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第13話「今日ここに、再び霹靂団の旗を掲げよう」-2

2,「父に執着している自分に、疲れた」


 珍しく、ライナスが来訪していた。

 ちょうどジルが無能な麾下と共に調練をしていた時だった為、ライナスがバルタザールと会談した場には間に合わなかった。ただ、ライナスは既に総督府に来ているということだ。ジルは馬の世話を終えると、すぐに執務室へ向かった。

「総督殿、ご無沙汰しております。先日のご出陣もお疲れさまでした。その後も、ご健勝とうかがっておりますぞ」

 笑いながら、ライナスはジルを出迎えた。どこかに暗さが漂うが、概ね闊達な男でもあった。異母姉のエドナ同様、ジルはこの男のことを信用していた。母が亡くなった後、色々と世話を焼いてもらった恩人でもある。

 ライナスが連れている二十人程の一人に、マイラもいた。目礼を交わしただけだが、この宰相の娘とも、通じるものがある。強い、というだけで何かわかりあえるような気がするのだ。

 大陸五強、ジルも含めたそう呼ばれる者たちには現在五人目が欠けているが、それはマイラだろうと、秘かにジルは思っていた。ただ、名前が表に出ていい人間ではない。どちらが強いかについては、あまり考えたことがなかった。立ち合うことがあれば、その時の状況だけが勝敗を分ける要因となるだろう。

 調べものがあって来たというライナスの話を聞きながら、ジルはさりげなく香水を振り、香を焚いた。調練後すぐに駆けつけたので、身を清める時間はなかった。汗はほとんどかいていないが、馬の臭いは身体に染み付いているだろう。

「それで、何を調べておられます」

「先日、キャシーとも話されたそうですね。ノースランドの件です」

 アングルランド北部、ノースランド島の叛乱。その活動を支える資金がどこから出ているのか、先日キャシー、レーモンとその話をした。

「まさか、レヌブランであると」

 ここレヌブランは、今はアングルランドの属国である。しかし元はアッシェンであったことを考えると、アングルランドに仇なす伏線は、一応ある。

「いえ、その可能性は低いと思っています。しかしながら、金と物資、共にここを通る可能性は高いのですよ」

 なるほど。アングルランド本土と隣接するレヌブランは、ノースランド島に近い。話の続きを、マイラが受け継ぐ。

「アングルランド本土を除けば、ノースランドに最も近いのは、エニス島とバイキング島です。エニスは元々、ノースランドのようにアングルランドからの独立を声高に叫ぶ勢力があります。ゆえにノースランドとの共闘は充分以上にありえるのですが、そもそもこれまで資金難で叛乱を起こせなかったのです。ノースランドに先を越されたことに歯噛みこそしていても、自らの独立を脇に置いてまであちらを支援するということはありえない、というわけです」

 この執務室は元が広間であったため充分広いが、それでもジルを含めて三十人程が集まると、やや手狭である。卓のひとつに、召使いたちが茶と菓子を用意していく。新たにやってきた者たちはそれらに手をつけるが、誰も落ち着いて腰を下ろすことはしなかった。

「バイキング島は」

「基本的に、自由に振る舞う海賊の集まりです。総督府が一応ありますが、どの国、勢力にも友好的、いわば八方美人を貫いております。そして所属の海賊たちの行動にも触れないと。島がどこかに狙われない限り、島内の勢力が団結して特定の勢力に加担することはないでしょう」

「自由な海賊の集まりなら、やはりノースランドに加担する海賊もいるのでは」

「いますよ。ただごく小規模です。あるいはそうと知らず、小さな交易のつもりでノースランドに資金を運んでいる船もあるかもしれません」

「そういうものは、糸口にならないのか」

「エスペランサからの船で、そうした件がありましてな」

 ここからは、ライナスが続ける。この親子は、しっかりと情報を共有できているようだ。

「知らずに運んでいる船は、どこかで積み荷を替えられているようなのです。遠くから運ばれる荷は、いくつもある中継地で、一つ一つ荷解きされることはありませんからな。どこで荷が入れ替わったのか、運んでいる者たちにもわからないというわけで。しかもそういった、いわば闇の物流の道は頻繁に替えられているようで、その周到さはこちらも戸惑う程であります」

