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「陽炎、稲妻、水の月」

「ここ、座ってもいいですか?」

 ヒオリは突然声をかけられて、思わずスマホを落としそうになった。

 周りを見渡すと、多くの学生が集まっており、講義室内の空いている席はまばらになっている。ヒオリは少し早めの昼食を済ませ、時間に余裕を持って着席していた。誰かが詰めるだろうと思って通路側に座っていたのだが、反対の通路側の席も既に埋まっていた。

「あ、どうぞ。すんません、奥詰めますね」

 午後一発目の講義は、学部共通の必修科目である。履修者も当然多い。講義室の収容人数ギリギリを攻めているため、空席があれば座れない人も出てくることは必然だった。

 大学に入学してから早二ヶ月が経とうとしているが、こうして声をかけられるのは初めてだった。

(初めて見る顔の人だなぁ)

 ヒオリの通う大学は、一般的な大学と違って規模のやや小さい大学だ。勿論全ての人の顔を把握しているわけではないが、二ヶ月も経つと校内ですれ違ったりグループワークで一緒になったりして少しずつ顔見知り程度の人が増えてくる。

 声をかけてきた人物は、栗色の髪で色白の男性だった。髪はセットしておらず、服装も無地の青いワイシャツにスキニーといった至極シンプルな格好をしている。整った顔立ちをしていて、ヒオリには彼が大人びて見えた。

「ありがとうございます、申し訳ない。……あの、せっかくだしお名前伺ってもいいですか?」

 講義開始までまだ5分時間があった。ヒオリは会話が続いたことに一瞬驚いたが、学部内の知り合いがサークル関係の人間しかいないヒオリにとっては嬉しいことだった。こうして人脈は広がっていくんだなと感動しつつ、返事をする。

「ああ、いいですよ」

「僕はミナトっていうんです。宜しく」

 ミナトと名乗った彼は、ゆったりとしたしゃべり方でそう言いながらにっこり微笑んだ。

「ヒオリです。実家がここから近くて、この辺出身で。ミナトくんは、出身地は?」

 その後、二人は講義が始まるまで互いに自己紹介を続けた。講義終わりに連絡先を交換した。

「もし良かったら、明日の昼にでも学食で一緒にご飯食べない?」

「いいよ! 俺明日暇だし」

 90分間の長く退屈な講義を乗り越えた者同士として、ヒオリはすっかりミナトに仲間意識を抱いていた。今日はお互いに次の講義があるということで、そこで分かれることになった。普段は自分から知らない相手に声をかけることをしないヒオリにとって、今日の一連の出来事は想定外かつ喜ばしいことだった。その弊害として、ヒオリはやや浮かれ気味のまま次の講義に臨むこととなり、講義に全く集中できていなかったのだが。

 さて、翌日。ヒオリは二限の講義を受け、12時過ぎに学食へ向かった。

(あの教授、ギリギリまで授業しやがって!)

 時間いっぱい授業をするのは教授が自分の仕事を全うしているだけな訳で、かなり理不尽な文句ではあるが、今のヒオリにそんな常識は通用しないのである。急いで学食へ入り辺りを見渡すと、既にミナトは席を取って待っていた。ヒオリはあまり人の顔を覚えるのが得意ではない。一発で見つけられるかやや心配だったのだが、杞憂で済んでほっと胸をなで下ろした。

「やあ、ヒオリくん。こんにちは」

「うん。昨日ぶり。待たせちゃった?」

「大丈夫、僕も今来たところだよ」

 ミナトはにこっと笑った。テーブルの上には弁当箱が置かれている。昨日の授業態度も良かったし、彼は真面目な性格なのだなとヒオリは思った。かく言うヒオリは何も持ってきていなかったため、一声かけてから購買で菓子パンを購入した。

「弁当持ってくるなんて偉いね! 俺なんていつもギリギリに家出るから絶対無理」

 ヒオリはミナトの弁当箱に目を落としながら、菓子パンの袋を破った。一品一品は手の込んだものではないが、主菜と副菜とそれなりに品数はそろっているし、そもそも弁当箱に詰めて準備すること自体が手間である。ヒオリはミナトに対する印象がますます良くなった。同い年とは思えないきっちりさである。

(……ん?)

