第五十三話
ジズーワンが旅の供に加わったそのすぐ後にチャンが出港の準備を終えたことを彼の使いが伝えにきた。すでに港の機能が回復していたといっても、ミクロの視点で見るとうまくいっていない部分が多々あった。チャンがその大まかな調停を終え、ゴバの民に修理してもらっていた彼の船が到着し、仲間の無事をその前日にようやく確認できたのだった。
ケントの船はチャンの輸送船に曳航索でつなげて引いてもらっていた。ケントの船は自走できるが、輸送船を一隻で引っ張るほどの馬力はない。輸送船に速度を合わせねばならないのならば、つなげてしまおうというチャンの判断だ。
「うぐっ!」
「腰が入ってない!次!」
「は、はい!」
出港して一週間。今日もケントはチャンの船の甲板でジズーワンやチャンの部下で希望した者たちの訓練を行っていた。南大陸から東大陸までの距離は西大陸から南大陸までとほぼ同じだ。しかし、航海士によれば足の遅い大型輸送船では早く見積もっても二ヶ月前後かかるらしい。その時間を有意義に使うために、ジズーワンを筆頭にチャンの部下の一部がケントに剣の手ほどきを請うたのだ。ジズーワンはともかく、商船の水夫たちが強くなりたいと欲する理由はやはり先日の襲撃が原因だろう。護衛だけに頼るのが不安なのだろう。水夫の中にはケント達に救われた者の顔もいくつかあった。
ケントとしては航海術を少しでも学びたかったのだが、新しい知識をスポンジの如く吸い込んでいくサーリャとは違って難しいことは全く理解できなかった。そこで、ケントは航海術を学ぶことは諦め、その代わりに操船術、つまり帆の操作を教わることにした。魔法機関があるとはいえ、せっかく帆があるのだからそれを使いこなせるようになっておいて損はないとケントは考えたのだ。操船の技術を学ぶといっても一日中というわけにもいかないので、空いた時間を剣の稽古をつけていた。
「ぐあっ!」
「剣だけ見るな!次!」
「おっしゃぁ!行くぞぉ!」
ケントの鉄拳によって殴り飛ばされた男の代わりに水夫の一人が斬りかかる。木剣のケントと異なり、訓練を受けている全員の得物は真剣だ。これは万が一にもケントが斬り殺してしまわないための保険であり、ほとんど武器を握ったことのない彼らになるべく早く剣や槍の重さを慣らすためでもあった。
ケントはその場から動くこともなく水夫の剣を躱し、捌き、弾き飛ばす。剣を失って焦る水夫の腹を容赦なく蹴り飛ばした。
「ぼさっとするな!次!」
「うおお!」
次の男はケントの首目掛けて槍を突く。下手をすれば殺してしまう攻撃だが、だれも動じることはない。その水夫は『殺すつもりで向かうこと』というケントの指示に忠実に従っているだけだからだ。殺すつもりで稽古しなければ実戦で殺すことなどできはしない、というのがケントの持論だ。彼は本気で彼らを自力でもそこらの海賊なら撃退できるまでに育てるつもりなのだ。
ケントは槍を横にではなく斜め前に出て捌き、木剣で下から斬り上げる。実際に斬れるわけではないし、骨折するほどの力は入れていないが、その水夫はその膂力によって吹き飛ばされた。宙に浮いていた時間は一秒にも満たなかったが、受け身を取れなかった水夫は床で頭を打って失神した。
「ふぅ。これで全員だな。今日はこれで終わりだ。俺とやりたい奴は言ってくれ。」
「お願いします!」
最初にケントの監督の元、二人一組でチャンバラをさせ、最後にケントを本気で殺すつもりで立ち向うのが彼らの訓練メニューだ。前者は実戦形式で戦闘技能を体に叩き込み、後者は必要とあらば格上にも怖気ることなく立ち向う勇気を養うためのものだった。どちらの訓練もたった一週間で成果は上がらないものの、確実に彼らの自信につながっていた。