「なるほど。相当に手の込んだものなのですね」

「ノースランドだけで、ここまでの道筋をつけられるのかは、疑問なのです。そんなことができるくらいなら、とっくの昔に商業大国となり、アングルランドを乗っ取ることもできたわけですから」

「金で、領地が買えるのですか」

「できないことはないですが、これは喩えで。しかし、そうですな。ノースランド諸侯がとてつもなく裕福なら、息女に相当な額の持参金をつけて、アングルランド本土の貴族の、嫁に出せる。その跡取りもノースランド貴族の娘と結婚させれば」

「三代でほぼ、ノースランドの血がアングルランドの系譜を席巻できますね」

「事実は逆で、ノースランドは貧しい。にもかかわらず、次々と遊撃戦を仕掛けられる程に、大規模な戦線を構築した」

「近年いきなり、大量の資金がノースランドに渡ったと。そしてそれを、継続、拡大している。先日、ハンザ同盟の"銀車輪"シュザンヌの名も挙がりましたが」

「アングルランドに対して、やや敵対的な態度に出ましたから、名が出るのは当然でしょう。しかし、シュザンヌ殿は現在あのデルニエールです。あそこからの通信は難しく、これだけの動きの差配ができるのかという疑問があります。もっとも、そうした準備を全て済ませて、国外に消えたとも考えられますが。ずっと前から動いていた話だったら、後は継続させるだけですしね」

 やはり、シュザンヌが裏で糸を操っていると考えるのが筋のようだ。通商、特に物流に関してはよく出る名前だ。どんな女なのだろう。一度会ってみたいものだと、ジルは思った。

「大規模な決済や貿易関連の書類は、一度この総督府を通る形になっています。どうぞ心ゆくまでお調べ下さい。こちらから用意できるものがありましたら、すぐにでも」

 言って、ジルは苦笑した。まるで文官のようだ。だが案外、こうした仕事も嫌いではないのかもしれない。少し前まで怪物を倒して大陸中を旅していたことを考えると、自分のことながら隔世の感すらある。

「いえ、総督は今まで通りの業務を続けて頂ければ。ただ、宰相府より新たに連れて来た者たちを置いて頂ければ」

 元より、この総督府は本国の宰相府から寄越された者たちによって構成されている。

「所帯が増えるのでしたら、追加で部屋を借りられるよう掛け合います。後で私が、バルタザール卿に頼んでおきましょう」

 バルタザールと会いたい。何故か今、無性にそう思った。

「そうして頂けると、ありがたい。それにしても」

 不意に、ライナスは目を細めた。やはり人の親なのだろうと感じさせる、包容力のある微笑である。

「ジル殿も、立派になられました。王室の一員であるというだけでこのような任を押しつけたこと、心苦しく思っていましたが」

「いつまで続けられるかわかりませんが、後任が来るまでは精一杯やってみようと思っています」

 元より、旅が性に合っているジルだ。アングルランドに対する忠誠心もない。羽を休めてもいいかと思っていたところに、こんな話が舞い込んだ。今はもう一度、羽ばたける気がしている。

「私のような旅暮らしを、ここまで引き上げて頂いたこと、感謝に堪えません」

 今の自分は、少しでも笑顔で話せているだろうか。振り返って鏡を見る勇気はなかったが、この顔に張り付いている怒りの面が、少しでも剥がれていることを願う。

 それからは、ライナスたちと今後の業務について相談した。ノースランドにどこが加担しているにせよ、その金と物資はやはり、ここを通っている可能性が高い。これまでは尻尾を掴んではするりと逃げられることの繰り返しだったが、ここでは見えない蜥蜴の胴を、掴むことができるのではないだろうか。

 五人の文官を残し、ライナスたちは次の街へ向かった。ここレヌブランの他の街はもちろん、アングルランドの大きな港をしらみつぶしにしていくらしい。

 最も信頼できる忍びの頭領を連れ、宰相自ら監査するのである。アングルランドが本気で、闇の資金の根源を絶とうとしていることがわかった。もっとも、ライナスは宮殿の宰相府で大人しくしているような男でもなかったか。落ち着いた佇まいと相反して、走り続けなければ死ぬ男である。

 文官たちが仕事を終えた後も、ジルは執務室に残っていた。冷めた紅茶を口にしながら、ライナスに度々向けられていた、マイラの慈愛と尊敬に満ちた眼差しを思い出す。あれが、親子か。母に邪険にされ、父に見捨てられてきたジルにとって、その関係性はあまりに眩し過ぎる。ジルの胸には今も、両親に対するどうしようもない悪感情がとぐろを巻いて横たわっている。

