饒舌ですわね」

 何人かが、下卑た笑みを浮かべた。

「エリザベス殿下は、殿下ご自身が仰ったように、ランカシャー家の血を引いておられる。いずれ我々の大将となる御方だ。皆、ご無礼のなきよう」

 タックスポートが言うと、一応将校たちは真面目くさった敬礼を返した。

 長々と演説する気はない。それで解散とした。とりあえず、顔は覚えてもらったことだろう。

 タックスポートに、引き続き案内をしてもらう。倉庫を出ると、居並ぶガレオンの帆柱が、空を貫く槍列のようで、圧巻である。

「あまり、受けがよろしくありませんでしたわね。私がもう少し美人だったら、反応も違っていたでしょうに」

 聞いて、老人は初めて、苦笑ではあるが笑顔を見せた。

「海の男、女は尚更ですが、実力のない者が上に来るのを嫌います。殿下の実力は、まだ未知数ですので」

「女は尚更? 男が、女を安く見積もっているのではなくて?」

「昔から、特に海賊などでは、女の船長も珍しくありません。海の上では、統率する者の実力が全てです。命の危険は、陸の比ではありませんからな。好感の持てる無能より、気に入らない実力者が尊ばれます。そこに男女、年齢や人種すら入り込む余地はありません」

 海賊たちは、船長を船員の選挙で決めると聞いたことがある。軍も、元の身分がある為そこまで柔軟ではないだろうが、実力で階級が決まる傾向は、ずっと以前からあったのかもしれない。

「あらそう。でしたら、やっぱり私にふさわしい舞台なのかもしれませんわね」

 いくらか虚を衝かれたように、老人はエリザベスを見つめた。

「海軍の予算は陸軍に比べて少ないと聞いておりますけど、実際のところはどうなんですの」

 話している間に、向こうから来た男と肩がぶつかった。パンジーが慌ててエリザベスを受け止める。男は石にでも躓いたかのように、振り返りもせず歩み去った。

 いずれ、この港中の男たちがエリザベスを見て平伏する。クズが。今に見ていろ。

「陸軍は、兵が多いですからな。まして今は徴募から、常備軍を増やす方向に向かっています。金は、かかるでしょうな。しかし海軍にも、それなりのものは出ています。そもそも海軍は、金がかかるのです」

「どういうことですの」

「まず、船の建造費が莫大です。そして今やオールを漕ぐような船はガレアスくらいなもので、大半の船は一朝一夕では育たない専門の船乗りたちによって賄われております。海の兵は早くから、常備軍のようなものなのです。兵一人にかける時間と金は、槍と胴鎧を支給すれば戦力になる陸の兵とは、比べものになりません」

 つまり大規模な海軍を組織しようとすれば、その予算も陸軍とは比較にならないということだろう。

 建造所を、見て回る。槌打つ音と怒声が飛び交う中で、誰もエリザベスに注意を払おうとはしない。タックスポートはさすがに元帥だからだろう、通り過ぎる何人かは、手の甲をこちらに向けての敬礼を行っていた。海軍独特の敬礼だ。

 建造所の、一番奥。異様な大型船が、造られようとしていた。

「あれは」

 城の様に、大きい。鋼の装甲が施されているのも異質だが、最も目を引くのは船体の両側に着けられた、大型の車輪である。いや、水車か。

「外輪船と言われるもののようです。あれがどんなものなのかは、私にもわかりませんな。宰相肝いりの案件で、ドワーフたちが関わっています」

 確かに、あの船の周りには小さな、そして屈強なドワーフたちが駆け回っていた。

「あの、水車は」

「あれで、水を掻いて動くそうです。水車と逆で、あれを蒸気機関で動かすと。まあ、私も動くところは見たことがないので、聞いた話です」

 とすると船体中央の円筒は、煙突なのか。

「速いんですの?」

「追い風を受けた船よりは、遅いでしょう。ただ自走する船なので、風のない日でも速度が落ちません。それと車輪をそれぞれ逆に回すことで、素早く回頭ができるようです。見てみるまでは信じられませんが、あれだけの巨体にして、最も小回りの利く船となるそうで」

