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第28話「あたしも、仲間にいれてくれるんだな」-1

挿絵(By みてみん)


1,「未来への不安を全て投げ捨て、切り替えた」


 思わず、カップを壁に叩きつけたくなった。

 忍びのマイラの報告に、エリザベスは歯ぎしりした。カレーの、エリザベスに充てがわれた邸宅の一室である。

「タックスポートは、引退したんじゃなかったんですの?」

「軍人は、ということのようで。元より、深い見識と広い視野をお持ちの方です。今回の軍務大臣就任に当たって、宮廷からの反発もなかったと聞きます」

 冷静に、かつエリザベスを気遣ってか、眉根を下げて微笑を浮かべるマイラに、さらなる苛立ちを感じないでもない。腰は引いているが、そのくせ媚びた感じはまるでない。

 荒い息を吐き、しばしエリザベスは自分を律することに集中した。老タックスポート伯は、エリザベスに海軍提督のイロハを教えた人物である。老齢で、海軍提督としての最後の仕事が、エリザベスの指南役だった。昼夜問わず、共に過ごした時間は短くなかったが、最後まで打ち解けることはなかった。恬淡とした男で、仕事以上の付き合いは、やんわりと避けられた気がする。

 引け目とまでは言わないが、あの男に海軍の全てを教わった手前、わずかな気後れはある。師である、という事実は今後も変わらないのだ。これは、ここまで面倒を見てもらった宰相ライナスや、義姉のエドナ元帥にも感じたことのないものだった。

 ゆえにこそ、このまま表舞台から去ってほしい人間だった。が、出世し、今後もエリザベスの行動に目を光らせているかと思うと、目の上のたんこぶどころではない。苛立たしい。この感情は、他人には理解し難いかもしれない。

「ライナス宰相は、また自分に楯突かなそうな男を、大臣に据えられましたのね。前任も、似たような男でしたけど」

 ライナスの娘でもあるマイラは、困ったような微笑で応えた。

「宰相の意を汲む、宮殿を空けがちな宰相には、そういう人物も必要ですので。ですが、新人事では、王弟派の人間も何人か、宮廷に迎え入れております」

「表向きはいよいよ、挙国一致体制に乗り出しますのね。それで、私の地位は脅かされませんの? 傍流とはいえ王弟の子息子女に、王位継承権の優先性が顕われないか、私のような庶子には心配でなりませんのよ」

「今代限りの時限立法ではありますが、リチャード陛下の跡継ぎは嫡子、非嫡子に関わらず、その直接血を分けた御子息、御息女のみとなっておりますので。かつ、退位される際には継承権の順位に囚われず、最も相応しい者をと。無論、エリザベス殿下の地位にも揺るぎなく」

 今回は宮廷の新人事、かつより重大な発表として、レヌブランから正式に宣戦布告が為されたとの報をいち早く、忍びのマイラが持ってきた形だが、わざわざ”囀る者”頭領が直接運んでくる情報でもない。そして大した話ではない時でも、マイラ直々にエリザベスの元を訪れることは、これまでも度々あった。エリザベスの出自か、従者のパンジーの生い立ちか、その辺りに探りを入れてきているのだろう。だからマイラとのやり取りは、おかしな言質を取られないよう、いくらか慎重なものとなる。

 エリザベスの出自、つまりリチャードの子であるということに関しては、事実自分には証明も確認のしようもなく、亡き母の言葉を信じるしかない。むしろより確固とした証拠は、ライナスたちこそ握っているのだろう。リチャードの子であると、エリザベス自身が宮殿に押し掛けたわけではないのだ。

 パンジーについては、何としても隠し通したいわけではないものの、進んで口外したいことではなかった。ライナスもマイラも、パンジーがかつてパンゲア全てを敵に回したと言っても過言ではない、”新世界秩序”の”恐るべき子供たち”の一人であることくらい、嗅ぎ付けているだろう。