 と、そこでヒオリは1つ引っかかることがあった。昨日の授業で学年が同じであることは確かであったが、そういえば同い年であるかどうかの確証は得ていない。ヒオリは、同じサークルに入った同学年の知り合いが、まさかの二つ上であったという衝撃の事実をつい先日知ったばかりであった。まあ、わざわざ歳を聞く程でもないが、同い年ではない可能性も考慮しておこうと思い直した。

「昨日の残りを夜の家に詰めておいたんだ。ところで、ヒオリくんは何かサークルは入っているのかい?」

「うん。1個だけね」

 ミナトは基本的にいつもニコニコしている。普段自分から他人と関わりに行かないせいか表情が暗いとよく言われるヒオリだが、彼といるとつられてにこやかになるようだった。

「温泉サークルに入ってるんだ! 『まったり』っていうんだけど。ほら、全体の新歓のときにブースのところで桶頭に乗せてた先輩がいたとこ」

 ヒオリの所属している「まったり」こと温泉サークルは、少人数で規模こそ小さいサークルではあるものの、存在感のあるサークルである。サークル長とその友人たちはかなり癖の強い学生で、学生の間でもほとんどの人が一度は噂を耳にしており、教授たちからの認知度も高い。「新歓のときにブースのところで桶頭に乗せてた先輩」が正に噂のサークル長である。名前はコウキというのだが、かなりの学生が集まる新入生歓迎会で奇行に走った結果、「桶先輩」と呼ばれている。新入生の間でも温泉サークル「まったり」は知名度だけは高かったが、実際に入ったのはヒオリを含めて2名のみだった。

「うーん、僕その日は参加していなかったから初めて聞いたな。そんな面白い人がいるんだ?」

「ミナトくん、あれ見られなかったのかぁ。残念だったね。めちゃくちゃ面白かったのに」

 話しながら、ヒオリは菓子パンの二袋目へ手を伸ばした。

(ミナトくん、温泉とか興味あるだろうか……)

 ヒオリはミナトをサークルの活動に誘ったらどんな反応をされるか考えていた。サークルの話を振られた時点で、ミナトと一緒に温泉へ行けたら楽しいだろうと思ったのである。先ほどもいったように、「まったり」には新入生はヒオリを含めて2名だけしかいない。丁度来週末にとある温泉へ行く話が決まっているのだが、参加するのはヒオリと上学年だけである。もう一人の新入生はバイトがあって参加できないらしい。

「もうどこか実際に行ったの?」

「あ、うん。先月に、新歓も兼ねて……」

(追求してくるということは、少しは興味を示しているのだと考えてもいい……かな?)

「ミナトくん、来週末空いてる?」

「うん。空いているよ」

「もしよかったら、一緒にサークル来ない? ちょっと遠出して一泊するんだ……あー、結構お金かかっちゃうけど。一万くらい……」

 外泊するとなると、普通学生にとっては結構な出費である。ヒオリの場合、大学入学前の冬から春にかけてバイトをして貯めた分の金は遊びに使っていい、という親との約束があったため、当分の間は何回かサークルへ参加できる分だけの貯蓄があった。

「是非。逆に、メンバーでもない僕が勝手に参加することになってもいいの?」

 ミナトはヒオリの提案に快く応じた。特に迷いもない様子だった。

「先輩たち、そこは全然気にしないと思うよ。どうせ今度行くのは3人だけだったから。それこそ噂の桶先輩も来るんだ!」


「どうも~! 桶先輩です!」

 数日が経ち、旅行当日の午前8時である。集合場所はサークル長であるコウキの家の前。それというのも、彼が唯一自前の自動車を保有しているからである。「まったり」の活動は基本的にコウキが参加していて、彼の車でいろんな地域の温泉を回るスタイルだ。ミナトとヒオリは少し早めに大学に集合し、一緒にコウキのアパートへ来たところだった。

 アパートの駐車場につくと、既に赤い普通車の前で待機している男がいた。6月の朝はまだ涼しげだが、半袖のTシャツを着ている。袖から伸びる小麦色のたくましい腕を組んでいたが、二人に気がつくと右手を挙げ気さくに声をかけてきたのだ。