「あれは、戦力になりますの?」

「どうでしょう。そう思ったから、宰相はあれに多額の予算をつけたのでしょうな」

 しばらくの間、エリザベスはその船を見て回った。波止場の男と同じようにドワーフの一人とぶつかったが、今はそんなこともあまり気にならなかった。

「お気に召されましたか」

「ええ。ええ」

「それなら、いずれ乗られるといいでしょう。どの提督も、この船を気味悪がって、近づこうともしません」

 タックスポートも、これに乗るつもりはないのだろう。迷信に駆られる船乗りたちには、この姿は不吉な怪物なのかもしれない。

「完成は間近です。今月中にも、進水するのだとか」

「この船の、名は」

「決まっていません。ただ、外輪船と」

「プリンセス・エリザベス」

 エリザベスは言った。

「この船は、そう名付けます」

 瞬きも忘れて、エリザベスはその巨体を見上げ続けた。



 看板を見るに、ここで間違いないだろう。

 パリシ商業地区の端、ブークリエ河を挟む対岸には、貧民街の疲れた家々が互いにもたれかかるようにして立ち並んでいる。そんな雑貨屋の二階に、それはあった。

「アッシュ探偵事務所」

 声に出して、読んでみる。なんだそりゃ、とマグゼは呟いた。看板に描かれた斧は、アッシェンの名の由来であり、一応この国では親しみのあるモチーフだった。

 ハーフリングの自分にとっては、傾斜のきつい階段を昇る。札の掛けられた突き当たりの扉を叩くと、女の声でいらえがあった。

「いらっしゃいませ。あら、マグゼ様?」

 眼鏡の似合う、背の高い美人。結んだ金髪と、ぴったりとしたスーツの形状を無視するかの様に盛り上がった胸は、女の自分でもくらくらしそうな魅力を振りまいていた。

「よお。久しぶりだな。元気そうで何より。入ってもいいかい?」

「ええ、どうぞ。父に用事ですか」

「そう。ああ、いたいた」

 部屋に入ると、窓際の重厚な机の前で、暇そうに煙管をくわえていた男が顔を上げる。中年の男はマグゼの姿を見ると、露骨に嫌そうな顔をした。

「やれやれ、今週最初の客がお前かよ。まさかと思うが、依頼に来たんじゃないだろうな」

 太い黒縁の眼鏡を掛け直しながら、男が言う。

「依頼じゃないが、仕事といえば仕事だ。にしても何だよ、探偵事務所ってのはよ」

「そのまんまだよ。探偵を始めた」

 男の名は、マティユー。かつては王家に仕えた忍びの、頭領である。この男が先王と不仲となり下野したことで、王と王子たちは命を落とした。それまではこの男たちが、先王たちを暗殺者から守っていたのだ。

 女が、その横にすらりと背を伸ばして立った。この見目の良い若い女はシモーヌといい、マティユーの娘である。そしてこの二人が、王家の忍びの中心だった。

「探偵、ねえ。冒険者と違うのか」

 マグゼが腰を下ろした応接用のソファは腰高で、ここは子供の来る所じゃないと、暗に伝えている。やたら身体が沈み込み、座り心地は最悪だ。子供ではないものの無論、マグゼも歓迎された客ではないということだろう。

「浮気調査や、いなくなった飼い猫の捜索も承る。冒険者が、そんなことするかよ」

「しないな。あんたがこんな商売するなんて、何の隠れ蓑だよ」

「おいおい、今じゃこれが本業さ。忍びの技を使えば、大抵の依頼は朝飯前だ。ま、俺も半ば楽隠居したくなったってとこだよ。シモーヌ、お客様に茶だ」

「生憎、マグゼ様の好みの銘柄は置いてないのですが」

「紅茶だったら、なんでもいいよ。つうか悪いな。お前にそんなことさせて。毒は盛らないでくれよ。ここに来ることは、部下に伝えてある」

 シモーヌはくすりと笑うと、奥へ消えていった。マティユーが椅子にもたれかかって、腕を組む。

「で、あらためて何の用だよ。厄介事に巻き込まんでくれよな」

「おいおい、ここは厄介事を解決するところじゃないのかよ。まあいい。単刀直入に言う。今すぐこんな店畳んで、王の忍びになってくれ」

「こいつはまた、出し抜けだな。おいシモーヌ、聞こえてたか」

 既に湯が沸けていたのか、シモーヌはすぐに盆にポットとカップを乗せて戻って来た。

「聞こえましたよ。さあ、困りましたねえ。社長、当事務所始まって以来の大事件です」

 客より早く茶に口をつけたシモーヌが、口紅のついたカップの端を、軽く拭った。茶葉を蒸らす間もなく飲んでいるのではなく、やはり既に茶は淹れてあった。

「今すぐ追い返してもいいが、こちとら本当に忍び連中を解散させちまって、二人きりだ。とはいえ、お前の機嫌を損ねて鴉たちとの争いになるのは避けたいからな。まあ、話だけは聞こう」

