第五十四話
ケントたちが南大陸から出港し、東大陸に向かって航海している頃、ヴォルフは王国に帰っていた。祖国に帰った彼はその足で自分を呼び戻した第二王子エルンストに謁見するために王城に向かった。王城でもヴォルフが来た場合は最優先でエルンストの元へと連れてくるように厳命されていたらしく、待たされることなくエルンストの執務室に通された。
「殿下、ヴォルフガング・フォン・アーヴィング。ただいま参りました。」
「おう。悪いな、もっと旅がしたかっただろうが…。」
エルンストは頭こそ下げなかったが、本当に申し訳なく思っていた。彼は家臣である前に親友であるヴォルフを無理やり呼び戻したくはなかったのだ。
だが、友である前に臣下であることを弁えているヴォルフは気にしていない。むしろ、エルンストの執務室に集まっている顔ぶれに、ヴォルフはこれからこの国で大きな何かが起こることを予想させられた。その場に集結していた四人はいずれも王国の重鎮ばかりなのだから。
「いえ、それよりも…私のような若輩者が同席してもよいものでしょうか。」
「ヴォルフ君、そう畏まらないでくれたまえ。」
「然り。貴公の魔法を理解できん愚か者はここにはおらん。胸を張れい。」
恐縮していたヴォルフを落ち着かせるように優しく声を掛けたのはブラオスローザ伯爵、そして堂々と力強い声で賛同したのは王国十万の兵を束ねるクーゲルシュタイン将軍だった。エルンスト派貴族の筆頭と国軍を指揮する大将軍におだてられては遠慮してばかりはいられない。ヴォルフは一礼すると居並ぶ顔ぶれの末席に連なった。
他にエルンストの元に召集されたのはヴォルフの父であるアーヴィング公爵、そして高等法院の司法長官であるハイルディン・ルードラントであった。つまりここには良識派貴族、王国軍、王国最高学府、そして司法府の長が集結しているということになる。エルンストがどれほど期待されているのかがうかがえるというものだ。
「話がまとまったところで、わざわざお前たちを呼んだ理由は他でもない。この国が近いうちに戦争を仕掛けることになるってことだ。」
「正確に申し上げれば、一ヶ月後、国王陛下の名のもとに隣国であるミライエ・ヴァンデル両王国に対して宣戦布告をするとの御下知がありました。」
「布告の理由は『王国は大陸を統治せねばならないという神の啓示を得た』ことらしい。」
「噂は真実だったのですな。それはまた…聞き入れるはずがありますまい。」
エルンストとゲオルグの口から述べられた衝撃の事実に驚いているのはヴォルフただ一人だ。それは単純にこのことを知らなかったのは国外にいた彼だけだったからだ。ヴォルフはみっともなく驚愕に顔を歪めたりはせずに、平静を保った。
「父上、いや陛下が戦争すると宣言したからには我々は勝利のために全身全霊を以ってあたらねばならんのは言うまでもない。だが、この戦争の総大将は陛下の名代として兄上が任命されたことが問題だ。」
それはここに集まった者たち全員にとって初耳であり聞き捨てならないことだった。国王の名代、ということは戦争で勝利した暁にはその功は国王とオットーにあるということになる。
「殿下も戦場に赴かれるので?」
「俺は副将として兄上の補佐につく、ということになっている。」
「ほう?あのオットー殿下が戦場に行かれるとは驚きですな。勇ましくなられたものだ。」
「クーゲルシュタイン将軍、嫌みはその辺に。不敬ですぞ?」
クーゲルシュタインを諫めたのはヴォルフの父であるアーヴィング公爵だ。将軍は憮然としながらもこれ以上は何も言わなかった。
「たしかに、あの兄上が戦場に行くとは思えん。結局は聖堂で勝利を祈るだけで誰かを適当な理由をつけて代わりの総大将に据えるつもりだろう。」
「どちらにせよ殿下には武勲を立てさせないつもりでしょう。聡明な陛下がそんな理由で戦争を起こすなどあり得ませぬ。十中八九、いえ十中十で教会に唆された第一王子殿の暴走でありましょう。」
「もしそうであるならば最もたちの悪い内政干渉ですぞ。政治に口を出すだけならともかく、戦争を煽動したとなれば…私の仕事が増えることになるでしょうな。」
「しかし、形式上は陛下の宣下です。従わねばならないでしょう。」
「そんな政治の話をしている場合ではあるまい!」
