第八話
巨岩が落ちると、轟音と共に周囲が見えなくなるほどの砂塵が巻き上がる。目に見える形での強力な魔法の行使によって怯えていた野盗たちに光明が差した。襲撃者の男と魔物は直撃していなかったとしてもダメージは免れないはずだ。手負いの状態なら何とかなるかもしれない。
生き残ったわずかな野盗たちは冷静さを失っているのでここまで実力を隠していた仲間に不信感を抱いていないが、これが平時であれば警戒されたのは間違いないだろう。何故自分の能力をひた隠しにするだけにとどまらず、自分たちのような有象無象に混ざっていたのか、と。
「阿呆共が。自分たちも後で殺されることも知らずに喜んでやがる。」
一方で魔法を使った男はとんでもないイレギュラーが現れたものの、計画がうまく進行していることに内心でほくそ笑んでいた。そもそも、彼は敗残兵ではない。彼の真の姿は中央大陸を統べる宗教、聖白教会の持つ聖騎士団の一つで主に周辺国の諜報を担当する『グリフォン』に所属する工作員だ。
情報収集にはそれなりに金がかかる場合が多い。そのため、『グリフォン』の工作員たちは現地で金銭を調達する必要があるのだが、彼が獲物と定めたのがこの野盗たちだ。仲間として潜入して信頼を得た後、連中を殲滅して彼らが略奪した物資や金銭を根こそぎ奪うつもりだったのだ。
ケントの襲撃は計画に入っていなかったものの、むしろ面倒な野盗の殺戮を受け持ってくれる相手がやって来てくれたのは彼にとって行幸だ。自分が殺す手間を省いてくれたのだから、感謝の一つでも送ってやりたい気分だった。
「ぐあぁぁぁぁぁ!」
「何?」
野盗の一人が悲鳴を上げながら絶命した。殺したのはケントであったが、その体には浅い傷はあるもののどれも戦闘に支障をきたすほどの怪我には至っていない。九人の野盗は恐怖に顔をひきつらせ、魔法を行使した本人は感嘆した。直前に気付かれたとはいえ、ほとんど不意打ちで仕掛けた魔法を何らかの方法で防いだケントに興味を持つと共に警戒レベルを引き上げる。この相手は本気で戦わねばならない相手であるとケントの戦力評価を上方修正し、自らの切り札を切ることにした。
「…八…九。これで残りはお前だけだな。」
「ほう?もう片付けたのか。若いのに良い腕前だな。」
「そういうアンタも相当強いな。何モンだ?」
「答える必要はない。若い芽を摘むのは残念だが…仕方がない。」
「そういう割には残念そうな顔はしてねぇな。」
不敵に笑う男の周りの大地が盛り上がり、形を変えていく。そしてそれらは徐々に人型に近づいていき、最終的にケントに負けず劣らずの体格を持つ騎士の姿をとった。分厚いカイトシールドを左手に持ち、刃渡りが二メートル近くある大剣を右手に下げた全身鎧を纏った重装戦士のゴーレム。それを同時に十体まで生み出して自在に操ることこそ、男の切り札だった。
普通の相手ならばこの時点で逃げ出す。経験豊富な猛者であればゴーレムたちをいなしつつ、術者である男を狙う隙を伺っただろう。しかし、ケントはそのどちらでもない。手に持っていたロングソードを地面に突き刺し、不敵な笑みを浮かべながら迎え入れるように両手を広げて堂々と待ち構えている。
「そのお人形遊びがオッサンの切り札か?なら、俺はそのお人形を全部ぶっ壊してからアンタを殺すことにしようかね。」
「…調子に乗るなよ、小僧!」
男は未だ姿を見せない黒い魔物を警戒して二体を自分の守りに残し、残りの八体をケントに差し向けた。諜報を専門とする『グリフォン』だが、戦闘能力が低い者など存在しない。さらに男の実力はその中でも五指に入る。
聖騎士団全体でも間違いなく上位に食い込む実力者である男は、自分の自尊心を傷つけた若造を完膚なきまでに叩き潰す決意を固める。半死半生まで追い込み、無様に命乞いをさせてから惨たらしく殺してやる。
そのために男がゴーレムたちをケントを包囲するように展開する。その間もケントは微動だにしない。それが男の精神を逆撫でする。
「敗残兵上がりを百人程度殺せるからと言って調子に乗るなよ、ガキが!」
男の怒りに呼応するように、八体のゴーレムはそのカイトシールドでケントを押しつぶさんと襲い掛かる。大剣を使わないのはケントを生かして捕らえるつもりだったからなのだが、もうやめだ。このまま盾で圧死させ、潰れたトマトのような残骸に変えてやる。男の眼は殺意とサディスティックな愉悦に満ちていた。
「ふん!」
ケントが気合と共にくるりと回りながらすべてのゴーレムに触れた。邪魔な虫を払う様に無造作な動きだったが、ケントが触れたゴーレムは一瞬で元の土塊に戻った。男は目の前で何が起こったのか理解できなかった。土製のゴーレムは体の一部が破壊されたとしても術者の魔力の供給を受ければすぐに再生し、生半可なことでは無力化することはできない。破壊するためには二十以上のパーツに細分化するか構成材質の七十パーセントを消し飛ばす必要がある。だからこそ、この術は切り札なのだ。
その半永久的に戦えるゴーレムが破壊された。それもバラバラにされたわけでも、体の大半を失ったわけでもない。まるで魔法がかかる前の状態にされたかのようだった。
「解除魔法だと!?」
「違う。」
ケントは散歩するかのように男に近づいていく。その余裕は先ほどまでならば男の癪に障る行為だっただろうが、今はその余裕がただただ恐ろしい。聖騎士団の団員として鍛錬を、『グリフォン』の諜報員として経験を積んできた。だが、目の前の青年が使う未知の能力の正体はわからない。
(なんなんだ!?こいつは!危険すぎる!)
