わざとじゃない
ある晴れた日、うさぎは湖の畔の木陰で休んでいた。湖の水は澄んでいて、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。木々は紅葉して辺りを赤や黄色に染めている。さっきまで日光に照らされながら歩いていたから、冷たい風が火照った体に心地よい。うさぎはこのまま気持ちよく眠れそうだと思いながら、その光景をうっとりと眺めていた。
するとそこに狐がやってきた。狐はニコニコしながらうさぎに声をかけた。
「やあ、うさぎ」
「あ、狐。おはよう。元気そうだね」
「うさぎこそ。こんなところでぼけぇっとしていて、のんきそうでいいなぁ、お前は」
狐は憎まれ口を叩いたつもりだったが、うさぎはそのことよりも、気持ちよく眠れそうなタイミングで他人に声をかけられたことを不満に思っているようだった。
「そうそう、お前にいいものをやろうと思って声をかけたんだ」
「いいもの?」
狐は手のひらをうさぎに見せた。うさぎは一応のぞき込んだが、心底どうでも良さそうな表情をしている。
「何これ? 何かの種?」
「たまねぎの種だよ」
「へえ。たまねぎの種って黒いのかぁ。知らなかったな」
「はい、手出して。たまたまいっぱい手に入れたから、これをお前にやろうと思ってね」
うさぎは言われた通りに手を出した。狐はうさぎの手のひらに、たまねぎの種をこぼさないようにしっかりと持たせた。
「なかなか育てるのが大変らしいから、根気強いうさぎにぴったりな作業だと思ってね。プランターで育てられるらしいから、是非やってみろよ。育て方のメモもあげるよ」
「僕、たまねぎって食べたことないんだよね」
「そうなの? 甘くておいしいぜ」
そのまま軽く世間話をした後、狐は満足げに帰って行った。すっかり眠気が覚めてしまったうさぎも、種をもらったことだし仕方なく帰ることにした。
「やあ、うさぎ。この間ぶりだな」
「あ、狐」
あれから数ヶ月後、二人は久しぶりに遭遇した。
「あれからたまねぎ育ててみたか?」
「ああ、うん。これが意外と楽しくってね。最近じゃ朝起きたらたまねぎの成長具合を確認するのが日課になってるんだ」
楽しそうに話すうさぎの様子を見て、狐はいいことをしたなと思った。
そしてさらに数ヶ月後、いよいよ最初の収穫期が訪れた。収穫適期は来月だが、一ヶ月前に一株おきに収穫して株の間隔を広くするらしい。この時期に収穫したたまねぎはプチたまねぎとして食べられる。
「長かったなあ。この8ヶ月間。たまねぎって食べたことなかったから、プチたまねぎなんてものがあることも知らなかったし」
この頃には、うさぎはプランターのたまねぎを眺めながら独り言をするのが癖になりつつあった。
「試しに今日は1つだけ収穫して食べてみようっと」
たまねぎの葉をつかんで引き抜くと、簡単に収穫することができた。軽く土を落とし、うさぎは収穫したたまねぎを台所へ持って行った。水で軽く洗うと、まな板の上にセットした。どうやって食べるかは未定だったが、とりあえず葉と根を切り落とすためにナイフを取り出した。
「ちょっと調べたけど、たまねぎって切ると目が痛くなるらしいんだよなあ。葉っぱと根っこ落とすくらいなら大丈夫かな?」
初めはやや緊張していたうさぎだったが、実際に切ってみるとたいしたことはなく、なんの問題もなかった。
さて次はどうしてやろうかと考えていると、微かにカタカタと物音がし始めた。驚いて音のする方を見ると、まな板の上でたまねぎがカタカタと震えていた。うさぎは唖然としてその様子を見守ることしかできない。しばらくするとたまねぎの上下から4本の手足がにょきにょきと生え始めた。球根部分が2~3cmほど持ち上がったところで手足は成長を止めた。
「やあ。ちょっと君、育ててもらっておいてこんなこと聞くのも変だけど、俺のこと食べようとしてないよな?」
たまねぎはうさぎに訪ねた。たまねぎには顔のようなパーツはついていないが、声は出せるし話もできるのだからおかしなものである。うさぎは突然起こった現象に戸惑いつつも、どこから声が出ているのだろうとか、これに答えて果たしてたまねぎに耳はあるのだろうかとか、いろいろな疑問を瞬時に抱いていた。
「申し訳ないけど、他のたまねぎを食べる前に試しに1つ食べてみようとしていたところだよ」
「早まるのはやめなよ! 何があったのかは知らないけど、俺でよければ話を聞くから。ひとまずそのナイフを置きなよ」
うさぎはただただ困惑していた。何故たまねぎが急に話を始めたのかも、どうやって声を発していてうさぎの言葉を聞いているのかもわからないからだ。しかし、とにかくたまねぎはうさぎに食べられることを嫌がっていることだけは理解できた。そしてたまねぎの立場になって考えてみれば、これから食べられようとしているところなのだから、自分を食べようとしている相手を説得しようと努力したくもなるかと思い直した。うさぎもそこまでしてたまねぎを食べたかったわけではない。確かにせっかく育てたたまねぎを食べられないのは残念だが、今はとりあえず素直にナイフを置くことにした。
「悪かったよ、たまねぎ。でもちゃんと説明書通りに育てたから収穫時期はあっていたはずだよ。それに君に聞いてもらいたい話なんてないぞ?」
ひとまず早まったわけではないことを説明するうさぎ。
