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悪がいるからダメなんだ  作者: 神共 歩(しんとも あゆむ)
【二章(天国②)】 テスの教え1 (完了済)
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2-15 【宗教とは】

「宗教とは、とても賢い人が、神が存在することに気付き、その事実を、他の人に教えるものである。

 宗教とは、とても賢い人が、神に目的があることに気付き、その目的の為に、行動するように、人に教えるものである。

 宗教とは、人が、神の為に行動する為に、どのように行動するべきかを、人に教えるものである。


 教える内容は、『神の意向を認識すること』から、人がどのように行動するべきかを、推察することが出来るので、その推察から作成することが出来るものである。


 上記を認識しない者は、宗教の教える内容とは、法律のようなものであると、いう間違いの認識をする。

 正解の認識は、宗教の教える内容とは、人が、神の為に行動する為に、どのように行動するべきかと、いうものである。


 間違いの認識を持つ者から、宗教の教える内容が、「法律のようなもの」が作成されている。

 これは間違いの教える内容である。


 間違いの認識を持つ者から、宗教の教える内容が、「教えの通りに生きれば、幸せになることが出来る」が作成されている。

 これは間違いの教える内容である。


 つまり、宗教の教える内容は、「人の社会が上手くいく方法」や、「人が幸せになる方法」という単純な目標のもので、あるべきではない。

 宗教の教える内容は、「人が、神の意向の通りに生きる方法」で、あるべきである。


 正しい宗教ならば、教える内容は、『神が存在する』と、いう認識を持ち、『その神の意向を推察したもの』から、『人の生き方を推察したもの』として発生する。

 だから、『神の意向の通り』に、人が生きる為に、「この規律を守る」が、正しい教える内容である。

 だから、『神の意向の通り』に、人が生きると、「幸せになる」が、正しい教える内容である。

 つまり、正しい宗教ならば、教える内容は、『神の意向の通り』になる、人の『生き方』である。


 現状の地球には、多くの宗教がある。

 それぞれは、『神の意向を推察したもの』や、『人の生き方を推察したもの』に違いがある。

 だが、『神が存在する』と、いう認識は、同じであり、それが無いならば、正しい宗教には、ならない。

 それぞれは、『神がどのような意向を持っているのか』や、『人がどのような生き方をすればいいのか』に、違いがある。

 だが、違うことが理由で、喧嘩しては、いけない。

 地球の歴史で、多くの人が、この違いから殺しあった。

 だが、その殺し合いは、まったくの無意味なものである。

 その殺し合いは、多くの不幸を作っただけであり、幸せや、意味や、利益などが無いものであった。

 この違いからの戦いならば、常に、この結果になる。

 だから、現在の多くの宗教では、歴史から学び、他の宗教の人との喧嘩をするなと教えている。

 これは、完全に正しい教えである。

 喧嘩する必要が無く、喧嘩すると、不幸(損)しか発生しないからである。

 神は、この喧嘩を望まない。

 宗教は、お互いに大事なことなので、喧嘩が発生しやすことであるが、『神の意向の通り』に、『この喧嘩を行わない者』が、知性のある、神の役に立つ者であり、神の欲しい者になれる。

 

 相手も、自分も、神のもの(所有物)である。だから、神が判断することである。

 神は、せっかく作った命が、無意味に傷ついたり、無くなることを嫌う。

 それに、それぞれの、『神の意向を行いたい』という、『正しく生きたいと望む、正しい心』は同じである。

 それぞれの、『神に祈る心』も同じである。

 『神に祈る心』は、先祖から貰った、生まれつき備わっているものだ。

 その心の存在に気付くと、先祖に感謝することになる。なぜなら、先祖代々が神に祈ってきたから、自分にも備わっているからだ。

 世界の多くの先祖は、宗教が違うが、この『神に祈る心』は同じである。とても気持ちがよく、透き通った綺麗なものである。


 ところで、日本は、既に、この喧嘩が発生しない状態のはずだが?」

「そうですね。日本は、先祖が農民である者がとても多いので、大人しい性格の者が多いです。

 暴力を行う者は、未発達で動物に近い『心と思考』であり、下等であるという常識があるんです。

 だから、暴力ではない、他の方法で、揉め事などの問題を解決しようとします。その方が、賢い存在ですから。

 それに、遠い昔から、自分に迷惑が無いならば、他人がどのようなことを行っていても、構わないという価値観で生きています。

 だから、正常な人ならば、どのような内容でも、意見の違いで、殴り合いや、殺し合いになることは無いです。

 最近は、国際化が進んで、ハーフや、移民なども多くなり、人が多様になってきました。

 人の多様性は、今後も増えていくでしょうし、意見の違う者に、暴力を行うことは危ないことです。

 もっと相手の自由を受け入れる『心と思考』を、強化していくべきですね」  

「そのとおりだ、『差』があるのが当然なんだから、相手の違いを、批判してはいけない」

 

「話を、宗教に戻すが、

 宗教は、強要してはいけない。

 どのように生きるかは、神からどのような利益を貰えるか、どのような罰を受けるかに、繋がることである。

 つまり、どのように生きるかは、天国に行けるか、地獄に行くことになるかに、繋がることである。

 だから、それぞれが、自分で判断することである。

 どのように生きるかを、正しく行う者は、その結果として、良いものを神から貰うことになる。

 どのように生きるかを、間違えて行う者は、その結果として、良くないものを神から貰うことになる。

 どのように生きるかを、間違えて行う者は、本人が、良くないものを神から貰うことになるだけである、他人は神から受け取る結果に関係ない。他人は痛くない。

 本人の間違いや罪が、本人に関係があるだけである。他人の間違いや罪は、その本人以外に、神から受け取る結果に関係が無い。

 神と、本人だけの関係である。

 だから、どのように生きるかを、間違えて行う者に、怒ってはいけない。他人は関係ないことだから。

 だから、どのように生きるかを、間違えて行う者に、助言は可能だが、強要はしてはいけない。

 相手から、助言を受けたのか、強要を受けたのか、受け入れる必要が有るのか、無いのかも、正しく認識するべきである。

 世界の全員が、それぞれ『自分と神との関係』の状態であり、それぞれは、『他人と神との関係』に関係しない状態である。

 

 どのように生きるかは、本人が結果を受け取るので、本人に、とても重要なことである。

 だから、お互いに強要の無い状態が良い。

 お互いに強要の無い状態ならば、それぞれが、他人から、自分と神の関係を邪魔されない。

 宗教は、法律とは別のものなので、他人に強要しなくても、自分への神の判定に影響はない」


(更新日 2024年08月10日-No.01)

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