「忍び頭領直々のご報告、感謝しましてよ。出航前に、レヌブランとの関係については、知りたいと思っていましたし」

「こちらこそ、出航前のお忙しい中、お時間頂き感謝しております」

 訪いが入り、その出航の準備が整ったとの、知らせが入った。こちらからはマイラとの話の中途、レヌブランとは開戦状態に入ったと、既に各船に通達してある。

「そろそろ、行きますわね。パンジー、忘れ物はないでしょうね」

 従者の首輪に付けられた鎖を引っ張ると、彼女はよろめきながらも頷いた。

「あうぅ、はい、す、全て整っております」

「ということで、マイラ、またどこかでお会いするまで、ごきげんよう」

「殿下、良い船旅を」

 軽く手を降り、エリザベスたちは部屋を出た。屋敷の門を潜ると、強い海風に帽子が飛ばされそうになる。

 カレーの占拠は、完全に済まされている。そして現在アングルランド海軍の内、実に八十隻がこの大きな港に停泊しているものの、いつまでもここで軍船を遊ばせておくわけにもいかない。それに、この港の商業活動の邪魔にもなる。段階的に、かき集めた軍船は再びアングルランドの各港に散らせていくことになる。その第一陣、半数に近い三十隻を、アングルランド南岸の港町、タックスポートへと率いる任を、エリザベスは与えられていた。老タックスポートの、まさに所領とする港である。あの老公が宮殿に出仕している間に、彼の町へと船を運ぶ。餓鬼の使いのようで、またも腹立たしさがこみ上げてきた。

 ブラックベリー号に乗り込むと、エリザベスは船長に出航を命じた。パンジーが、隠しから酔い止めの丸薬と、水筒を差し出してくる。艦全体が軋む音と共に、船が波止場を離れた。

 船長が次々と命令を飛ばし、甲板からそれに応える声が聞こえる。騒々しいことこの上ないが、これが船の日常である。エリザベスは背もたれに身を預けて目を閉じ、一つ息をついた。

 船酔いする体質に生まれたことは痛恨だったが、海の生活は案外好きなのかもしれないと、エリザベスは思い始めている昨今だった。

 故郷の寂れた鉱山町で、泥を啜るような暮らしをしていた時に、海という存在に、憧れはあった。町から出ることも適わないと思っていた自分の、それこそ叶わない夢。死ぬまでに一度、海を見たいと思っていたのは、何年前のことだったか。

 出航してから、一時間程が経った。それを懐中電灯で確認したエリザベスは艦橋の扉を開け、海風に当たった。背後、既にカレーの港は見えなくなっており、しかし後続の船は何隻か見えた。以前、老タックスポートに聞いて驚いたのは、どれだけ海に慣れた提督でも、何十隻かの船を同時に率いているとよく、一、二隻は艦隊からはぐれてしまうという話だった。陸の移動ではほぼ考えられないことだが、海の行軍ではよくあることとして、今思えばエリザベスが癇癪を起こさないよう、釘を刺されていたことがわかる。

 どういう理屈かと問うと、体格、体力、泳ぎ方の違う者たちが、泳ぎに優れた者が先導する遠泳についていく様を想像すればよいと言われた。確かに、軍船の一団といえども、船の種類や排水量の違いはもちろん、同種の艦ですら、全く同じ船など存在しない。全てが一品物である。おまけに船団では、商船を囲んで護衛するのでもないかぎり、最も速く、安定した船ほど艦隊の前に出る。ついてこれない艦が出るというのも、一応頷ける話ではあった。港から出て、初めて不具合のわかる船もある。この時点で港に引き返す船は、意外と出るものなのだ。ただ、今の所離脱した艦の報告はない。前後の船が視認できているか、定期的に旗の信号で知らせが入る。

 北西に向かっていた船団は、北に陸の影を確認できるかという所で、西へ直進する。席に戻り、航海士が忙しく羅針盤をいじっている様子を、ぼんやりと眺める。どういう絡繰りかはわからないが、方向転換時には現在地を見失いやすいのだという話は聞いていた。

 艦全体が浮き上がり、胃の腑もせり上がる。すぐに、身体が下に押しつけられる感覚。ここから西への航路は、向かい風に潮流も逆回りと、前進の難しい海域である。タックスポートからカレーへ、行きは十二、三時間で着いたが、この帰りの道は、二日を予定していた。潮流はどうしようもないが、向かい風はいなすようにそれを帆で斜めに受ければ、横に押し出される力を利用して、船は前へ進むことが出来る。ジグザグと、反復横跳びをしながら前進する形だ。幸い向かい風は強く、ゆえに前進は充分可能である。風が弱まったら、一度錨を下ろして、風が吹くまで洋上で停泊する予定であった。