「君がミナトくんか。一応話だけはひおりんから聞いてるぜ」

「朝から元気っすねぇ」

 朝が苦手なヒオリは寝ぼけ眼をこすりながら苦笑いをした。ミナトはいつも通りさわやかな笑顔を浮かべている。彼には弱点がなさそうだとヒオリは思った。

「初めまして。ミナトです。桶先輩……って僕もお呼びしたらいいです?」

「悲しいかな今年の新入生はみんな俺のことをそうやって呼ぶんだぜ。ホントはコウキってんだけど、好きに呼んでくれたらいいよ」

「じゃあ、コウキさんで」

「気ぃ使わせたみたいで悪いなぁ。ま、でも今日は桶先輩って呼ばれずに済むってなったらちょっと気分も楽になるわ」

 そう言ってがはは、と豪快に笑っている。コウキは普段は気の強そうな性格に見えるが、実は周りからの見え方も気にしたりしている。

「後もう一人ももうそろ来るはず……っと、噂をすればだな」

 アパートのフェンスの向こうから、人影が近づいてくるのが見えた。コウキとは対照的な、細身で小柄な男である。黒縁眼鏡をしていて、前髪がやや目元にかかっている。

「やあ~、どもども。お待たせしました」

 ゆったりとしたしゃべり方だ。

「あれっ、初めてましての方だ! ユウです~、よろしく。ひおりんのお友達?」

「はい。ミナトです。宜しくお願いします」

「いろいろ話したいけど、とりあえず車乗ろうか。話したくなくってもどうせ一時間は片道かかるんだからな!」

 コウキがパンッと手を叩いた。各々荷物をトランクに積み、席に着く。

 車内では、それぞれの出身地の話や趣味の話、大学の教授に関する情報交換など、かなり盛り上がった。

「3年に上がったら就活だのなんだのってなんだかんだ忙しくなるから、今のうちに遊んどきなよ~」

「ホント、それに尽きる」

 コウキとユウは二人とも3年生である。所属するゼミも一緒で、車内のやりとりだけでもかなり親しい仲であることが窺える。

「今日は、どんなスケジュールなんすか?」

 今日の行動計画はユウが立てていた。「まったり」では、毎回メンバーで行く場所とその日の行動の決定権を回している。

「えっとね~、まずどっか入ってご飯食べてから一個目の温泉行って~、んで昼食食べるでしょ? その後ちょっと買い物したり遊んだりして、3時くらいに二個目の温泉行って~……。ちょっと早めの夕飯食べて帰る感じ! 今日行くところ、不老不死伝説の赤ワインがあるらしくって、それ飲んで帰ろぉ~!」

「赤ワインって、酒飲めるのお前だけじゃねえか!」

「ははは……先輩も飲みたかったら、帰り最悪俺が運転しましょうか? 一応免許持ってるんで」

 ユウの発言対する反応はそれぞれ全く違っていた。コウキが運転しながら助手席のユウにツッコミを入れ、ヒオリが後ろから苦笑しながら提案する中、ミナトは何かが引っかかったらしく一瞬固まった。何かしらを一言つぶやき、数秒の間ではあるがいつものさわやかな笑顔が消えていた。

「俺らはジュースでも何でも飲んでるんで」

 ミナトの同意を得ようとヒオリは左隣に顔をやる。そこでようやくミナトの様子が普段と違っていることに気がついたが、ミナトは話を振られるとすぐに普段の様子に戻ったたため、ヒオリは自分の気のせいだったのだろうと思っただけだった。

「そうこう言っている内にそろそろ着くぞ、温泉街!」


 その後、旅行は予定通りに進んだ。そもそも、ユウの立てていた計画がかなりアバウトだったこともあり、そのときそのときで行く場所を選んだため行き当たりばったり感は否めなかったが、それも旅行の醍醐味の一つだろう。結局赤ワインはユウだけが飲むことになった。

「いや~、なんかブログでお勧めされてたから飲んでみたけど、不老不死感はあんまりなかったねえ~」

 ユウは元々のしゃべり方がゆったりしていて間延びしているせいか、しゃべり方だけ聞いたら酔っているように見えなくもないが、帰りの車内では普段と至って変わらない様子だった。

