7.必然
自宅にて。
偶然というものは、意図していない出来事であって予測不可能な出来事だ。
でも、もしそれが誰かによって仕組まれたものだったら、それは偶然ではなく、必然になってしまう。
風呂場は不思議だ。
大発明に繋がるようなアイディアの多くは入浴中に思いついたという。だから、僕もそれに倣って湯船に浸かりながら昨日からの出来事を振り返っていた。
昨日、無口な幼馴染が傘を忘れていったおかげで、僕は雨に濡れずに済んだ(実際には少し濡れたけど)。
今朝、世話のかかる幼馴染に傘を届け、尚且つ変なカセットテープを受け取ったおかげで、詩織センパイと話す機会を得た。
昼食の時、わがままな幼馴染に意味不明な呼び出しを食らったおかげで、詩織センパイと一緒に昼食を食べた。
放課後、忘れっぽい幼馴染が学級日誌を忘れていったおかげで、僕は詩織センパイと急接近した(物理的な意味で)。
果たしてこれらは本当に偶然なのだろうか。
まあ、普通に考えれば、誰かが意図して結果を操作するなんて事は有り得ないから偶然なんだろうけど、良い出来事に慣れていない僕は、全てが偶然だとも思えなかった。それに偶然にしては出来過ぎているし、幼馴染が毎回関与している点も気になる。
「まさかな……」
僕はあり得ない考えに行きつき、一旦はかぶりを振った。
「だって、そんな事……」
だけど、その考えは拭い切れず、頭の中で悶々と広がっていく。
「いや普通に考えたら……」
そして、有り得ないとは思いつつも、僕の中でひとつの答えが形作られていった。
「もしかして、アイツ——」
僕は湯船を出た。
もし僕の辿り着いた答えが本当であれば、とんでもない事だ。それはまるでSFとか異世界とかそういう別の世界の話であって現実ではあり得ない。でも、僕の知っている現実なんて、高が知れているし、科学では証明されない事象も多くあるから、もしかしたら僕の辿り着いた答えはあながち間違いではないのかもしれない。
風呂を出た僕は、2階の自室に籠り、普段は使わない学習机に向かった。しかし、教科書や参考書の類は広げず、スマホを見詰める。
もし今、僕がアイツに電話をかけて、アイツがすぐに出たら、僕の辿り着いた答えはほとんど正解かもしれない。もちろん、たまたまスマホが近くにあったとか、僕が電話をかける事を予測して、逆に間をおいてから出るとか、そういうことも考えられる。だが、アイツはそういう小細工は出来ない実直な奴だし、何なら僕は直接的にアイツに聞くつもりだった。
僕は通話履歴から「佐倉奈々(さくら なな)」という名前を選んだ。そして、通話画面をタップして、スマホを耳に当てる。
いつも何気なく電話をしている相手なのに、とても緊張した。折角の風呂上りなのに、嫌な汗が滲み出てくる。
僕は乱れる精神を落ち着けようと思い、呼び出し音が鳴り出す前に、アイツに尋ねる質問を胸中で唱えた。
お前は、未来が見えるのか?