 海は多少時化ていても、行軍そのものは凪だった。異変が生じたのは、その日の予定航路の、ちょうど半分辺りでのことである。

 船長が、甲板の方へ近づく。帆柱の上の見張り台から、水兵が何か発見したことを伝えてきていた。

「南の水平線に、何か発見したようです」

 エリザベスも、双眼鏡を持って艦橋を出た。手すりに身を預け、南の海を見る。水平線に微かだが、船影らしきものが確認できた。

「そこからは、何が見えまして?」

 見張り台の男に、大きな声で呼びかける。この大地は丸く、ゆえに水平線の位置は観測者が高い所にいる程、遠くにある。エリザベスのいる場所からは10km程だろうが、見張り台からは12,3km程が見えているはずだった。加えて、見張り台には高性能の望遠鏡もある。

「十隻前後です。距離はありますが、ほぼ真東へ向かっていると思われます」

 振り返り、船長に問う。

「ただの、商船ですかしらね」

「まあ、私はそう思いますが」

「カレーではなく、レヌブラン北岸を目指す格好なら、少し気になりますわね・・・」

 年末に、レヌブランから正式な宣戦布告が届いたというのは、先程マイラに聞いた通りだ。東。刺激しないよう迂回したが、ここからほぼ真東は、レヌブランの領土であり、港もいくつかある。あの十隻が、レヌブラン北岸からアングルランドをぐるりと回り、レヌブラン南西の港に向かう軍船であることは、十分考えられた。あの十隻とレヌブラン南西の船をかき集めたところで、カレーが海から落とされるとは考えていないが、そのカレーの守りを薄くするエリザベスの船団とすれ違う動きになっていることに、警戒心を抱かないわけにもいかなかった。

「進路を、南へ。せめて船籍だけでも確かめておきましょう」

 船長が、明らかにげんなりとした顔で頷いた。明日の昼には着けるはずだったタックスポートが二、三時間、下手すれば半日遠のくことになる。敵対の動きを見せてもいない、十隻くらいの船団にそこまでする必要があるのかと、思う気持ちはわからないでもない。

「脚の速い一隻を、哨戒に出して下さいな。ただの商船とその護衛とわかれば、すぐに西へ航路を戻しましてよ」

 船長が素早く命令を出し、艦橋の上にいくつかの旗が掲げられる。南、哨戒、一隻。こちらから出すそれは素早かったが、実際の運用となると、まだるっこしい程に遅いのも、海の用兵の特徴だった。ちゃんと後続に命令が届いているのかとやきもきしていると五分程して、後続の一隻が南に舵を切った。快速船スクーナーである。軍船の中では戦闘力が低いが、斥候としては最適である。

 パンジーに、茶を持って来させる。船では不意の出火を避ける為、厨房に入っても、湯は湧かすところから始めなくてはならない。いまだ艦橋の外、手のかじかみがしんどくなってくる頃に、ようやく茶が届けられる。そしてその頃には、スクーナーが直接こちらへやって来た。小回りが効き、エリザベスの船までかなり近づくと、そのまま併走してきた。既に南に舵を切っているので、共に南進する形となる。

「どこの船でして」

 甲板に下り、先程よりもより大きな声で、スクーナーの船長に問う。船上のエリザベスは無口だと言われているらしいが、船では大声でやり取りすることが、特に命令系統において多い。陸の上と同じように無駄口を叩いていると、喉をつぶす。特に、エリザベスの声は細いらしいのだ。

「バイキング島の船ですが、レヌブランに雇われた船のようです。バイキング島の髑髏旗、レヌブランの銀の羊の旗と両方が、掲げられています」

 距離と、波が舷側に打ちつける音にも負けず、スクーナーの船長はよく通る声で言った。まだ若そうだが、顔の半分を覆う髭が、この男を少し年嵩に見せている。

「当たり、ですわね。ほら、南に舵を切ったのは、正解だったでしょう?」

 甲板に下りてきた船長に、エリザベスは言った。

「まあ、囲む形にはなりましたね」

 この先頭を駆けるブラックベリー号が南へ向かったことで、船団は今、Uの字を引っくり返したような陣形になっている。つまり、今や敵であることがわかったあの十隻を、こちらの三十隻で、半包囲する形が取れているのだ。

