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悪がいるからダメなんだ  作者: 神共 歩(しんとも あゆむ)
【二章(天国②)】 テスの教え1 (完了済)
29/64

2-9 【強要とは】

「強要とは、相手が望まないことを、無理にさせることである。

 強要とは、相手が望まない状態を、無理に強いる状態である。

 強要とは、悪事である。


 神は、自由な状態である、個体の能力や性質などの表現が、知りたい。

 なぜなら、それを、天使の選別に使うからだ。

 なぜなら、それを、地球の『維持』と『発展』に使うからだ。

 だから、その状態を妨害する、『自由でない状態』や、『強要の状態』は、神の害である。

 神の、天使の選別の為になる、『自然な状態』を作ることも、人の役割である。

 神の、天使の選別の為になる状態として、試練を、故意に作り出す必要は無い。

 神は、自然で、自由な状態が好きなんだ。


 強要は、相手の自由な状態を妨害することである。

 強要は、命の意味を奪うことである。

 強要は、生きている意味を奪うことである。

 人は、考えて、判断して、行動するものとして生きている。

 人は、考えて、判断して、行動することが、生きている目的である。

 その生きている状態の邪魔になるのが、強要をすることである。

 人は、生まれ付きの物体の、能力の表現、機能の表現として、考えて、判断して、行動する。

 人の選んだ行動は、人のDNAの結果であり、人の命の意味である。

 