「うん、そう」
「えっ?」
電話は呼び出し音が鳴るか鳴らないかの間で、通話になった。そして、キーンという耳鳴りのような沈黙の隙間に、小さな声が聞こえてくる。
「私は、未来が見える」
瞬時に言葉は返せなかった。やっぱり、と思う反面、嘘だろ、と疑いの念も湧いた。
だが、彼女はくだらない嘘を吐かない事を僕は知っているし、冗談を言えるだけのユーモアがない事も知っている。だから、彼女の言った言葉は真実であり、何より間髪入れずに電話に出た事が、それを決定づけていた。
「明日、詳しく話す」
「あ、ああ……」
僕が掠れた声で返事をすると、電話は不愛想に切れた。
僕は結局、何も聞けなかった。だけど、答え合わせは出来た。
アイツは、「未来が見える幼馴染」だったのだ。
当然、僕の頭の中は混乱していた。未だに信じられない部分もあった。だが、これまでの経緯を考えると、腑に落ちない事もなかった。アイツは、全て知っていて、それで僕に気を遣って、詩織センパイと近づけるように采配してくれたのだ。いや少し違うかもしれない。アイツは人に気なんて遣えないだろうから、単なる気まぐれか、意気地なしの僕を見兼ねたのだろう。たぶんそういう事だと思う。
僕は早く詳細が聞きたくて、1限目が終わった後、2限目までの僅かな時間にアイツを呼び出した。当然、人に見られない、聞かれない事を考慮し、人気のない学校の端っこにある非常階段の下を選んだ。そこはまだ気温が30度近くあがるこの時期でも、ひんやりとしていて、何となく薄暗く、少しだけ不気味さが漂っていた。
「単刀直入に聞くけどさ、お前、未来が見えるのか?」
僕は自分の肩程しか背丈のない丸眼鏡の少女と向かい合っていた。彼女の長く重い前髪がその表情を半分隠していたが、隠れていなくても無表情である事は容易に想像がついた。そして、それを裏付けるように、抑揚のない声が返ってくる。
「昨日、言った」
だから同じ事を二度も言わせるな、という事だろう。相変わらず愛想がない。だが、今はそれを咎めている暇はなく、僕は次の質問に移る。
「じゃあ、僕が詩織センパイに近づけるよう、お前が僕の行動を操作していたのか?」
少女はコクリと頷いた。僕は咄嗟に「なぜ?」と聞き返しそうになった。しかし、聞くだけ無駄だと思い、それは飲み込んだ。そして、まだ聞きたい事は幾つもあったが、今は堪え、僕は彼女をここに呼び出した本当の理由を口にした。
「だったら、これからも協力してくれないか? 僕は、もっと詩織センパイと仲良くなりたいんだ。僕は、あの人と付き合いたい!」
自分でも馬鹿な事を言っていると思った。身の程知らずもいいところだ。だけども、それが本音であり、憧れの人と付き合えたら、どれだけ幸せなのか、想像するだけでも高揚感が湧いてきた。それにコイツのおかげで、詩織センパイと話せるようになった訳だし、未来予知の能力をもってすれば、このまま付き合う事だって可能ないんじゃないかと思えた。だから、僕は懇願するように頭も下げた。
「頼む!」
少女は黙った。大き過ぎる丸眼鏡の縁に触れ、考えているつもりなのか、いつもより俯いていた。
しばらく沈黙が続いた。僕はその間、頭を下げ続けた。そして、もうすぐ2限目が始まってしまうかというところで、少女の小さな声が返ってきた。
「条件がある」
「なんだ? 言ってみろ」
僕は顔を上げ、少女を見た。僕はどんな条件でも飲む覚悟でいた。しかし、彼女が提示した条件は、些細なものだった。
「名前……」
「なまえ?」
少女はコクリと頷く。
「名前で呼んでくれたら、手伝ってもいい」
「名前って、お前の名前か?」
少女はまたコクリと頷く。いつもに増して俯いて見えるのは、気のせいだろうか。
「じゃあ、佐倉」と僕が言うと、佐倉は首を振った。どうやら僕は誤ったらしい。
続いて、僕が「奈々」と言うと、奈々はもっと俯いた。首を振らなかった様子を見ると正解らしい。それにしても、いつもはただ弱々しい小動物のように見える彼女だが、今日は不思議と愛らしさみたいなものを感じた。
そして、彼女の名前を言って思い出す。子供の頃は、彼女の事を当たり前のように「奈々」と呼んでいた。しかし、いつからだろう。「お前」と呼ぶようになったのは。
「じゃあ、頼むな。奈々」
奈々がコクリと頷いたところで、2限目を知らせるチャイムが鳴った。
「おっと、やべぇ。ほら、さっさと教室に戻るぞ」
僕が駆け出すと、奈々は遅れてついてきた。
僕らが走る廊下は長かった。薄暗い場所から徐々に明るくなっていき、更にその向こうに外光が差し込む窓が見えた。僕は、その先に僕と詩織センパイが恋人になる未来が待っている、そんな気がした。