 死んでしまった母を、今ものうのうと生きている父リチャードを、ジルはいまだに許せない。何故か。ライナスとマイラを見て、なんとなくわかりそうな気がした。少なくとも、母に関してはわかる。

 あの頃のジルは幼く、母の暴力に耐えるしかなかった。親代わりや、友となってくれたかもしれない人たちを、次々と奪われた。今だったら、殴り倒す。泣きわめく母の姿を見ることができたら、許せたかもしれない。自分の痛みは、心細さはそんなものではなかった。それは加害者たる母に理解してもらいたかった。しかし、彼女はもういない。

 父は、どうか。殴り倒すだけの力が、今のジルにはある。不死身とさえ言われるその肉体を破壊し、殺すことさえできよう。しかしあの男にそんなことをしても、あるいは死の際ですら、柳に風という気がする。響かないのだ。まるで人の屈託、生き死にですらどこかでどうでもいいと思っている、あの男には。

 父が誰かわからなかった頃、もし父が生きていて再会できれば、ジルの抱えてきた悲しみ全てを受け止めてくれると夢見ていた。父が王と知った時もそんなことはどうでもよく、ただ父の胸に抱かれ、今までよく頑張ってきたと頭を撫でてもらえれば、それで全て水に流せた。

 あの男からすると、ジルは行きずりの女に生ませた、数多くいる子供の一人に過ぎなかった。今もジルに対して、何の関心も持っていないだろう。

 悔しいのか、認めさせたいのか、それでレヌブラン総督などという、およそ最も似つかわしくない職につくことを肯んじたのか。ただの職責だが、植民地の総督ともなれば、国内での地位は決して低くなく、リチャードが王である以上、ジルの名を聞かないなどということはあるまい。私はここにいるぞ、そう言いたかったのだろうか。

 考える。これも、何か違う気がする。そんな回りくどいことを、本当にしたかったのか。ただ、放浪の日々ではあの男から忘れ去られるだけだっただろう。

 リチャードについて、思いを巡らせない日はない。旅の日々は、特にそうだった。ジルの身体は、自分でも思ってもみなかった程頑健で、回復も早い。骨折など、二、三日で治ってしまう。深い切り傷も、縫って一晩寝れば塞がっていた。トロールの血でも入っているのではないかと噂された、リチャードの血だった。どうやら、他の異母兄弟たちに、この血はあまり受け継がれていない。ジルが最も色濃く受け継いだ、血。

 そしてどうしたらこの不穏な気持ちが鎮まるのか、今になってもわからなかった。一言で言えば、殺してやりたい。だが単に殺しただけでは、この黒い霧は決して晴れないだろう。

 殺したい程の、何か。それを見つけ、成した時、きっと自分は幸せになれるのだろう。自分が不幸であるという感覚から、どうしても逃げられない自分がいるのだ。

 誰もいない執務室で、ジルは大きな溜息をついた。

 疲れた。父に執着している自分に、疲れた。

 いっそ他の道筋で、ジルは幸せを探すべきなのかもしれない。ここでの暮らしには、それを期待させる何かがある。

 老騎士ゲオルク、ケンタウロスのアーラインと話している時は、二人はジルをからかうところがあるが、それでもそれを楽しんでいる自分がいる。戦場で会った、レーモンという優れた将軍と、その息子のヴィクトール。今すぐに、会って話したいと思った。

 バルタザールの姿を思い浮かべる。明日にでも、総督府で借りられる部屋を増やしてもらいに、会いに行くつもりだ。

 自分でも、理由はよくわからない。ただ、あの初老の男に惹かれている自分を、最近のジルは苦々しくも認めざるをえなかった。恋に理由はないという。男に惚れたことのないジルには、その辺りのことはわからない。ただ、あの男には何かあるという気がする。かつては次の大陸五強に数えられそうな程、強かった。父リチャードと戦い、敗れた男。

 今はその巨体にも関わらず圧のようなものはなく、そろそろ好々爺という雰囲気すら漂い始めている。優しいと思ったことはないが、包容力とはまた違った意味で、懐が広いという感じがする。あの男に抱かれたいと思う理由が何なのか、今後掘り下げてみてもいいだろう。

