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白い箱の住民

 5月半ば、昼休み。その日はたまたま昼食を持って行きそびれ、たまに利用している近くの飲食店へ向かって一人歩いていた。同じ部署の後輩を誘ってみたが、今日は別の人と会社で昼休憩を取る予定らしく、振られてしまった。

 平日だというのに、道は人であふれかえっている。制服姿の高校生やスーツのサラリーマン、買い物帰りの主婦等々。こんな時間に何をそんなに歩き回ることがあるんだと思ったけれども、かく言う俺もそんな人びとの一員だった。

 主要の道を抜けると、人混みはさっと引いてほとんど誰ともすれ違わなくなる。会社から徒歩五分圏内の交差点は、車はたくさん走っているが歩行者は俺だけだった。その日は雲一つない晴天で、自分のワイシャツの白さが太陽光を反射して目にまぶしかった。

 何を思ったのか、俺はそのままあゆみを止めなかった。車がビュンビュン走る中、俺は横断歩道を渡り始めた。自殺願望だとか、車の運転手をびびらせてやろうとか、そんなしょうもないことを日々考えていたわけでもない。ただ、おそらく何も考えていなかったのだ。信号は青く光っているのは確認していた。ただ、そのときたまたま止まらなくちゃと思えなかっただけだ。

 次の瞬間、車のクラクションの音と共にすさまじい衝撃が俺の全身を駆け抜けた。

「大丈夫ですか! 大丈夫ですか! ……くそっ、ふざけんなよなんたってこんな時に。とりあえず救急車を……」

 意識が消えゆく中、車の運転手の焦りと怒りに満ちた声が聞こえた。


「おや、お目覚めですか」

 目が覚めると、真っ白い天井が目に入った。どうやら俺はベッドに横になっているようだった。そのときは、意識が飛ぶ前の記憶が大分あやふやだった。ここはどこだろうとか、俺は何故横たわっていたんだろうとかいろいろ考えながら、とりあえず起き上がって声のした方を見た。

「急に起き上がって大丈夫です? といってもまあ、ここでは痛覚とかはないんで大丈夫なんでしょうけど」

 そこはとにかくただ真っ白いだけの空間だった。ベッドのシーツも掛け布団も真っ白で、床も壁も天井も真っ白だ。病室のような雰囲気が漂いつつも、それにしたって異様な真っ白さだった。

 そして。

 一番異様だったのは、声の主だった。

 否、声がそこから出ているのかも一見理解できなかった。

 ベッドの脇に座っていたのは、トイレットペーパーホルダーが頭に付いている人の体だった。今にもトイレットペーパーをぱこっとはめられそうな、どこにでもあるようなトイレットペーパーホルダーだ。その真ん中から細っこい支柱が立っていて、首と思われる部分に接合されている。首から下は人間の成人男性の体のように見える。白いワイシャツに黒いズボン。俺と似たような格好をしている。

「う、うわっ!?」

 初めは状況が飲み込めず、自分の目に映るものをそれとして捉えることしかできなかったが、その異様さをだんだんと脳が理解してくると遅れて声が出た。

「初めまして、お兄さん」

「お、にいさん……」

 声に合わせて、ホルダーの蓋がぱこぱこ動いている。どうやら、本当にこの物体が声の主であるらしい。そして、何故か俺のことをお兄さんと呼んでいる。お兄さんと呼ばれるような時代はもう何年も前に終わってしまったのだが。

「……初めまして」

 とりあえず、何も状況がわからないため挨拶を返してみた。

「お兄さん大変でしたね。ちょっと記憶を覗かせてもらいましたけど、なんか車に轢かれちゃったりして。まあ、こうして会えたのも何かの縁ですし、お兄さんが帰るまでに僕が上手いことやっときますよ」

 トイレットペーパーホルダーは、流暢によく意味のわからないことをペラペラと話した。

 何がなんだって?

「だから、お兄さん車に轢かれちゃったんですよ~。信号赤なのにガン無視して車に突っ込んでましたね。思わずドン引きするところでしたよ、勝手に覗いといてなんだけど」

 何を馬鹿なことを、と思ったが、ようやく意識が飛ぶ前の記憶がよみがえってきた。そうだ、出勤日の昼休み中、俺は信号無視して交通事故に遭ったのだった。

「君が助けてくれたのか?」

「うーん、ベッドを貸してあげてるのは僕ですけど、別に助けたと言うほどのことはしていないというか。お兄さんが勝手にこの部屋にリンクしちゃっただけですから」

 彼――で合っているのかはわからないが――の言うことはいちいち理解しがたい内容だ。というか、俺が彼を受け入れているのが一番理解しがたい状況であるような気もする。が、彼の話にはツッコミ所がたくさんあって、いろいろひとまず置いておいて聞きたいことから順番に彼に聞いていく他ないのだから、仕方のないことだろう。