 強要が許可されるのならば、生きるということ自体が、無意味である。

 人の判断を邪魔することは、悪である。

 人の行動を邪魔することは、悪である。

 強要は悪である。強要を行う人は、悪人である。

 強要により、判断(選択)と行動を強制されて生きることは、生まれた物体としての、命の表現が出来ない状態である。


 神は、生物などの、物体としての表現を知る必要がある。命の表現を知る必要がある。

 神は、神の目的の成就の為に、生物などの、物体としての表現を知り、使う。

 神は、必要なものを作り、手に入れる為に『地球がある宇宙』を作った。

 だから、生物などの、能力の表現、反応、証明などを知る必要がある。

 生物などの表現を邪魔をすることは、神の目的の成就を邪魔をすることである。

 強要を行うことは、神への反抗である。


 神は強要しない。

 神は、生物などの、物体としての表現を知る為に、強要をしない。

 神は、強要をする必要が無いように設定して、世界を作った。

 神は、自由をくれた。

 自由の中で正しく生きる為には、人が自分で、判断すること(選ぶこと)が必要である。

 神は、人には強要が必要ではなく、人は自分で正しいことを、判断すること(選ぶこと)が必要であると考えている。

 神は、人は、自分で正しいことを、判断すること(選ぶこと)が出来ると考えている。

 神は、人が自分で正しいことを判断すること(選ぶこと)を望んでいる。


 人が他人に出来ることは、強要では無く、助言や助力だけである。

 助言や助力は、役に立つと有益であり、感謝される。

 助言や助力は、役に立たないと邪魔であり、嫌がられる。

 助言や助力の上手な人と、下手な人が存在する。

 助言や助力をしたのに、結果が上手くいかないならば、助言や助力が下手なことが原因であり、強要を行わなかったことが原因ではない。

 助言や助力をしたのに、結果が上手くいかないならば、良い状態を作る為に、助言や助力の能力を高めることが必要な場合もある。

 助言や助力をしたのに、結果が上手くいかないならば、助言や助力の内容が、間違っているものである場合がある。

 助言や助力が嫌がられたら、助言や助力が下手であると、助言や助力が失敗したと、認めるべきである。

 自分の助言や助力を、他人の判断と行動に、強要してはいけない。

 自分の助言や助力を、他人が受け取るか、受け取らないかは、他人が自由に判断すること(決めること)である。

 自分の助言や助力を、他人が受け取るか、受け取らないかは、他人が判断して(選択して)、行動することである。

 人の命の使い方を、本人以外が決めることは悪である。

 人の判断(選択)や行動を、本人以外が決めることは悪である。

 他人が、どのような判断(選択)をして、どのような行動をするのかは、他人の自由である。

 他人の、判断(選択)や、行動の結果は、他人が、一番たくさん、直接に受け取ることになる。

 自分は、他人の判断(選択)や行動の結果が、不幸な結果になると推測しても、自分の判断や行動を、他人に強要してはいけない。

 自分が、他人の幸せの為に出来ることは、助言や助力だけである。

 これは親子の関係でも、適用されることである。

 子が成人したならば、親が子に強要してはいけない。

 子が成人したならば、親が子に出来ることは、助言や助力だけである。

 子が成人するまでに、子が自分で、考えて、判断して、行動することが出来る状態に成る為に、子に教える(教育する)ことが必要である。

 親が子に、正しい判断と行動が出来る状態に成る為に、教える(教育する)ことは良いことである。

 成人した子が、不幸になる判断(選択)と行動をしようとしている場合に、親が出来ることは助言や助力だけである。

 子は、自分の命の表現を行う為に、判断(選択)と行動を行う。強要で、それを邪魔しては、いけない。

 子が、自分の判断と行動の結果、不幸になった場合、それは、子の命の表現の結果であり、その結果は受け取らなくてはいけない。

 判断と行動が、上手に出来た者が、生き残りやすく、上手に出来なかった者が、生き残りにくい。これで世界は大丈夫である。

 ちなみに、子が、親の助言を受け入れると、「自分で」判断するならば、親の助言を受け入れた行動を行っても、構わない。

 

 人の、それぞれの、幸せの対象は違う。

 他人には、他人にとっての幸せがある。

 幸せに思う対象は、本人が決めることである。

 幸せに思う対象を、本人以外が、決めては、いけない。

 幸せに思う対象を、本人以外が、どのようなものを幸せの対象にするべきか、強要をしては、いけない。


 人は、他に影響を与えるものである。

 他に影響を与えることは、自然なことである。

 だが、どのような影響を与えるかが、問題である。

 他に影響を与えるならば、悪い影響ではなく、良い影響を与えるべきである。

 良い影響とは、神の意志に沿ったものであり、世界の全体や、未来を考慮したものであり、良い結果を作るものである。

 他に影響を与えるならば、強要ではないもので、影響を与えるべきである。

 世界の全体や、未来を考慮した場合、強要からは、良い結果が作られないと分かる。


 強要は、正しい状態が作られないから、行ってはいけないものである。

 強要は、強要が無い方が、正しい状態が作られるから、行ってはいけないものである。

 そして、正しい状態が作られる為に、必要な強要は、行うべきものである。

 例えば、『正しい善悪の判断』、『正義』、『全体の利益』、『正しい状態を作ることが目的である』などが考慮された、正しい法律などは、強要されるべきである。

 現状では、法律を違反した人に、法律を強要する為に、罰が存在することも必要である。

 法律などを強要することは、強要する内容が『本当に正しいものであるか』が、問題なのであり、法律などが『強要されること』が、問題なのではない。

 強要する法律などの内容は、『本当に正しいもの』にするべきである。

 神の望む正しい状態が形成されたならば、法律などの必要性も、かなり薄くなる。


 『強要をしては、いけない』ことの理由は、正しい状態を作る為であり、幸せな状態を作る為だからである。

 『必要な強要を、行うべきである』ことの理由は、正しい状態を作る為であり、幸せな状態を作る為だからである。

 正しい状態であり、幸せな状態とは、神の望む状態である。


 強要は、悪人が生存の為に、行う可能性が高いことである。

 悪人は、強要しないと、生存することが出来なかった、先祖の歴史(状態)を持つ。

 強要は、本来はするべきことではない。

 強要は、悪事である。


 *


(更新日 2024年08月04日-No.01)

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【悪がいるからダメなんだ】

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