「誤魔化すなよ。わざわざたまねぎなんか育ててまで食べようとして、よっぽど何か思い悩んでることがあったんだろ?」
うさぎはさらに困惑した。先ほどからたまねぎと全く会話がかみ合わない。たまねぎは表情こそわからないが、声色からうさぎのことを心配しているのがわかった。その後も何度か否定をし続けたが、たまねぎは一向に納得しようとしない。話を聞かせろ、の一点張りである。うさぎはそのたまねぎのしつこさと、食べたかったたまねぎの試食を邪魔されたことも相まって、だんだんといらついてきてとうとう我慢の限界に達した。
「さっきからお前に話すことはないって否定してるだろ! 何をそんなにお前に話すことがあるんだ? いい加減黙らないとお前のこと食べるぞ」
「あ、それだけは駄目だ! 俺が悪かったよ……確かに他人には話しづらいこともあるよな。とにかく君が思いとどまってくれて良かったよ。俺達たまねぎは元々食べられるために育てられているとは言え、これから死のうとしているやつには食べられたくないもんなあ。せっかくなら元気なやつにおいしく食べてもらいてえよ」
「死……? いや、あの、お前さっきから何言ってんの?」
「何って君、うさぎのくせにわざわざたまねぎ育ててまで食べようとしてたんだろ? マジで頭どうかしちゃってると思うぜ。まさか、うさぎがたまねぎ食ったら死ぬって事知らないわけじゃあるまいし……」
「えっ」
「え?」
「大変だ! うさぎっ!」
狐はとても慌てていた。今朝、友人の狐とおしゃべりをしている中で、衝撃の事実を耳にしたのだ。
「うさぎにたまねぎなんか食わせたら大変らしいぞ? アリルプロピルジスルファイドっていう有機硫黄化合物が原因で中毒引き起こして、最悪の場合死に至るらしい。この前テレビで見たんだ」
「えっ」
「それをお前、種まであげて育てさせるなんて……受け取るうさぎも馬鹿だけど、お前も相当やばいやつだなー」
友人の狐はケタケタと笑っていたが、当の狐は真っ青な顔をして頭を抱えるしかなかった。しばらくして我に返ると、笑い転げる友人に目もくれず、慌ててうさぎの家を目指して走り出した。うさぎの家に着くと、狐は悠長にインターフォンなんて押している場合じゃないと判断し、玄関のドアノブに手をかけた。幸いというか、不用心というか、偶然にも鍵は開いていたのでそのまま入ることにしたのだ。
そして回想前に至る。
「うさぎっ! 俺が悪かったよ! たまねぎがうさぎにとって猛毒だなんて俺知らなくて……。もう食べちゃったか? 生きてるか!?」
狐はうさぎの家に来るのは三度目くらいだった。うさぎの家は一人暮らしの割には結構広く、狐はなかなかうさぎの元にたどり着けなかった。どこになんの部屋があって、今うさぎがどこにいるかもわからない狐は、うさぎに一刻も早く伝えなければと思い、家に入るやいなや大きな声で叫びながらうさぎを探した。
「あ、狐? 何勝手に上がって叫んでんだよ」
たまたま通りかかった部屋からうさぎの声がして、狐はひとまずほっと胸をなで下ろした。
「ああ、うさぎ。それはごめんだけど、良かった、まだ死んでなかったんだな! たまねぎまだ食べてなかったんだ……な……って、あれ……?」
台所に入って元気な姿のうさぎを目にして、一安心した狐だったが、台所のテーブルの上でうさぎと対峙するたまねぎが目に入って固まった。
(たまねぎに、て、手足が生えてる……!?)
「全く、人騒がせなやつだな。このたまねぎがいいやつじゃなかったら、今頃死んでいるところだったよ」
「君、彼が君を殺そうとしたやつか? 信用しない方がいいんじゃないか? 嘘ついてるかも知れないぞ」
突然たまねぎがしゃべり始める光景はかなり異様なものである。狐は自分のことを言われていることにも気づかないくらい動揺して腰を抜かした。
そして、狐は今までうさぎが聞いたこともないような低い声を漏らした。
「えっ」
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のお題は「うさぎ、たまねぎ、ナイフ」でした。タイトルは狐の気持ちですね。今回の話は、お題をもらって割とすぐに思いつきました。たまにはメルヘンチックな世界観の話にしたいと思って考え始めたのと、たまねぎとナイフって、そりゃもう食べるしかないだろ! みたいな感じですね。最初はウサギとカメの仲良しコンビで話を展開させようかと考えていたのですが、たまねぎでうさぎを殺しちゃう(未遂)なら、いっそのことうさぎの天敵ポジションの動物がいいなーということで狐が抜擢されました。でもこのうさぎと狐は普通に仲良しです。みんなわざと口悪くしてみました笑 呼び捨てなのも地味にお気に入りポイントです。この後たまねぎがうさぎに売りさばかれてたら面白いなーと思って書いていたのですが、うさぎとたまねぎの「えっ」「え?」の件がちょっと気に入ってしまって、そこを生かしたかったので後日談はカットになりました。
すぐにストーリーが思いついたこともあって、さくさく書けたので今回は久しぶりに楽しく執筆できました。次回も楽しく書けるといいなーと思っています。このシリーズ(?)はリア友とお題を出し合って書く短編が恒例になりつつあるので、普通に個人的に三題小説以外の短編も書きたいですね。