第28話「あたしも、仲間にいれてくれるんだな」-2
2,「あなたのように美しく、強い娘が生まれた」
出撃前としては、これが最後の軍議の席となる。
大まかな作戦については、既に決定済みである。なので輜重隊の準備の進捗具合、その他諸々の細かい話が、議題となっていた。この手の話は、それこそ行軍中でも何度か微調整を繰り返すことになるだろう。
上座に腰掛けるアルフォンスは、居ずまいをさらに正した。ザザの居城、ポワティエである。元帥であるアルフォンスよりも、城主であるザザの方が、この席の据わりが良さそうな気がした。リッシュモンやブルゴーニュ公ジョアシャンと同程度には、目の前のザザにも総大将の風格があるのだ。その佇まいはこの城を奪い返すことで、以前よりも確実に増してきている。
「リッシュモン殿、例の話に、遺漏はありませんか」
そのザザが問い、リッシュモンは欠伸一つをしてから答えた。
「問題ない。明後日には、多分いけると思う。時間の指定までできれば良かったんだが、先方の都合を考えると、その日の午後遅くになると思う」
「野戦での敗北は、なさそうですね」
「初日にこちらが蹴散らされりゃ、時間掛けた仕込みが、全て水の泡だがね。幸い、敵の援軍になりそうな部隊は、近くにいない」
ベラック攻防の、リチャード隊の介入と同じことを、危惧しているのだろう。あれは、どんな戦局でも厄介極まりない。が、今回は流しの忍びまで雇ってかなり広く索敵した結果、リチャード隊の騎馬五千は、二剣の地の北を徘徊中だという。いくら常識はずれの騎馬隊でも、二、三日でここに到達することはない。対レヌブランか、ゲクランの西進に備える格好だろうか。
しかしかの王の行動は、アングルランド宰相ライナスでも、御しきれないと聞く。ベラック攻防への介入にしても、自分の部隊なので独断とは言い切れないが、リチャード王の一存での、突然の参戦となった。噂話が流れてきたのでふらっと寄ってみた、といった感覚らしい。
ともあれ、いよいよ南部戦線最後の戦、トゥール奪還戦が行われる。厳密にはまだアングルランドの直轄地は、遥か西の港町を中心にいくつか残っているものの、大兵力を収容できる町や砦も、さらに言えばそれぞれの連携すら難しい、小さな飛び地ばかりである。トゥールでアングルランド南部軍が敗れたと聞けば、大半は速やかに本国へ撤退するだろう。
トゥールでは、戦全体を俯瞰すれば攻城戦が主な戦いになるが、緒戦に一度、そしてアルフォンスが指揮してきた過去二戦と比べても、最も激しい野戦が行われるだろう。
帰郷させた徴用兵も多く、入れ替えにここポワティエを中心としたザザの兵が加わったとはいえ、緒戦のアッシェン南部軍の編成は、数を減らして三万二千で戦うこととなった。対するアングルランド軍は総勢四万五千程で、しかしトゥールとそれを挟む東西の砦に守兵を残すとして、野戦に出てくるのは四万前後と見込まれた。こちらの三万二千を打ち破るのに、充分な兵力と言える。
こちらとしてはその三万二千で、敵の四万を完膚なきまでに叩き潰す必要はない。というのもある程度戦局を有利に進めて敵をトゥール城に下がらせた後は、十万近い、既に始まっている近隣からの大動員をかけるからである。多少犠牲を出してもこちらは三万前後を維持できれば、合計十三万の大軍でトゥールへの攻囲戦に入れる。
野戦の時点で十万の大兵力を投入してはどうかという案も、軍議では出た。が、この十万は長く徴兵されていない、いわば素人の集団であり、質より量がものをいう攻城戦以外では、大した戦力にはならないと見ている。最悪なのは、こちらの本隊の動きを足止めされた後、その素人に近い十万を蹂躙されてしまうことである。逆の立場でも、敵がそんな悪手を打ってくるなら、真っ先に弱兵の十万を瓦解させる。そうなれば、たとえ野戦で勝ったところで、城に籠った四万超を、包囲する術がない。やはり、この十万は攻城戦まで温存しておくべきである。
既に、動員自体はかけられており、命ずれば二、三日で戦場に辿り着けるよう、しかし軍としての体裁はあまり表に出さないよう、慎重に周辺に散らしてあった。諸侯や地元の騎士たちの動きも、それに協力的である。
