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嘘を吐くとき、耳を触るって誰が言った?  作者: 翼 くるみ
Ⅰ.未来を見る少女
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5.偶然(1)

もうすぐお昼ご飯です。

 幸福な時間は、あっという間に過ぎてしまう。


 それは誰が言い出したのか、僕は知らないけれど、強くそう思った。


 以前は幸福を感じる事なんてほとんどなく、そもそも幸福な時間というものが僕には存在しなかった。しかし、今日、こうしてあの人と話せた事は、僕にとって間違いなく幸福な時間だったと思う。だから、残暑のなかで30分も電車を待っていた事も旧型車両の遠慮のない揺れも、僕にとっては些細な事でしかなかった。あの人と時間や空間を共有できれば、それでよかった。



 

 「何ニヤついているんだよ」


 午前の授業が終わった後、前の席の小山が振り返って僕を見た。小山は相変わらず緩んだ顔をしていた。しかし、そんな小山が言うのだから、僕は相当にニヤついていたのだろう。


 もちろん、その心当たりはあった。だけど、それを易々と他人に言いたくはなくて、僕は自分の両頬を抑えて、無理矢理に引き締まった顔を作ろうとした。


 「僕は、ニヤついてなんかいないよ」


 だけど、どうやったって引き伸ばされた滑稽な顔にしかならず、小山は呆れ声を向ける。


 「何やってんだよ。樹ぃ。もしかして、昨日の姫高ひめこうの女子となんかあったのか?」


 まさか。昨日のカラオケの彼女らとは何にもない。あっても僕はニヤつかないだろう。だけど、誤魔化すにはちょうど良いと思い、僕は適当に頷いた。


 「ま、まあ、そんな感じかな」

 「ふうん」


 しかし、小山はそこで表情を硬くさせた。たぶん、あのショートヘアの子と上手くいかなかったのだろう。


 「まあ、いいけど……。学食、行くか」


 小山は明らかに不機嫌になった。僕は言葉の選択を誤ってしまったと少しだけ後悔する。だけど、やはり朝のセンパイとのひとときの前では、それも些細な事でしかなかった。


 小山は席を立った。そして、いつものように教卓の辺りで群れになっているクラスメイト達を見遣る。その中には頭一つ抜けた長身の田端がいた。


 「おーい、田端ぁ。メシ行くぞー」


 田端はこちらを向くと、「おう!」と手を上げて、自身の存在を強調した。しかし、そんな事をしなくても、田端の長身とデカイ声は、教室内でよく目立っている。


 僕も席を立った。別に学食に行きたい訳ではなかったが、これも付き合いだ。母が握ってくれたおにぎりは帰宅途中に食べるか、無理ならば野良猫にあげればいい。


 田端が歩み寄ってきて、小山と合流した。そして、彼らは教室の後ろ側の扉から出て行く。僕も彼らに続いて、教室を出ようと思った時、スマホが震えた。


 振動時間の短さからメッセージだろうと予想はついた。しかし、今は気にしない。僕にメッセージを送ってくる人物なんて高が知れている。


 僕は教室の後ろ側の扉へと歩き出す。しかし、またスマホが震えた。しかも、連続で5回。そのしつこさから苛立ちを感じた。それでも無視して歩き続けると、スマホも震え続けた。 


 「ったく、何だよ」


 僕は堪えきれず、ポケットからスマホを取り出した。


 新規メッセージは全部で30件。馬鹿か。


 一応、開いてみると『中庭にきて』というメッセージが2件と残りは『早く来い』というウサギのスタップだった。当然、送り主は丸眼鏡の幼馴染。ホント、自分勝手な奴だ。


 だけど彼女には「借り」があった。それは彼女の意図した事ではなかったかもしれないが、今朝電車を一本乗り過ごしたおかげで憧れの人と同じ電車になり、お土産と称したカセットテープを手にしていたおかげで、奇跡的にも会話をする機会を得た。悔しいけど、それらは彼女のおかげだ。


 僕はスマホをポケットに戻し、廊下に出た。小山と田端はもう隣の教室の前にいた。僕は二人を呼び止めるために、普段は出さない大きめの声を出す。


 「小山! 田端!」


 僕の珍しい声にふたりは振り向いた。


 「樹、どした?」

 「んあ?」


 田端が首を傾げ、小山は口を開けたままポケットに手を突っ込んでいた。


 正直、言い難かった。折角誘ってくれたのだから、その誘いを断る事は、今後の交友関係に差し支えるかもしれない。だけど、借りがある彼女の依頼も無視する事はできなかった。


 「悪いけど、先に学食行っててくれないか。僕はちょっと……職員室に用事があって」


 嘘を吐いた後ろめたさよりも、トモダチとの距離が広がるのではないかと不安になった。


 「あっそ」

 「わーったよ」


 案の定、田端は不満げな表情をした。小山は口を開けたままだったが、何となく口調は冷たかった。


 ふたりが向き直ったところで、僕もきびすを返し、玄関の方向へと向かう。しかし、少し進んだところで、またスマホが震えた。見れば、また丸眼鏡の幼馴染からのメッセージだった。


