2-16 【法律とは】
「法律とは、目標が、宗教の下位である規律である。
法律とは、『人の社会が上手にいく方法』や、『人が幸せになる方法』を、目標にした規律である。
だから、法律は、社会の状況に合わせて、柔軟に変化する。
法律を守っても、社会が上手くいくだけである。
法律を守っても、社会が上手くいくことから発生した、幸せを手に入れるだけである。
法律は、神が決めたことではない、人が決めたものである。だから、神は、法律を使って、人を判断しない。
神の意向に関係ない法律を守らなくても、神の人を判断することに影響はない。
だが、法律が、『神の意向の通り』であることもある。
『神の意向の通り』の法律を守らないことは、神の人を判断することに影響する。
法律は、『神の意向の通り』ではないこともある。
なぜなら、法律を決める人が、神の意向を推察していないこともあるからである。
神の意向の推察が出来る人は、人の上位の者なので、法律を決めることなどの、雑用を行うことは珍しい。
神の意向の推察が出来る人は、人の上位の者なので、もっと神の為になることを、行うことで忙しいので、法律を決める係になることは少ない。
だから、神の意向の全てを推察して、法律を決めることは難しいが、神の意向の1つである、『人の幸せの為』に、法律を決めることは、まぁまぁ出来る。
だから、法律は、『人の幸せ』を目的に作られることが多い。
『人の幸せ』も、神の意向の1つだから、法律を守ることから、『人の幸せ』を作っていくと、いうこの状態でも、とりあえず大丈夫である。
基本的に、一般的よりも、賢い人が、とても多くの知識を学んで、法律を作っているので、人の行動の基本的なものは、「どのような法律でも、法律を守ること」が、最良である。
もしも、法律が間違いであるという判断を持つならば、「正当に(穏便に、犯罪では無い方法で)」、法律を変える為に行動すればよい。
だから、法律が間違いであるという判断を持つ場合に、「法律を守らない」と、いう行動は、最良ではない。
一般的よりも、賢い人が、『人の幸せの為』になることを考えて、法律を決めているならば、大丈夫である。
現状が、間違っていても、その状態があるならば、必ず、正しい法律に辿りつくだろう。
法律が、神の意向を取り入れたものであることが、最良であるが、それは難しい。
法律は、とりあえず、『社会が上手くいくこと』や、『人の幸せ』を目標にしたもので良い。
法律は、簡単に、変化させることが出来るので、問題があるならば、変更すれば良い。
法律は、現状の社会の為の、『一時的』な規律である。
そして、その法律を守って、社会が上手くいっている状態は、神の意向の為になりやすい。
だから、法律を守ることが、神の目的の成就の為に、必要である可能性が高い。
法律の目標の単位は、宇宙や世界ではなく、国である。
法律は、国の、『総合的』な、『社会が上手くいくこと』や、『人の幸せ』を目標にしたものである。
法律は、国のことを目標にしているので、他国のことは、あまり考慮されていないものだ。
だから、神の意向として、あまり正しくないものもある。
まぁ、国の現状に、最適な法律ならば、とりあえず良い。
基本的に、それぞれの人は自由であるが、他人に害が発生することは、法律で禁止されている。
神も、それぞれの人が自由な状態を望むが、他人に害が発生することは、他人の自由な状態への害なので、嫌うことである。
つまり、それぞれの人が、お互いに、害を与えない範囲で、自由に行動するということだ。
もしも、「神の為の行動」と、「法律を守る為の行動」が、対立した場合は、法律は、宗教の下位にある規律なので、「神の為の行動」が優先される。
この判断は、とても難しいものであり、間違うと、「法律の違反になり、法律の罰を受ける」や、「神の意向ではないので(神の邪魔なので)、神の罰を受ける」が発生する可能性がある。
だから、この対立が発生している場合は、可能ならば、上位の者(最適な者)に報告して、判断してもらうと良い。
もしも、上位の者に判断してもらうことが、不可能ならば(最適ではないならば)、自分で判断して、その判断の結果を、自分で受け止めるしかない」
(更新日 2024年08月08日-No.01)