細かい報告とやり取りが続く中、ふとアルフォンスはザザの横顔に目をやった。銀髪というより白髪に近い艶のない髪、美人というわけではなく、目の下に顔を一文字に駆ける傷痕があるが、不思議と彼女には、アルフォンスを惹き付けるものがある。内面の豊かさこそが、もちろん彼女を魅力的に見せる第一の要因だろう。
今も愛している亡妻とは真逆の、武骨な身体つきで、年齢もアルフォンスより五つ上の三十二、今年で三歳だったか。アルフォンスがブルゴーニュ公の一部将として参戦している時から、領地を失えども貴族として遥かに格上であるはずのザザは、しかし偉ぶることもなく、アルフォンスを対等に扱い、かつ様々な気遣いをしてもらった。共に、連れている少数の麾下以外は借り物の兵を預かっている身、という共通点はあったかもしれない。ザザには公私問わず、様々な相談に乗ってもらったりもしてきたのだ。
今こうしてポワティエを取り戻し、名実共に大領主となったザザは、しかし今でもアルフォンスに対して以前と変わらぬ態度で接してくれる。アルフォンスも南部軍の総大将になってしまったが、ブルゴーニュ公の作戦参謀に過ぎなかった自分の命令でも、嫌な顔一つせず、従ってくれたものだ。さらにアルフォンスが全体の命令を発する今でも、今度は逆に腰の引けた態度は取らず、やはり以前と同じように接してくれた。互いの立場が激しく上下しても、ザザには信頼できる繋がりがあると、アルフォンスは感じていた。
こちらの視線に気づいたのか、ザザは温かい微笑を返してきた。いまや似つかわしくないラ・イル”(憤怒)の異名は、アルフォンスが彼女と知り合うより前のものだ。以前はほとんど見ることのなかった笑顔を、しかしアルフォンスの元帥就任以来、見せてくれるようになった気がする。そしてその微笑に背中を押され、励まされてきた。
隣席のフェリシテに肘で小突かれ、アルフォンスは報告する部下の方へ顔を向けた。話を聞いていなかったわけではないが、話者の方を見ていないのは失礼と、副官は注意してくれたのだろう。話の終わりを継いで、アルフォンスは言った。
「進発は予定通り、明日、払暁。余程の悪天候でない限り、第一陣から順に、城門を出る形とします。これで散会としますが、しばらく私はここにいますので、個別に何かありましたら、残るなり、再訪するなりなさって頂ければ。では」
アルフォンスが言って立ち上がると、他の者も一斉に席を立った。文官たちも、一度休憩を取る為に退席した。
暖炉の前で手をかざしながら、しばし戦について考える。もう考えなくてはいけないようなことは些事ばかりで、思い定めるよりは実地で、臨機応変に捌いた方がいいかもしれない。どこで野戦となるか、そしてトゥール到達まで何度あるのか。それすら、わからないのだ。
いつの間にかフェリシテも傍にいて、同じように暖炉に手をかざしていた。
「ザザ様のご様子が、気になりましたか」
「何のことだろう。ああ、そういえば今日は、ザザ殿の横顔ばかり見ていた気がするな。特に、意味はないよ。あの方の品格というかな、それはどこから来るのだろうと、しばし観察していたかもしれない。女性の顔をじろじろと見つめるのは、失礼だったね」
頷いた副官の横顔は、火を照り返して、少し赤く染まっていた。
「そうでしたか。確かにあの御方には、独特の気品があります」
「君が気づいたくらいだ。ザザ殿も視線を感じていたことだろう。後で、謝罪しておくよ」
「いえ、そこまでしなくても」
最近のフェリシテの言動は、かつてよりも歯切れが悪く、らしくないという気がした。ベラック攻防の、前後からだった気がする。眼鏡の曇りを拭き取った彼女は、やわらかい顔で笑った。
「すみません、何を訊いているのだろうと、自分でも思ってしまいました」
「どこか、悪いのかい? ここのところ、元気がない気がする」
「いえ、特に。ひょっとしたら、南部戦線の終わりが見えてきたことに、気が昂っているのかもしれませんね」