 エリザベスの肌は、粟立った。初陣が、こうまで上手く運ぶとは、この身は神に愛されているとしか思えない。アングルランド、レヌブランの開戦の火蓋は、ここで切って落とされる。それも、エリザベスの圧勝でだ。

「すぐに、攻撃準備を」

「ま、待って下さい。スクーナーの奴が、まだ何か言ってます」

 先行したスクーナーから、小舟が下ろされた。もっと、細かい話があるのだろうか。喉が裂けんばかりの声のやり取りは、エリザベスとしても望むところではない。あちらから来てくれるのは、正直助かる。

「何ですの? 雇われていようと、レヌブランの船なのでしょう? すぐに追いつめますわよ」

「気になることが、一つあります。相手方の旗船は、おそらくアリューシャンレディ号です。バイキング島の船で、かつて開拓地の西の果てまで辿り着いたとか。それが最近、大幅に改修されてるって話を聞きまして」

 大声でやり取りしなくてもよくなった分、互いに口数は増えている。そしてスクーナーの船長はその仕事柄、他の港の話にも詳しいのだろう。

「回りくどい言い方ですのね。船上の話です。端的に仰って」

「つい先日、それが若手の船長に譲られたと聞きました。ああ、そういう話はいいんだったか。結論だけ言うと、船団を率いているのが”GG”パールだとしたら、ヤバい相手だってことです」

「”GG”? 通り名ですのね。何の略か、聞いたことあります?」

 横の船長に聞くと、船酔いのように顔を青くしながら、彼は言った。

「バイキング島の若手船長候補の中では、頭一つ抜けた少女だと聞きますがね。もう船長に、かつ船団を預けられていたとしても、不思議じゃない」

「GGの意味は」

「ジーニアス・ガールだったかな。自称でしたが、今じゃその呼び名を笑う者はいません」

「天才少女? 自分でそう名乗る人間程、お馬鹿なものでしてよ」

 視線を前方に戻すと、今や敵と認識した船団の姿が、大きくなっていると感じた。まさかとは思うが、包囲陣の中に、飛び込もうというのか。敵は斥候に当たる船は出してきていないものの、こちらの出したスクーナーから、船籍を把握された可能性はある。小舟で引き返すスクーナーの船長の横顔が、舌打ちしたように見えた。

 そこまでして、やりたくない相手なのか? 舌打ちしたいのはこちらである。こうまで海の者たちに知れ渡っている存在だ。エリザベスより提督としての腕が上であることは認めよう。ただ開戦となった場合、いちいちエリザベスが指示を出すのではなく、船長たちがそれぞれの技量を発揮できるのが海戦ではないのか。

 遭遇戦はそもそも、上手い位置取りで始まるとは限らない。勘が当たった形とはいえ、絶好の位置取りを、相手に三倍する戦力で為せたのだ。これを僥倖と言わずして、何がそう言えようか。エリザベスが失策するとすれば、戦略的な最初の一手である。そこを既に、勘と幸運で、最高の一手で乗り切っている。

「ここで、殲滅させます。全艦隊に告げなさいな。エリザベス艦隊、敵艦隊と遭遇せり。交戦に入ると」

 船長に告げると、ブラックベリー号が交戦の旗を掲げた。その命令が次々と繋がれていく間にも、各船は敵の姿を目視することになるだろう。

 艦橋に戻る途中、もう一度船長に声を掛ける。

「そのGGとやらについて、他に何か知っていまして」

「そんな麒麟児がいるってこと以外は、私はあまり。ああ、一つ、面白い話もありました。GGパールは、レヌブランの貴族、アドリアンの落とし子だとか」

「アドリアン? レヌブラン新宰相の?」

「ルテル伯の、だったと思います。当時は無名で、よく似た名の別の貴族かもしれませんが」

「捕まえて、噂の真偽についても聞き出しましょうか。こちらの包囲の猛攻で、沈まずに拿捕できればの話ですが」

 艦橋のいつもの席に戻り、エリザベスはパンジーに、紅茶のお代わりを頼んだ。

 去年、エドナの元で陸軍の調練に参加できたことは、大きかった。海戦は初めてでも、陸の戦との比較で、戦そのものについて考えることはできる。

 海戦は、とにかく旗船からの命令が届くのが遅く、こちらが指した手が、実際に動き始めるのに時間が掛かる。全艦攻撃の命を出したが、艦橋に座ってもう五分程、この命令は船団の半分に届いたかといったところだろう。