「争いって、人聞きの悪いこと言うなよ。それにそう構えなくていい。あたしとあんたの仲じゃないか」

「忍びが信じるのは、同じ組織の人間だけだぜ?」

 そう言って、マティユーは身体をわずかに傾けた。シモーヌも、首を傾げる。窓から差し込む陽の光が二人の眼鏡に反射し、表情を読みづらいことこの上なかった。

「新王、アンリ陛下のことは、どこまで知ってる」

「どこまでも。先方は知らねえだろうが、あの子をこれまで見守ってきたのは、俺たちだぜ?」

 その通りだ。これは愚問だった。

「聞き方が悪かったな。最近の陛下は、忍びを探している。今はゲクラン様の命であたしらが手伝ってるが、本来の役目じゃない。そろそろ専属の忍びが必要だろう」

「そのまま、王家の忍びになっちまえばいい。俺たちはお払い箱になった身だよ。祝福するぜ」

「まあ、そう言うなって」

 ゲクランは王家に剣を捧げているが、マグゼが忠誠を誓うのはあくまでゲクランである。臣下の臣は、臣ならず。マグゼは、アンリの臣下ではない。

「マグゼ様、本当の目的は何です?」

 シモーヌが、早速切り込んで来る。一本目は自分が取られたことを、マグゼは認めざるをえなかった。腹の探り合いで二人を同時に相手に出来ると踏んだところで、ひとつ躓いたか。

「最近のあたしらの動向を掴んでるか」

「どうだろうな。陥陣覇王と接触したアンリ陛下とゲクラン殿を、パリシから逃すところは見ていた」

「くそっ、だったら手助けしてくれよ。こっちは犠牲を出してるんだぞ」

「陛下に何かあったら、手を貸していたさ。そっちの班は優秀だったな」

「マグゼ様、王家の忍びを解散したというのは、本当のことなのです。私たち二人では、出来ることは限られていました。他の鴉たちを見殺しにしたことは、父に代わって謝罪させて頂きます」

 頭を下げたシモーヌの結んだ髪が、形のいい後頭部から、はらりと垂れる。金の髪から、夢の国の菓子かと錯覚するような、甘い香りがした。

「いや、そういうことならいいんだ。あんたらを責めたいわけじゃない」

「でしたらまずは、ここに来た本当の目的を」

 ずいと身を乗り出したシモーヌに、わずかながら圧倒される。やはり、一人で来たのは間違いだったか。せめて階下にいるゾエだけでも呼ぼうかと思ったが、すぐに却下する。あの朴念仁では、心理戦に長けた二人のいい玩具だ。

「わかったわかった。降参だよ。忍びに復帰してほしいってのは、半分は本気だ。もっとも話は、もう少し大きくて、具体的だ。んでもって二人は、ちょっと気を悪くするかもしれない」

「その言い方で、ちょっとは関心出てきたぜ。聞かせてもらおう」

「あんたら、あたしの補佐として、鴉たちを束ねる気はないか」

 二人が、思わず素で驚いた表情を見せた。すぐにその瞳が、眼鏡では隠しきれない程の好奇の光を放つ。餌に食いついたことは確信できたが、二人は釣り針はおろか、釣り人までも飲み込みかねない獲物である。油断はできない。

「どういう風の吹き回しだよ。お前こそ、忍びを引退したくなったか」

「本気だよ。ちょっと、大規模な作戦を考えてる。そっちにそれなりの人数を割かれるんで、あたしが現場に出ることも多くなる。人は、増やすつもりだがな。ともあれ、あたしだけで本来の差配をするのが、少ししんどくなってくる。あたしと同等の忍びが、最低一人は必要だ。思いつき、信頼できるのはあんたしかいない」