これは、何となく嘘のような気がした。が、敵でもない人間の隠し事を暴き立てるような趣味は、アルフォンスにはない。
「戦以外のことで、何か悩み事があったら、相談してほしい。戦の相談事は、いつも君に乗ってもらってばかりだからね」
頷いたフェリシテの仕草に、どこか少女じみたものを感じた。ひょっとしたら、部隊の誰かに、恋心を抱いているのかもしれない。名門シャトールー家の娘である彼女には、縁談も多いと聞く。しかし今でもこうして独り身であるのは、本人曰くこの南部戦線で手一杯ということだが、あるいはずっと思い焦がれている人間が、いるのかもしれない。
ただ彼女の様子に変化を感じ取れる以上、その男、ないしは女と、何かしらの進展があったことも考えられた。相手がひょっとしたら女かもしれないと思ったのは、今年二十二歳になるまで、両手で数えきれない程の縁談を断っているという噂を聞くからだ。相手の男の身分が余程低いか、アモーレ派では許されていない同性間の結婚が、障害になっているとも考えられた。
が、アルフォンスはそもそも色恋沙汰に疎く、亡妻以外とほとんど関係を持ったことがない。未婚時代に、近隣の貴族に連れられて、仕方なく娼婦宿に通ったくらいだ。少年時代にいくつかの片想いはあったが、相思相愛となると、亡き妻以外にはなかった。
自分で切り出しておいてなんだが、フェリシテの悩みが恋愛に関するものだったら、あまり力になれないかもしれない。もしアルフォンスの麾下の一人であったなら、仲を取り持つくらいはできそうだが。
「ザザ様は、その・・・魅力的な女性ですよね」
しばしの沈黙の後、フェリシテが同じ話題を蒸し返した。まさか、フェリシテが好きなのは、ザザなのだろうか。いや、それは考え過ぎかもしれないが、二人ともあまり色恋に関する趣向が見えないという共通点はある。
「包容力があるというかな、頼りになる、という感じがする。どんな話であれ、こんなことを陰で話していると知ったら、いい気はしないかもしれないが」
「今更ですが、軍人としてはどうですか」
「与えられた持ち場を、きっちりと守る。ラステレーヌでも一番当りの強い場所を任せてしまったが、あの人だったら簡単に崩されることはないだろうと、信頼し切っていた。ベラックでも足止めされかけたが、切り抜け、戦場へ駆けつけてくれた。柔軟であるにも関わらず、突破力もある。リッシュモン殿辺りは、まだまだ硬いと言っていたけどね。正直、ブルゴーニュ公が総大将を退くことがあったら、ザザ殿が南部軍を率いるにふさわしいと思っていた。何より、彼女には人望もあるし」
「・・・そういう評価に関しては、随分饒舌なんですね」
「まあ、指揮官となってしまったからね。部下としてあの彼女を見なくてはならず、かつその評価は極力私情を挟んではいけない。できるかは別として、そう努めているよ」
「あの、私のことは、どう評価してくれています?」
何故か、ちょっと泣き出しそうな顔で、フェリシテは言った。
「最高の副官だと、思っているよ。ブルゴーニュ公の下で働いていた時から、君には何度も助けられた。そもそも、僕の率いる部隊は君の領地の兵でもあるしね。様々な意味で、君なくして僕は成り立たないと、感謝しきれないくらいだ」
「一転、大分私情が入ってますね。ザザ様の評価とは、趣が異なります」
「言われてみれば、そうだ。ただ、君とはあまりに近くにい過ぎたので、客観的な評価ができていない部分もあるかもしれない。戦では、僕の半身か、それ以上と言っていい。頼りにしている」
「随分と、大胆な評価を下さいます」
「あ、いや、誤解を招くような表現だったかな。すまない」
ただフェリシテなくして元帥など務め上げる自信はない、というのも事実である。言い方については、フェリシテに動揺を与えてしまったらしい。
「そ、その、そろそろ文官を呼んで、書類の整理でもしましょうか。本陣で携行するものの、選別もしなくてはなりませんし。あの、何人か呼んできます」
そそくさといった体で、会議室を出るフェリシテの後ろ姿を、しばし見つめる。
頭を掻き、アルフォンスは卓に向かった。