 ゆえにこそ、敵の動きの何手も先、あるいは五分後十分後の動きを先読みしなくてはならない。敵船団十隻はこちらの三十隻と比べて密集しており、臨機応変の指揮は、あちらに分があることもわかる。が、こちらは敵を半ば包囲できている。この動きを見て即座に南に転進するか、あるいは東へそのまま強行突破を計ろうとしなかった辺り、エリザベスが命令を出さなくとも、交戦に至っていた可能性は高い。その意味でも、先手で妙手を打てたのは、自分でも驚く程の幸運である。

 艦橋から、左手に目をやった。西、こちらとすれ違う形で敵船団は既に、はっきりとその姿を現していた。再び艦橋から出て、双眼鏡で旗船と思しき一隻を観察する。

 アリューシャンレディ。大型の、ガレアス船である。舷側から百足のように無数の櫂が飛び出しており、ある程度は風と潮を無視して航行可能なものの、それが舷側の下半分を占拠している為、その巨体の割に搭載できる火門は少ない。ガレオンを主体とするこちらの船団と併走しての撃ち合いとなれば、手数で負ける心配はない。一対一の鬼ごっこだったら分が悪いだろうが、包囲の輪に飛び込んで来た敵に、もはや逃げ道はなかった。

 それにしても、なお北に向かっているのはどういうわけか。北は、今でこそ視界から消えたものの、包囲を突破したとてすぐにアングルランドの南岸であり、逃げ込める、あるいは攻め込める港はない。抜けられたとてまた輪を閉じれば、陸と船団に挟まれて身動きできなくなる。

「ブラックベリー号、進路を東へ」

 艦橋に顔を出し、操舵手に命じる。取舵いっぱい、と威勢のいいいらえと共に、船主が左へと向きを変えていく。敵船団が通り過ぎた後の、遥か西。こちらの船団の最後尾が見えた。この後さらに左へ、北へと進路を取れば、船団はとぐろを巻くように旋回し、包囲の輪を縮めていく。

 勝った。そう思うと、心臓が期待と喜びにはち切れそうだった。ただ、敵提督が音に聞こえた麒麟児と言うのなら、こちらの犠牲も出るだろう。相手と同数の犠牲では、胸を張って勝ったと言うのも憚られる。が、勝ちは勝ちだ。

「船長、どう思われます? 勝ったとしか思えないのですが」

「わ、私にも、そう思えます。ゆえにこそ、おかしな気もします。敵があの十隻だけかどうか、見張りに探らせていますが」

 なるほど、その手もあったか。包囲したと、船団を密集させたこちらを、さらに外から敵の援軍が包囲し、殲滅する。が、十隻も囮に使える程、レヌブランの艦数が多いはずはない。現に、まだこちらを包囲する艦影はないようだった。いるはずがない。レヌブランは海運が盛んであり、商船自体は多く保有しているが、どれだけの船が軍艦に転用できるかは定かではない。が、この船団をさらに外から包囲できるだけの艦数は、ありえない。

 あの十隻は囮ではなく、独立した艦隊であると、あらためて確信する。微かな不安を残すものの、今更百隻現れたところで、あの十隻は助からない。

 既に、その十隻の船尾を捉えている格好だった。さらに取舵を取らせ北へ、背中を追う。こちらの後段が徐々に近づいてきているのはつまり、戦場全体が東へ流されているからだろう。そしてこのブラックベリー号を先頭とする前段は、半ば追い風を利用できている。

 追っていた敵船団の最後尾から、しかし徐々に距離を離されているのを感じる。さすがは、レヌブランが雇ったバイキング島の精鋭といったところか。エリザベスは努めて冷静に、艦橋の席に戻った。包囲もせず、同数でやり合っていたら、やはりこちらが劣勢だったか。懐中時計に目をやると、敵影を発見してから一時間程が経っていた。海の戦は、どれだけ切迫した気持ちでいても、どこかのんびりとしたものだ。