 ただの性癖ならそれでいい。深く考えずに済む。



 日曜の夜に、三人で会合を持った。

 ゲクラン、フローレンス、そしてアナスタシアである。

 三日前に城代へ言伝を頼んだのだが、その週の内に三人が集まることはないと思っていた。近場のフローレンスはともかく、ゲクランの居城は馬で三日はかかる。知らせが届いたのはまさにその帰途だったらしく、それを受け取るや否や、居城が目前であったにも関わらず彼女はここへやってきた。ほぼ一日半休みなく、馬を乗り継いでやってきたのだという。

 伝令でも、一人の兵が馬を乗り継いで駆け続けるようなことがあれば、一日で死んでしまうこともあると聞く。同じようなことをして駆けつけたゲクランとその供回り十騎は、恐ろしく頑健だということだ。馬に乗らない者にはわからないようだが、疾駆する馬に乗り続けるのは、自分の足で駆けるくらいには消耗する。

 そのゲクランが、広間に入ってくる。豊満過ぎる胸元は影響ないようだが、それでもその頬はわずかにこけたように見えた。

「思ったより、早い決断だったわね」

 珍しくビールを煽りながら、風呂上がりのゲクランは上気した顔で言った。疲労から来る顔色の悪さを、酒気でごまかしているのかもしれない。

「焦らせるつもりはなかったのですが。かなりの強行軍だったようで」

「早く来たいから、来た。それたけよ。今の私にとっては、これが最優先事項だからね」

 片目を閉じてみせるゲクランに、フローレンスも目を輝かせながら同意した。

「アナスタシア様。ご決断下さってありがとうございます」

「いえ、御礼を言わなければならないのは、こちらでしょう。お二人には、資金を提供して頂くわけですし」

 アナスタシアの、傭兵団。その旗揚げを、正式に決めた。

「規模は、どのくらいを考えてる?」

「まずは、二千。時間は掛かるかもしれませんが、最終的には五千くらいを」

「いいわね。あなたなら、十万でも軽く指揮できそうだけど」

「そのような傭兵団を旗揚げしたら、一生借金まみれでしょう。資金繰りを考えると、数万の規模を維持するのには、諸侯となる他ありませんな」

「あらぁ、私は以前、あなたにたくさん領地を譲ってもいいって話をしたけど」

「まあ、貴族になるつもりもありませんので」

 言われた通り、アナスタシアには万の兵を指揮できる自信はあるが、万の民を統治できるとは思っていない。それは、それにふさわしい度量を持った者がやればいい。ゲクランとフローレンスには、それがある。

 次々と運ばれてくる料理の皿を、ゲクランは取り憑かれたように平らげていった。野性的に骨付き肉にかぶりつくゲクランをよそに、フローレンスは上品に料理を口に運んでいた。アナスタシアは、給仕を呼び止めて言った。

「この豚は、美味い。使っている香料は、フェンネルで合っているか」

「ちょっと、料理の話は後にして頂戴な。せっかく私がいるのよ」

「それもそうでした。後でゆっくり聞くとします。料理長に、これは美味いと伝えておいてくれ」

 遅れて、パスカルも登場した。こちらも少々疲れた様子で、後ろで結んだとうもろこし色の髪が、わずかにほつれている。

「何やってたのよ。一番近場の人間が、一番遅れてくるなんて」

「申し訳ありません。しかしこちらも用意するものがありましてな。お三方、とりあえずではありますが、契約の書類をお持ちしました」

 パスカルは料理の皿をずらすと、卓の中央に何枚かの書類を広げた。繊細な縁取りの施された、上質の紙であった。

 アナスタシアが傭兵団を旗揚げするのは、ここノルマランだ。軍が駐屯するのには、まず領主の許可がいる。その領主であるパスカル自ら、旗揚げに関する契約書まで用意してくれるのはありがたい。

「先日のお話をまとめたものです。具体的な数字とご署名は、これから入れて頂くとして」

「あら、気が利くじゃない」

「まあどうせ、すぐにこの手の書類を用意せよと命じられるとわかっておりましたので」

 アナスタシアは、契約書に目を通した。これをこれから作る羽目になると思っていたので、本当に助かる。長年やってきたのではっきりとわかるのだが、アナスタシアは書類仕事が苦手である。

