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第5話「それは天使の片翼か、黄金の川のように見えた」-1

挿絵(By みてみん)


1,「戦いたい相手と、戦う。それは軍人にとって、危険なことでしょうから」


 宰相の来訪に関し、特に準備することなどなかった。

 幕舎の中は、ある程度片付けられている。いつここが襲われても、というのがまずあるが、整頓はエドナ自身の性格によるものが大きかった。この執務に使っている幕舎の床には、まだ処理の済んでいない報告書の類が積み上がっているが、いずれも緊急性のないものばかりで、重要なものはすぐにでも運び出せるようになっている。

 エドナは、アングルランド軍元帥である。急速に再整備されつつあるアングルランド法によれば、現在、軍の頂点に立つ地位だった。仕事の多くは部下に任せる立場にもあるのだが、元からの性格というものは、そうそう変わるものでもない。時間に追われる日々だが、重要な書類に関しては部下に任せることなく、全てエドナが決済し、整理している。人に任せてしまうと、咄嗟の時に対応できないという部分を、どうしても危惧してしまう。

 風で、幕舎の入り口の幕がはためいている。奇襲を受けないよう周囲に丘や森のない地形に布陣しているが、吹きさらしの土地は、兵たちにとって過酷なものではあったと思う。

 ノースランド叛乱鎮圧軍。それが現在エドナの率いる軍の正式な名称であり、ここは最前線だった。戦況は、あまり芳しくない。

 叛乱を率いているのは、ノースランドの実質的な支配者であり、かつての王家の血を引くハイランド家の現当主、ティアである。今ではノースランドの故事に倣い、自らをブーディカと名乗っていた。それは第三帝国時代に帝国に叛旗を翻した、ノースランド人の古代の女王の名である。

「それにしても、暑くなってきましたわね。よくお姉様は、こんな格好で外を出歩けますわね」

 幕舎の中にいる、腹違いの妹、エリザベスが言った。胸当てをできるだけずらし、首の辺りを手で扇いでいる。ここ北の地でも段々と夏の訪れを感じるようになってきたが、今日は特に暑かった。

 今幕舎の中にいるのはエリザベスの他にもう一人、その従者のパンジーである。パンジーはおろおろとした様子で、主に小さな扇で風を送っている。エリザベスが不機嫌になると、大抵怒りの矛先は、従者のパンジーに向かう。

「すぐに、慣れるよ。ただ、まだ小さかった私が初めて鎧を身に纏って兵に混じったのは、まだ寒い季節だった。寒い時の具足姿も、きつい。底冷えがするんだよ。夏になった時には、随分ありがたいと思ったし、鎧を着て動き回ることで、大量の汗をかくということもなくなっていたかな」

「んー、そんなものですの? まあ、暑い季節も寒い季節も、具足姿は大変ってことですわね」

 耐えきれなくなったのか、エリザベスは顎で指図し、パンジーに鎧を脱ぐのを手伝わせた。妹の丸い額には、びっしりと汗の粒が浮いている。それを涼しい顔で見ていられるのは、エドナが調練に参加していなかったというのもあるだろう。今日は一日、書類と格闘しなくてはならなかった。鎧も、すぐに身につけられるよう傍には置いてあるが、結局使うことはなさそうである。

 それにしても、とエドナは苦笑した。エリザベスは具足姿が似合わない。華奢で、身体は武人のそれとは程遠い。取ってつけたような、とはまさにこのことだろう。鎧が特注のそれではなく、平民上がりの指揮官に支給される簡素で武骨なものであったことも、それに拍車をかけている。

 ただ、まだ身体が出来上がっていない者でも、なぜか具足姿が様になる者もいる。そういった者たちは鍛錬を重ねれば必ずものになるが、エリザベスにそういった雰囲気は皆無だった。共にあの冒険王リチャードを父に持つが、この腹違いの妹に、武の天稟はまるでないようだった。

 一方、その従者のパンジーには、底知れぬものを感じている。出自は謎だが、宰相の話によると、あの新世界秩序によって育てられたらしい。"恐るべき子供たち"と呼ばれた彼、彼女たちは、幼少時より何かしらの殺しの技を会得しているとのことだ。一目見ただけで相手がどれほどの腕前を持つかを見極めることができるエドナだが、この従者の腕がどれほどのものか、いまだに測りかねていた。そういう意味では、忍びに近いのかもしれない。忍びは、たやすく相手にその実力を見抜かれない。