 前方、ブラックベリー号の航路を辿って付いてくるはずの船が、やけに少ないと感じた。引き返してきたこちらと、交差する形になるはずなのだ。

「船長、どういうことですの?」

「中段から、分断されたのかもしれません」

 包囲を、断ち割られた。それは理解できる。単に突き抜けたわけではなく、こちらと交戦があったことも、想像に難くない。

 戦況がすぐに把握できないのも、海戦の難点だった。が、最初の一手で、完璧なお膳立てをしてやったはずなのだ。

 北進を続ける。西からの横波が何度も舷側に打ちつけ、小型の船など直進もままならないだろう。振り返って、船列が乱れているのがわかった。

 視界の先、北、アングルランドの南岸が見えてきた。この位置に来る頃には、敵船団を完全に包囲できているはずだった。しかし敵影はなく、航行不能になっている味方の艦が、四隻程見えるだけだ。

「・・・手強い相手だということは、わかりました」

 ほとんど独り言だったが、船長は応じる。

「一度、船団をまとめましょう。後続が、心配です」

「わかっていましてよ。面舵いっぱい。東へ向かいますわよ」

 追い風で、潮流の助けも得られる。後続との合流は、たやすいはずだ。

 どこで、間違えた? エリザベスは自問する。しかしいくら反芻しても、手を誤ったとは思えない。しかし視界の外で、確実に敵の何かがこちらを上回っていたことは、次々と姿を現す、損害を受けた味方の船を見ていくと、わかる。

 東、前方。こちらと合流しようとしていた最後尾が、密集した敵船団に、集中砲火を浴びていた。こちらの戦列は、長く伸び切ってしまっている。何故かと問うべきではない。脚の遅い船ほど、艦隊の後ろにいるのだ。二、三隻ずつ分断された艦が、敵艦にいいようにいたぶられている。

 船団をひとまとめにしての、各個撃破。今はそういった、こちらの劣勢が当たり前の事態に陥っているが、ここに至る経緯がわからない。見えないところで、やはり何かあったのか。あるいは決定的な、操船技術の差か。

 ここに来てようやく、エリザベスは自軍の劣勢を悟った。

 何隻失う? 責任はやはり、自分が? 暗い考えが、次々とエリザベスの胸の内を掻きむしる。欲を出さず、見逃すべきだったか。が、今更どうしようもない。後続を置いて逃げ出すには、エリザベス以外の人間が、現状を把握しすぎている。

 未来への不安を全て投げ捨て、切り替えた。今は、できることをやるしかない。

 パール船団を、ひたすら追う。それがいくらか圧力になったのか、敵船団は交戦を最小限に、東進を優先し始めたようだ。

「追いつけますわよ。そして追いつける船だけで、追いつめます」

 このままさらに東へ航行すれば再び陸地となるが、今度はレヌブランの領土である。どこまでの深追いが可能か、エリザベスは海図に目を落とした。航海士に、現在地をあらためて測量させる。

「まあ、こういうこともあります。敵が、一枚上手だったということですな」

 早くも敗戦を認めてしまっている船長に、エリザベスは拳を上げたくなった。

「敵影は、もうあんなに大きくなっていますのよ。こちらの方が、今は速い。追いつけます」

「やめときましょう。ウチらについてこれてるのも、十隻程です。既に、数的優位を失っていますし」

 それでは、自分が恥をかくだけの戦になってしまうではないか。言いかけ、なんとか奥歯で噛み殺す。

「これが、アングルランドとレヌブランの、最初の戦となりますのよ。それを、ただ犠牲だけ出して負けろと?」

 頭では、敗色濃厚と理解している。が、自艦が一発の砲弾も受けずに白旗を揚げるのは、納得がいかない。無傷で、一度も傷を負わずに、完敗を認めろというのか。抑えきれない憤怒が、身を滅ぼす。思考がそう警告するのが聞こえる内に、この気持ちをなんとか鎮めなくてはならない。切り替えろ。切り替えろ。