フェリシテの様子は、やはりどこかおかしい気がする。恋愛関係、それも上手く行っている話なら自分が口を挟むことではないが、リッシュモンかザザにでも、世間話のついでにでも相談すべきだろうか。我ながら戦に関すること以外、気も頭も回らない男であるという自覚は、充分にある。実際はかなり深刻な、それも悪い方向での悩みを抱えている可能性もあった。そういう話なら、少なくとも激しいぶつかり合いのある緒戦の前に、持ち出すべきではないだろう。
一つ息をつき、アルフォンスは目の前の仕事に集中した。
説明を終えたゴドフリーが、一つ咳払いをしてこちらに向き直った。
「以上が、作戦の概要です。諸兄、ご質問はおありでしょうか」
「あくまで、たった一度の野戦で勝ち切る。そう考えてもいいんですかね」
ラテン傭兵のアメデーオが、いつになく神妙な面持ちで訊いた。ゴドフリーの視線を受け、クリスティーナは自ら答えた。
「ええ。緒戦の敵は、寡兵だもの。十万規模の大動員は、こちらを一度撃破してからと考えるはず。じゃないと、その十万の弱兵を、私たちに蹂躙されることになる。攻城戦まで見据えたトゥール防衛について、私たちが多少なりとも優位に戦えるのは、最初の野戦しかない」
緒戦でアッシェン南部軍を破り、一度撤退の形を取らせれば、トゥール包囲計画は大きく後退することになる。押し込めるような戦ができれば、今年の包囲を諦めさせることもできるはずだ。
それが叶わず、痛み分けのような結果になっても、犠牲次第では攻囲に支障は出るだろう。大動員される十万の徴用兵は半ば素人であり、率いる諸侯や騎士も、長く戦から遠のいている。それをまとめる中核の軍がしっかりとしていなければ、十万はただの烏合の衆となる。リッシュモンかアルフォンス、あるいはその両方の首が獲れれば、最高である。
そこまで行かなくとも、南部軍に大きな打撃を与えられれば、十万との連携は難しいだろう。攻囲されたとて、中核に力がなくなっていれば、逆にこちらが城と砦から散発的に打って出て、十万を蹴散らすこともできる。が、中核の軍が明らかに十万を統率するに足らない戦力となった場合、そもそも攻城戦は諦めるだろう。
ゴドフリーが再び口を開き、自信家ならではの眼差しで、諸侯を睥睨する。
「野戦で勝ち切る、はあくまで最善の状況と考えて頂きたい。無論、そのことに私は死力を尽くしますが、あくまで我が軍の戦略目標は、トゥールの四ヶ月に渡る防衛です。ここが、敵の大動員の限界と見ます。当然緒戦で敵を蹴散らせば、攻城戦そのものが頓挫し、自動的に四ヶ月以上の防衛が可能となります」
「ライナス宰相からは直々に、二ヶ月を最低線として提示されてる。二ヶ月保たせれば、劣勢でも、犠牲少なく撤退できると考えて頂戴。負けるにしても、惨めな撤退にはならない。それ以上なら、なおいい。そして四ヶ月は、宰相の手引きなくとも、ここを守り切ることができる最上の目標ね。逆に言えば、緒戦で派手に敗れ、一ヶ月程度しか城に立て篭れないとなれば、我々のその後に、本国からは何の保障もないわ」
聞いていたゴドフリーは、銀髪をかき上げ、もう一度張り出された地図に目をやった。先程は質問を受け付けると言ったが、本音ではごちゃごちゃ言わずに自分の立てた作戦に従え、といったところだろう。
が、今はここにいないセブランの妹、グライー軍の新たな総指揮官となった、マルトが手を挙げた。セブランは一命を取り留め、後方に控えていた兵千騎を連れて今もこの戦場に向かっているが、彼自身が戦えるかは、不透明である。小出しの援軍のようで愚策に見えるが、意図してのものではなく、今も精一杯こちらに向かってきてくれている。
「この布陣は、確定なのでしょうか。少々、元帥が危険な位置に立ち過ぎているという気がするです。よければ、私がそこに着ければと、具申するです」
「心配には及ばないわ。マルト、あなたも万全ではないでしょう?」
「傷は、完全に癒えているです。ただ動けない時期が長かった分、ベラックの時よりも鍛錬が足りていないのも、事実として受け入れるですが」