「部屋に、リンクって?」

「仕組みはいまいち僕も知りませんけど、この部屋にはお兄さんみたいなのがよく現れるんですよ。この部屋、お兄さんたちからするとヘンテコなんでしょう? 扉? もないし窓ってのもありません。ただこれだけの空間です。お兄さんのいた世界とは全く別の」

「俺のいた世界とは全く別の……」

 言われてみて、俺が感じていたこの部屋の異様さの原因に気がついた。確かに外に出られたり換気をできたりするようなものが何一つ見当たらない。床も壁も天井も、凹凸一つないつるつるの白い板である。部屋の中にあるのは、俺が座っているベッドと彼が腰掛けている椅子、ベッドの横にある小さな机と、その上には竹かごが――

「あ……全く脈絡ないけど、これは何?」

 ただでさえ頭の整理が追いついていないというのに、思わず話の腰を折ってまで聞いてしまった。何せ、竹かごの上には白いくしゅくしゅした固まりが乗っかっていたのだ。まるで、病室にお見舞いとして持ってこられるようなフルーツバスケットのようにこんもりと。ティッシュのように見えるが、彼の存在のせいかトイレットペーパーであることはすぐにわかった。それが何故、トイレも見当たらないようなこの環境下で、さも当たり前のようにかごに乗せられているのかが理解できなかったのだ。

「これは僕の食べ物です」

「は?」

「あはは、お兄さんいい反応してくれますね。トイレットペーパーっていうんでしょ? 人間? はこれを排泄時に使うらしいですね。みんな初めは汚いって言います。僕は排泄とかって概念ありませんし、この部屋にぽんっと生まれたときからずっと食べているのでここではこれが当たり前なんです。お兄さんも食べてみたら? たくさん食べたら元気になれますよ、きっと」

 そういって彼は竹かごの上のトイレットペーパーに手を伸ばした。そのままトイレットペーパーをひとかたまり手に取ると、ホルダーの蓋がぱこっと持ち上がり、そこへトイレットペーパーが放り込まれた。今気がついたが、彼の手は真っ白だった。トイレットペーパーと彼の手が見分けられないくらいには。蓋が閉じると、カタカタと音を立てながら咀嚼のような動作をした。音が止まって、肩が僅かにピクッと動いた。どうやら飲み込んだらしい。

 あまりの異様な光景にしばらくの間言葉が出なかった。体感的には何分もそうしていたように感じられたが、おそらく実際には十数秒後、竹かごからもりもりとトイレットペーパーが増えて、彼が食べる前の量に戻った。一体どういった仕組みなのか。

「細かい頃は気にせず、一度口に入れてみてくださいよ。この世界では、誰も彼もこの食べ物を食べられるようになります。きっと、郷に入っては郷に従うんですよ」

「……」

「遠慮なさらず。幸いこれは無限湧きですから、いくらお兄さんが食いしん坊でもなくなることはありません」

 無限沸きなのか。そういえば俺は昼食を取る前に事故に遭ってここへ来ていたのだった。言われてみると、急に空腹感に襲われた。

 彼はじっとこちらを見つめている(と思われる。実際には顔のパーツはないためわからないが)。きっと俺がこれを食べるまで話は先へは進まないだろうから、ええいままよと思って竹かごに手を伸ばした。持ってみたところで、見たとおりのトイレットペーパーである。口に含んでみると、舌触りは思ったよりも悪くなく、下に触れた瞬間にふわっと溶けてなくなった。口の中にはほのかに甘い風味だけが残っている。唾液がじわっと分泌されて、飲み込むときにはほとんど唾液を飲み込んでいるだけだった。

「綿飴みたいだな」

「そうらしいですね。僕も綿飴、食べてみたいです」

 手に持って見ている情報と、口に入れた後の感覚が全く一致しなくてなんとも不思議な感覚に陥った。納得いかなくて、ついついもうひとかたまり手に取って食べてみた。

 そういえば、大分話が脱線してしまったが、この世界のことについて彼から説明を受けている最中だった。えーっと、どこまで聞いたのだったか……。

「ところでさっき、俺がこの部屋にリンクしたとかなんとかって言ってたよな? あんまり飲み込めなかったんだけど、そもそも俺はどこからどうやってこの部屋に入ってきたんだ?」

 さっきも確認したとおり、この部屋には入り口らしき入り口がない。そもそもここが俺の板世界とは別の世界であるらしいから、異世界転生ものよろしく、亜空間からいきなり現れたと言われても今更驚くこともなさそうだが。

「ベッドから生えてきました。にょきにょき~って」

「……なるほど」

「それで、死んだようにぐっすり眠っていました。その間は僕ベッド使えなくて困っちゃいましたよ」

 彼が笑うのに合わせて、トイレットペーパーホルダーの蓋がカタカタと音を立てる。ベッドから生えてきたという部分もかなりシュール出し引っかかったが、死んだように、と聞いて俺は固まった。そういえば俺は既に死んでいて、ここは黄泉の世界という可能性も考えられる。彼の言うことが本当であれば俺は確実に事故に遭ってからこの世界へ来ているわけだし、どこも痛くないことも頷ける。痛覚がないって、もう生きていないという意味だったのだろうか。

