第五十六話
チャンが用意した完璧な書類によって、警戒網はいとも簡単に通過することができた。東大陸の港にも当たり前のようにチャンの商会専用の船着き場がある。チャンの船に曳かれる形でケントの船も同じ場所に着き、ケントたち一行は東大陸の土を踏んだ。
南大陸の港は西・東のそれぞれの雰囲気を感じさせるいわば折衷建築ばかりだったが、ここは完全に東大陸の文化圏であるだけあって、どの建物も南大陸にあったチャンの屋敷や商会の事務所と似通った見た目であった。東大陸特有の木造建築は西大陸の石造りの建物とは異なった趣がある。特に窓にはめてある障子は王国を含む西大陸にはないものだ。障子を通して部屋に入ってくる柔らかな陽の光がケントは気に入っていた。
「師匠。チャンさんがお呼びです。」
「ああ。今から行くと伝えてくれ。」
一行はチャンの本宅に通され、各自に与えられた部屋に腰を落ち着けていた。自分に与えられた部屋でリラックスしていたケントは、ジズーワンに適当な返事を返してから服を新しいものに着替える。新しいものと言っても長旅でヨレヨレになっていて見栄えが非常に悪い。見た目に頓着がないケントだったが、流石にこれでは自分がよくてもサーリャたちが嫌だろう。
「チャンさんに安い服屋でも紹介してもらわなきゃな。」
「あら?その時はご一緒させていただきますね。」
ケントのぼやきをドアの前で待っていたサーリャが笑顔で茶化す。二人の契約更新(?)があってから、サーリャはケントへの遠慮がほとんどなくなっていた。二人の間にあった壁の一つが崩れた、といったところだろうか。
「ほう。なら、チャンさんの店で酌をしていた女が来ていた服を着て見せてくれよ。」
「あの隙間から脚が出るドレスですか?嫌です。私はあんなはしたない恰好はしません。」
惚れた女との心の距離が埋まって来たこと自体はうれしくもあるのだが、軽いセクハラ発言をしても恥じらうことなくケントを軽くあしらうようになったことだけが悔やまれる。そんなケントの思惑を見透かしているのか、サーリャは彼を置いて先に歩き出した。ケントはサーリャが頼もしくなりすぎたことに複雑な思いを抱きながら小走りに付いて行った。
チャンの書斎に通されると、そこにはチャンと先に来ていたジズーワン、そして二人に見覚えのない男が立っていた。男の体格は中肉中背のやせ型、涼しげな細目が特徴の好青年といった容姿である。南大陸でも見たが、西大陸ではあまり見ないタイプの容姿だ。
「おお、お二人さん。おはようさん。お揃いでいらっしゃい。これが前に言ったワイの倅ですわ。」
「お初にお目にかかります。ケント・シュヴァルツ殿、サーリャ・スウェルシュ殿。私、リーロン・チャンの息子でロンミン・チャンと申します。以後、お見知りおきを。」
「ケント・シュヴァルツだ。こちらこそよろしく。」
「サーリャ・スウェルシュです。初めまして。」
ケントはロンミンの王国語に全く訛りが無いことに驚いた。ケントたちが出会ったチャンを含む東大陸出身者には独特の訛りがあったのだが、ロンミンにはそれが全くない。ケントが不思議そうな顔をしている理由を察したのか、ロンミンは苦笑した。
「私の家庭教師が西大陸出身の先生で、その先生から王国語を学んだんですよ。私の王国語に訛りがないのはそういう理由です。」
「ああ、すまない。失礼した。」
「いえ、気にしないで下さい。慣れているので。それと、私はロンミンとお呼びください。」
「じゃあ俺のことはケントと呼んでくれ。」
大したやりとりはしていないが、ケントはロンミンという男に興味を持った。語学の面だけでもチャンが自慢していたように優秀であることは疑いないのだが、それだけではなく油断ならない男であるという印象を受けたのだ。一見してロンミンの筋肉の突き方や重心の置き方は決して戦士のそれとは異なる。ケントが戦闘能力以外で相手を警戒したのはブラオスローザ伯爵以来のことだ。本能に従って、ケントはロンミンとは友人でいる方がよいと判断した。
「さて、顔合わせも済んだことやし、街にでも繰り出して下さい。せっかく帝国に来たんや。観光していっても罰は当たらんやろ。ロンミン。案内して差し上げなさい。」
「もちろんです、父上。では、行きましょうか。」