「ソーニャも病み上がりということを考えると、万全な状態で戦える将兵は、あの時よりも少ない。あなたたち兄妹程ではないにせよ、私自身も決して弱くはないつもりでいるし、麾下には古強者が揃ってる。たやすく首を獲られるようなことは、ないと思う。母さんの指揮下で、私が最前線を務めたことは、何度もあった」
当時程、自分の首が軽くないことは、言われるまでもない。ただ前回はソーニャ、セブランという二人の軍事的天才を前面に立てて、負けた。
「発想も、いくらか転換する必要があると感じた。それに、今回の作戦は地形の複雑さもあいまって、整然と軍同士がぶつかり合うというよりも、各部隊が遭遇戦に近い戦いを繰り広げることになる。流れの中で私が最も安全な位置取りになることも、ままあると思う」
あまり納得していないようだが、あくまで布陣に変更なしと受け取ったのか、マルトはしぶしぶといった様子で、頷いた。
が、マルトのこれまでの発言は、兄のセブランとグライー軍を守るようなものが多かったので、その危険なく自発的に発言してきたのは、珍しいことかもしれなかった。あるいは、クリスティーナをセブランと同じように、なんとしても守り抜く存在と捉えているのか。
クリスティーナが倒れた後の総大将の序列は、多少軍の階級とずれるものの、第一位としてゴドフリー、次いでキザイア、ソーニャと決めてあった。が、総大将が緒戦で討ち取られるのは、やはり士気に少なからず影響はあるだろう。いざとなればリッシュモンかアルフォンスと刺し違えてもいいと思っているクリスティーナだが、その機は慎重に見極めたいとも思った。
「ソーニャ、作戦立案にはあなたも関わったけど、あらためて、何か懸念材料はある?」
作戦参謀としたゴドフリーの原案に、クリスティーナとソーニャが多少意見して立案された作戦である。今更それを引っくり返すような発言はないだろうが、ソーニャの顔が少し曇っているのが気にかかった。
「序盤は、相当に押せると踏んでいます。終始アッシェン軍を圧倒し、撤退に追い込めたとて、不思議ではないでしょう。ここまで思い切った用兵はそれなりの犠牲も伴いますが、瀬踏みを繰り返したところで、こちらはジリ貧です。だからこの作戦は、今の私たちが考えうる最良の作戦であると、立案に関わった一人として、自負しております」
そこでカップに軽く口をつけ、ソーニャは続けた。
「ここからは属人的な話になってしまいますが、あのリッシュモン様、失礼、リッシュモンが、そして”白い手の”アルフォンスが、あっさりと敗れるはずはないと、ここにいる誰もが思っているはずです。どこで、どう盛り返してくるか。ここ数日この作戦の穴を探し続けていますが、今もって、それを掴めません。けれど、絶対に、何かあります」
振り返り、クリスティーナも周辺の地図に目をやった。地形はもちろんのこと、敵の十万の大動員が、どの町や村で、どの程度という予想まで書き込まれている、大きさに則した詳細な一枚である。
「大動員の一部、たとえば二、三万程を、どこかで投入してくるとか?」
アメデーオは言うが、言った本人もそうとは思っていない風である。
「もしそんなことがあれば、その部隊は早急に叩き潰す。攻囲軍の一角が野戦で損耗するのは痛恨の失態になるし、大動員は十万を一度に、というところに意味がある。ただ、敵も一部隊くらいは野戦から外して、その二、三万で砦を襲う可能性はある。だから、守兵はある程度残すことになるけど」
「その十万が、実はすぐに出動できる形になっているなら、あるいは」
「そうしてくれると、逆にありがたかったんだけどね。こちらから五千程の部隊を出して、各個撃破もできた。ただその十万が野戦に充分耐えうる練度だったら、初めからそうしているはず。まあ、相手は直近まで補給の目処すら立っていなかったから、ここまで遅れたのも当然だけど」
