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嘘を吐くとき、耳を触るって誰が言った?  作者: 翼 くるみ
Ⅰ.未来を見る少女
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2.センパイ(1)

僕は、ようやく拷問のようなカラオケ店から解放された。

 お金を何のために使えばいいのか、僕は良く知らない。だけども、苦痛な時間を強いられた上に、初対面の女子の分までカラオケ代を支払う事は、到底納得できるものではなかった。ただ世の中には納得できない事が多々ある事も僕は理解していた。


 「田端君、ばいばーい!」

 「小山君、またねー!」

 「檜山かいやま君、今度、連絡するね」


 カラオケ店を出ると、少女たちは白々しい愛嬌を振りまきながら、街灯が点り始めた街に消えていった。それを小山と田端は満足そうに見送り、僕はとりあえずスマホの電源を切った。


 少女たちが見えなくなると、僕らもすぐに解散になった。小山はバイトがあると言って、駅方面へ駆けて行き、田端はバスケ部の友人らと約束があると言って、帰宅時間の人々の流れに溶けていった。ひとり残された僕は、なんとなく薄暗くなっていく空を見上げた。空には雲はあったものの、雨が降る様子はなく、雲の狭間からは星が瞬き始めていた。


 「何でアイツ、傘なんか持って来たんだよ」


 僕は無口な幼馴染が忘れていった傘の柄を強く握り締めた。




 良くない事の後には、良い事がある。


 誰がそんな事を言い出したのだろうか。無責任も甚だしい。


 僕としては、それを実感する事は日常生活においてほとんどなく、たいてい良くない事の後には良くない事が起こる。例えば、カラオケ代を支払ったせいで、路面電車トラムに乗るためのお金が無くなり、家まで歩く羽目になった事とか。


 カラオケ店が収まる商店街から僕の家までは、徒歩で30分程度だった。別に歩けない距離ではなかったが、当然路面電車に乗った方が楽な距離だった。


 正直、僕は弱音のひとつでも吐きたい気分だった。しかし、それを吐いたところで気が晴れる訳でもないし、家が近くなる訳でもない事を知っている。今は無駄な労力を使いたくなかった。だから、僕は弱音を胃袋の中で留め、強くなる嘔気に耐えた。


 ただ幸いな事もあって、無口な幼馴染が忘れていった傘が小さめだったおかげで、杖代わりに使うにはちょうど良かった。




 商店街を抜け、路面電車の線路沿いをしばらく進むと、「大手町」と書かれた電停が見えてきた。そこの近くには、進学塾が幾つか建ち並んでいる。だから、電停にはいかにも頭の良さそうな連中が列を作っていた。僕はそれほど頭が良くなかったので、そんな彼らに妬みの籠った視線をこっそり向ける。


 雨でも降ればいいのに。


 僕がそんな意地悪な事を胸中で呟いた時、ちょうど頬に雫が落ちてきた。まさかと思い、空を見上げれば、いつの間にか星は隠れ、暗雲が広がっていた。


 嘘だろ。


 今朝の天気予報では、今日は一日を通して晴れだと言っていた。しかし、空模様は瞬く間に変化していき、雨はあっという間に本降りになった。


 電停で待っていた頭の良さそうな連中は想定外の雨に困惑していた。電車の到着まであと数分程だろうが、その間に彼らはずぶ濡れになってしまうだろう——という僕の目論見は外れ、彼らは一様に折り畳み傘を広げ始めた。頭の良い連中は、備えも怠らないらしい。


 僕は何となく悔しい思いで、手にしていた傘を開いた。


 やはり小さい。


 無口な幼馴染ならば、ちょうど良いかもしれないが、一般的な男子高校生の僕にはその傘は小さすぎた。でも、差さないよりはマシなので、そのまま肩を濡らしながら、歩を進めた。




 大手町の次は、「医療センター前」という電停があって、その次は「広小路ひろこうじ」。ちなみに僕が降りるはずだった電停は広小路で、そこから5分程歩けば僕の住んでいる住宅街がある。だから、広小路の電停が見えてくると、もうすぐ家に帰れるという安堵感が湧いた。しかし、不意な出来事によって、その安堵感は瞬時に薄れる事となる。


 良くない事の後には、良い事がある。


 それは誰が言ったのだろうか。しかし、そんな事はどうでも良くて、僕はその言葉を否定した自らの罪深さを自覚することになった。


 僕が広小路の電停の傍までやってくると、ちょうど向かいから路面電車がゆったり、ゆっくりとやってきた。そして、金切り声のようなブレーキ音を鳴らし、電停に滑り込む。


 普段ならば、僕の通う西高の生徒達が大勢降りてくる時間帯のはずだが、今日は始業式だけで、午後放課になったため、降りてきた西高の生徒は疎らだった。


 彼らは、頭のよい塾生達とは違い、折り畳み傘を持ち合わせていなかった。そのため、電車を降りるなり、困惑した様子で、不平不満を漏らし始めた。その様子が僕には滑稽に見えて、自分もあの高校の生徒だと思うと何となく情けない気分になった。


 しかし、最後に降りてきた人物は、文句を垂れる連中とは違った。それは文句を言わないとか、そういう次元ではなくて、その人だけは美しさが際立っていた。


 とても同じ西高の生徒だとは思えなかった。予想外の雨で、困った表情を浮かべるその顔ですら品があって美しい。長い黒髪は何か特別なオーラで守られているかの如く雨を弾いていて、水分を吸収してしまう夏服さえも淀みなく白く、雨夜のとばりによく映えた。


 その人は、僕の憧れの人だった。


 「篝詩織かがり しおりセンパイ……」


 自然とその人の名前が僕の口から零れる。だけど、僕はその人に夢中で、それすらも気付けない。そして、その人は、小走りで電停から歩道に移ると、小さな傘に無理やり収まっている僕の横を通り過ぎていった。


 それが僕とその人が最も近づいた距離だった。たぶん目測で1メートルくらいだっただろう。僕らはただすれ違っただけだ。だけども、その人の存在を間近で感じられただけで、僕は幸福だった。


 路面電車に乗れなかったおかげで、僕はあの人の傍に行けたのだ。


 僕は、僕らしくもなく、そんな事を思った。


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