 パンジーの髪は黒髪を短く切ったものだが、光が当たるとわずかに、その髪は緑色の光沢を放っていた。特徴はそのくらいのものだが、あるいは亜人種の血が混ざっているのかもしれない。十八歳と聞いているが、その顔はもっと幼く、少女の面影を強く残していた。

 そのパンジーが、手早くエリザベスの鎧を脱がしていく。エリザベスの脱がされ方も、堂に入ったものだ。まるで子供の頃から召使いを使ってきたようにも見える。が、彼女は数年前に宮殿に姿を現すまで、田舎の町で貧しい暮らしをしていたと聞く。召使いの使い方にはコツのようなものがあり、彼女が最初からそういったものを心得ているように見えるのは、思えば不思議なことでもある。

 エリザベスとパンジー、あらためて考えると、謎の多い二人であった。

「パンジー、ちゃんと汗を拭って、綺麗な状態にしておきなさいな。それで姉様、この鎧はどこに返せばいいんですの?」

「補給を担当している将校を見つけたら、その者に返せばいい。ん、もうここを出るのか。一応取り決めの通りだが、もう少しねばってくれるんじゃないかと思っていたよ」

 笑いながらエドナが言うと、エリザベスは口を尖らせて、肩をすくめた。

「あくまで、経験と申し上げたでしょう? 私は陸軍の指揮官を目指しているわけではないのですから。でも、貴重な経験でした。この場を設けて下さって、お姉様にはあらためて感謝しますわ」

「ご苦労だった。経験か。何か得るものはあったか」

「百の内ひとつくらいは、軍というものがわかりました。ゼロよりかは、いくらかマシでしょう?」

「兵としてはともかく、指揮官としてはなかなか光るものがあった。血筋だけで軍の高い位置にいる者たちと比べたら、いい指揮官になると思ったのだがな」

「その血筋だけで、私は船団の指揮がしたいんですのよ?」

「ハハハ。皮肉に聞こえたら、すまない。私も似たようなものだ」

 現王リチャードの娘。嫡子。おまけに長子でもある。王位継承権第一位のエドナに、気を遣わない者などいなかったといっていいだろう。たとえ、エドナがそのことにいくら苦しんでいてもだ。

「でもお姉様は、一兵士から始められたのでしょう?」

「何事も、筋を通したくてな。ただ、自領の兵から始めたので、周囲の目は甘かったはずだ。若い頃は、姫様などと呼ばれたりしてたしな」

「甘かった、というのはどうでしょう。領地の兵を率いる将軍だけでなく、アングルランド全軍の頂点に立たれた。それは、姉様に並外れた素質があったということではなくて? まして、あの宰相が目を光らせている今のアングルランドですのよ?」

「いくらか、才能があったのだろうという自覚はある。が、巡り合わせのようなものだろうな。父の名を汚さぬよう、懸命に務め上げようとした結果が、これだ」

 今のエドナはそれこそ指先一つで、万の軍勢を指揮できる立場になっていた。

「巡り合わせですか・・・なるほど、私も、お姉様と血の繋がりがあったこと、感謝しなくてはなりませんね。おかげでさまで、経験もないのに兵の指揮までさせて頂いて」

「私だけでなく、兵にも感謝することだ。綺麗事で言っているのではないぞ。単純に、戦は一人では為すことができないからな」

 神妙に頷くエリザベスを見て、エドナは笑った。

 不意に、わずかだが、外が慌ただしくなった。馬蹄の響き、馬のいななき。戦のそれではない。

「・・・そろそろ、宰相が来ますわね。それでは、私たちはこれで」

「残っていても、いいのではないか? 宰相と話したいこともあるだろう?」

「それは、この後にでも。私個人のことですから。そろそろ海軍の方に配備してくれ、というだけの話ですの。以前に一度、話してありますし」

「まあいい。出立はすぐではないのだろう?」

「ええ。明日にでも。夕食はご一緒できれば」

 手をひらひらと振って、異母妹は幕舎を後にした。敬礼ではないので、もう軍の所属から離れたということなのだろう。が、従者のパンジーは敬礼をして去っていった。

 入れ替わるように、宰相のライナスが入ってきた。供は一人、宰相の娘で忍びをやっている、マイラだった。供回りの兵と同じような、軽装の鎧を着ている。二人はさりげない所作で敬礼をし、幕舎の中に入ってくる。