「大規模な作戦ってのは?」

「あんたが話を飲む前に、そこまで晒さなくちゃいけないのかよ・・・ったく、暗殺だよ。マイラの、暗殺」

 マティユーはわざとらしく口笛を吹き、思い切り肩をすくめた。

「とんでもねえこと思いつくな。やめておけよ。気取られた時点で、お前が暗殺される」

「今の陣容じゃあな」

「段取りだけで、四、五十人はいるぞ。実戦部隊は、完全にお膳立てが出来たとして、二十人。その中にあのゾエを入れるこったな。あいつは忍びとしちゃ三流だが、武術だけは超を三つつけるくらいに一流だ。サシの状況を作ってやれれば、あるいはということもあるかもしれねえ」

「うんうん。それで?」

「その作戦にそこまで人数を割くなら、通常の任務に同人数の増量が必要でしょう。そしてそれだけの忍びを集めることが出来る者と、差配できる者、さらにその補佐が・・・あっ」

 今度は、マグゼが笑う番だった。シモーヌは口元に手を当て、父の方を見た。

「やれやれ、これは一杯くわされたな。上手いこと乗せられたってわけかい」

「確かに、そんな作戦を企てているのなら、父の力が必要でしょう。補佐は、私が」

「あたしとあんたらの考えは、一致してる。どうだい、手を組んでみないか」

「気に入らねえな。最後に、一つだけいいか。これだけは、本当にわからねえ」

 マティユーが煙管の灰を落とすところを見つめながら、マグゼは葉巻をくわえた。

「いいよ。本当にわからないことだったら、こっちも本音で答える」

「どうして急に、動くことにした?」

 マグゼが紫煙を吹き出すと、それは二人の頭上を越え、窓の外に吸い込まれていった。

「ウチの連中には、パリシで犠牲を出した落とし前だって言ってある。嘘じゃないよ。ただどうしてそこまで踏み込んだことを思いついたかというと・・・そうだな、あたしはあたしで、できることをやらなくちゃいけないって思った」

 マグゼはしばらく、自分の指先を見つめていた。

「アンリ陛下は、先王とは違う。この百年続いた戦争を、本気で終わらせようと思ってる。直接、話もした」

 ゲクランがなぜあの少年王に入れ込んでいるか、今のマグゼにはわかった。

「陛下は、あたしを信頼してるよ。頭はいい。世間ってヤツもあの年齢以上に知ってる。それでも、諸侯の忍びである、得体の知れない存在であるあたしを、最初から信頼してた」

 シモーヌはじっと、こちらを見つめていた。この親子はずっと昔から、アンリを知っている。

「あんたらもどこかで、アンリが王になる日を夢見てたんじゃないか。庶子で、本人すら王子だと知らされず、市井で生きるはずだったちっぽけな小僧がさ。現実になっちまったぞ。あんたらが先王との確執で、引けなくなっちまったってのはわかる。今はアンリが王となり、前に出ようとしたあたしがあんたらを必要とした。パズルのピースが、ぴたりとはまったような気がしないか? 逆に、あんたらが戻ってこない理由もないだろ」

 ブークリエ河のせせらぎが聞こえそうなくらいの長い沈黙の後、口を開いたのはシモーヌだった。

「やりましょうか、父さん。少なくとも私は、今こそ陛下のお力になりたい」

「そうだなあ。が、マグゼ、お前の下につくってのは頂けない。王家の忍びを復活させ、鴉たちと共闘関係を結ぶ。対アングルランド、囀る者に関する情報のみ、専門の部署を立てて全面的に情報を共有する。そんなところかな」

