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カラス

 私の住む街にはカラスの大群がいる。夕方頃になると、よく、綺麗な夕空を黒々とした小さな点が覆うのだ。それは風の流れに乗って、何度も何度も旋回する。その行為に一体なんの意味があるのかは、私には全く検討もつかなかった。

 さて、その日の夕方も例に漏れず空をカラスの群衆が覆っていた。あっちへ行ってはこっちへ行き、森に止まっては再び飛び立ちを繰り返している。一斉に同じ方向へ流れるように飛ぶ様子は、まるで風の流れに翻弄されているかのようで不憫に思われたが、しかし見ていて飽きなかった。

「かあ、かあ」

 そのうちチラホラと鳴き声が聞こえ始めた。くぐもった低い声が空に響く。

「かあ、かあ」

 何匹もの、個性豊かな鳴き声。それはどれも切なげで、まるで何かから必死に逃げているかのようにも聞こえた。

 と。

 暫く木に止まっていたカラスたちが一斉に飛び立った。ぐるぐると円を描くように交錯しながら向こうの空へと飛んでいく。そんななか、同じ場所をぐるぐると旋回し、何時まで経っても向こうの空へ飛んでいかない奴がいた。そいつはああ、ああと掠れた低い声をごろごろと鳴らしながら、なお同じ場所を行き来している。もう仲間たちはどこかへ行ってしまったようだ。

「あ、」

 私は帰りの電車を待っていたところだった為、電車が来たら乗って帰らねばならない。たった今来てしまった。

 その後そのカラスがどうしたかを見届けることは、私にはできなかったのだ。


 翌日、私はいつもと変わらず駅で電車を待っていた。ど田舎の無人駅である。人っ子一人いない静かな寂しい駅で、更には今日は空が異常なまでに静かだった。カラスたちはどうしたのだろう。

「やあ」

 駅舎の中から空を眺めていたら、不意に声をかけられた。声の主は四十代程の男性だった。黒い帽子に黒のコート。顔を見ればしわが深く刻まれているが、それは綺麗な顔立ちをしていて、真っ黒な深い瞳に思わず引き込まれるかと思った。

「君はいつも空を観ているね。隣、座ってもいいかい?」

 低く嗄れた心地の良い声が無人駅に響く。私は返事をする代わりに首を縦にぶんぶん振った。

「あの、でも私貴方のことを拝見したことがないのですが」

「そんなことは無いさ。君は私を知っている筈だ。尤も、気づかないのも無理ないと思うがね」

 と男性は片頬を上げて笑う。はて、どこで見かけたことがあると言うのだろう。

「ところで君、話を戻すけど、どうしていつも空を見ているんだい?」

「カラスを見ていたんです」

 まだすっきりしない気持ちのまま、取り敢えず男性の問に答える。

「ほう、カラスを」

 男性は一段と低い声になった。私の顔をまっすぐと覗き込んで来て、目をそらしたいのにそらせない。私達は見つめ合っていた。

「はい。いつも大勢のカラスたちがこの空を旋回しているから。その様子を見ていると、不思議と落ち着くんです」

「そう。何故だろうね?」

「分かりません。いつからこんなふうにして空を見るようになったかも忘れました」

 ただの暇つぶしだった。電車を待つまでの十数分間。自分の住む村にはカラスの大群が飛び回るようなことは無かったから、単に物珍しかったからと言うだけだったような気もする。

「でも、最近はよく考えるのです。何故カラスはあんなふうに旋回を続けるのでしょう」

「さあね。住まいが荒らされているんじゃあないか。それで鳴き騒ぐのだと聞いたことがあるよ」

「成程……そうだったんですね。それにしても毎日、毎日」

 さて。こんな風に何気なく会話を続けているが、流石にそろそろ不安になってくるものだ。何せ私はまだ高校生。相手は体格のいい男性だ。何故今日に限って他の利用者がいないのだろう。早く電車は来ないだろうか。見た目はそんなに悪い人には見えないが、万が一という事がある。無人駅に私と男性。何故カラスの話で盛り上がっているのか。

(とほほ……)

「それにしても、電車来ないですね……」

 時間を確認してみたが、なんと発車時間をとっくに過ぎていた。田舎の電車じゃあありがちな話、と一言で済ませることはできない。と言うか、流石にそこまで田舎も落ちぶれちゃあない。確かにたまに遅れることはあるが、ならなぜ連絡の放送が流れないのだろう。

