夢と現の狭間で
「どうしてあんたが殺されなきゃならんのだ!」
「そうです!私たちは貴方が正しい道を示してくれたから、貴方が居たからここまで来れた。なのにどうして貴方が……」
無骨な筋肉質のオヤジと、真っ白な頭の長身の男がベッドに横たわるひとりの男にすがりついて泣いていた。
ベッドの男には呼吸のためのマスクがされ、体からは無数のコードが伸びている。
身体には夥しい量の包帯が巻かれ、どれだけ重大な怪我を負っているのかを物語っていた。
腹の部分の包帯が黒くなっている。
何かが刺さったのだろうか、銃で撃たれたのだろうか。そこは分からない。
しかし、処置は終わっているようだが、きっと峠は越えられないだろう。そんな雰囲気がその部屋に蔓延していた。
この空間にはベッドと3人の男があるだけで、周りは暗く見えない。
病室なのだろうか。
暗い雰囲気はまるで霊安室のようだが、暗く見えない空間に対して、ベッドの周りは明かりがついた病室のようだ。
少し違和感を覚える。
すがりついている2人の男のうち、筋肉質の方の男は40代くらいだろうか。
角刈り頭にサングラスを乗せ、黒のチノパンに柄物のシャツを前を開けて着ている。服装だけではなく、髪型や佇まいがいかにも堅気ではない雰囲気を醸し出している。
警官や軍人と言うよりは、ヤクザや殺し屋、傭兵などと言われた方がしっくりくる感じがする。
白髪交じりの髪と無精髭が、独特のドスの効いた印象を強くしている。
横にいるヒョロ男より身長は低いが、それでも175cmくらいはあるのではないだろうか。
私の好みではないが、イケメンよりもこっちのオヤジの方が好みという人も多く居ると思う。
横の細身の男はオヤジとは対照的に、印象だけだと聖職者という感じだ。白のチノパンに、ファスナーのついた襟の高い白のパーカーを着ている。
白一色で統一されているが、そこにいやらしさや、若者の強がりのような印象は感じさせない。
混じり気のない真っ白な髪を七三分けにかっちりとセットし、髭も剃り残しさえ伺えない。
間違っていたら悪いが、敬虔な宗教徒が掃除などの邪魔にならないように着る装束といった風に見える。
そのくらい神聖な雰囲気を漂わせている。
30代くらいだろうか。見た目は若そうに見えるが、実際は2人は同じくらいの年齢なのかもしれない。
こちらの男は190cmくらいはあるのではないか。
寝ている男、すがりついている2人の男にはどちらも見覚えはない。
オヤジの知り合いなんて、パパと先公くらいしか居ない。
変な空間といい、きっとこれは夢なのだろう。
ならなぜこんな夢を見るのだろう。
どうせなら若いイケメンにしてくれれば良いのに。
女子校に通っているうちに少し男に飢えているのだろうか。
そう考えたら少しゾッとした。
夢を見るのはいつぶりだろう。
3ヶ月は確実に夢を見ていない。いや、もっとかもしれない。
体が効率よく眠れるようにしてくれているのだと思い、少し誇らしくすらあった。
だとしたら、もしかしたら、ほのかな可能性ではあるが身体が何かを私に教えようとしているのではないか。
そう思うと男に飢えているよりはしっくりくる気がする。少しほっとした。
さっきのセリフから場面は進んでいない。
意味がありそうな場面かもしれないなら、少し考えてみよう。朝まではまだ時間がありそうだ。
この夢ではじめに目に入ったのは3人の男。
ベッドの男は包帯のせいで特徴は伺えないが、縋り付いている男2人は全然違う。
見た目、雰囲気、服装、おそらく職業も。
しかし、2人はベッドの男を尊敬の念を感じさせるほどに慕って、瀕死の現状を嘆いている。この3人の関係性はなんだろう。
体感で5分くらい悩んでみたが、この場面だけではあまりにも情報が少ない。
考えてもわからなそうだ。
そんな風に考えていると、静止画のように止まっていた場面が動き出し、ベッドの周りの明かりが窓の方まで伸びた。
私の思考に合わせて場面が進んだのだろうか。
そんな事はないだろうが、もしそうならいよいよ本当に体からのお告げかもしれない。
「そんなに縋り付かれたら、リーダーが鬱陶しがるわよ」
窓際に寄りかかって立っていた女は、窓を開けて2人の男に声をかけた。
一見、女はオッサンたちの行動を諌めているようだが、声色から励ましているのだとわかる。
女はこの空間の中で1番普通の人間に見える。
少し色白で、茶髪の長い髪を後ろでお団子にアップしている。白いブラウスに、ジーンズを履き、足元は10cmくらいヒールのあるサンダルを履いている。