「いいよ。それでいい」

「っと、やけに素直に譲りやがる。ここまで、お前の想定通りってわけか。やれやれ、でかくなったな、マグゼ」

「皮肉じゃないと受け取っておくよ。ま、後はご想像にお任せしますってことで」

 マグゼは立ち上がった。細かい話は、二人がアンリと会ってからでいい。

「これで、失礼するよ。今週最初の客とやらが、ここを畳ませることになって悪かったな」

「いえ、ここはそのまま続けますよ? これからは王室御用達の探偵社として、活躍するつもりです」

「へ? あ、そうなの? まあ何でもいいや。あんたらがやりたいようにやってくれ」

「そうさせてもらうぜ。ま、これからよろしく頼むわ」

 二人も立ち上がり、マグゼを扉まで見送る。

 本当に、くえない親子だ。

 それは口に出さず、マグゼは探偵社を後にした。



 何故目を覚ましたのか、すぐにはわからなかった。

 夜明けであり、そろそろ起きてもよい時間ではあった。ただどうしてか、自発的に起きたのではなく起こされたのだと、アナスタシアは感じていた。

 身を起こす。部屋の隅の闇に、男が佇んでいた。

「お前か。随分久しぶりじゃないか」

 影が浮かび上がるように、男が姿を露にする。その手が軽く振られると、火のついた燭台が現れた。

「さすが、というのも今更か。少し気を飛ばしただけで、あんたは目を覚ました」

「目覚めがいい。起こし方も上手いんだな、ラルフ」

 銀髪の男が、破顔した。少年のような笑みだった。

 霹靂団を失って放浪を始めた際、帝国の山中で最初に出会ったのがこの男だった。忍びだとか言っていたか。

「あの時に借りた金を、返さなくちゃな。倍にして返すと、約束した。とりあえず、手持ちだけでも」

 寝台の脇に手を伸ばすと、卓の上に水差しとグラスが置いてあった。水の入ったグラスはわずかに汗をかいており、中身はつい先程汲んだ、冷たい井戸水だろう。

「相変わらず、気が利くじゃないか」

「あんたも変わらない。いや、前よりも強くなった気がするよ」

 立ち上がって握手を求めると、ラルフはわずかに目を逸らした。下着姿のままのアナスタシアを、慮ってのことだろう。二十代の後半だろうが、うぶな部分も残している。本当に、あの時のままのラルフだった。

「金は、いい。あれは投資みたいなものさ」

「投資? 本当に、株式を発行することになったぞ」

「新たな傭兵団か。今日俺がここに来たのも、それが理由さ」

 髪に櫛を通しながら、ラルフの話を聞く。あの時もそうだった。もっともあの時は別れの前で、今は再会の後である。

「あんたはスラヴァルにいた時も、本格的な忍びは使っていなかったようだな。そろそろどうだ。本物の忍びを使ってみては」

 このノルマランの砦は軍に対する防備こそ甘いものの、今はアナスタシアが滞在しているということもあって、忍びの警護がついていると聞く。ゆえにこそ、城の井戸から水を汲み、ここまで誰にも気づかれずにやってきたラルフの隠密の腕前は、相当のものだとわかる。殺そうと思えば、できたということだ。

「いいだろう。凄腕だとわかった。他に、何ができる? そして組織の規模は?」

「忍びとして求められるものは、一通り。人数は、生き残った一族をかき集めて、五人といったところだ」

 初めてラルフと出会った時、この男は一族を売られたという復讐の場にあった。血の匂いに誘われて邂逅したことは、細くともここに繋がる確かな、運命の糸だったのかもしれない。

「五人か。もう少し増やせるか」

「この五人を中心として、網はいくらでも広げることができる」

「わかった。他の忍びに比べて、何が勝っている?」

「暗殺と、それに対する警護には多少自信がある。それらは、コインの表と裏だからな。あんたは暗殺を命じることはなさそうだが、部下が暗殺されることはないと約束しよう」

「私も、そんなに綺麗な人間じゃないさ。まあ、誰かを暗殺してほしいと思ったこともなかったが。部下の心配をしなくていいのなら、助かる。それと、こんなことを頼んでよいのかどうか、わからないのだが」

「元霹靂団の面々を見つけ出し、声を掛けよう」

「私の心が読めるのか。それは早急に頼む。いずれは人を雇って、死んだ団員たちの家族の所在も知りたい。私の住んでいた屋敷に、もう押収されてるかもしれないが、名簿があった。残された家族に、恩給を出してやらなくてはいけないのだ。旧霹靂団の口座がスキーレ銀行にあり、そちらは手つかずでそれなりの額を残してある」

「やれやれ、忍びの仕事じゃないが、忍びなら簡単にできる仕事さ。先が思いやられるが、俺の一族も大切にしてくれると、期待していいのかな」

「共に戦うのなら、家族同然さ。そんな気持ちが重いのなら、単に仲間でいい」

「仲間か。忍びをそう呼ぶのはあんたが初めてだ。傭兵団が軌道に乗り始めた頃に、また顔を見せよう。それまでは兵を募りつつ、あの蜜蜂亭とやらで料理の修業でもしているといい」