「オッサン、なにボーっとしてんだ?」
「ッ!」
ケントは足元の剣を拾い上げると、猛然と走り出した。男は逃げに転ずる決意を固める。この青年の能力は本国に報告するべきだろう。
方針を決めると、男の行動は早かった。まずは残りのゴーレムで攻撃を加える。あまり効果は無いかもしれないが、時間を稼ぐことはできるはずだ。その間に移動に使える魔法で一気に撤退する。男は飛行魔法の適性がないために使えないが、土魔法を応用すれば軍馬よりも素早く移動できる。
「かかれ!」
計画通りにゴーレムをけしかける。魔法によって作られたゴーレムの動きは重量に反して驚くほど機敏だ。互いの距離は瞬時に詰まり、ケントとゴーレムたちが激突すると思われたが、男はケントの相棒のことを失念していた。
「グルオァァァァァァア!」
ケントの影の中から飛び出してきた巨大な狼は二体のゴーレムの内片方に跳びかかり、組伏せてしまった。そして一対一ならばケントがゴーレムを無力化することは容易い。武器を持っていない左手で触れられたゴーレムは、またもや風化したようにボロボロに崩れ落ちる。
ケントはもう一体のゴーレムのことはルガールに任せて男に向かって再突撃を仕掛けた。男は舌打ちをしながら土の壁を目の前に作りだし、腰の剣に手を掛けた。これまでの戦闘から速度で勝てるはずはないし、撤退用の魔法を起動する時間もない。また、攻撃しようにも魔法が効かない以上、武器で倒すしかない。幸いにも今持っているのは魔力を込めることで刀身から毒が流れ出す魔法武器だ。これならかすり傷を与えるだけでいい。防御に専念し、好機をうかがえば勝てる確率は非常に高いはずだ。
男は水準の高い訓練を受けた戦士であり、彼の判断は普通ならば最適解と言えるだろう。しかし、彼はケントの能力を理解していなかった。警戒してはいたが、何に注意しなければならないのかを知らなかったのだ。
ドスッ
男が剣を抜こうとした矢先に、すぐ近くから鋭い音が聞こえた。視線を下に向けると、胸に鈍く光る剣が突き立っている。剣の元を目で追うと、土の壁から生える腕に握られている。それはありえない光景だった。魔法によって創りだした壁の強度は鋼鉄に匹敵する。しかもその厚さは三十センチにも達するのだ。
「ガハッ!?」
胸から剣が引き抜かれる。心臓は無事だったものの、深々と刺さった傷からは大量の血が流れ出す。男は早鐘のように鳴る心臓の鼓動に合わせて出て行く血液と、徐々に力が入らなくなる感触に恐怖する。ゆっくりと、しかし確実に近づいて来る死が恐ろしかった。
「オッサン。冥土の土産に種明かししといてやるよ。」
ゴーレムと同様に崩れ落ちた壁をまたいでケントが近づき、男のそばにしゃがみこむ。男は迫りくる死への恐怖で聞いてい無いがケントは構わずに続けた。
「俺の魔法は『吸収』。俺は魔法から魔力を吸い上げることができるのさ。俺が触れた魔法は大元の魔力を吸い取られて効果を失うってことだよ。ゴーレム然り、土の壁然りな。一度に吸い取れる魔力の上限があるから万能ってわけじゃないんだが、ゴーレムみてぇに内包する魔力が固定されていないと動かなくなるタイプの魔法に対して俺は天敵なんだよ。…さて種明かしも済んだ。楽にしてやるよ。」
ケントは剣を振い、男の首を刎ねる。盗賊団はケントの襲撃を受けてから約二十分で殲滅された。