「こちらは、どうですかな?」

 ライナスはまだるっこしい挨拶などせず、単刀直入に聞いてきた。無論、ノースランドのことである。

「変わりません。相変わらず、あのやり方に手を焼いております」

「彼らが使う遊撃戦というのも、なかなか有効なもののようですな。特にここまで組織立ったものだと、尻尾を掴むのも難しい」

「まったくです。掴んだところで、その尻尾が切れてしまうことも多いのです」

 少し、愚痴っぽい言い方になってしまっただろうか。ライナスは父の甥で、エドナとは従姉妹にあたる。離れた年齢やこれまでの関係性からいうと、叔父に近い感覚を持っている。ともあれ近しい親族ということもあり、彼に対するわずかな甘えを、エドナは自覚していた。エドナをここまで引き上げてくれた、いや、この地位につけるまで根気よく育ててもらったという恩義もある。

 ライナスは頷くと、幕舎に張られた地図や卓上の書類に軽く目を通し始めた。エドナは、マイラに目をやった。

 エドナの忍びは、宰相付きのものを使っている。つまり、このマイラが頭領である。なので彼女とは頻繁に連絡を取り合っていた。エドナの視線に気づき、マイラは口を開いた。

「先程、こちらの部下たちに話を聞きました。ノースランドに親和的な者たちは、既に洗い出せているようですね」

「そうなのだ。しかし明確な協力者、いや、我々に対する確実な叛逆者となると、これが上手く判別できない」

「そうですね。裏で糸を引く人間は、そう多くないと感じているのですが・・・」

 ノースランド叛乱軍が接近した時に、その叛乱軍にあっさりと城門を開いてしまう領主と、そうでない領主がいる。普段の言動からノースランドに親和的だからといって必ず城門を開くとも限らず、また、アングルランド本国に忠実な者でも、敵が近づけば融和を図る者もいる。

「大半は、どちらにつくか、決めあぐねているのでしょう。それぞれの信条はどうあれ、まず自領の安全こそが第一でしょうし」

「そうなのだろうな。ゆえに事前にノースランドに親和的とわかっても、それだけで糾弾することはできない。またノースランドにいくら忠誠を誓っていても、守兵が百人の町に二千の軍がやってきたら、門を開かざるをえない。それを叛逆に加担したと糾弾することは、後々のことを考えても得策ではない」

 そもそも最近まで同じ玉座を仰いでいたということもあり、北部アングルランドとノースランドの血は、混ざり合っている。民もそうだが、領主の血もだ。ノースランド本島は血が濃いともいえるが、アングルランド北部の民は、両者の混血が多い。今ではアングルランド人、ノースランド人という区分けは、難しいといっていい。等しく、アングルランド人だったのだ。

 そしてノースランド叛乱軍の戦い方は、遊撃戦が主だった。

 あまりまとまって動くことはなく、百人単位の集団がいきなり千人単位の軍となって集結し、手薄な町や砦を攻める。ゆえにほとんどの場所で戦闘らしい戦闘はなく、攻められた側は大した抵抗も出来ず、白旗を揚げる。

 こちらの軍勢がそうした町に近づくと、叛乱軍はあっさりと支配を放棄し、物資を奪ったまま、別の町や森の中へと姿を消す。そしていつの間にかまた別の場所で集結し、近場の拠点を支配してしまう。こちらも全ての領土に軍を派遣するというわけにもいかず、またあまり少数で動けば、敵のいい餌食になる。

 対アッシェン戦で行われた、正規の軍同士のぶつかり合いなら、エドナにはどんな敵にも遅れを取らない自信があった。が、ここで行われる戦は、これまでのものとはまるで違う。