「お前も、たまにはあそこに顔を出せ。一杯くらいなら奢ってやるぞ」

 笑いながら頷くと、ラルフは部屋を出て行った。

 身支度を整え、兵舎の食堂に向かう。

 今日は傭兵団の仕事に注力する予定で、店に出られないことは、既にジジに伝えてある。食堂につくとアニータ他数人が、目をこすりながら軽めの朝食をつついていた。

 身体が目を覚ましたところで、具足を身に着け、城の中庭を駆ける。この手の基礎体力の鍛錬は夕方に行うのが効果的と聞いたことがあるが、昔から、その時間は予定が入ることが多い。時間を作ってやるしかなかった。

 駆け終えた後は、腕立て伏せ、屈伸、腹筋運動を、形を変えながら繰り返す。ノルマランの兵がある程度集合するまでが刻限だった。早朝の鍛錬は以前アナスタシア一人でやっていたが、今では青流団、ノルマラン兵共に、早く起きた者と一緒に行っていた。途中から合流する者もいる。

 アニータは若いからだろう、ほぼ毎日、この鍛錬に顔を出していた。しかし、彼女はまだ十四歳と、成長期である。骨や腱に負担をかけないよう、具足を身に着けての鍛錬は禁じていた。自重だけの負荷なら、成長の妨げにならない。そして成長した分の荷重が、適正な負荷となる。

 兵が集まり、全体の調練を開始する。最近はアナスタシアの生活のこともあり、午前中が調練の時間になっている。ノルマランの兵は元々城勤めの騎士が多く、後ら合流する者や、抜ける者もいる。本来の事務仕事の合間を縫ってやって来るのだ。中座する者も、夕方にもう一度汗を流していると聞いた。ゲクラン領全てがそうであるかは知らないが、この土地の騎士たちは真面目な者が多いと感じていた。そして控えめながら、明るい。

 日が中天を指す前に、解散となった。昼食を摂った後は、兵舎の一室に青流団の者たちを集める。傭兵募集の打ち合わせである。

「アリアンたちはパリシとその近郊の町、イル・ダッシェン地方を中心に告知を出してくれ。酒場や、可能なら庁舎前の掲示板を使わせてもらおう。広場で触れを出す申請書は、ここに用意してある。既にゲクラン殿が陛下に使いを送って下さったので、これを直接宰相府に持っていけば、話は通るはずだ。グラナテはゲクラン領と、レザーニュ領。こちらはゲクラン殿、フローレンス殿両名に直接許可を得ている。村まで回る必要はない。主要な町で募集をかければ、後は噂が広めてくれる。これはと思う者がいたら、直接こちらから声を掛けていい。帰還は、およそ一ヶ月後を目安に。では、頼んだぞ」

 もう一度具足姿になり、城の跳ね橋から出立する兵たちを送り出す。

 残ったのは、自分とアニータのみである。

「たくさん、集まりますかね」

「どうだろう。一から傭兵団を立ち上げるのは、私も初めてだからな。兵の損耗が大きかった時、霹靂団ではこんなやり方で兵を集めていたよ」

「しばらくは、暇しそうですねえ」

「何を言っているんだ、お前は。これから目が回る程に忙しくなるぞ」

「え、どういうことです?」

「施設で働く人間は、これからなのだ。そこまでアリアンたちに任せては酷なので、これは私たちがやる。まず、医者がいる。食堂で働く人間がいる。厩、兵舎もな。事務をやる人間は、しばらくパスカル殿に貸してもらえるようだ。風呂だけは既に、町の大浴場の主人と話をして二、三人従業員を送ってもらえることになっているが、それだけで二千人の入る浴場を回せるわけがないだろう。施設で働く者は、色々と兼ねてやってもらっても、最低百人。いずれはもっと多くの人間が、兵舎周りで働くことになるだろう」