「よし。本気で来い。魔法の使用も許可する。」
「参ります!」
加減されているといってもケントの剛剣は体の芯に響くほど強烈だ。自ら望んだ訓練ではあるが、すでに水夫たちは疲れ果て、これ以上ケントに向かっていく体力と気力を残している者は一人しかいない。それを残しているのは水夫ではなくケントの弟子であるジズーワンただ一人だ。彼は今日もケントに強制的に止められるまで何度も立ち上がる。ジズーワンの強さへの貪欲さは昔の自分を見ているようで、ケントにとって微笑ましかった。
「…今日はここまで。これ以上は怪我ではすまんかもしれん。」
「ハァ、ハァ…。あ、ありがとう、ござい、ました。」
「お疲れ様です。はい、これで汗を拭いてくださいね。」
「ああ。ありがとう。あいつはしばらく動けんだろうから頭にかけてやってくれ。」
「ふふふ。わかりました。ジズーワンさん、今日も頑張りましたね。」
日没直前までたっぷりとケントにしごかれたジズーワンは立ち上がる力も残っていない。甲板で横になったまま動けないジズーワンにサーリャは労いの言葉と共に手拭いを渡した。ジズーワンは返事ができないほど消耗していたが、サーリャは彼の目から感謝を意を感じ取って微笑んだ。
ジズーワンはサーリャの素性と彼女達の旅の目的、そしてルガールの存在についてすでに説明を受けている。最初は魔族というおとぎ話を聞かされてからかわれているのだと思ったジズーワンだったが、影からぬっと出てきた巨狼であるルガールを見てしまっては信じるほかなかった。常識が壊されたショックは相当なものだったようだが、すでに立ち直っている。また、ルガールとの関係は良好だ。漆黒の美しい体毛と金色に輝く瞳からジズーワンは恐怖よりも美を感じたからだ。突然襲われて殺されかけたヴォルフとはわけが違う。ここ数日は二人で戦うことを想定した戦術を話し合ったりもしていた。
「いやぁ、こうしてみるとほんまにバケモンでんな。ウチの国にケントはんほど強い戦士はおらんやろうなぁ。西大陸の魔法騎士っちゅうんはみんなこないに強いんでっか?」
「俺はまだまだ未熟ですよ、チャンさん。化け物と呼ばれるには程遠い。それに、俺に勝てる奴は世界中に無数にいるはずだ。」
「謙虚でんなぁ。けどまぁ、帝国ではできるだけおとなしゅうしといてや。今、ウチの国はギスギスしとるから。」
サーリャの後ろからチャンがのんびりとした口調でそんなことを言いながらやって来た。ケントは正直ン答えたつもりだったが、チャンは本気にしなかったらしい。ケントはそれを無理に信じてもらおうとはしなかった。
「ギスギス…ですか?」
「今、ゴルドアードラー王国の王様も死にかけとるって聞いとりますけど、ここだけの話、ウチの皇帝も似たようなもんや。こっちは棺桶に片足突っ込んどるだけやなくて、ボケが始まったっちゅうのがたちが悪いんですわ。皇位継承が荒れるかもしれん、ゆうて事情通は戦々恐々やで。」
「ヴォルフが緊急で呼び出されたのもその辺と関係がある気がするな。むしろ、それ以外で呼び出されたとするなら…王国は戦争でもおっぱじめるつもりかもしれん。」
「今が歴史の変換点、ちゅうやつなんかもしれまへんなぁ。」
しみじみとつぶやいたチャンの言葉は風の音でよく聞き取れなかったが、二人は何を言っているのかは何となく察していた。それはきっと皆が同じ思いを共有していたからかもしれない。
「さてと。今日は俺が食事当番だったな。チャンさん、晩飯は期待してくれよ。」
「おお!そりゃあ楽しみやな!」
「あ、手伝います。」
ケントはサーリャを連れて船内に入っていった。夕日の鮮やかな赤と夜空の全てを吸い込むような黒が入り混じった不気味な色の空はチャンの心中の不安を煽るようだった。