「・・・どこで、間違えたと思います?」

「相手を間違えた。それに尽きますね」

 自嘲する船長は、もう負け犬の顔をしていた。

「アングルランド海軍は、そこまで惰弱でして? むしろゴルゴナ、エスペランサに続く、パンゲア第三位の海軍と聞いていましたけど」

「国が持つ海軍の練度としちゃあ、仰る通りでしょう。その誇りは、俺らにもある。ただバイキング島の連中は、別格です。現に上の二つの国も、傭兵として彼らを雇うのに、金を惜しみません」

「こちらの船は、敵の三倍でしたのよ。火門の数なら、さらに差があるかもしれない。初手は、今考えてもいい手でした。負ける要素が、一つとして身当たらないんでしてよ」

 声を荒げたエリザベスに、船長は肩をすくめて鼻で笑った。

「だから、相手が悪かったと言っているでしょう」

 今後こそ殴りかかってやろうと思った刹那、その船長の背後に艦の巨影が見えた。最後尾、何故かこちらに舷側を向けている。アリューシャンレディ。目だけは前方を見ていたはずなのに、敵の隊列が入れ替わっているのに気づかなかった。いつの間に。思った瞬間、身体が浮き上がった。背後から、大きな波が押し寄せていたらしい。

 肘掛けにしがみつき、落下する船の衝撃に備える。それでも、椅子から転げ落ちてしまった。船長は不意の一撃に狼狽しつつも、何とかその姿勢を維持した。

 その向こう。巨大な横波をまともに受けたアリューシャンレディが、こちらの艦橋の高さまで浮き上がるのが見えた。

「危ない!」

 パンジーが声を上げ、エリザベス再びを床に押し倒す。それでもエリザベスの目は、敵船の方を向いていた。そのまま、横波を受けて転覆しろ。砲門。敵のそれが、一斉に火を放つ。

 轟音と共に、ブラックベリー号の艦橋は、半壊した。砲弾の一発が、船長の身体を二つに吹き飛ばしながら、壁を突き破っていく。

 耳が、ほとんど聞こえない。しかしエリザベスはパンジーを押し退けて立ち上がり、剥き出しになった艦橋の端から、目の前を横切っていく船を睨みつけた。落ちていた双眼鏡を拾い、敵船の艦橋を覗く。

 エリザベスと同じように、遠眼鏡でこちらを覗き込んでいた、士官の格好をした少女が見えた。あれが、”GG”パールか。あれだけの横波を受けながらも、何事もなかったかのように、船長の椅子に収まっている。

 少女は手を振ると、すぐにこちらに対する興味を失ったかのように、前方へ視線を向けた。無数の橈が激しく動き、船団自体は再び進路を東に取り、あっという間にブラックベリー号から離れていく。

「今のは、偶然だと思いまして?」

 パンジーに訊くと、彼女は首を振った。

「あえて高波を受け、船体があの高さまで上がるのを待った、いえ、その機に合わせ、こちらに近づいてきたのかと、思います」

「艦橋を、砲で狙撃するなんて、ありえる話なんでしょうかね。いえ、偶然にしては結果が出来過ぎている。狙ったにしては、常識を打ち破り過ぎてもいますが」

 頷くパンジーに、エリザベスも首肯した。武術の世界にとんでもない化け物がいるのと同様、海の怪物もまた、いるのだろう。

 あのパールという船長に、船乗りとして一生追いつくことはないと、エリザベスは素直に認めた。負けず嫌いの自分ではあるが、そもそも立ち位置が違う。エリザベスはパールのようになるのではなく、あのような傑出した船乗りを見つけ、率いる側だ。もっとも同じ提督同士、今後もやり合うことはあるだろう。勝てないまでも、あれを適当にいなす術は、早急に身につける必要があるかもしれない。ただ、今回の敗戦で海軍の階級をいくつも落とし、この規模の船団を率いる提督に戻るには、時間がかかるかもしれない。

 悔しいが、終わってしまったことでもあった。

 破壊された艦橋に入ってきた船員たちが、一様に声を上げた。ある者たちは船長の無惨な死に号泣し、ある者たちはめちゃくちゃになった室内をただ呆然と見回している。誰一人、エリザベスの身を案じる者はいなかった。

 今はそれでいい、とエリザベスは思った。


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