 エドナも何度か叛乱軍と対峙したが、まともな戦いになる前に、逃げてしまうのだ。

 ゆえに、エドナはこの戦に勝ち続けている。しかし、勝った気がしたことなど、一度としてなかった。

 ライナスは時折指でなぞりながら、じっと地図に目をやっていた。わずかに目を閉じた後、その刈り揃えられた口髭が動いた。

「難しいですな。この戦、我らは叛乱と位置づけておりますが、実際には内戦といっていい。国とは、難しいものです」

「国・・・ですか。そこまで大きな視点で、私はこれまでの戦を見てこなかったような気がします。規模は大きいですが、それでもただの、叛乱だと」

「国が、大きくなる。その前に、国をひとつにしなければならない」

「わかります。今、国は二分されようとしていますか」

「私は、そのように見ています。もっとも、これを収めることが出来れば、我が国はアッシェンに対し、地に足を着けた戦いができますな」

「鎮圧に時間をかけてしまい、申し訳ない次第です」

「元帥が詫びるようなことではないでしょう。我々が人を動かせるようになる前から、この問題はあった。どうせ起こるなら、できるだけ早い方がいい。もう数年遅れていれば、エニスでも同様の問題が起きたかもしれない」

 アングルランドは本来の土地に加え、北のノースランド島、西のエニス島の二島を含めて、国の領土としている。

「それは怖い。同時に二つとなると、対アッシェンどころではなくなる。エニスでも、叛乱の気配はありますか」

「ええ。以前から、独立を願う者は少なからずいます。その準備も、既に進められていた気配があります。が、ノースランドが先に動いた。ノースランドは、早過ぎたのです」

 言って、ライナスは寂しげに笑った。どう応えていいかわからず、エドナは口をつぐむ。何かをごまかすように、すぐにライナスは口を開いた。

「ウォーレス殿は、いかがですか。さすが我が軍の誇る最強の将軍、既に戦果を上げているようですが」

「何度か、集結した叛乱軍相手に、勝利をおさめてはいます。が、まともなぶつかり合いになる前に、散ってしまうことが多いのです。加えて、あの二輪戦車部隊との戦いは、こちらの騎馬隊と、どうにもかみ合いません。ウォーレス殿にしても、もう少し戦らしい戦を望んでいることでしょう。上手い使い方ができず、彼に対して申し訳ない。力のなさを噛み締める毎日です。いや、これも少し愚痴っぽい言い方になってしまったかな。宰相を前にして、気が緩んでしまったのかもしれません」

「指揮官は、孤独なものです。宰相としての立場なら、私もあなたの愚痴に耳を傾けることができる。いや、私が愚痴と言ってしまっては、元帥に失礼か」

 ライナスは笑った。ライナスも軍に属しており、階級は大将だ。軍内では、エドナの部下に当たる。が、やはりライナスは宰相だった。文官の頂点として、エドナは接している。共に頂点に立つ者として、どこか共感して欲しいという思いを、捨てきれない。

 時折見かける男勝りの女兵と違い、エドナは女であることを捨てようと思ったことはない。男に勝とうなどという、浅はかな対抗心も持っていない。何より子供の頃から、エドナは自分より強い男の兵を見たことがなかった。子も生み、育てた。エドナにとっての劣等感はむしろ、自分が女らしくいられるかということだった。思考の経路は、男のそれとほとんど変わらないと自覚していたからだ。

 が、苦しみを誰かに理解してもらいたいと思う気持ちは、やはり女のそれなのだろうと自覚する。男はどこか自分の世界に入ってしまう部分があり、競うことが好きであるにも関わらず、根本的な部分で他人と自分を比較しない。つまりエドナが思っているよりも、誰かに共感を求めていないのだった。

「元帥は、よくやっていらっしゃる。私の想像以上ですよ。元帥ほどの戦上手でなければ、あのハイランド公は、今頃宣言通り、ロンディウムを火の海に沈めていたかもしれない。睨みをきかせているだけでなく、元帥がここに来た時よりも、押し返してさえいる。現状を責められる者など、今のこの国にはいませんよ」

 そう宰相は言うが、エドナの気持ちは着地点を見つけられず、卓の煙草入れに自然と手が伸びた。このところ、自覚できるくらいに、煙草の量が増えた。平静を装っているつもりだが、思うに任せぬ戦況に、胸の内が波立つことが多い。

 ライナスもいつの間にか、煙草に火をつけていた。

「宰相の方は、いかがでしょうか。パリシ包囲に、遺漏はないと聞いていますが」

 本来であれば、エドナがその総指揮を執っているはずだった。

「後はゲクラン元帥率いるパリシ奪還軍を討つのみですな。先方の準備がまだ整わないので、こちらは気長に待つのみです。正直申し上げて、少々時間を持て余しています。それでお邪魔と知りながら、ついついこちらまで足を運んでしまった」