ロンミンに連れていかれたのは港町の繁華街であったが、その様子は王都とも南大陸とも異なる。王都との大きな違いは街の形だ。王都は王城と貴族区画を中心として環状に都市を形成していたが、こちらは碁盤の目のように方形に作られている。また、街の周囲に城壁が存在しないこともケントからすれば驚きであった。これは内陸にある都も同じであるとロンミンは語った。統一国家ならではと言えるだろう。
「そうだ!ロンミンさん、服が手に入るお店を紹介していただけませんか?」
「服屋ですか?こちらです。」
ロンミンに観光案内をしてもらっていたケントたちだったが、サーリャが先ほどのケントとの話を思い出したらしい。ケントとジズーワンも付いて行ったのだが、ロンミンが案内した店は明らかに高級店で二人とも気おくれしてしまう。ロンミンと共に当然のように中に入っていけるサーリャは国が異なるといえどもやはりお姫様なのだろう。間違いなく田舎者である師弟は顔を見合わせると決心したように頷き、息を大きく吸い込んで気合を入れてから店内に入った。
「わぁ!ケントさん、ジズーワン君!見てください!素敵な服ばかりですよ!」
「すごい…。師匠、これ全部絹織物ですよ…。仕立ても上等…どころか特上だ。」
「ほう。ジズーワン殿はなかなかの目利きですね。」
「こいつは南の港で生まれ育ったんだ。自然と眼が肥えてるんだろうよ。」
ロンミンだけではなく店主や店員も感心したらしく、ジズーワンに生地や仕立てについてかなり専門的な話までし始めた。その辺りの話が一切わからないケントとサーリャは置いてけぼり状態になったが、上品な老婆が奥に通してくれた。雰囲気からいって店主の妻なのかもしれない。彼女の言によれば、チャンの剣傾斜ならば支払いは無用とのことだ。
「それにしても、世の中にはこんな服しか持ってない奴もいるって考えると嫌んなるぜ。一着いくらするんだ、これ?」
老婆がサーリャに合う服を見繕っている間、ケントは店に並んでいる東大陸の衣装を観察していた。西大陸系のドレスは体の線を強調する形状にフリルや刺繍をふんだんにあしらうが、東大陸ではゆったりと包み込むような余裕のある構造にワンポイント程度に控えられた刺繍が特徴だった。西は豪華絢爛、東はシンプルかつ上品なドレスが求められるのだろう。商品はどれも町中を歩いている者たちとは一線を画す繊細なデザインと布の質、そして店の格式から察するにこの店に置いてある商品はすべて高級品だと思われる。王国で言えば貴族の子女の御用聞きに出向く店なのであろう。よく見ればケントたち以外の客は身なりからしてどこかの使用人のようだった。一着がいくらするのか、想像もできない。
そう考えると、この如何ともしがたい居心地の悪さは自分がひどく場違いな存在であるからなのだろう。生まれてこの方、狩猟と戦のことばかりを叩き込まれてきた。西大陸きっての文明国であるゴルドアードラー王国出身とはいったものの、辺境の片田舎で野蛮人のように生きてきたケントにとってこの店は敷居が高いのだ。
「ケントさん。」
「ん?なん…。」
物思いに耽っていたケントが呼ばれるままに振り向くと、サーリャの姿に目を奪われてしまった。彼女が着ているのは白地に金糸で鳳凰の刺繍を施された一品だ。ビロードの如き漆黒の黒髪と純白の絹の対比、そしてその中に映える金色の鳳凰が神秘的な美を演出していた。
「どうしました?」
「い、いや。よく似合ってるな。本当に。」
「ふふ。ありがとうございます。お世辞がうまいですね、ケントさんは。」
サーリャの晴れ姿は背筋がぞくりとするほどに美しく、ケントが動揺して言葉に詰まるほどだった。店内にいる店員も客も眼を奪われていた。そんな周囲の視線に気が付いていないのか、サーリャはケントの手を取った。
「次はケントさんの服を選びましょう。かっこいい服があるといいんですけど。」
「おいおい!俺はこんな高い服いらんぞ!」
「いいじゃないですか!せっかく来たんですから。」
「お嬢様のおっしゃる通りですよ、お客様。それにお客様はなかなかの偉丈夫にございますれば、何を着てもお似合いになるでしょう。さぁ、こちらへ。」
ケントは女性二人に引きずられるように店の奥に連行されていく様を、ロンミンはふっと気の抜けたような自然な笑みを浮かべながら眺めていた。