「不老不死感ってなんだよ」

「不老不死、ちょっと興味あるよねぇ~、自分じゃ絶対なりたくないけど~」

 そんな3年生同士の話を聞いて、ヒオリはミナトに話を振ってみた。

「ミナトくんはどう思う? もし不老不死になっちゃったら」

 すると、それまで楽しそうにニコニコしていたミナトが、ややシニカルに笑ってこう言った。

「きっといいことなんて何もないよ」


 後日、ヒオリは不思議な体験をすることになる。

 いつも通りに大学へ行っても、ヒオリは学内でミナトを見かけなくなった。次回のサークルのときにコウキやユウに前回の旅行の話をしたところ、二人ともミナトを覚えていないのだ。

「俺ら3人で行っただろ?」

 コウキにそう言い切られると、ヒオリは自信がなくなってきた。言われてみると、ミナトという存在の記憶に靄がかかってはっきり思い出せなくなっていた。連絡先を交換したはずなのに、連絡帳にミナトの名前は残っていなかった。

「おかしいなぁ……?」

 ヒオリには、確かに4人で旅行したという記憶が残っていたはずだった。しかし、これ以上主張して変なやつ扱いされることを危惧し、ヒオリもそれ以降ミナトのことを聞くのは辞めることした。一週間も経つ頃には、ヒオリの記憶からもミナトの存在は消えていた。


「……ということがあったよ、ナギヒコ」

 とある子供部屋に、ベッドに横たわる少年と、その傍らに腰掛ける青年がいた。ナギヒコと呼ばれた少年は、病的に肌が白く、布団から覗く腕はか細く簡単に折れてしまいそうである。

 栗色の髪に色白な肌。話しかける青年の顔は、少年にとてもよく似ていた。

「ありがとう。今日の話も面白かったよ、ミナト」

「不老不死伝説の赤ワインだってさ。神話で神が飲んだとされる飲み物として売り出されてるやつ。話だけは前に行ったところでも聞いていたけど、僕も飲んでくれば良かったかな?」

「神話か。やっぱり人間は不老不死に憧れるのかな。いいことなんて何もないけど。それに僕ワインなんて飲んだことないし」

 ナギヒコはため息をついた。その様子を見て、ミナトはナギヒコの頭を撫でながら優しく微笑んだ。

「明日はどんな話が聞きたい?」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

三題小説、第5回目でした。今回のお題は「スパイ、移動、水」です。

書き始めるときに、なかなか設定が思い浮かばず、「水」をテーマにことわざを探してそこからストーリーを広げよう! という発想に至りました。タイトルである陽炎稲妻水の月は捉えがたいものを表すことわざ(?)らしいです。語感のきれいさだけで選びました笑

謎に設定を凝ったせいでいつもよりも描写を丁寧に書き始めてしまい、頭でっかちな展開になってしまいました。一番肝心な所があんまり書けていませんが、まあ、これはあえてミステリアスな雰囲気で作品を締めるためってことで一つ見逃していただきたいです← 今回はかなり急いで書いたので、気が向いたら加筆修正したいと思います。(絶対にしないやつの言い訳)

短編は雰囲気さえ伝わればいいと思っているので、これを読んでなんとなく不思議な気持ちになっていただけたら嬉しいです。一応この続きに小説の内容に対する簡単な補足を付けておこうかなーと思います。読みたくない方はここまでと言うことで。

次回はおそらく三題小説第6回目ですね。次回も宜しくお願いします。


以下、補足。

ミナトがスパイ役で、時空を移動してナギヒコに伝えてあげていた、という設定だったんですが伝わったでしょうか? 因みに一応ナギヒコくんの設定も考えてあって、この世界の創設者で、そのナギヒコも誰かによって創造された存在である――という裏設定がありました。ミナトはナギヒコのお兄ちゃんという設定。ミナトが体験する数日間の出来事も、ナギヒコの下へ戻ると1日換算です。

自分には珍しく割とちゃんと考えたんですが、作品中に落とし込めることができなかったので、細かく書くことは辞めておこうかなと思います。

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