身長は女にしては少し高め、165cmくらいだろうか。
誰よりも普通だが、それ故に浮いている。
言い過ぎかもしれないが1番違和感がある感じがした。
女は、ベッドのオッサン達と反対側の脇にある椅子に腰掛け、2人の方に向き直ると再び話し出した。
「リーダーがこんなことになったのは辛いわ……」
見ているだけのわたしにも空気が変わったのがわかった。
換気のために開けられた窓が原因ではない。
女がこれから言おうとしていることが、3人の男にとって悪いことであることは、誰から見ても明らかだった。
開けられた窓から初夏の生暖かい風が吹き込み、いつのまにかベッドの脇の机に置いてあった花瓶の花を揺らした。
10枚の花びらのうち2枚が落ち、風に乗ってリーダーと呼ばれたベッドに横たわる男の上に落ちた。
「でも、あのまま続けていくのは無理だったのよ」
ヤクザのオッサンは体を起こさないまま、唇を噛み締め、握りしめた手をより一層強く握っていた。
聖職者のオッサンは、女の顔を見上げ何か言おうとしたが、すぐに下を向いてしまった。
「これ以上犠牲者は出せないでしょ。多くの仲間の命が散っていった。若い子だって大勢いたわ。やめられる状況じゃなかったんだから、これがいい機会……」
「……んな事あわかってるよ!!」
ヤクザのオッサンはついに耐えきれなくなったのか、立ち上がり言葉を遮ると、女の顔を睨みつけた。
「わかってる、わかってるが俺たちのやってきた事は無駄だったってのか!それじゃあリーダーは、死んでいった仲間達は報われねぇじゃねぇかよ!」
「そんなこと言ってるんじゃないわ!私だって一緒に戦ってきたんだから!辛いのはみんな同じなのよ……」
2人は想いをぶつけ合っていたが、意見が食い違っているわけではなさそうで、2人とも痛そうだった。
怒鳴りあう2人は、2人とも目を真っ赤に腫らし、2人とも泣いていた。
2人は言葉を失い、ヤクザのオッサンは立ったまま、女は椅子に座ったまま俯いてただ唇を噛み締めていた。
「2人とも。気持ちはわかるが、リーダーの前だ。今1番苦しんでいるのは誰なのか、忘れてはいけないよ」
聖職者のオッサンは、行き場を失った2人の言葉を拾い、2人に優しく、それでいて強く言葉を投げかけた。
「……すまねぇ、悪かった」
「いえ、私こそ今する話ではなかったわ」
この3人はきっといつもこういう関係なのだろうと思った。
ヤクザのオッサンが先頭を切って行動して、女が諌め、聖職者のオッサンがそれを収集する。
そして、3人ともリーダーを尊敬している。
辛辣な場面で不謹慎かもしれないけど、正直羨ましかった。
私には、あんな風に支え合える仲間も、感情をぶつけられる仲間もいない。
ましてや心の底から尊敬、信奉できる存在なんてない。
この夢は私に自分の人生の小ささを、存在の小ささを見せつけているのだろうか。
それなら言われなくても知っている。
私は自分の人生に喜びを感じたことなんて一度もない。
存在意義を見出せたことなんて一度もない。
気づいたら、場面がまた止まっていることに気づいた。
辛辣な場面を見て少し空気に当てられてしまったのだろうか。
少し整理してみよう。
今わかる事は、ベッド脇の3人は服装は違うが、同じグループ、組織、何らかの活動の人間という事。
また3人を含む団体の活動によって多くの犠牲が出て、そしておそらくその活動の中で出た犠牲者の1人がリーダーと呼ばれる男であること。
また女の発言から考えて、その活動はまだ続いているということ。
このくらいだろうか。
服装からして何十年も前ってことはないだろうが、最近日本人が関与した戦争なんてあったか?いや、もしかしてテロか何かか?
でも最近の事件で10人単位の邦人が犠牲になった事件なんてあったか?
仲間が日本人だけとは限らないが……そもそも夢の中の場面を現実に照らして考えているのが間違いだろうか。
しかし、あまりにもリアリティがありすぎてどうしても夢の中の絵空事のような気がしない。
多くの犠牲を出したというキーワードで1つ思い当たるのは、19年前の震災だけど、人災とかではなかったし………ん?
そう言えば、見落としていたことが1つあった。
違和感の正体に気づき、何がわかったわけではないが、得体の知れないどうしようもない恐怖が襲いかかる。
震災や戦争のような、多くの犠牲が出るような事件や活動の最中のはずなのに、どうして女は普通の服を着ているんだ?……もっと言えばなんでパンプスなんて履いてるんだ?