「いえ、こうした話ができる相手がいてくれることは、重荷を大分軽くしてくれます。それに宰相のことです。本当は目が回るほどに忙しいのでしょう?」

「いや、実はそうでもないのですよ。パリシ奪還軍が編成されないことには、こちらもこれ以上動きようがない。ですが、時間は有効に使わせてもらうつもりです。これも包囲軍を指揮してくれている、ダンブリッジ卿のおかげでしょうね。彼に任せておけば、余程危急の事態が起きない限り、まず大丈夫でしょう」

 パリシ奪還軍に対する策に関して、エドナもおおよそのことは聞いている。戦略的にいって、まず間違いのない作戦だ。

 北のレヌブランの軍を動かし、南、つまりパリシの東に集結する奪還軍を、北と南に分断させる。南に残った奪還軍本隊、レザーニュ伯と遠路駆けつける予定の辺境伯の軍は、パリシ包囲軍から精鋭を率いたライナスが討つ。ここまでは、エドナでも報告前に思いついた。

 問題は、その南北に挟まれた位置に領土を持ち、奪還軍の総指揮権を持つ、最も強敵とされるゲクラン元帥自身の軍をどうするかだった。遊軍の様に動き、南北の戦線両方に臨機応変に駆けつけるようなことがあれば、かえって難局を招く。分断したはずが、むしろこちらが分断される形になってしまうのだ。

 エドナではたやすくその解に辿り着くことはできなかったが、ライナスは既にその答を持っていたようだ。マイラから直接その作戦を聞いた時、エドナは思わず唸った。

 動き出したら最後、アッシェンの総力をかけたパリシ奪還軍は、確実に崩壊する。

「パリシの件ですが、それにしても、大胆な策を思いつかれました」

「多少は、こちらもリスクを知らなくてはいけませんからね。なに、ゲクラン元帥も、すぐに対処してくると思いますよ」

「まさか。私が彼女の立場だったら、有効な対処を思いつける自信がありません。どうしても、受けに回らざるをえない。そしてそれは攻める側として、既に失策です」

「きっと元帥でも、その時になって何か思いつくはずです。エドナ殿とゲクラン殿、共に軍の頂点に立つ者として、底力のようなものは、その時になって初めて沸いて出るものでしょう」

「そんなものでしょうか」

「ええ。戦ではありませんが、かつて陛下に付き従って世界中を旅している時、私はそんなものをたくさん目にしてきました」

 旅とは、父リチャードがまだ冒険者として各地を旅していた時のことである。当時は冒険王子と呼ばれていたリチャードの放浪に、従者として仕えていたのがライナスだった。

「しかし、先方に底力のようなものを出されては、困りますね」

「ええ。ですが私は、それを見てみたいとも思っています。見せつけられた上で、勝ちたいと」

 戦闘宰相とあだ名されるライナスの本質はやはり、軍人なのだろう。いや、武人と言うべきか。

「できれば私も、パリシ包囲軍に加わっていたかったものです」

 戦に、心浮き立つようなことはない。が、エドナにも軍人としての矜持があった。

「そこに関しては、申し訳ない。たかが文官が、武人の頂点に命ずる形になってしまった」

「宰相が目指す近代国家とは、そういうものだと理解しているつもりです。国を動かすのが政治。そこに軍人が口を挟むべきではないのでしょう。戦が全てとなった国が早晩滅んでいくのは、歴史が証明しています。先程は、失言でした。軍人としてではなく、私個人の思いと受け止めて頂きたい」

「そうですか。しかし私も、エドナ殿とゲクラン殿が戦略をぶつけ合うところ、見てみたかったと思います」

「それは軍人としてもうれしいお言葉です。しかしそうであるがゆえに、やはり私は対アッシェン戦線から外れて正解だったのだろうと思います」

「と、申しますと?」

「戦いたい相手と、戦う。それは軍人にとって、危険なことでしょうから」

 心得たというように、ライナスは頷いた。

 エドナは卓に戻り、重要な報告書を、冊子にまとめた。軍事機密ともいえる、緻密な情報の集まりである。

 通常だったらそれは、信頼できる忍びに持たせて、宰相の元に送られるものだ。これがちゃんと宰相の元に届いたか、気になってしまう夜もある。が、今日のところは、その心配もなさそうだ。

 今は、渡すべき本人が、目の前にいる。


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