「さあ? ところで君、君はどこから通っているんだい?」

「ええと、ここから三十分ほど電車に揺られて着くところです」

 流石に村の名前を晒すのはまずいだろう。

「でも困ったな……本当にどうして電車が来ないのでしょうね」

「こういう日もあるさ」

 男性がいるにも拘わらず、ついつい深いため息が零れた。

「……随分疲れている様だね」

「いえ、すみません……学校のことで、最近は少しいろいろあったもので。今日は早く帰りたかったのに」

 何を私は。こんな見知らぬ男性相手に話しているというのか。

「うん、それで?」

 男性は淡々と訊いてくる。私はもうどうにでもなれと言うやり投げな気持ちであんなことやこんなことに対する愚痴を溢した。男性は時々相槌を打ちながらただ話を聞いてくれる。何故此処まで親身になってくれるかなど、そもそもこの男性は誰なのかなど、もう色々とどうでもよくなっていた。

「ところで君」

 私がひとしきり話し終わると、男性は口を開いた。

「空を飛んでみたくはない?」


「え?」


 その男性はいたって普通の顔をしていた。冗談を言ってからかっている風には見えなかった。

「えーっと、どういう意味です?」

「そのままの意味さ。色々なうっ憤を晴らすには一番いい方法だ」

 何を言っているのだろう、この人は。

「まあまあ、そう気張らずに。私に付いておいで」

 突然男性は私の手を引いて駅舎から外へ出た。それがあまりに不意の出来事で、私は無防備にも付いて行ってしまった。男性の足取りはとても軽やかだった。軽くて、まるで本当に空でも飛べそうだ。

外へ出てみると、まるでそこに私と男性しかいないような静けさだった。

「さあ、君ももっと軽く。足を上げて」

 ふと足元を見ると、彼の足は地面を踏んでいなかった。

「!?」

「空を飛ぶんだ。そう驚くことではないだろう」

 その時、ふっと男性の手に力が入って私は腕を引かれた。私の足は両方とも地面から離れた。

「わっ、あわわ……」

 慌てて足をばたつかせると、男性は、はっはっはっと愉快気に笑った。今日一番の素敵な笑顔だった。

「気持ちいいだろう」

 私も暫くして落ち着きを取り戻し、男性の真似をして足を前へ進める。まるで空中に見えない道が存在しているかのように、私たちは空を歩いた。

「うーん、その鞄、重たいだろう。あと、その身体も」

 気が付くと男性はカラスの姿になっていた。先程まで私の手を引いていたその手は、いつの間にか真っ黒な翼になっている。

「それが、貴方の本当の姿、ですか?」

「ああ。毎日見ていたろう?」

 その人はもうカラスで、表情など既にわからなくなっていたが、さっきのように方頬を上げて笑われたような気がした。

(鞄……)

 確かに、教師に登山かと嫌味を言われるほどには重たかった。どうにでもなれ。そもそもこんな非現実的な状況に置いて、何かに拘る必要も無かろう。えい、と、私は鞄を投げ捨てた。ついでに靴も。両腕を広げてぱたぱたと動かしてみる。

「ほら。大分体が軽くなってきたろう?」

 気が付けば私の身体もカラスと化していた。そこで気が付く。私たちは大分上空に来ていた。いつも広いと感じていた町がちっぽけに見える。確かに体は軽い。風に乗って空を飛ぶのは気持ちよかった。

「さて。仲間のところへ行こう。おいで」

 男性――と呼ぶべきか、否か。カラスは向きをぐるっと変えた。と、風向きもそちらへ変わる。

「わあ、凄い。風向きが読めるんですか?」

「カラスだからね」

 ぱたぱた、ぱたぱた。暫く翼を動かし続けると、疲れてきてしまった。

「そんなに羽ばたく必要はないさ。風に乗っていれば、自然に飛べるよ」

 カラスは優雅にすいすいと飛んでいく。私は不器用についていく。

「やあ、皆」

 前方にカラスの群れが見えてきた。

「かあ、かあ」

 彼らの言葉は私にはわからなかった。彼らは一斉にこちらに向かって飛んでくる。

「凄い……逆風なのに」

「そりゃあ皆、社会の波に流されてもみくちゃにされた過去があるからね。こんなもの、どうってことないんだろうさ」

「それじゃあ、あの人たちも皆……?」

「ああ。君と同じ。元は人間だったんだ」

 元は。

 人間だったんだ。

 なら今は?

 私はもうカラスになってしまった。これから先も、きっとそうなのだろう。もう通うこともないだろう、私の母校が見える。

(ああ、あんなに)

 なんてちっぽけなのだろう。私の頭を悩ませてきたものは、あんなにちっぽけなものだったのだろうか。

 それでももう、どうでもよかった。私の眼前に広がる空は、とても広かった。

「かあ、かあ」

 先程まで男性だったカラスはもうどれだか分からなくなってしまった。

お久し振りです。とても久しぶりに投稿させていただきました。

図らずともついつい動物関連の話が多くなってしまいます。今後もこんな感じの軽い話をここに乗っけていければなあと思っていますので、また見かけたらその時は宜しくお願いします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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