気のせいかも知れない。
私が思っているような事件ではないなら、家に帰れる時間だってあるはずだ。
そうなら思い過ごしだ。私が変な想像をし過ぎるだけだ。
でもそうでなかったら、私が羨ましいと思った3人の関係は破綻してしまうじゃないか。
窓から再び、生暖かい風が吹き抜け、今度は4枚の花びらを絡めとってリーダーの上に運んだ。
「ゴホッゴホッ」
リーダーと呼ばれた男は、咳き込んだ後、マスクを外して体を起こした。
「リーダー、気が付いたのか!」
体を起こしたリーダーの体を、声をかけながらヤクザのオッサンが支えた。
オッサンは涙を流し、嬉しそうにしているが、他の2人は複雑そうな表情をしているように見えた。
きっと、今装置を外して起き上がってしまうことは、延命の可能性を断つことなんだろうと、なんとなく感じた。
「……なんだよ、支えてくれるならもっと美人が良かったぜ、なぁ鈴子……ゴホッゴホッ」
咳に混じって、口元から血が一雫流れ落ちるが、それを見えないよう直ぐに口元を拭いリーダーはにっと笑った。
「死にそうだったのに、ボケるもんじゃねぇな、ハハッ」
「プフッ……全くあなたらしいわね」
「全くだぜ」
「心配して損した気分ですよ」
聖職者の男が心配を隠せず、肩をわざとらしくすくませたのを見て、ヤクザのオッサンが笑い、釣られて4人の間に笑いが満ちた。
さっきまでの辛辣な空気が嘘のようだ。
一言で空気を変えてしまう。それほどまでにリーダーと呼ばれるこの男のカリスマ性は偉大なのだろう。
リーダーは咳き込んでいたが、構うことなく4人はひとしきり笑った。
そして笑いが自然に収まった後、リーダーが口を開いた。
「悪いな、しんどい話、するぜ」
3人はリーダーの体が限界を超えているのをわかっていた。
お互いに顔を見合わせると、聖職者の男が代表してリーダーに向き直り、静かに頷いた。
「俺は今日死ぬ。今だって能力フル回転でようやく起きていられるくらいだ。もう持たんだろうよ」
3人ともリーダーの最後かも知れない言葉を、仕草を1つも見逃さないように、まばたきもせず必死にリーダーに視線を送り続けた。
鈴子と呼ばれた女の瞳から涙がこぼれた。
「泣くな、前を向け。てか、俺が喋れてんのがすげーんだからな、言っとくけど。こんなすげー事が起こるんだから、お前らにだってもっとすげー事が……ってあれ、なんの話だっけ?」
っぉおい!
本当にすごいリーダーなのかこいつ?
瀕死でボケ倒してるんだしある意味すごいのかも知れないけど……
こんなのに嫉妬した自分が思いやられるよ。
「お前らに頼みたい事がある。俺は…………………………。」
「…………………。」
窓から強い風が吹き込み、花瓶にいけられた花の残っている花びらを全て巻き上げた。
風のせいで何も聞こえない。1番いいところなのに。
いったい何が語られているんだ。
リーダーのベットを囲むように3人は立ち上がった。
それぞれの目から、瞼に貯めきれない涙がこぼれ落ち、ヤクザのオッサンは隠そうと上を向き、細身のオッサンはハンカチを目頭に当てそれでもリーダーを見つめ、鈴子は耐えきれず顔を手で覆っていた。
こみ上げる得体の知れない感情に胸がいっぱいになるのを感じた。
きっと最期の想いを託したのだろう。
重要な場面ではあるが、関係のない私は聞くべきではない。
私には分からない、何か深い絆で結ばれた4人の秘密を聞かなくてよかった。そう思った。
風は更に強さを増し、さっきまでリーダーの体の上にあった花びらまで全て絡め取ると、場面を見ている私に向かって一気に吹き付けた。
「……んっ」
風の強さと吹き付ける花びらに、思わず目を閉じ顔を逸らした。
しかし目線を戻すとそこにはさっきまで見えていた光景は、痕跡すら残さず消えてしまっていた。
あの3人はあれからどうなったのだろうか。
きっと3人は別々の道を歩んだだろう。
しかし、それでも気持ちは同じはずだ。
あの光景を最後まで見た私には、不思議とそんな気持ちでいっぱいだった。
「仲間を信じてくれてありがとうよ」
ビクッ
後ろの誰もいないと思ったところから、唐突に声をかけられ驚いてしまった。
こんな風に驚かされることなんて一度もなかったのに……
恥ずかしい。
話しかけてきたのは、きっとあの男だ。
耳馴染みはないが、どこか懐かしい、優しい気持ちにさせる声だなと不思議な気持ちになった。
私は恥ずかしさを気取られないように、深呼吸を1つして、顔を整え振り返った。
「久しぶりだね、おっさん」
面識があるかどうかは定かではない。
8割がた面識はない気もする。
しかし、カマをかけたわけではない。
間違っていてもいい。そしたらきっと受け止めてくれる。
そんな風に感じた。
リーダーと呼ばれた男は、軽く右手を上げ気さくに、とても優しく微笑んだ。
さっきの場面でも見せたことのないような、優しさに満ちた笑顔だった。
まるで私がもっと小さかった時に、パパが抱き上げてくれた時のような優しい笑顔だった。
ああきっと私は、ずっと彼に守られてきたんだなと理解した。
不思議とそこに疑問は少しも浮かばなかった。
「聞きたいことがあるんだ。あんた、私の中に……。」
ヒュォォォオオオー
風で言葉が届かない。
伝えなきゃ、きっともう話せない気がする。
聞きたいことが山ほどある。
伝えたいことも山ほどある。
言葉を伝えるために必死にもがき、声にならない声で叫ぶ。
しかし、自分でも声を出せているのかもわからない。
どうしたらいいんだ。
風を左手で遮り、おっさんの方を進むべき方向を見据える。
あれ、よく見たらおっさんの口が動いている。一体何を言って?