 『お弁当、持参で』


 遠回しに昼食に誘っているつもりなのだろうか。女子の誘いを受けるなんて生まれて初めてだけど、これっぽっちも胸は躍らなかった。




 中庭は二棟ある校舎の間に位置している。「東棟」に1年生と2年生の教室があって、「西棟」に3年生の教室と特別教室などがある。だから、その間に位置する中庭には、多学年が集まっていて、それなりに賑わっていた。


 天気も良かった。朝の雨が嘘のようだ。皆、校舎の陰や木陰で弁当やパンを広げ、楽しそうに昼食を摂っている。いかにも充実した高校生活を送っているという表情だ。彼らには怖いものなんて何にもないのだろう。


 そして、もしこの中に丸眼鏡の少女がいるとしたら、それは明らかに場違いだ。彼女にはこんな明るい所は似合わない。彼女は教室の隅か、誰もいない理科室がよく似合う。


 だから、すぐに見つかるだろうと思った。


 だけど、見つからなかった。


 3年生が集まっている噴水の近くも、木陰のベンチにも、垣根の裏側にも、どこに丸眼鏡の少女の姿はなかった。


 まだ来てないのか?


 しかし、教室にも姿はなかった——と思う。良く見ていなかったから、もしかしたらまだ教室にいたのかもしれない。


 そう思い、教室に引き返そうとした時、またスマホが震えた。行方不明の幼馴染からのメッセージだった。


 『やっぱり行かない』


 何なんだよ、アイツ。


 普通に腹が立った。僕はトモダチの誘いを断って、わざわざ来てやったのに、理由もなしに、やっぱり行かないって何なんだよ。


 僕はムカついてスマホを投げつけたい気分だった。

だけど、当然そんな事はしない。スマホを壊しても何の解決にもならないからだ。教室では、皆の目があるから、今夜、彼女の家に行って文句の一つでも言ってやろう。でないと、腹の虫が治まらない。


 僕は遅れて学食に行こうと思った。もしかしたら、小山も田端ももう食べ終えているかもしれないけど、彼らと合流できて、トモダチが続けられるのであれば、別に昼食は食べなくていい。僕にとって食事をする事は単なる作業のひとつでしかなかった。


 しかし、その日、僕の昼食の概念が書き換えられる。


 僕が中庭を去ろうとした時だった。


 「あれ、君は今朝の——」


 僕は苛立ちのせいで、俯いていた。だから、僕の行く先に「あの人」がいるなんて、想像もしなかった。

顔を上げてみると、そこには紛れもなく、僕の憧れの人がいた。


 艶やかな黒髪は、陽の光が当たるとより輝いて見え、透き通るような白肌は、見事に陽の光を反射している。やはり、この人にはこういう明るい場所がよく似合う。


 「君も、今からお弁当?」


 その人は僕の手にしている巾着袋を見て言った。そこには母の作ったおにぎりが収まっている。見返せば、質問をしたその人も似たような巾着袋を持っていた。


 「あの……」


 今からお弁当ですか? と聞き返したかった。だけど、僕が気安く問い掛けていいものか分からず、はばかれた。すると、その人はまた微笑んだ。その微笑みは、何事にも代えがたい幸福感を僕に抱かせた。


 「私、生徒会の仕事があって、お昼遅くなっちゃったんだよね」


 その人は生徒会長を務めていた。今月で任期を終えるから、その引き継ぎ等があるのだろう。


 「皆、もうお昼終わっちゃっているみたいで」


 確かに、その人はひとりだった。中庭に残っている他の生徒達も弁当箱を畳み始めている。


 「君とは、また『デジ・クラ』について語り合いたいなぁ」


 まさか。


 「もし良かったら——」


 僕は期待した。


 あり得ないとは思いつつも、僕は期待してしまった。おこがましいと思いながらも、その微笑みを見ると、期待せずにはいられなかった。


 「一緒にお弁当食べない?」


 僕は失神しそうだった。いや半分気を失っていたかもしれない。だって、あの生徒会長を務め、校内で最も美しいと言われている、篝詩織かがり しおりセンパイが、平凡なこの僕を昼食に誘っているのだ。昨日までならば、考えもしなかった事で、もう奇跡を通り超えて、言い表しようがない事態になっている。


 僕は、とりあえず自分の頬をつねってみた。うん、痛い。


 これが僕の妄想ではなく、現実である事はどうやら間違いなさそうだった。だったら、とにかく早く返事をしなくてはいけない。


 「あ、あの……」


 だけど、言葉が出てこなかった。だから、代わりに僕は、緊張で固くなってしまった首を軋ませて、何度も頷いた。


 「ふふっ。良かった」


 その人の笑顔は、圧倒的な破壊力を持っていた。

その笑顔の前では、幼馴染のわがままな振る舞いも、学食で待たせている友人らとの約束も、もう全てがどうでも良かった。僕はこの笑顔を見るために、生きているのだ。ああ、僕の青春は今から始まるのだ。


 僕は確信的にそう思った。


 そして、昼食というものは、幸福を味わうための時間なんだと初めて知った。


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