2-13 【機能として有るならば、その機能が無い人も存在する】
「人は、千差万別のものであり、『差』があることが、当然のものとして生まれる。
だから、人に、機能として有るものならば、その機能が、多い人や少ない人が存在して、さらに、無い人も存在する。
例えば、人に、機能として備わっている、食べ物を消化する能力は、世界で一番に消化する能力が高い人と、世界で一番に消化する能力が低い人が存在して、その他の全ての人は、それぞれの能力の高さによって、その2人の間に存在する。
つまり、世界で一番に消化する能力が高い人が、100として、世界で一番に消化する能力が低い人が、0とするならば、その他の全ての人は、それぞれの能力の高さによって、1~99に、分散して存在している。
これが『差』である。
機能としてあるならば、必ず『差』がある。
ほとんど同じものでも、『完全』に同じものは、世界に存在しない。
だから、世界の全ては、千差万別のものであり、少しだけしかない『差』でも、必ず『差』はある。
どのような機能でも、『差』はある。
そして、『心』や『思考』は、体に備わっている機能の結果、発生しているものなので、その機能にも『差』があり、多い人や少ない人や、無い人も存在する。
『心』や『思考』は、とても多くの機能から出来ていて、そのそれぞれの機能の、多い人や少ない人や、無い人が存在する。
だから、『心』や『思考』が欠けている、足りないと感じる人も存在する。
人は、『心』や『思考』を使って判断して、行動する生き物なので、『心』や『思考』が違うならば、判断や行動も、違うものになる。
この結果、世界に良いものが発生することがある。
発明品や芸術品など、他の人が気付かないことに気付いたりすることである。
そして、世界に悪いものが発生することもある。
犯罪などの、人の不幸の作成である。
神は、地球で、神の為になる、善人を作ろうとしている。
その善人の、千差万別を作る過程で、善人の機能の多い人や少ない人や、無い人が発生する。
悪人は、その善人の、機能の多い人や少ない人や、無い人であり、かつ『故意に』、不幸を作成するものである。
つまり、悪人は、善人の欠陥品である。
善人の機能の欠陥があっても、『故意に』、不幸を作成する性質を持たないならば、悪人ではない。
悪人は、正体不明のもの、ではない
悪人は、単純に、善人の機能の欠陥品であるだけである。
ちなみに、動物や植物なども、同じである。
動物や植物なども、機能として有るものならば、その機能が、多い人ものや少ないものが存在して、さらに、無いものも存在する」
(更新日 2024年08月06日-No.01)