キザイアが、トゥールに撤退をする際に、周辺から相当の兵糧と金子を持ち出した。それはクリスティーナの頭になかった作戦で、それによりそれなりの時間稼ぎになるはずだったのだが、ハンザ同盟、”銀車輪”シュザンヌにより、アッシェン南部軍はむしろその補給線を万全に整えるという、いわば番狂わせに近いことが起きた。銀車輪は戦に関わらないとの評判だったが、パリシ攻防の時にも、アングルランドに不利な動きをしようとしていたと聞く。戦に関わらない、ではなく、何か別の題目で動いているのかもしれないが、彼女は既にこの地を去り、真意はわかりようもない。ただこの件についてはいずれ、北に戻った際にも気に掛けておく必要があると、クリスティーナは考えている。
「それにまだ、召集がかかって徴用された兵たちは、各集合場所に、武器も支給されずに向かっている段階と聞いているわ。これを襲うのは、民を襲うのと変わらない。略奪、一面を火の海にするのも、個人的な好悪を抜かせば作戦の一つに入るけど、もしトゥールを四ヶ月以上、つまりそこからは自動的に一年になるけど、守り切った際に、私たちがこの地に留まること自体が、難しくなる。敵に回した民は、統治できないわ。この百年戦争が二百年戦争に、あるいは遠い未来で再びアングルランドが侵攻を図った際、住民の悪感情は、大きな障壁となる。あくまで、軍が剣を振り下ろすのは、武器を携え、隊列を整えた部隊のみ。そう考えて今でも、住民の慰撫には努めている。今の時点で敵部隊、そう認識できる小部隊はいくつもあるだろうけど、それをこの広大な地域から絞り出し、ひとつひとつ潰していくには、敵が眼前に迫り過ぎているわ」
「話を、元に戻します。兵の強弱に関連することではありますが」
ゴドフリーが口を開き、一同もそちらを見る。
「今回の作戦の主眼は、兵の強さを活かすことです。正規軍がおり、かつ自国から連れてきた徴用兵の練度も充分と、単純な軍の強さで、当方はアッシェンを凌駕しております。これまでの敗戦では、それが活かせなかった」
まったくもって容赦ないゴドフリーの批評に、クリスティーナの面子は丸潰れである。が、こうした忌憚ない意見を出せるからこそ、この男を信用している自分がいた。
「まともなぶつかり合い、もっと言えば乱戦に近い形では、こちらに圧倒的に分がある。リッシュモン軍、ブルゴーニュ公の、その中でも重騎兵部隊、そしてスミサ長槍傭兵団の三つを除いては、二流三流の部隊ばかりです。ポワティエを奪還したザザにしても、これまでのブルゴーニュやシャトールーから預かっていた借り物の部隊の方が、慣れ親しみ、扱いはたやすかったことでしょう」
「ザザは地味ながらも、優秀な将よ。けどゴドフリーの言う通り、今までより士気も忠誠心も高い新規の部隊よりも、慣れという点で、旧部隊より部隊としての力は落とすと思う」
クリスティーナが補足すると、ゴドフリーが無表情に頷く。
「兵の強さを活かし切り、なるべく敵部隊と正面切って当たれるよう、私が指揮します。搦め手もありましょうが、運用の複雑さではなく、あくまで敵に対して不利な対決を避ける為と思って頂ければ。信号と、指示については、諸侯とも頭に入っていると思われます」
戦略眼もある男だと見込んでいるが、ゴドフリーの示した、そして事前に諸侯に通達した内容は、戦術的なものだった。もし仮にこの男が元帥であったら、そもそもこのトゥールの防衛自体をどう考えていただろうか。しかしゴドフリーは南部軍の作戦参謀として、職掌に余ることは言わなかった。
敵元帥アルフォンスがブルゴーニュ公の部下であった時代、その能力を出し切っていなかったことは、元帥就任後の快進撃を見れば明らかである。自分も、ゴドフリーという男をどこまで使いこなせているのか、不安ではないが、もっと高い地位、クリスティーナと並ぶ程の位置にいればとも思う。ケンダル家の力は小さく、彼の能力を持ってしても少将という中途半端な階級に甘んじているが、最低中将、あるいは大将となっていれば、とも考えてしまう。作戦参謀という、階級から少しはみ出した地位で彼を自分の手元まで引き上げたのは、今のクリスティーナができる、最大の権限だろう。
「この作戦に、敵は相当の苦戦を強いられると想定します。ですが、リッシュモンかアルフォンスは、必ずや窮地で奇策を繰り出してくると思われます。が、それすら些末なことと、我々はただ、敵を蹂躙していけばいい」