クーゲルシュタイン将軍が声を荒げた。彼はこの場に集まった者の中で唯一平民出身で、たたき上げでここまで成り上がった猛者である。それゆえに多少荒っぽいところがあるのだが、だからと言ってここまで露骨にいらだちを隠そうともしないのは珍しいことだった。
「すでに宣戦布告は届いているのだ!にもかかわらず国境警備の増員しか私は聞いていないぞ!すでに準備ができているとすれば私の面子はどうなるのだ!」
「落ち着け、将軍。俺の元にも王国軍を動かしたという情報は入っていない。今回の宣戦布告は事前の準備を一切していないのだ。それはそれで大問題なのだが。兄上は…あまりにも政治から離れすぎているようだな。オスカー、国境警備はどうなっている?」
宣戦布告は早い話が敵国に喧嘩を売るということなのだが、個人の喧嘩ではなくこれは戦争だ。戦争は勝たねば意味がない。だからこそ、事前に万全の準備をしてから宣戦布告によって開戦の狼煙を上げると同時に侵攻を開始するのが常套手段だ。軍のトップに位置する将軍に何の命令も連絡もなく準備が行われていたとすればそれは彼の権限を無視したことになる。もし彼の頭を飛び越えていたなら、将軍の地位がお飾りであるかのようにみなされてしまうのだ。
「はい、殿下。国境警備隊の増員は十分とは言えませんが、私が私的に雇用していた退役軍人などを援軍に向かわせるように指示をいたしました。彼らは最盛期ほどの動きはできないでしょうがそれでも徴兵された兵士に後れを取ることはございません。正規軍が軍備を整えるまでは持ちこたえられるかと存じます。」
「流石ですな、伯爵。取り乱してすまなかった。」
クーゲルシュタイン将軍は落ち着きを取り戻して身を引き、エルンストは頷いて了解の意を表した。タイミングを図ってゲオルグが新たな問題提起をする。
「我々がもたついている間に聖国から援軍を派遣できるとの旨の報告が届いております。戦争に介入するのが目的と思われますが…。」
「勝てば領土を要求、負けても賠償は王国だけにさせるつもりだろう。枢機卿め、兄上にうまく取り入ったものだ。」
そう言いながらもエルンストとここに集まった他の者たちは彼が宗教にここまで傾倒した理由を知っているので苦々しい顔をしてしまう。原因は彼らの母であった王妃がヒルデガルドの出産の後すぐに死んでしまったことにある。死因は流行り病であったのだが、王妃の死は思春期の少年には堪えたらしい。その結果として彼の心に開いた穴を埋めたのは宗教への妄信だったのだ。
同情はするが、だからと言ってエルンストには理解できない。彼にも信心がないわけではないが、だからと言って国の舵取りに他国の勢力の発言を許すわけにはいかない。聖国は敵国ではないが同盟国でもないのだから。
「それでこれからどうするのだ?戦争となれば我らは全力で敵を屠るが、武勲を総取りするのが敵対派閥というのは納得がいかん。」
「ほう?勝利は確定している、と?」
「少なくともミライエ、ヴァンデルは恐るるに足らん。我らに対抗するために結んだ仮初の同盟は驚くほど脆い。間諜からの情報ではすでに指揮権の問題で揉めているらしい。だが…」
「宣戦布告を言葉通りに受け取るならば、この戦争は隣国との戦争だけでは終わらせるつもりはないのでしょうね。」
「大陸の統一、ですか。我が国に比肩しうる国力を有する国家はありませんが、小国同士が同盟を結ぶと厄介なことになりますよ。いくつもの戦線を抱えることになります。我が国の騎士は徴兵された民兵とは比較にならない強さですが、徴兵をしないが故に絶対数で劣ります。ただでさえ少ない人数をさらに分けなければならないとなると…泥沼化すると考えます。」
「それこそ聖国の思うつぼではないですか。相変わらず陰険な…。」
「聖国の横やりも考慮せねばなるまい。奴らが戦果欲しさに戦争に参戦してくるのだろう?聖騎士は数では我が国よりも少ないが、個々人の戦力平均は高い。…悔しいことだがな。」
「とにかく、だ。」
忠臣たちの様々な意見が飛び交う中、エルンストが語気を強めて遮った。皆の視線が集まったことを確認したエルンストはおもむろに口を開いた。
「戦争するからには勝たにゃ意味がないが、時間をかけるのは下策ってことで一致しているな?」
全員が当然とばかりに力強く頷く。
「俺に一つ案がある。いろいろと面倒を掛けることになると思うが…実現のために協力せよ。」
「仰せのままに。」
王国の重鎮たちは自信をもって、深々と頭を下げて忠誠の意を示した。