必死におっさんの口を読む。
1つも聞き逃すわけにはいかない。
重要なことじゃないはずがない。
なんだ?
お き ……
一体なんて言ってるんだ?
お き……あ さ だ ぞ
「起きろ朝だぞ」
理解した瞬間に、頭に一気に血がのぼる。
声にならない声を限界まで発して、遂におっさんに声が届いた。
「っざっけんな!!」
せっかく会えたのに何言ってんだ!
聞きたいことが何も聞けてないのに!
もう会えないかも知れないのに!
吹き付ける風に逆らい、必死におっさんの方へ進む。
しかしタイムリミットのようだ。
急速に引き戻される感覚に襲われる。
悔しい。この夢の意味がまだ何もわかっていないのに。
最後に伝えたのが文句なんて、なんてバカみたいなんだろう。
吹き付ける風の中、必死に目を開けおっさんの方を見る。
おっさんは腹を抱えて笑っていたが(ムカつく)、私の視線に気づくと、仲間に言葉を残したあの時と同じ真剣な表情で、私の右手を指差した。
そして聞こえない声で最後に言った。
「強く生きろ、鏡花」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
9月12日(木)7時
ピピピピ ピピピピ ピピピピ ピピピピ
左手を伸ばし頭の上で鳴るうるさい目覚まし時計を止める。
手にとって時間を見ると、時刻は朝7時。
はぁ
小さくため息をつくと、体を起こし少し夢のことを思い出してみる。
まったく最後の最後まで思い通りにならない胸糞悪い夢だったな。
よく考えてみれば、病室の場面の最後といい、おっさんとの会話の最後といい、肝心なところは分からないようになっていたのかも知れない。
……なら関係なくても文句だけ届くなよ。
ちょっとアホらしくて笑えた。
自分のことじゃなければ、おっさんみたいに腹を抱えて笑っていたかもしれない。
まぁいいや、そろそろ学校の準備を始めなければ間に合わないな。
ベッドから起き上がり、向かい側のウォークインクローゼットまで歩いて行き、扉を開け、姿見の鏡で髪の毛の状態をチェックする。
ん?
1つ違和感。右手に何か持っている。
そういえば夢の最後でおっさんに指さされたんだっけ。
期待と不安はまぁ、7対3かな。
ドキドキしながら掌を広げると、そこにはあの時の花びらが3枚あった。
夢じゃなかった?
そんなはずはないとわかっているが、そう思えたら、何故か嬉しくて心が熱くなった。
姿見を確認したら、私は泣いていた。
らしくないな。
そう思うが、今くらいはいいかも知れない。
引き出しから下着と、中シャツを取り出し、ベッドの上に着替えを置こうとして気づいた。
「なんじゃこりゃー!!!」
部屋中が花びらだらけになっている。
床、机、ベッド、よく見たら自分の体まで、花びらだらけ。
どうやら窓を閉め忘れ、夜中に窓から桜の花びらが入ってしまっていたようだ。
「……もぉ最悪!!」
しかし、思い返してみれば病室の花瓶の花は桜じゃなかった気がする。まず花びらがピンクじゃなかった。
確かめようとして掌を確認するが、さっきまで握っていた花びらは無くなってしまっていた。
不思議な気持ちが湧き上がるが。
今は最悪な気分の方が優っている。
「はぁ……ぁぁああ掃除しなきゃ!!」
一橋鏡花の憂鬱な1日が今日も始まるのであった。