「そこはご安心を。この世界へ来ていなかったら確実にお兄さんは死んでいたでしょうけど、僕が上手いことやっときますよ」

「それ、さっきも言っていたがどういう意味だ? 君は神様か何かなのか?」

「うーん、僕はそんなたいそうなものではありませんよ。この世界へ間違ってきてしまった人やものを、元いた世界へ戻したり、そうでない世界へ戻せたりするだけです。お兄さんが死にたくなかったら、残念ながら元の世界軸には戻れませんが、お兄さんが死んでいなかった世界軸へ送ることになります」

 彼の言っていることはつまり、この世界にはいくつもの世界軸があるということだろうか。そうなるとパラレルワールドとかいうSFチックな話が展開されそうだが、俺はそういった話はめっきり苦手なので難しく考えるのは頭が痛くなる前に辞めることにした。

「生きて帰れるってことだけ確認できて安心したよ。ところで、どうやって帰るんだ?」

「いっぺん死んでもらいます」

 安心したのも束の間、彼の言葉に俺は再び固まった。一気に緊張して、脈拍が上がるのを感じた。

「そ……れは、どうして?」

「この世界へ来たときと同じ状態になるためです。大丈夫、この世界では痛覚がありませんから、怖くはないはずです。この部屋から出たらここでの記憶もなくなりますから、死んだときの記憶に苦しむ心配もありません」

 いくらそんなことを言われたって、死ぬことへの恐怖心は計り知れなかった。元の世界へ戻るためといえども、痛覚はないとはいえども、俺はこれからいっぺん死ぬのだと思うとどうしても怖くて体が震えた。

 しかし、おかしな話だ。俺は一度、自分の不注意によって交通事故で死んでいたかも知れないというのに。

 その後は、彼は淡々と説明をしてくれた。彼の体は変幻自在で、これで心臓を突いて殺してくれるらしい。すると彼の真っ白い右手がみるみるうちに変形して、鋭い刃物のような形状になった。

「別に殺しのプロではないので、しばらくは死ねないかも知れません。ごめんなさい」

 彼は申し訳なさそうに謝った。

 そして、彼は話を半分くらいしか理解できていない俺をベッドに横たわらせ、俺の胴の横に左手をついた。「行きますよ」という優しい声がけと共に、彼の右手が俺の胸を貫いた。

 痛みはなく、痛みによるショックもないから意識が飛ぶこともない。しかし俺の体の内側に何かが入ってくる感覚だけはあった。とても不思議な感覚だった。ゆっくりとそれは引き抜かれて、そこからどんどん血液が流れ出ていく。血液が体を伝っていく感覚や、全身から血の気が引いていく感覚。酸素の供給が止まり、徐々に意識がもうろうとしていく感覚。

「おやすみなさい、お兄さん。今度からは信号無視して道路に飛びしたりしちゃ駄目ですよ~」

 彼の声と共に、意識が遠のいていく。もうろうとした意識の中で、俺は自分の体がベッドへ沈み込んでいくのを確認した。もう全身の感覚はほとんどなかったが、心地よい圧迫感だった。


「ピッポ、ピッピポ」

 信号機の音が鳴り響く中、俺は横断歩道を渡り切ったところで突っ立っていた。後ろから追い抜いていった散歩中のじいさんが、不審そうに俺のことをにらんでいった。

 何故俺はそんなところで立ち止まったのか。おそらくあまり意味はないと思うが、とにかく急がなければ昼休みが終わってしまう。俺は急ぎ足で目的の飲食店へ向かった。

三題小説、第6弾でした。お題は「かご、緑、トイレットペーパー」でした。

かごとトイレットペーパーはゴリゴリに出てきていましたが、緑要素は信号機の青色です。

今回はネタ出しの時点でマインドマップに挑戦してしました。三つのお題別にそこから連想できるものを広げていって、そこからいろいろ考えてみようと思いまして。ただ、「フルーツバスケットの上に乗っかるトイレットペーパー」というシチュエーションを思いついてしまった後は、もうそれしか考えられなくなってしまいました笑。出した要素の中で何が一番シュールかなーって考えていたので。

登場人物はおっさんサラリーマンの主人公とトイレットペーパーホルダーの頭をした彼の二人でした。トイレットペーパーを口に入れるって、普通じゃなかなか抵抗ありそうなものですが、そういった固定観念を捨てたらきっとそうでもないですよね。(実際には素材的に明らかに食べられないので無理ですけど←)自分の考え方とかものの見方って、周りの環境に影響されている部分がかなり大きいと思います。固定観念を捨てて物事を見たり考えたりできる柔軟な考え方、みたいなざっくりしたイメージをしつつ書いていました。

最後までお読みいただきありがとうございました。次回も宜しくお願いします。

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