ゴドフリーの声は実に落ち着いていて、戦前の不安を消し飛ばす。クリスティーナは勿論、各指揮官の目にも、闘志が揺らめき始めるのを感じた。
「逆の立場に立って、考えてみて下さい。アルフォンスやリッシュモンたちは、こちらに盤面を引っくり返すような秘策があるかもしれないと、腰の引けた戦をしてきたでしょうか。無論、何かあるかもしれないと、用心はしていたでしょう。常にどこか追いつめられていた彼らは、しかし怯懦の戦はしてこなかった。精神論は嫌いですが、士気の話と思って聞いて下さい。我々は今作戦をただ実行し、不測の事態には臨機応変に対応する。緒戦の野戦においてのみですが、兵の練度はもちろん、兵力ですら我々が勝っている。負ける道理が、どこにありましょうか」
金色の目を光らせながら、いつになく熱っぽく、ゴドフリーは語った。いつも斜に構え、一人冷静な面持ちを崩さない男である。
「何かあったらどうしよう、ではなく、必ず奴らは何らかの策を用意しています。この緒戦においてのみかもしれませんが、攻め手であるにも関わらず、彼らは自分たちが不利、さらには追いつめられていることを知っています。だから、必ず何かがある。が、それが何であろうと、勝つ。もしそれが叶わないような強烈な一手があっても、悪くて痛み分け、負けることはない、それすなわち防衛側の勝利である形を、必ず私が作ります。なので諸兄は目の前の懸け合いに集中し、この少し複雑な作戦を実行することにのみ、集中して下さい。その為に私がこの城に残り、司令塔に徹するわけですから」
矮躯の作戦参謀がそう言い切ると、議場から自然と拍手が沸き上がった。やや照れくさそうに咳払いをすると、こちらに背を向け、ゴドフリーは再び地図の方へ向き直った。
「今まで通りにはいきませんよ。クリスティーナ様、緒戦で、敵を蹴散らしましょう」
ソーニャが、太陽のような笑みで言う。さらに焚き付けられ、クリスティーナは頷いた。
「ええ、勝つわよ」
部屋を出ていく諸侯の顔は、明るい。前回のようにはいかないと、この時点で確信した。
が、やや表情を曇らせている将が、一人だけ着座したままだった。母の、キザイアである。しばらくして彼女は立ち上がり、クリスティーナに顔を寄せてきた。
「元帥、お時間の出来た時に、どうぞ私の部屋へ」
「一時間以内に行きます、母さん」
ゴドフリーたちと書類をまとめ、しばらくして会議室を出る。キザイアの部屋へ向かう途中、回廊の隅で煙草を吹かしているバッドを見つけた。
「あら、さっきまでゴドフリーの手伝いをしていたと思ったけど。もういいの?」
「少し、サボっているだけです」
紫煙に混じる溜息は、その主同様いつも皮肉な表情を浮かべているこの男に、似つかわしくないものだ。
「憂鬱そうね」
「緊張しているんでしょうよ。自分でも、わかる程です」
「珍しい。それこそ何に?」
「殿の兵の、大半を預かる。ケンダルの民が中心です。責任重大ですよ」
「副官として、今まで率いてきた兵でしょう?」
「殿の傍で率いるのと、丸々預けられるのじゃ、かかる重圧が違います。正規軍の兵を預かるんなら、こんな気持ちにはならないんでしょうね。賊を率いていた時も、戦いに臆することなんて、一度もなかった。適当にやりゃあいい、弱い奴から死んでも、そんなもんだと思えるでしょうよ。が、殿の民が、それも弱い奴から死ぬってのは、勘弁してほしい感じです」
ほとんどこちらを見ず、バッドは日当りの悪い中庭に視線を戻した。昨晩少しだけ降った雪の残滓が、日陰で窮屈そうに縮こまっている。
「なるほどね。私は大敗続きで、どこか兵の犠牲に鈍くなっていた気がする。兵数そのものには、ぴりぴりとしていたのにね。一人一人が人生を歩む、同じ、あるいは私より豊かな人生を歩む人なのかもしれないのに、時に兵の顔が、誰も同じに見える」
「大将は、それでいい気もしますがね。兵一人一人の顔は、現場の人間が見極めりゃいい」
「あなたのような指揮官に、支えられている。それだけは、忘れないようにするわ。邪魔して、悪かったわね」
