3.センパイ(2)
緊張してあまり眠れませんでした。
翌朝、雨はまだ降り続いていた。
少し早めに家を出なければ、「広小路」の電停は、西高の生徒で溢れてしまうだろう。しかし、慌てる僕を邪魔するように、スマホが鳴った。画面を見ると、「佐倉奈々(さくら なな)」と無口な幼馴染の名前が表示されていた。
「なんだよ、朝から」
僕が不機嫌に電話に出ると、スピーカーから同様に不機嫌な声が返ってきた。
『傘、持って来て』
「今から? お前、今何時だと——」と言い終わらないうちに、電話は一方的に切れた。ホントに自分勝手な奴だ。
今からアイツの家に寄っていると、確実に路面電車の発車時刻に間に合わない。一応、一本遅い電車でも遅刻はしないのだけど、その時刻の電車は旧型の車両になるので、遊園地のアトラクション並みに揺れる。それに朝から15分余り、身を委ねる気にはとてもなれなかった。
しかし、窓の外を見遣ると雨は未だ降り続いていた。止む気配はない。傘を差さずに電停まで行けば、確実にずぶ濡れになってしまうだろう。
僕は長いため息をついた。
「ったく……何なんだよ」
僕は自分の傘を差し、小さな傘を手に持って家を出た。ホント、世話のかかる奴だ。
世話のかかる幼馴染の家は、僕の家と同じ住宅街にあった。歩いても5分程の距離だ。だが、電停とは逆方向に位置するので、結果的には遠回りになってしまう。
僕は小ぢんまりとした古風な家の前で足を止めた。雨に濡れるその家は、比較的新しいこの住宅街の中では異様な雰囲気を放っていて、初めて訪れる者ならば、少し不気味に感じるかもしれない。だけど、長年通っているせいか、僕にはその不気味さが日常の風景に同化していて、家の小ささも中に住んでいる人間が小さいから適当な大きさに思えた。
後付けされた真新しいインターフォンを鳴らす。同時に家の奥からコンビニで流れているような陽気なメロディーが漏れ出てきた。そして、10秒ほど間があって、すりガラスの引き戸が開けられた。
「遅い」
朝の挨拶もすっ飛ばし、出迎えた丸眼鏡の少女はそう言った。つくづくムカつく奴だ。だが、そんな事でいちいち苛立っても仕方がない。コイツの無口で不愛想な性格は一生変わらないだろうから。
僕はさっさと昨日彼女が忘れていった傘を差し出す。
「ほれ」
そして、すぐに背を向ける。
「学校行くぞ」
僕は彼女の返事を待たずに歩き出した。しかし、僕は予想外の足止めを食らう。
「待って」
たぶん抑揚のない彼女の声だけでは、僕は足を止めなかっただろう。僕は、不意に制服の裾が掴まれたことによって引き止められた。
「何だよ」
僕が訝しげに振り返ると、丸眼鏡の少女は僕に小さな手を差し出していた。意味も分からずしばらく見詰めていると、その手の内からカセットテープが出てきた。
「……お土産」
「お土産? お前どっか行ってたのか?」
少女は前髪を揺らす。
「お姉ちゃん」
「澄玲さんが?」
少女はコクリと頷いたが、髪をかけ直すフリをして、自分の耳を触っていた。彼女は嘘を吐いている。
しかし、僕は咎めず、カセットテープを受け取った。
「ふうん」
だけど、意味が分からない。旅行のお土産がカセットテープって……。テープには「デジタル・クラッシュ・アワー」と書いてあった。何かのバンド名なのだろうか。知らない名前だ。そもそもカセットテープが聴ける機器を僕は持っていない。
僕はまた歩き出して、受け取ったカセットテープをポケットに押し込んだ。