「しばらく、事務方は私の方からお貸し致しましょう」

「何から何まで。パスカル殿には、お世話になりっぱなしです」

「ちょっとちょっと、私を差し置いて何よ。私もアナスタシアに感謝される立場なんだけど」

「お嬢様は金だけ出されれば良いのです。これは、私の領地での話ですので」

 ふくれたゲクランを見て、パスカルは吹き出した。相変わらず、食えない男である。

「傭兵隊の駐屯となれば、それなりの土地が必要です。街の東、城壁のすぐ側が空いています。遊ばせている土地なので、そちらに兵舎を建てられては」

「それも、ありがたい。そこに関しても、お任せします」

「え、ちょっと待って。パスカル、アナスタシアの傭兵団は、あなたのものじゃないんだけど」

「書類上は。アナスタシア殿は、既に私が懐柔済みです。私が何の為にこれまで、アナスタシア殿と彼女の連れて来た兵の面倒を見てきたと思っているのですか」

 こらえきれずアナスタシアが笑うと、釣られてフローレンスも口元を覆う。この主従は、よくこんなやりとりをしているのだろう。

「ああ、じゃあ株とは別に、兵舎と周辺の施設は、私が建てる」

「それは、株式で得た資金で建設する予定でしたが」

「ご祝儀みたいなものよ。断るなんて、言わないわよね」

「ま、まあ、借りたり買い戻すような話でなければ、いくら頂いても嬉しい限りなのですが」

「では私はゲクラン様と同額の資金で、武器や食料を提供させて下さいな。好意の証です。アナスタシア様、よろしいでしょう?」

 フローレンスが、身を乗り出して言う。可憐な印象は初めて会った時と変わらないが、その時に感じた、負けず嫌いなところはやはりあるのだろう。加えて、ちょっと人と張り合うようなところもあるようだった。

「兵がどれだけ集まるかにもよりますが、思っていたよりも早く、隊を形にできるかもしれません。お三方には、感謝してもしきれません」

 食事が終わるまでは、傭兵団の話に終始した。すぐに動かすべき事柄や、少し様子を見た方がよい事案もある。告知は、この近辺で行う。

 生き残った、旧霹靂団の兵たち。いずれは彼らの耳に、アナスタシアが再び旗を揚げた話が届くといい。あれから傭兵をやめた、ないしは復帰予定のない者も少なくないだろう。しかし今なお再集結を望む者がいるのなら、こうして旗揚げが可能となった今、帰る家を用意するのはアナスタシアの責務だった。噂が、いずれ風に乗ってくれるか。

 酒が回ったのか、ゲクランは真っ赤な顔をしていた。

「そういえば、蜜蜂亭だっけ? あそこで働くって話、どうなったの」

「働かせて頂いてますよ。当面は下働きですが」

「へええ。そっちも上手くいったのねえ。兼業するの」

「あちらが本業のつもりですが」

「え、ええっ?」

「といっても、傭兵団は、人の命を預かります。無論、わずかでも手は抜けないと思っていますよ。ですので蜜蜂亭は、こちらの手が空いた時にと、先方に我侭を聞いてもらう形で」

「素敵です。私もぜひ一度遊びに、いえ、アナスタシア様の作るお料理を頂戴したく存じます」

 隣りに座るフローレンスが、熱っぽくアナスタシアの手を握ってくる。こちらも、少し酒を過ぎているようだ。

「まだ調理を手伝うこともなく、厨房に入るのは皿洗いの時だけです。主に給仕をしていますが、そこから学ぶべきものも多く、初めから料理を教わらなくて、良かったとも思っています」

 その夜はそこで解散となったが、二人は手続きを詰める必要がある為、もう数日ここに留まることになる。

 兵舎に帰ったアナスタシアは、少し酔っていることを自覚していた。酒に酔うのは、随分と久しぶりという気がする。

 大きなことが、始まろうとしている。今更だが、やはり自分はまだ指揮官であることを捨てられないのだろう。蜜蜂亭で採用が決まった時の喜びとは別の暗い高揚感が、確かにあった。

 明かりを消した部屋の壁を、じっと見つめる。いつか、この修羅の道から外れることができるのだろうか。

 歩き続ければ、いつかどこかに辿り着くだろう。

 そんなことを考えながら、アナスタシアは床についた。



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