「ああぁ、よく考えたらそうなるんですねえ! 青流団の時は行く先々で近隣の村の人が商売しに来るって感じで、その辺り考えたこともありませんでした」

「来た者の差配は、ベルドロウ殿がやっていたんだぞ。ともあれ途中からは、戦えなくなった兵や引退した者の働き口にもなる。これから、そうした準備を整えていかなくてはならない。仕事によっては読み書きを教える必要もあるだろう。小さな町を作るようなものなのだ、傭兵団を立ち上げるということは」

「ひえぇ、みんな送り出しちゃってよかったんですか」

「お前がいるじゃないか。今日は休むが、明日から私は夕刻になったら、容赦なく蜜蜂亭に働きに行くぞ。城にはまだゲクラン殿とフローレンス殿がいるので、困ったことがあったら相談に乗ってもらえ。ただそれでも、お前がやるべきことは多い」

「ええぇ、ちょっと、しばらくのんびりできると思ったんですけど」

「できるか。まあ血眼になって探さなくとも、向こうから売り込んでくる者もいるだろう。そういった者の選別は、お前もやれ。セシリア邸で育ったお前は、それなりに世知に長けている。そしてお前には少々、人を見る目がある」

「どうして、そう思うんです?」

「私を、選んだじゃないか」

 アナスタシアが笑うと、アニータは泣き笑うような顔をした。

 町を出て、二人で兵舎の建設予定地に向かう。パスカルの手配してくれた職人たちが、早速天幕の下で話し合いをしていた。挨拶をし、アニータを紹介する。こういう時だけは、この地で名を上げたことが役立つ。アナスタシアが連れているだけで、十代半ばの小娘であるアニータは、その補佐役として認識されるのだった。

 今立っている天幕はひとつだが、他にもいくつか折り畳まれた天幕と、材木が転がっていた。近くにいた見習いに声を掛け、竿の一本を拝借する。

 しばらく、二人で原野を歩いた。爽やかな風が、アナスタシアの前髪を掻きあげる。

「ああ、そうだ。言い忘れていたが、新霹靂団の、私の副官はお前だからな」

「ちょ、ちょっとさっきから私ばっかり。でも、一体どうしてなんです」

「お前がやりたいと、私を焚き付けた。責任くらい取れよ」

「う、ま、まあそうなんですけど。アリアンさんの方が、いえ、他にも適任の人はいるじゃないですか」

「ルチアナを、振り向かせたいんだろう? 命のやり取りをしてでも、勝ちたいんだろう?」

「そ、そうですけど」

「ただの一兵卒じゃ、戦場でまみえても向こうは気づきもしないだろうさ。にしてもまったく、大それたことを考えたものだ。あの時お前に歩き出せと言い放って、こんなことになってしまった。結果お前の話に乗った私も、同罪かな。ともあれ青流団を辞めた後、最初に私を必要としたのがお前だった。理由はそれだけだが、お前が最初の一人だった。それは私にとって、小さなことではないよ」

 竿に、あの戦場で託された、霹靂団の旗をくくりつける。古い旗だ。それでもあの戦場で奪われなかった、唯一の旗だった。

「なに、副官は最低でも、あと一人はつける。お前は副官見習いみたいなものさ。自分の強さに自信が持てるまでは、私の陰に隠れていろ。お前を守ると約束してやれないが、私を盾にすることを卑怯だとは思うまい。利用してみろ。どうせなら骨の髄までしゃぶってみせろよ」

 覚悟を決めたのか、アニータはあまり似合わない神妙な顔つきで頷いた。

 地に棹を刺すと、旗は風を受けて膨らんだ。何かに打たれたように、アニータは目を見開いて、その旗を見つめていた。血の染みが抜けず、色褪せぼろぼろになった旗。やがてアニータは顔をこちらに向け、にこりと微笑んだ。

「ここから、始まるんですねえ」

「そうだな。私にとっては再出発だが、生き残った者たちの、そして新たに出会う仲間の期待に、応えよう」

 目を閉じると、瞼の裏にあの日の打ちひしがれ、そして生き残った霹靂団の兵たちの顔が浮かびあがる。ゲクランの、セシリアの、セリーナの姿も見えた。フローレンスが瞳を輝かせ、マイラが悲しい目でこちらを振り返った。

 目を開けると、無人の原野が広がっていた。ただ、あの日とは、何もかもが違う。

「今日ここに、再び霹靂団の旗を掲げよう」

 応えるように、旗は一際大きくはためいた。



第一部「パリシ攻防編」 完



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