軽くバッドの腕を叩き、クリスティーナはキザイアの部屋へ向かった。始終具足姿の自分の足音は、訪いを入れずとも来訪を告げる格好になることが多い。角を曲がると、小姓が扉を開け、クリスティーナはそのままキザイアの私室へ入った。
上背ではなく横幅で、かつては母を巨体と感じていたクリスティーナだが、ここトゥールで合流した時、また一回り、小さくなったような気がした。
互いに頷き、腰掛ける。キザイアは、じっとこちらを見つめていた。先に、クリスティーナが口を開いた。
「今作戦が、母さんの最後の戦いになりますね」
本当は、ラステレーヌの一戦が、母の最後の戦いになるはずだった。以前から、引退は南部戦線に決着が着いてから、という話だったのだ。ラステレーヌで負け、ベラックで負け、母は今も戦場に立ち続けている。が、このトゥールの攻防がどうなるにせよ、キザイアがここを最後に引退することは、先日伝えられていた。
「あと、三、四ヶ月ですか。長かったはずの軍人としての暮らしは、しかしあっという間だったような気がします」
「また、痩せられたような気がします。どこか、お加減の悪いところが」
「単純に、年齢ですよ。以前程食べられなくなりましたし、身体の重さを負担に感じ始めました。昔は、体重だけでも男に負けまいと、暴食を繰り返しました。なのに、この年齢まで大きな病もなくいられた。強い身体だったのだなと、あらためて思います。子を生むのも、初めは医者に反対されたのですよ。出産には、高齢であると。けれど、あなたのように美しく、強い娘が生まれた」
最近まで焼きたてのパンのように膨らんでいた、しかし今は皺の多くなった手の甲を見つめながら、キザイアは言った。二人には祖母と孫といってもいい年齢差があるが、紛れもない親子である。キザイアが四十六歳の時の初めての子で、なるほど、戦場で産むのは危険だという、医者の話もよくわかった。キザイアは、今年で六十四歳となる。
「お身体の強さもそうですが、母さんの剣の腕には、今も衰えを感じません」
「大剣を、長剣と盾に持ち替えれば、今でも一日中戦うことを、さほど苦にはしないかもしれません。ですが、さすがに私も歳ですよ。まさか六十を超えてまで、戦場に立ち続けるとは思いませんでしたが」
口元に手を当て、母が笑う。その容姿から、がまがえると蔑称されることもあると聞いているが、キザイアの挙措は、今もクリスティーナが手本とするくらいに、優雅で洗練されたものだった。
「あなたはこれからも、長く戦場に立ち続けることになるでしょう。もう少し、その成長を見届けたかったと、今はただそう思います」
まるで死に行く者の口上のようで胸が締め付けられるが、轡を並べて戦うのは、間違いなくこれが最後になるのだ。攻城戦に移行した際は、トゥール城東の砦を任せることになっている。同じ戦場だと思い定めていても、こうしてまた顔を合わせるのは、撤退時までないだろう。そしてトゥールを守り切ったと確信できたとしても、クリスティーナはここに残り、それを見届け、キザイアは自領へ帰る。
「ギルフォード領の昨年の決算が、一週間後にはここに届く予定です。これからは自領から、あなたを支え続ける存在となりましょう。あなたはギルフォード家、たった一人の嫡子ですが、家と領地のことは、心配しなくていい。自由に、羽ばたきなさい」
「これまで、お世話になりました。私を、ここまで育てて頂いた。そして形は違えどこれからも、よろしくお願いします」
部屋を出る際に、クリスティーナは目元の涙を拭った。大きな街にある大学では、卒業の際に生徒たちが泣いて別れを惜しむと聞いた。死に別れるわけでもないのにどういうことかと思っていたが、今は彼らの気持ちが少しだけ、わかる気がした。母と、これまでの関係性でいられるのは、今回で最後だ。悲しさ、寂しさもあるが、どこか誇らしい気持ちもあり、様々な感情が渦巻き、胸がいっぱいになるのだ。
ただ、まだ母との、憧れ続けた軍人キザイアとの時間は、ある。
最後に笑って杯を打ち交わそうと、クリスティーナは誓った。




